偽物たちの悪あがき
晩年、テロリストの偽聖者であるシンニョは、歯の治療時の麻酔によって昏睡状態になった時に「もう、悟っているふりをするのには疲れた」と口にしたという。思わぬ形で化けの皮が
さらに、自称神のシンニョがついに「自分は神ではない」と素直に認めたというからあっぱれである。過ちや嘘を認める犯罪者はそれほど多くない印象があるが、あの極悪人が認めるとは、渚沙は予想していなかった。彼に洗脳された者たちの大半が、目覚めるかもしれない。
それだけでない。シンニョはかつて自分のことを個人的に「犯罪者」と批判したトラタ共和国の著名な哲学者KMのことを、「あいつはまだ悟った振りをしなくちゃいけないんだな」と気の毒がったという。負け惜しみにしか聞こえないが、そこにシンニョの偽者としての苦悩を感じとれる。偽者たちは、世間や人を騙すことで快感を得つつ、実は心の奥で自分の嘘に疲れており苦しんでいるらしい。
自称聖人の
フミの秘書小室比呂子は、ナータの寺院にメールや電話で、公でメッセージを伝える渚沙に忠告するようによく訴えてきた。最初は、渚沙が勝手に聖者の名前を使って、嘘を吐き、好きなことをいっていると思い込んでいた。残念だが、公開されているのはすべて真実の話だ。
警告や厳しいメッセージについては、自分のことだと気づく可能性のある人たちは大勢いる。しかし、フミたちのようにクレームをつけてくる者は他にいない。その厚顔さ、自分たちの過ちを意地でも認めない態度において、フミの一行は、他のどのスピリチュアル系よりも顕著に異常だった。
悟っている者たちが他人の評価にまったく無関心、無頓着であるのに対し、偽者はすぐに動揺し反応するからわかりやすい。こういう時代ゆえナータやシャンタムのような正統派の聖者たちも、一部のマスコミに悪意でデマを流されることが多々ある。トラタ共和国では、主にキリスト教系のマスコミが話題作りのためにやっていることで、本当はイスラム教を憎んでいるが報復を恐れ、平和で抵抗しない正統派の聖者たちを叩き上げる。
しかし、ナータは「ほおっておけばいい」と一言発するだけで、笑ってさえいる。あまりにも余裕なので周りの者たちはやきもきするが、ナータの姿勢に習って大人しくするように努める。
そのデマのせいで人々が離れていっても同じ態度なのだ。「人が少なくて楽になるではないか」と聖者たちは余裕だ。むしろそれをよしとし、満足しているようにさえ見える。聖者たちを自分の都合のいいように、ただ利用とする利己的者が多いからだろう。
ナータは、それぞれの人には運命があるといつも言っている。聖者たちは必要なアドバイスは与えるが、それに従わない者や無視する者たちの運命を頑張って変えようとはしない。すべての人が、自分で自分の人生を選択し自由に築いていいのだ。人に自由を与える本物と、支配しようとする偽者の明白な差。どんなに聖人を気取っても、外国のスピリチュアル系の人たちが相手にされないことはよくわかる。
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