偽仙人

『男は狼なのよ〜気をつけなさい〜。(中略)この人だけは〜大丈夫だなんて〜うっかり信じたら〜だめだめ、だめ、だめだめよ。SOS〜(中略)今日もまた誰か〜乙女のピンチ〜』という有名なピンクレディーの歌がある。

 ついでに二番はこうくる。『昔の人が〜いうことみたいだと〜ぼんやり聞いてたら〜だめだめ、だめ、だめだめよ。SOS〜……』

 渚沙は、カラオケを断れない状況に出くわすことがある。苦手な男性が同席している場合は「私に近づくな」という警告のつもりで、この歌を歌う。西洋人の前では、歌う前か後に意味を簡単に訳してさしあげる。すると、男達は少しそわそわして苦笑いを浮かべる。

 わかってくれたようね。そう、私は男が嫌いなの。ただの友達ならいいけど、ちょっとでも私を女として見たら殺すからね……。

 

 新しい住まいと新しい仕事を得て、新たに出会った人々と充実していた毎日を送っていたある日。バイト仲間だった美野里みのりは、友達の摩子まこを紹介してくれた。摩子は、渚沙より三歳年下の少女だ。本当は社会人だが、美野里と同様に、見た目も中身も幼くて可愛らしく少女という表現になってしまう。


 ある週末、美野里と摩子は、茅ヶ崎に住む男性のところへ渚沙を連れて行った。トラタ共和国つながりだから会わせたいという。彼は仙人のような人だそうだ。

 その仙人は陶器を焼いたり、挿絵さしえを描いたりしている芸術家だった。

 彼が興味深い話をしてくれた。何年か前にトラタ共和国に旅行した。到着すると、誰にも連絡していなかったのにもかかわらず、空港には迎えてくれる人たちがいて丁重に歓迎され、滞在中もVIP扱いされたそうだ。その理由は不明だと仙人自身がいう。誰かと勘違いされたなら、すぐに判明するはずだが……。不思議な話だ。やはり仙人だからなのか。


 彼の生活の仕方は、たしかに仙人といえるくらい変わっていて質素だった。工房付きの一軒家を所有し、清潔感のある個性的なインテリアで洒落ていた。一人で住むにはちょっと広すぎる。

 摩子は仙人に憧れているらしく、とても素敵な人だと手を合わせてきゃあきゃあいっている。中学生か高校生のリアクションだ。渚沙から見ると、仙人には男性としての魅力がなく、どこが素敵なのか全然わからなかった。なんと、摩子の母親と恋人同士なのだそうだ。しかし、ピンとこない。だいたい仙人というからには、恋人なんているはずがない。人気漫画『ドラゴンボール』に出てくる、見た目からしていやらしい亀仙人を思い出してしまったが、彼はそんな風には見えない。ほんの少しだけ女性的でなよっとした、中性的なものを感じさせる。


 一週間後。渚沙は、仙人から聞きたいことがあるといわれ呼び出された。夕刻、レストランで食事を終えてから仙人の家へ向かう途中、歩きながら仙人がいきなりキスをしてきた。一瞬の軽いキスで、防御することは不可能だった。『キスを奪われる』とはこういうことをいうに違いない。

 仙人は表情を変えないし、何事もなかったかのように歩き続けた。渚沙は呆れてしまい、怒る気にもなれなかった。不思議なくらい、仙人にやらしさを感じないのだ。男性を意識させないからだろう。

 渚沙は仙人の家に着くと、疲れがどっと出てどうしようもなくなり、少し休ませてもらうことになった。仙人は自分のベッドで寝ていいという。リビングのすぐ隣に寝室があり、ドアはいつも空いているので中が見えている。女性っぽい花柄のベッド以外に何も置いていないシンプルな部屋だ。いささかの危険性も感じないので、渚沙は言われるままに横になった。しばらくすると、仙人が疲れた顔で寝室に入ってきた。疲れたから少し休むことにすると口にした。嘘をついているようにも、渚沙を襲うことを目的としているようにも思えない。他の男性だったら絶対に信用しなかっただろう。

 渚沙は何を血迷ったのか、もし神であるシャンタムが、仙人の中にもいるのだったら、ここで処女を捨ててもいいと思った。シャンタムとは結婚できないことはわかっているからだ。仙人は渚沙に触れずに、すぐ横でせた身体を仰向けにして目をつぶった。本当に疲れている様子だった。その時、渚沙の頭の中にはシャンタムしかいなかった。シャンタムのことだけを考え、仙人の胸に片手を置いた。仙人はほとんど動かない。そうして一時間ほど休んでいただろうか。少し元気になったので二人とも起きて飲み物を飲むことにした。何事もなかったかのように――いや、本当に何もなかったのだが。

「君には手を出せなかったよ。出しちゃいけないんだ」仙人が考え込むようにいった。

「そうなんですか」渚沙は追及しなかった。

 シャンタムだ。シャンタムが渚沙を守ってくれたのだ。『渚沙は私のものだ』と思っていてくれたら嬉しいが、それは別として、シャンタムが仙人から渚沙の身を守ってくれたことは確信していた。


「ねえ、僕はまた近々トラタ共和国に行きたいと思っているんだけど、いいガイドいないかなあ」仙人が呼び出した理由はトラタ共和国について聞きたかったからなのだ。下心があったかどうかは不明である。

「ガイドですか……うーん。ああ、そうだ。それなら知人に聞いてみます。トラタ共和国によく行っている人がいるので。その人なら知っていると思います」

「ぜひ頼むよ」

 渚沙は、井上潤次郎いのうえじゅんじろうのことを思い出していた。

 井上はツアーで、日本人ガイドではなく、トラタ共和国出身のガイドを使っていた。彼なら日本語ができたし、信頼できる。井上は何度もトラタ共和国に行っているので、他にもガイドを知っているかもしれない。きっと誰か紹介してくれるだろう。


 一ヶ月後、摩子に会った。摩子の顔つきがすっかり変わっている。目が三分の二くらいしか開いていないトロンとした目つきで、「先生って本当に素敵なの」といった。

 言い方が以前と明らかに違っていて、含まれている意味も違うことに気づいた。仙人は恋人の娘にまで手を出してしまったのだ。普通だったら泥沼になるところだが、仙人ならこのままなんの問題もなく母娘両者との関係を続けられる気がした。

 偽仙人め。無害なイメージを与えるので、油断していると食われてしまう。彼は、ピンクレディの歌に出てくるような危険な男である。


*このエピソードは本編の「渚沙の恋と捕まらない大量殺人犯ノート」第23話を編集したものです。

 

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