渚沙の妹 その2

 未亡人のヴィオリニストは、麻衣子の夫、孝雄の働いているダンス教室に頻繁に顔を出すようになった。そのうち、孝雄は未亡人のことばかり丁重に相手をし、他の客、生徒たちを粗末に扱い放置し始めた。教室のオーナーや仲間が注意してもまったくその姿勢は変わらず、客でさえも、未亡人に洗脳されていると思い、孝雄を止めようとしたらしい。だが、講師である孝雄は、教室で未亡人に独占され続けることを許した。


 人にアドバイスしたり人の生き方に口出したりしない渚沙も、孝雄と真衣子のアパートに滞在中、一度だけ何も知らないふりをして、今の社会はびこるスピリチュアル系の偽者に騙されてはいけないと話したことがある。孝雄はその時、思い当たることがあるように顕著に反応したが、典型的被洗脳者らしく、日が経つにつれて頭の中で疑いを打ち消したようだ。

  

 真衣子は、孝雄以外の誰もがこの未亡人のスピリチュアル的言動はおかしいといっているという。

 たとえば、講師である孝雄が生徒である未亡人と踊っている時、いつも未亡人が人生について説教をしており、どちらが教えているほうなのかわからないと、従業員や他の客がいぶかしがっていたそうだ。

 また、未亡人は、ダンス教室にいる他の従業員である若い男性講師について、真衣子と孝雄、他の人々の前で「もし、この子が女だったら、孝雄の最高のダンスパートナーになれるのに」という、奇妙な発言をしたという。のつもりなのだろう。

  

 この未亡人の、霊能者やグルのように振舞う態度は、話を聞く限り、フミに傾向がそっくりだと渚沙はすぐに気づいた。

 フミの場合、さびしがり屋で人の気を引くために、なんでもわかるグルのように振舞っていると考えられている。この未亡人もそうなのかもしれない。

 そういえば、未亡人とフミは、顔の雰囲気もよく似ている。さらに、福島悪魔払いの事件で2012年に処刑されたヒーラーの女にも似ている。この未亡人の名前はまったく聞いたことがないし、一度コンサートのチラシを見たが、それまで新聞や雑誌でも見かけたことのない、音楽家にしては輝きはなく、驚くほど貧相な顔立ちだった。


 妹の真衣子に聞いてみると、渚沙の予想とは異なり、未亡人には娘や息子がいて、幸せに同居しており、寂しい想いをしているわけではないことがわかった。のものまでいて、「先生」などと呼ばれ、いろいろな人からぺこぺこされているそうだ。

 著名ではなくても、その世界では外国の音楽家とコラボでコンサートが開けるくらいだから、ある程度の能力はあるのだろう。



 残念なのは、そのような能力に恵まれながら、六十にもなって、自分の欲のために、若い夫婦を応援するのではなく、ぶち壊しにする大人気ない精神年齢の低さ、不道徳さ、自己中心的な性格だ。スピリチュアル系のビジネスをしている人やリーダー格によく見られる、自分の願望や欲を満たすために、都合のいいように嘘をついたり、妄想したりする癖があるようだし、ある種の精神的病を抱えているのかもしれない。

 たとえ病気であっても、渚沙は妹を不幸にする未亡人にフミを重ねてしまい、未亡人のことを腹立たしく思った。未亡人に会いに行って文句の一つでもいってやろうかと本気で考えていたら、ナータに止められた。

 おそらくそんなことをしても、人の話など聞く人間ではないのだろう。フミを長年見てきたのでよくわかる。未亡人の嫌がらせは一層激しくなり、麻衣子に対する風当たりが強くなるだけの気がした。


 さて孝雄は、この未亡人と関わるようになってから、自分の生徒たちを次々に失っていった。孝雄のダンスの指導者でもあり、元プロダンサーであるダンス教室のオーナーは長いこと我慢して彼を雇ってくれていたが、孝雄はとうとう教室を首にされてしまった。


 それまでの間もその後も、未亡人は、孝雄に数人のダンスの相手を「霊視」して指名し、真衣子と別れされた後、新しいパートナーを選んでは、捨て、選んでは捨てさせていた。そのせいで、孝雄はダンス界で一躍悪名を買ってしまったのだ。

 ダンス界では、男性が少なく、女性が有り余っていて、女性にとって適切なパートナーを探すのは非常に困難だという。そのため、一方的にパートナー解消すると相手に多大な迷惑をかけることになる。

 こうして、未亡人は孝雄を応援しているようにいろいろ世話を焼く――渚沙も何度か見たが、豪華な弁当などの差し入れをするが、未亡人のしていたことは、孝雄をダンスの世界で破滅させた。信じがたいことに、そこまで地に落ちても、孝雄は未亡人を崇め続け、いまだマインドコントロールされているという。

  

 スピリチュアル系の人を信じるとろくなことがない、人生を台無しにするという世界各国の実例を、渚沙はたくさん知っているが、これもそのひとつだ。今回は、一般人の中に密かに紛れ込んでいるスピリチュアル系の妖怪だと渚沙は思った。ビジネスをしていなくても、自称「なんとか」としておおっぴらにやっていなくても、今の世の中、こういうタイプがけっこういる。渚沙は、同種の一般人のスピリチュアル系の妖怪に振り回されている人々を、他にも大勢知っている。


 ある時、渚沙は日本から持ってきた本の中で「百鬼夜行」という言葉を見つけた。多種の妖怪が夜になると列を作って行進することから転じて、得体の知れない人たちが奇怪な振る舞いをすることだそうだ。まさにスピリチュアル系の人たちのことではないか、とハッとした。今、世界や日本にいるスピリチュアル系の妖怪たちは、本当に奇怪なことをしている。自分たちだけでただ狂っているだけならかまわないが、人々や社会に害を与えるからたまったものではない。



 真衣子は、最後に平和に孝雄と離婚し、新しい仕事と人生のパートナーに恵まれる。しかし、なんと、この時もまた同じ過ちを犯す。孝雄の時ほどではないが、また地獄を体験することになる。

 ナータのことを信じながらも、せっかくもらったアドバイスを軽視し、自分の運命を変えるチャンスを失って後悔する人を渚沙は数え切れないほど見てきた。自分自身の経験も合わせて……。残念ながら、気づいたとき時は、もう取り返しのつかないことになっている。後悔先に立たずだ。人というのは愚かだなと思う。

 一度目のナータのアドバイスを重視していれば、孝雄と離婚する必要はなかっただろう。そして、二度目。自分が憧れていた一流の世界で活躍する機会を自分で蹴ったのである。「無理だよ、そんなの」という、最初のアドバイスをもらったときと同じ、二度目のナータからのアドバイスも即却下したのだ。すべての条件が難なく、しかも贅沢にそろっていたにもかかわらず。素直に実行すれば、東京で震災を体験する必要さえなかったし、新しいパートナーと別れることもなかっただろう。しかも、おまけつきで、通常、容易ではない夢さえも簡単に叶ったというのに。

 人というのはなかなか学べないんだな……と渚沙は悲しく感じたものだ。

  

 真衣子はこの二度の苦い体験から十分すぎるほど後悔し、今度は比較的すぐに苦しみから自由になって、現在は、たいへん恵まれた、類稀な、憧れの環境の中でダンスの仕事ができるようになった。ナータは、折々に真衣子の名前を出して渚沙に真衣子のことを祝福をするといってくれる。ナータの祝福と真衣子自身の努力で、麻衣子が幸福を得ている様子を渚沙は遠くから静かに見守っている。

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