フードゥの子供
(……チッ! これでまた一つ、魂が減ってしまうな……)
眉間に迫り来る避けられない剣先を見つめながら、ヌビィデアは少しだけ後悔していた。
「エスリー、待って!」
マトルクスの声が響くと同時にエスリーの動きがピタリと止まる。
ヌビィデアの眉間から血が流れた。
エスリーは、そのままの態勢でマトルクスの方へと顔を向ける。
「その人の言っていた事は本当みたいだ」
マトルクスの手にはヌビィデアが落とした親書が握られていた。
それを確認したエスリーは、ヌビィデアの眉間から剣先を離し両腕から引き抜いた。
ヌビィデアは両膝を地面に着くようにして崩れ落ちる。
「ヌーさん!」
アムディが叫んだ。
「師匠!?」
遅れて到着したサリクスの声も響いた。
膝を屈したヌビィデアは……、
「ぷはーっ! 死ぬかと思った!」
大きく息を吐き出した。
エスリーはヌビィデアに近づいて片手を伸ばし治癒魔法で傷を治そうとする。
しかし、ヌビィデアはそれを片手で制した。
既に彼の傷は自身の魔法で癒され塞がっていた。
ヌビィデアが立ち上がるとアムディは走って近づいて、水筒の水を湿らした布で顔に付いた血を丁寧に拭き取り始める。
エスリーは一歩下がると右手で左胸の辺りを抑えて会釈した。
「大変、失礼いたしました。御無礼の段、平に御容赦ください」
「ああ……まあ、こちらも煽られたとはいえ腹が立ったせいで状況を拗らせてしまったしな。それに親書を無くすような使者は、君の言う通り無礼極まりない。お互い様だ」
「……煽られた?」
顔を上げたエスリーの表情に疑問符が浮かぶ。
ヌビィデアは苦笑しながらマトルクスを見ると、彼も苦笑いしつつ視線を逸らした。
しかしマトルクスは直ぐにヌビィデアへと顔を向け直すと真摯な表情で尋ねる。
口調も皇帝とは思えない程の丁寧なものに変わっていた。
「先程、親書の内容が確認できなかったと言っておられましたが?」
「ああ、この国で使われている文字を読める奴が、こちらにはいなくてな。会話は魔法で何とかなるようだが……」
「そうでしたか……もしかして、とは思っていたのですが……」
「予測がついていたのなら、なぜ使い魔に親書の内容を覚えさせて伝言を喋らせなかったんだ? そうすれば魔法で翻訳して聞き取りが……」
「……そんな事が可能なんですか?」
ヌビィデアは、そのマトルクスの言葉に目を丸くした。
「使い魔に関する魔法の内じゃ基礎中の基礎だぞ? 知らないのか?」
「……はい」
多彩な攻撃呪文を駆使して自分を殺そうとした魔術師の口から出た意外な返答に、ヌビィデアは驚きを隠せない。
「……後で教えよう」
「よろしく、お願いします」
マトルクスは素直に礼を述べて、お辞儀をした。
ヌビィデアはマトルクスの偏った魔術の知識を不思議に思う。
「マトルクス……いったい君に魔法を教えたのは誰なんだ?」
「父です……名前はフードゥと言います」
「フードゥが!? 彼はまだ、この国にいるのか!?」
ヌビィデアはマトルクスの父親がフードゥと聞いて、その異常な魔力量の方には納得できた。
マトルクスとエスリーは顔を見合わせる。
マトルクスはその問いには即座に答えず、ヌビィデアへ質問を返す。
「父を御存知なのですね? あなた方は、いったい……?」
ヌビィデアは悩んだ。
魔王だった頃の彼は、この南の地域に攻め入った事は無い。
もちろん単身で来た事も無かった。
いずれは攻めていただろうが、その前に勇者達に支配地域を奪い返されて、共にアルティエラを封印する事になったからだ。
だから、この国の人々が魔王ヌビィデアの恐ろしさを肌で知っているはずは無い。
しかし、その悪名だけは広まっている可能性はある。
(だからといって、ここで偽名を作って名乗っても仕方ないか……)
ヌビィデアは、そう考えてからマトルクスに自身の名前を伝えた。
「俺の名はヌビィデア」
「……魔王!? 魔王ヌビィデア!?」
(まあ、知ってはいるよな)
大方フードゥあたりから話は聞いているのだろう、とヌビィデアは推察した。
(だが……)
ヌビィデアはエスリーからの強い視線を感じた。
マトルクスが困惑しているのは分かる。
エスリーも驚きはするだろう。
(……なんだ?)
ヌビィデアはエスリーから自分に対する殺気のようなものを感じた。
さきほどの純粋に敵を殺す為のものとは違う、憤怒という名の毒を塗った鋭い針で刺すかのような殺気を……。
マトルクスはヌビィデアに更に質問を加えてくる。
「魔王ヌビィデアは塔に幽閉されて出られない筈では無いのですか?」
「イントゥール女王陛下のおかげで外出可能になったのさ。ついでに、自分の国を長期間は離れられない彼女に代わって、この国に親書の内容と事情を聞きに行くよう頼まれたんだ」
「そうだったんですか……そちらの二人は?」
マトルクスは並んで立っているアムディとサリクスを見る。
ヌビィデアはサリクスと目が合うと頷いた。
サリクスは自ら名乗る。
「神聖国家セントラルの王子、サリクスです」
「王女のアムディよ」
サリクスが差し出した右手をマトルクスは嬉しそうに両手で握る。
「ミレニアム皇帝マトルクスと申します。こちらは妻のエスリーです。セントラルの王子王女みずから、お越しいただけて感謝します」
その様子をヌビィデアは苦笑いしつつ見て考える。
(この兄妹が自分達の国から期限付きで放逐されている身なのは、マトルクスには言わんとこう……)
ゆっくりと手を離したマトルクスは、三人に告げる。
「親書の内容に関しては、このような場所で話すのもなんですから城に戻ってから詳しくお話しします。来ていただけますよね?」
彼の問いに三人とも頷く。
マトルクスは片手を振った。
すると草の一部に足が生えて歩き出した。
足の生えた草の去った跡は地面が剥き出しになり、それは真っ直ぐ城へと続く道となった。
いきなりメルヘンなものを見せられたヌビィデアは、開いた口が塞がらないといった顔つきになる。
「キメラとゴーレム、それに使い魔の術を組み合わせて応用させた魔法です」
マトルクスは少しだけ照れ臭そうに笑った。
「自分で編み出した魔法か……それだけの才能を持ち、父親のフードゥの教えを受けながら基礎を知らない……何故だ?」
ヌビィデアの問い掛けにマトルクスは哀しそうな表情を見せる。
「父は……僕が四歳の頃に他界しました。僕は、父がこの国の為に僕と母の母国語で書いて遺した、執筆途中で未完成の魔導書を読みながら。独りで魔法の使い方を覚えたんです」
ヌビィデアは自分の身体が突然に重たくなった気がした。
(フードゥが死んだ?)
(では……)
「マトルクス、では君はアティと言う名の女性が、今どこにいるのかは、知っているのか?」
その問いにマトルクスは大きく目を見開く。
ヌビィデアは気付かなかったが、エスリーも拳を固く握り締めていた。
マトルクスは、ゆっくりとヌビィデアの方へ顔を向ける。
「それは親書の内容に関係のある事柄です。申し訳ありませんが、詳しい話は後ほど城にて……」
ヌビィデアは堪えた。
今にもマトルクスの襟を掴んで彼を締め上げ詰問したかった。
アティはどこだ!?
彼女に何があった!?
……と……。
しかし、それは己の不安を確定するような気がして……。
彼は躊躇ってしまった。
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