剣死神

 エスリーは地面に突き立てた剣を抜くと、まるで愛しい恋人の肌であるかのように微笑みながら刃を舐めた。


 その瞳はヌビィデアを捉えて離さない。

 奥底にエスリーの狂気を感じ取ったヌビィデアは、背筋が寒くなった。


(こいつ……この歳で、いったい何人を殺してきたって言うんだ?)


 マトルクスの比ではない血の匂いがエスリーから漂ってくる。

 そんな幻覚にヌビィデアは囚われそうになっていた。


 激しい内戦が彼女を、そう育ててしまったのか……。


(哀れな……)


 ヌビィデアは何となく彼女の境遇に共感もしてしまっていた。


 エスリーは陶酔しきった笑みを止め、キリッとした表情になるとヌビィデアに改めて問う。


「お前達は何者?」


 どうやら、この死神とは話し合いで済みそうだ。

 ヌビィデアは少しだけ安心して答える。


「神聖国家セントラルのイントゥール女王陛下から使いを頼まれた者だ」

「セントラル!? イントゥールだって!?」


 驚いた声をあげたのはマトルクスの方だった。

 エスリーも少しだけ目を丸くしたが、すぐに冷静に質問を重ねてくる。


「証拠は?」

「そちらが女王宛てに送ったらしい親書を持っている。生憎と、こちらではミレニアムの文字が読める奴がいなかったのでな。内容の確認を……」


 ヌビィデアは、そう言いながら懐に手を入れて親書を取り出そうとした。


 しかし見当たらなかった。


 彼は慌てて服の隙間という隙間に手を入れたり、上から手で抑えて感触を確かめたり、ポケットを引っ張って裏返すと中身を確認したりしたが、親書は出てこなかった。


(……落とした?)


 ヌビィデアにしては珍しく顔面が真っ青になる。


 エスリーは溜め息を吐いた。


「猿芝居はそこまでにして……」

「いや、違う、本当だ。たぶん、どこかで落としたから一緒に探してくれないか?」


 エスリーは般若のような顔でヌビィデアを睨むと激しく怒鳴る。


「ふざけるなっ! 国家間の重要な親書を落とす間抜けな使いなんて、どこにいるっ!?」


(ここに、いるぞ?)


 ヌビィデアは、そう思ったが口には出さなかった。

 なぜなら、もっと激しく怒られるのが目に見えていたからだ。


「何処から親書に関する情報を得たのかは知らないけど……二度とふざけた事を言う気が起こらないように手足を斬り飛ばしてから拷問にかけて、誰の差し金だか吐かせてやる」


 エスリーはヌビィデアに向かって、そう吐き捨てるように言うと剣を構えた。


(うん……まあ……普通は、そうだわな)


 ヌビィデアは呑気に構えつつも心の中で身体強化系の呪文を唱え、自身に魔法を掛け始めた。


 見た目が無防備なヌビィデアを警戒していたエスリーだったが、埒が明かないと突進してくる。


(……クソッ! 動体視力をあげているってのに捉えるのが、やっとだ)


 エスリーの速さにヌビィデアは、心の中で舌打ちをしていた。

 彼は後退しながらエスリーの剣による攻撃をかわしていく。


(ここは一旦こいつから大きく離れたいが、こんな森の中では低レベルの略式転移魔法は使えない)


 サリクスやアムディと初めて戦った時に使った瞬間移動。

 しかし、その魔法は空気しか存在しないであろう空中だからこそ使用できる魔法だった。

 使用魔力も少なく詠唱に時間がかからないとはいえ、術者を強制的に転移させる略式では、転移先に大きな異物があった場合には、回避不能で身体と重なり合ってしまう。

 脳の中に大きな昆虫が入れば即死するかも知れないし、葉っぱ一枚でも太い動脈に挟まれば、血管が破れて出血多量で死に至ってしまうだろう。


(……かといって転移先の安全を精密に確保できる高レベルのサーチ式転移魔法を唱えるような時間的余裕は与えてくれそうもない……)


 エスリーの攻撃は、それほどまでに速かった。


(唯一唱えられそうな転移魔法は、二者の身体同士を入れ替える術くらいだが、この剣士と自分の位置を入れ替えても意味は無いな……)


 ヌビィデアはエスリーとの闘いを見つめているマトルクスをチラ見する。


(やばくなったら、あのガキと俺の位置を入れ替えてもいいが……女房に亭主を殺させるような真似は、なるべくしたくないしなあ……)


 エスリーが何事かをボソリと呟く。


(なにっ!?)


 ヌビィデアが驚くのと同時に、エスリーは左手を横に振るった。

 黄金色に輝く三日月型の魔法の刃が、水平に飛び出してヌビィデアを襲う。

 彼は慌てて姿勢を低くすると、頭を下げてそれをかわした。


(魔法まで使うのか!?)


 そう思いつつヌビィデアは、彼女が同じ魔族である事を思い出す。


(魔法剣士とは……更に厄介な……)


 ヌビィデアは少し焦り始めていた。

 殺さずに対応するのが難しいと感じ始めていた。


 その時、幾つもの白く輝く魔法の矢が、闘っている二人の間からエスリーの方へと移動するように通り過ぎて行った。

 エスリーは突進をやめて急停止をすると、バックステップで矢の群れをかわす。


「ヌーさん!」

「アムディか!?」

「援護するわ!」


 アムディは剣を抜いた。

 ヌビィデアは慌てる。


「よせ! 離れろ! 剣でお前が勝てる相手じゃない!」


 アムディは、その忠告を聞いて気を引き締めたが、突撃はやめなかった。


 エスリーは呪文を唱えると火球をヌビィデアの足元に向けて放つ。


「くそっ!」


 爆発と共に大きな土煙りが宙に舞い、ヌビィデアの視界を覆う。

 煙の向こう側からエスリーが飛び出し、真っ直ぐにアムディに向かうのが見えた。


 アムディはエスリーを迎え撃つ。

 自分の間合いへと踏み込んできた瞬間に剣を振るうつもりだった。

 だが、その直前でエスリーは何事かを唱えるとグンと加速する。


「えっ!?」


 エスリーの突きが驚いているアムディの額を貫こうとしていた。


 ヌビィデアは一瞬だけマトルクスを見るが、次の瞬間に彼の姿は搔き消え、代わりにアムディがそこに立っていた。


 先程までアムディがいたのに目の前に突然ヌビィデアが現れて、エスリーは混乱する。

 だかそれも一瞬の事で、彼女の突きは代わりにヌビィデアの額を狙っていた。


 ヌビィデアは両腕を交差させて額を守る。


(耐えてくれよ!?)


 ヌビィデアは長い袖にまで掛けた己の服の防御魔法の効果に一縷の望みを託す。


 しかし、まるで指で紙を突き破るかのように、エスリーの剣は彼の両腕を服ごと貫通した。


 ヌビィデアは想い出す。


 全裸で水浴びしていた彼女が、こちらに攻撃してきた時に剣の名を呼んでいた事を……。


 それに応えるかのように剣がエスリーの元に飛来してきた事を……。


(魔法剣!?)


 ヌビィデアの額にエスリーの持つ魔剣セベイジの切っ先が迫っていた。

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