イントゥール怒っとーる

 ヌビィデアは見えない力で身体を拘束されていた。


(こ、これは『神の戒め』……不覚だ、彼女の接近に気が付かなかったとは……)


 ヌビィデアは何とか首だけを後ろに回して女性の声がした方を確認する。


「や、やあ……久し振りだな……イ、イントゥール……」


「あら、首だけでも動かせるなんて流石ね」


 イントゥールは軽い口調で喋ったが、表情は険しかった。


「私の大事な娘に何をしているの?」


 元勇者は重い口調に切り替えて隠居魔王に尋ねた。

 ヌビィデアは汗をかきながら苦笑いをする。


「いや、これは……話せば長くなるんだが……」


 言いつつ彼は、この状況を上手く言い逃れる術を知らなかった。

 これでは母親にまで、どすけべエロエロ発禁大魔王だと誤解(?)されてしまうだろう。


「君の子供達が、この国に攻めてきたから助けてくれと昔の部下に請われて、大人しく降参して帰って貰おうとしたら、何故かこんな事態に……いや、脅しのつもりで本当に君の娘を辱めるつもりは、これっぽっちも……」


 ヌビィデアの言い訳はイントゥールが手にしていた杖を軽く振る行為によって遮られた。


 彼女の頭上に召喚ゲートが現れると何かが中から、ゆっくりと降りて来る。


 大きなハンマーを持った巨大な姿の下級天使だった。


 ヌビィデアは戦慄する。


(んな代物を無詠唱で冷めた顔しながら召喚すなっ!)


 彼は心の中でイントゥールに対するクレームを叫んだ。


 巨体の下級天使が巨大なハンマーを振り上げる。

 しかし、そこで止まった。


「……まあ、貴方達は後にしましょう」


 イントゥールはそう言うと、そのままのポーズの下級天使を引き連れてサリクスの方へと向かった。


 鼻血を出しながら突っ伏すサリクスのいる空中庭園とは少し離れた空中にイントゥールは静止する。


 彼女が再び杖を振るうと先から光球が五つ飛び出し、それらは四体のゴーレムを破壊してサリクスの頭を直撃した。


「いってえぇーっ! ……あれ? かーちゃん!?」

「人前では母上と呼びなさいと、いつも言っているでしょう?」

「あ、ごめん、かーちゃ……じゃ無かった。申し訳ありません、母上」


 イントゥールは鬼夜叉のような表情でサリクスに尋ねる。


「貴方、妹に欲情するなんて、何を考えているの?」

「……えっ!?」


 サリクスは母親の問い掛けの内容が理解できなかった。

 ヌビィデアもアムディも分からなかった。


 ……そういえば、妹は?


 サリクスは辺りを探すとヌビィデアに捕まっているアムディの下乳を見つけた。


 イントゥールはサリクスに冷たい声で語りかける。


「妹の乳房を見て鼻血を噴くなんて……実の兄として恥ずかしいと思わないの?」


(……ヒドイ誤解を見た)


 ヌビィデアはイントゥールを見て呆れた。

 しかし、サリクスに助け舟を出そうとはしなかった。

 なぜなら彼が危険な間は自分が安全だからだ。


「ま、待ってください、母上! それは違います!」

「……言い訳無用」


 イントゥールが指を鳴らすと下級天使がサリクスに向けてハンマーを振り下ろす。


「は、話を聞いてくれえぇーっ!!」


 轟音がしてハンマーが空中庭園の芝生に叩きつけられた。

 しばらくして下級天使がゆっくりと持ち上げ直すと、人型をした穴にスッポリと埋まっているサリクスが現れた。


(また気絶しているが、生きてやがる……どんだけ頑丈なんだ、あの王子は?)


 特別な身体の持ち主なのか、魔法か鎧の力かは分からないが、イントゥールが本気でハンマーを振らせる事のできた理由を何となく理解したヌビィデアだった。


 イントゥールが下級天使と共に、ゆっくりとヌビィデア達の方に振り向く。

 下級天使は二人に向かってハンマーを高く振り上げた。

 ヌビディアは慌てて叫ぶ。


「待て待て待てぇい! お前は娘にも同じ攻撃を仕掛けるのか!?」

「先ほどより威力は弱くしてあります」

「なら俺に掛けた拘束の魔法を解いてからにしろ! 俺は関係ない!」

「……自分の姿を見ても、そう言えるのですか?」


 ヌビィデアはアムディを下乳まで捲っている己の姿を想像する。


「……ああ、うん……君の言う通りかも知れないな」

「では、二人まとめて罰を与えます」


 ヌビィデアは、やるせない表情になり瞼を閉じてイントゥールの制裁を受け入れようとした。

 しかし、アムディは……。


「わ、わたし、悪くないもん!」


 イントゥールに拘束されたせいでヌビィデアの方の拘束の魔術が弱まっていたのか、アムディの身体はその強大な魔法抵抗力によって自由を得た。


「いくらママだって、お兄ちゃんを傷付けたら許さないんだから!」


 彼女は両腕を上げながら交差させて両手を天に突き出すように構えると、呪文の詠唱を始めた。

 ヌビィデアは拘束されたまま後方へと弾き飛ばされる。


(光属性の召喚魔法? だが、これは……)


 アムディの頭上に黄金色に輝く魔方陣、巨大な召喚ゲートが現れた。

 しかしイントゥールは、それを冷静に涼しげな瞳で観察している。

 ヌビィデアは思う。


(無理だ……いくら勇者でも、あんな少女が呼び出せる代物じゃない)


 おそらくイントゥールもヌビィデアと同じ事を考えていたのだろう。


 だが、それはゲートの中から、ゆっくりと現れて来た。


「嘘だろ!? 光竜の召喚を成功させやがった!」


 ヌビィデアは驚いて叫び、イントゥールは少しだけ娘を睨みながら飛翔しつつ後退して距離をとる。


 アムディの頭上には白く光り輝く巨大な翼竜が羽ばたいていた。


「ど、どう? 降参するなら今のうち……」


 アムディが得意気に母親に向けて降伏勧告をしようとした時だった。


 光竜の口が大きく開くと流星のような輝きが口腔内へと集まっていく。

 その凝縮された光球は眩い輝きとなって外へと溢れていた。


 アムディは慌てて召喚した光竜に命じる。


「待って、光竜! まだ撃っちゃダメ!!」


 しかし光竜はアムディの言葉に従わずブレスを放つ。


(あーらら、呼び出せたはいいがコントロール出来てねーな)


 ヌビィデアはブレスの行く先を見つめた。

 ブレスは確実にイントゥールを狙って伸びている。

 二つの間に下級天使が速やかに割って入るとブレスの衝撃を受け止めた。

 大きな爆発音と共に強い光が辺りを覆う。

 それらが収まっていくと、崩れた彫像のような下級天使が後に残った。

 イントゥールが杖を振ると下級天使は消えるように帰還する。


 光竜は続けざまに二発目を撃とうとしていた。


「ママ! 避けて!!」


 アムディの必死な叫びにイントゥールは背後をチラ見する。

 遥か後方ではあるがブレスの射程内には市街地が存在した。

 イントゥールは杖を構えて防御魔法の呪文を唱える。

 光竜のブレスを防ぐレベルの魔法……詠唱には時間がかかる呪文だった。


(間に合わん!)

「イントゥール! 構わないから避けろ!!」


 イントゥールは一度だけ真剣な表情のヌビィデアを見ると、頷いて詠唱を止めブレスの射線から逃れた。

 光竜は大きく開けた口を逃げるイントゥールに向け直そうともせずに、そのまま市街地の方へとブレスを撃つ。


 既にイントゥールの拘束を自力で解除していたヌビィデアは、召喚魔法を唱え始める。

 心の中で。

 思念詠唱。

 五つの魂を同時に使い極限まで短縮する。

 人間の高レベルの魔術師でさえも五分以上はかかるであろう詠唱を、わずか三分の一秒で完遂させた。


 光竜のブレスの伸びる先に巨大な漆黒の魔方陣による召喚ゲートが開く。

 たたまれた四枚の黒い翼が光竜のブレスを吸収する。


「すごい……」


 アムディは呆けた顔で、その光景を眺めていた。


 黒い翼が広げられると、その隙間から二つの首が伸びてくる。

 ヌビィデアが召喚した黒竜は左右に二枚ずつ対になる四枚の黒き翼を羽ばたかせ光竜に向かって突進した。


 双頭の首のそれぞれが光竜の左右の肩を噛み骨を砕く。

 光竜が痛みによる咆哮をあげると元より不安定な召喚だった為か少しのダメージで消えゆくように帰還していった。


 光竜が去った事を確認したヌビィデアは、黒竜も帰還させる。


 そして空中でボーっとしているアムディに近づいていった。

 ヌビィデアが右拳を握り締めるのを見たアムディは、殴られる事を覚悟してキュと目を瞑り俯く。


 こつん。


 ヌビィデアはアムディの額を拳の裏で軽く小突く。


「いくら母親が強かろうが親子喧嘩で制御できないような力を使っちゃイカンだろ?」


 不思議そうに目を開けたアムディに対してヌビィデアは優しく微笑みながら、そう諭した。


 アムディはキョトンとしたままで自分のおでこを両手で触れる。

 そして、そのままの表情で上目遣いに額を確認すると静かに頷くのだった。

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