第17話 エピローグ~騎士と少女~
――監獄での戦いから五年の歳月が流れた――
城壁で広く囲まれた町を見下ろす宮殿――その最上階で、恰幅の良い男が上機嫌にワインをたしなんでいた。
大きく開かれた窓から、高く昇った太陽に照らされる領地の様子を見下ろす彼は、上機嫌にグラスを傾けつつ、控える側近に声をかける。
「今回も良い買い物ができたのぅ。なんと言っても子供じゃ!」
「は……はぁ」
「なんじゃその返事は。つまらん奴よ」
いささか害された気分も、流し込んだ酒の美味さですぐ元に戻り、領主は側近の浮かべる苦々しい表情にも気づかずに真っ昼間から酒宴を続ける。
「主様。あまり贅沢が過ぎますと、徴税人が来られますよ」
「フン、新しい国だとか言ってた連中か。どんなヤツが来ようとワシの私兵たちならば問題なかろう」
忠告を全く気にせず、新しいボトルを催促する領主に、側近の男は胸の中で大きなため息を吐くと、地下のワインセラーへと向かった。
ひんやりと一年中低い温度に保たれた地下室には、無数の樽やビンの他に、四角い檻が設えられている。
鋼鉄の鉄格子の中に閉じこめられた少女へ哀れみの視線を向ける側近の男。
銀色の髪に青い瞳という、神秘的な色彩を持った少女は、恐怖にひきつった表情と怯えた目で見返してくる。
人買いから聞いた話では、北の森からでてきた、記憶もなく名前すらわからない少女だという。ここに連れてこられてからも一言も口を開こうとしない様子を見ると、失語症なのかもしれない。
「すまん……」
あと半日後に起きるであろう状況を想い、側近は彼女に詫びた。
領民を金を出す財布程度にしか考えておらず、領主の義務を全く果たそうとしない。領民からの陳情に武力と弾圧をもって応じ、集めた金で少女を買いあさるような性根の腐りきった男を止める事のできない、そんな自分を許してくれと。
「つらいだろうが、耐えてくれ」
「…………」
哀れみを込めた声にも、少女は無言のまま、不安な顔が変化する事はなかった。
最後に一度だけ振り返ると、側近はボトルを抱えて階段をのぼって行った。
領主の部屋へ進めていた側近の足を止めたのは、正門付近から聞こえる諍いの声だった。
見ると、使用人の女たちが来客ともめているようだ。
また領民の不満が爆発したか――ため息を吐きながら門へ歩いていく。
「何か、ご用でしょうか?」
側近が来た事に驚きながら道をあける使用人たち。
その奥には、フードを深くかぶった五人の男が立っていた。
「我々は貴品徴収人。事前に通達は届いているはずだ。通して貰おう」
ついに来たか――もはや諦観した表情で、扉を開くと、目を丸くする使用人たちを後目に徴収人を屋敷へ招き入れる。
「領主は在宅中かな?」
「はい。こちらです」
先頭を歩く男のハンドサインで、他の四人は方々に散っていった。おそらく、証拠品を回収しに行ったのだろう。帳簿は特に鍵などかけずに保管してあるので、すぐに見つかる。問題は地下の少女だが――そこまで考えて、側近は悟りの表情を浮かべる。
(これは、今まで放蕩を続けてきた主と、それを止められなかった自分に対する罰なのだ)
そう思えば、もう何も恐れる必要はなかった。
「なにやら、憑き物が落ちたような顔をしているが、何か?」
横を歩く徴収人の怪訝な表情にも、余裕を持って応じる事ができる。
「いえ、これも今までの結果だと思っただけです。主も、悔い改めてくれるといいのですが……」
「執事ができた人であればあるほど、主というのは愚かになってしまう……私の父が残してくれた言葉の一つです。なので、私に執事や使用人の類はほとんどつきませんでしたよ」
「まさか、貴方は貴族ですか?」
驚く側近に、徴収人は苦笑混じりに話を続ける。
「もうかなり昔に没落しましたよ。それに、貴族制度は廃止されました。ふつうの人間と変わりません」
「財産の一部没収と、民への分配。今まで通り怠惰にふけり、堕落を是とする貴族たちにとっては良い薬かも知れません。民からの陳情に絶えず悩まされ続けた私の日々も、ようやく終わる……ああ、すいません。こちらです」
愚痴や思い出と一緒にのぞかせてしまった私人としての表情を再び押し込めると、側近は通り過ぎかけた扉へとあわてて戻り、隙間からかすかに漏れてくる芳醇な香りに顔をしかめつつ扉をひらいた。
「おっと」
開かれた扉の向こうから飛んできたグラスを首の動きだけで避ける。
これまで訪ねた元貴族の中でも、ずいぶんと品が無い部類にはいるな――などとひとりごちつつ、想像通り厳しい叱責を受ける側近と、彼を怒鳴りつける領主に目をやる。
「何をやっておった!!ワシがどれくらい待ったと思っておる!!」
「申し訳ありません。お客人がお見えになったので、お連れして参りました」
「あん?客……?」
酩酊や泥酔という程にはなっていないものの、十分に酔いが回った視線がこちらへ向けられる。
「貴品徴収人を任されているジャック・マーズです。貴公が保管している過剰な財産の没収と、領主としての適正を再確認するために来ました」
「財産の没収……?キサマ、一体何を企んでいる!」
酒と怒りで真っ赤になった顔から放たれた怒声の矛先は、側近の男へ向けられていた。
「いえ、私は何も企んでなど――」
「キサマが企む以外にどうすればこんな輩が来る理由があるというのだ!?領民からの信頼もあつく、領主としての手腕を遺憾なく発揮するワシが、訴えられるわけがない!!」
「我々は、領主である貴方に宛てて財産の一部を渡すよう再三手紙を出していました。それでも何も音沙汰がなかったのでこうして出向いた次第。断じてこの人が具申してきたなどではありませんよ」
きっぱりと言い切ると、領主はしばらく側近をねめつけていたが、鼻を鳴らすとこちらへ視線をもどした。
「そうか……しかし、この屋敷の中にあるものはすべてワシが買ったもの。そこへいきなりやってきて寄越せというのは、泥棒と何が違う?」
「領民の生活が苦しくなる程に過剰に納めさせた税で手に入れたものでしょう。その分を領民に還元すべきだと言っているのです」
「なにをバカな……領民は善意からワシに寄付をしてくれている。人の優しさを税として――」
ガシャーン!
にんまりと笑みを浮かべていた領主の表情が、ガラスを破って入ってきた石ころに凍りつく。
「な、何だ?どうしたんだ!?」
慌てふためく領主の耳に、外で起きている暴動の声が届く。
「領主をだせー!!」
「俺たちを殺す気かー!!」
「徴収人の方ー!ここの領主は極悪人です!ぜひとも裁きを!!」
民衆の一声ひとこえが届く度、領主の表情が険しさを帯びていく。
「ぐぬぬ……ッ!」
「……領民から聞き取り調査をするまでもないようですね。ここの調度品を一部没収します。申し開きは――」
トスッ、という軽い音と共に、取り出した条文を読み上げる徴収人のローブに、一本の矢が突きたった。
「……主様ッ!?なんという事を!!」
衝撃とともにばたりと倒れ伏す徴収人の姿に、驚きを隠せない側近。
「ハッハッハッハ!徴収人など来なかったのだよ。死体を処理しろ。それと、門の前に集まっている愚民どもはさらし首にでもしておけ。二度とこんな事がないようにな」
「!!……貴方という人は……ッ」
「さて、無粋な輩は消えた。さっさと窓を修理せい。クックック……大衆が自ら破損させたのだ。どれくらいの税をむしりとってやろうか……」
「徴収人殺害を企むとは……せっかくの釈明の機会を棒に振ってしまいましたね」
ギョッして振り返る領主の目には、何事もなかったように立ち上がる若い徴収人の姿がしっかりと映っていた。
「バ、バカな……!?」
「たまにいるんですよね、返り討ちにしてやろうって意気込む元貴族が……それにしたって脅し程度で、殺されかけるとは思ってませんでしたが。まぁ、もちろんこちらも――」
全身を覆っていたローブを勢い良く脱ぎ捨てる徴収人。その中には――
「そうそう倒される訳にはいきませんけどね」
胴体に輝く銀色の鎧に入ったかすり傷をなでると、右手一本で鞘から剣を抜いた。
鞘を握った左手はアームガードとガントレッドできつく固められていた。その手首には、羽をモチーフにしたアクセサリーが巻き付けられている。
「ハッ!大口をたたいておいて武器が剣1本とは情けない!」
領主が高く挙げた手に反応し、扉や柱の陰から合計六人の男たちが、徴収人を囲むように姿を現す。その手に例外なく剣を握って。
「傭兵ギルド……いや、裏傭兵ギルド」
皇帝崩御の後、勃興してきた職業組合。技術や経験を持ち合って精錬していくその流れは、戦闘や戦術の分野でも幅を利かせていった。今や、数人の傭兵部隊が集まって一つの集団となり、町の長期警備などの大口の仕事を請け負う事も珍しくはなくなっているのだ。
また、正規の組合ではなく、金のみで集められた犯罪者崩れのような者たちが傭兵ギルドを名乗る場合もある。そのような者たちは、真っ当な傭兵たちと区別するために、裏傭兵ギルドなどと呼ばれている。目の前の連中は後者の類だろう。
「ご名答。彼らを雇うのにはかなりの金をかけた。その分はきっちりと働いてもらわないとな」
(裏傭兵ギルドの場合、対価として金品の払えない場合に生娘を要求するような事も度々あると聞くが、そんな事を目の前の男が気にかける訳もない……か……)
「侵入者を始末しろ!」
必勝を確信し、ゆがんだ笑みを浮かべる領主の眼前で、信じられないような光景が展開された。
6つの方向から一斉に突き出された剣。逃げる隙間などない六本の刃は、空気を裂いてそれぞれ他方五方向から伸びてきた切っ先と衝突して派手な音をたてた。
「「「「!!!」」」」
まるで二つ目の床のようにがっしりとかち合った六本の剣。その上に、徴収人がいた。鞘を天井高く飛ばし、空いた左手1本で、組み合った剣身の上で逆立ちをしている。
「せいッ!」
傭兵たちの目が見開かれた瞬間、左手をばねにして飛び上がった徴収人の剣と鞘が前後二人の脳天を直撃した。
床に立った直後、残った四方の敵を瞬きひとつの間に気絶させる。
「安心しろ。刃は潰してある」
どう、となにが起きたのか理解できずに倒れた傭兵たちと対照的に、軽やかに立ちあがる徴収人。
「跳んだ……のか?しかし、人間の跳躍力では……」
「この五年、それなりに鍛えたんでな。さて、どうする?まだやるか?」
倒れたままうめき声をあげる敵に明確な殺意をこめた視線を突き刺す。
「……」
全員が、言葉なく部屋の隅へと逃げていった。
「き、貴様らああああッ!」
「主様、もういいではないですか。悪あがきはよしてください!」
部屋の隅へと避難していた側近の懇願にも、領主は怒りを増大させるだけだった。
「何をヌケヌケと……」
「今までの非道を悔い改めるのです。新たな国の下、新たな生活を築いていきましょう」
「ワシは貴族だぞ!?自由に振る舞って何が悪い!搾取をして何が悪い!全ての民は貴族の自由のためにのみあるのだ!!」
外から響く民衆の声を掻き消すように宣言する領主を見つめる徴収人、側近、さらには傭兵たちの視線も、冷ややかだった。
「なんだ、その目は?貴族の言葉一つで数十人の領民の命を自由にできるのだぞ?この力は、ワシの力だ!!」
「世襲制を続けた結果が、この有様か……いつの間にか、先祖が作り上げたものを元からあったと錯覚し、それすら無自覚になってしまう」
泥を吐き出すような重さのこめられた言葉が、徴収人の口から漏れた。
「ジャック!証拠が挙がったぞ!!」
新たな人物の出現に、全員の視線が出入り口へと向かう。
そこには、大量の書類と、数人の少女を連れた四人の男たちの姿があった。
「脱税の証明となる領収書の束と、人身売買された女の子たちだ」
「そうか……金に飽かせた輩は誰も彼も似たり寄ったりのようだな……急いで人買い連中を捕まえねば……すまないが、君たちにも後で話しを聞かせてもらう。辛い記憶を思い出させてしまうと思うが、同じ思いをする者を一人でも多く減らすため、協力をしてもらえると助かる」
すまなかった、と頭を下げて、少女たちを見る徴収人。
恐怖に満ちた表情を浮かべる少女たち。
その中の一人に、徴収人――ジャックの眉が釣り上がる。
一瞬跳ね上がった鼓動を抑えるように頭を振ると、務めて冷静な声で告げる。
「アーカルヴ領領主、ガルドル・アーカルヴ。貴方を執政業務妨害および、執政人への殺人未遂による国益損失の罪で逮捕します。連行頼む」
ジャックの言葉に、徴収人二人が領主を左右から挟んで外へと連れ出した。領主は観念したのか、さしたる抵抗をする様子もなく、粛々と従っている。傭兵たちと側近にも事情を聞くために同行してもらった。
外に待ち構えていた民衆が一層大きく騒ぎ出す声が聞こえるも、すぐに沈静化した。一部始終と領主の置かれるであろう処遇を聞き、民もその溜飲を下げてくれたのだろう。
部屋に残ったのは、売り買いされた少女たちと、徴収人二人。
「ジャック……あの娘、もしかして……」
深く被ったフードの奥から覗く黒い瞳にうなずき返し、ジャックは銀髪の少女を一瞥する。
「皇帝に吸収されていたマイクローゼが戻っていれば、あれくらいに成長していておかしくはない」
「ああ、そうだな……」
歯切れの悪い同僚に、ジャックは怪訝な顔を浮かべる。
「どうした?」
「……すまんが、悲しい知らせだ」
「なんだ?」
「あの銀髪の少女は、記憶喪失らしい。出身はおろか、自分の名前すら思い出せない」
「!!」
「おまけに口もきけないそうだ……正直、お前には悪いが他人のそら似であってほしいくらいだよ……こんなの、悲しすぎる」
やりきれない、と首をふるヤマンチュールの青年。
「ああ…皆、裏口に用意してある馬車に行っててくれ。すまないが、銀髪の少女は残って」
そそくさと先導する徴収人の視線を最後に、部屋には二人だけが残された。
「……君、名前は?どこから来たんだ?」
優しさと親しみの込められた声にこわばっていた表情を多少崩しつつ、少女は首を振る。
「声を出せないのか……?」
真剣な眼差しを受け、今度は申し訳なさそうにうなずく。
どうコミュニケーションをはかったものかと考えあぐねた末、ジャックに一つの閃きが降りてきた。
はからずもできてしまった沈黙を破るように、おもむろに口を開く。
「……実は俺、脱走兵だったんだ……」
幸い、きょとん、と首を傾げながらも、少女は横に座った男の突然の告白に耳を傾けてくれた。
「軍事機密を知ってしまってね。その犠牲者になっていた少女とともに、基地から脱走したんだ。少女の身体を、元に戻すために」
「……それからは、買い物も人目をはばかるようにやったし、街道なんかは通らなかった。どうしてそんな有様で移動ができたと思う?」
数秒の間があって、少女は壁にかけられたままの一枚の絵を指さした。
そこには、先ほど連行された領主と、巨大な騎士を描いたものだった。
「そう、シュタールリッターを使っていたんだ。名前は《パンドラ》」
パンドラ――今は宮殿の下で眠る漆黒の騎体の名前に、びくり、と少女の小さな肩がふるえたのを、ジャックは見逃さなかった。
(やはり、間違いない)
この一年、徴税を兼ねて諸国行脚していた甲斐が、ようやく報われる――その期待がどんどん高まってくるのを感じながら、ジャックは言葉を続ける。
「治療法探索を兼ねて、医者の技術を習得もしたけど、怪我や病気の治療に役立っただけで、本来の目的には近づけなかった。……そして、帝都から東に歩き続け、未知の知識を求めてヤマンチュール人の住むグラールデン砂漠にたどり着いたんだ。紆余曲折あって、そこの人たちと仲良くなった俺は、彼らの言う革命に参加した」
一旦言葉を切って少女の顔を見ると、興味津々の表情と、聞いた事のない冒険譚の続きを待つ子供のきらきらとした視線が帰ってきた。
(まだ、だめか……)
喜んでくれることはうれしいものの、記憶が戻ってくれない事に多少の歯がゆさを感じ、さらに何か手はないかと、アイデアを探して視線をさまよわせるジャック。
体勢を変えようとした瞬間、チリン、と腕が小さな音をたてた。
(――これだ!)
小さい羽と鈴のアクセサリーがついた腕を少女の視界に置いてみる。
突然見せられた、男の腕には似合わない装飾品に、首をかしげる少女を目の端に入れながら、再び口を開く。
「これな、一緒に旅を続けていた時、女の子にプレゼントしたんだ。色んな場所を巡って、革命に参加してくれる同志を探していた時にどうにか時間が取れて、とある貴金属店に行ったんだ」
当時の自分の迂闊さに、思わず苦笑交じりに言葉が続く。
「だけど、生憎手持ちが少ない事を忘れててね……店に入ったは良かったけど、予算の中で買えるものを探すのに苦労したよ。彼女が最初に考えていた物からはずいぶんスケールダウンしてしまったんじゃないかな。店主に無理言ってペンダントヘッドとして置かれていたこれをヘアピンに変えてもらったり、途中で見張りをしてもらってた仲間からの報告で急いで店から出たり……色々あったよ」
いつの間にかうつむき、銀髪に隠れて見えない彼女の顔を気にかけながら、話を続ける。
「その後も一緒に最後まで戦い抜いたけど、彼女との思い出はそれが一番残っているよ」
不意に、少女が顔を上げた。
美しい絹糸のような銀色の髪が、ふわりと宙を舞う。
「そんな事ありません。大好きなあなたから贈られた物に文句なんてつけたら、それこそ罰があたります」
目を丸くするジャックを微笑みながら見つめ返す少女の目には、はっきりとした意志が感じられた。
「マリア……記憶が、声が、戻ったのか?」
「ええ……あなたを見たその瞬間に!」
首に手を回し、抱きついてくるマリアの背中を、その存在を確たるものとするように、両腕でしっかりと抱き返す。
鈴を転がすような音色で、さらにセイレーンの歌声のごとき綺麗な声を、頭の中で何度もなんども反芻する。
「趣味が悪いな。煮詰まっていた俺を、面白がって見ていたのか?」
「最初は混乱していたの。未知の知識と確かな実感を持っている経験が濁流のように流れ込んでくるんですから。そうこうしていたら、ジャックが昔の話をしてくれて、それでようやく記憶が繋がったのよ」
「ずいぶんと、大きくなったな……」
「マイクローゼに吸収されていたものが全て戻ったんだもの。どう?」
抱擁を解いて立ち上がると、ジャックの前でくるりと一回転するマリア。
「ああ、綺麗だよ」
「もうっ、もっと気の利いた事言えないの?」
差し出された手を取ると、苦笑混じりの表情を浮かべつつ立ち上がる。
「女性を褒める機会なんて無かったからね……ん?どうした?」
うつむいたままマリアに声をかける。
「どうして――」
「うん?」
「どうして徴収人なんてしてるの?貴族制度は無くなったんでしょ?もうあなたが民を守る理由は無くなったじゃない。それなのに、なんで普通の生活に戻ろうと思わないの?」
「普通の生活か……」
「好きな人と一緒になって、子供を作って、何事もない平穏な家庭を築く……ただ、それだけの事なのに」
「他の人たちが普通に暮らす為には、誰かが平穏を守らなきゃいけない」
「それを、どうしてあなたがしなければならないの!?」
途中から涙混じりになったマリアの訴えに、ジャックはしばらく黙考する。
「――それが、俺の生き方だから……かな。俺は、普通の生活を営むより、その生活を大多数の人々が営める世界をつくりたい。それに、皇帝を――創世の神を殺した俺にはその後の世界を保つ責任みたいなのがあると思うんだ。俺は正直頭も悪いし、何か特別な事ができるわけでもない。ただ一つやれる事といえば、剣をふるって弱き人々を助けるくらい。なら、せめてそれくらいは全うしたいんだよ」
それに、と、マリアの頭に生身の手を乗せると、いたずらっぽい笑みを返す。
「好いてくれる娘の未来を明るくしていくのも、立派な務めじゃないか?」
一瞬呆気に取られた直後、ポン、と音が聞こえそうなほど真っ赤に染まった顔を下に向けるマリア。
「なっ……えっ……えっと……~~~~~っ!」
あまりの嬉しさに頬を伝う感動の涙を拭うことも忘れ、うつむいたまま呆然と固まる少女の頭を、ゆっくりと優しくなでる。
「してやったり、って顔してるんでしょ……」
「いや……歯の浮くセリフが今更こっぱずかしい」
「……そういう所は嘘ついてもいいのに」
顔をあげたマリアの頬を伝う筋を指で拭うと、少女は再び頬を上気させる。
「さて、そろそろ行くか。かなり皆を待たせてしまっている」
ほら、とジャックが差し出した手に、少女はふくれっ面で応じる。
「どうした?」
「……っこ」
「うん?」
ぼそぼそと口の中で留めていた言葉を、伸ばした両腕と一緒に解き放つマリア。
「抱っこ!」
「……はいはい」
脱ぎ捨てていたローブを拾って被りなおすと、腕に少女の背中と脚を乗せる。
「まったく、恥ずかしい格好を……それじゃ、いくぞ」
「うんっ!!」
安心しきった表情のままおとなしく胸に顔を預けるマリアと微笑みを交わすと、二人は白日にその身を晒し、陽光の中へと躍り出た。
『牢獄の騎士~Knight's revolution~』 END
『騎士の軌跡』完
騎士の軌跡Ⅲ ‐牢獄の騎士~Knight's revolution~‐ 零識松 @zero-siki-matu
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