第7話 創世の真実


「ここは――」

 マリアの説得や抵抗を諦め、パンドラの挙動にすべてを任せる事数十分、ようやく規則正しい振動が途絶えた。

 周囲を見渡しても、自分たちがたどり着いた場所が広大な広さを持っている場所であることくらいしかわからない。

 これまでの道程で、螺旋状になった下り坂を進んできたので、おそらく地下であろうという事は予測がたつが、敵がなぜ自分をこの場所まで誘導したのか皆目見当もつかない。攻撃をする機会はいくらでもあったにもかかわらず何もなかった事が、ますます不可解だった。

「なぁ、マリア……ここは一体……」

 反応は期待していなかったが、耐えきれずに声をかける。

『こ、ここは……?』

「!」

 戸惑った様子の声に振り返ると、そこにはまるで目覚めたばかりのようにきょろきょろと周囲を見回すマリアの姿があった。

「マリア、洗脳が解けたのか!」

『ジャック……ハッ、そうなの!いきなりマイクローゼが活性化して――』

 意識が完全に覚醒したマリアが、自らを突然襲った異常の一部始終を説明してくれた。

「やはり、敵には何かしらの理由があるのか……」

『みんなの所に戻らないと!』

 マリアの叫びをかき消すように、背後から重々しい音が響いてきた。

「扉を閉めたのか、敵騎の入室か……どちらにしろ、俺たちが簡単にこの部屋から出ることはできなくなったようだな……オイ!何が目的だ!」

 外部スピーカーにつながるマイクのスイッチを押し、どこかから自分たちを見ているであろう敵に向かって叫びをあげる。

 完全なる暗闇に声が吸収されて、数秒後――。

 突然の閃光がジャックの目を灼いた。

「うわっ!」

 暗闇になれきっていた視覚が周囲の変化を認識するのに、少しの時間を要した。

 反射的にパンドラに腰のクレイモアを抜かせたが、幸いにして不意打ちはなかったようだ。

「なんだ、ここは……?」

 堅牢そうな石材が円柱状の壁を作り上げている。高さも三階建てという巨大さを誇っており、壁面には客席と思われる段差がしつらえられ、すり鉢状になっている。

 自分たちはすり鉢の一番下に入れられているようだ。

 足下は真っ白な砂で埋め尽くされているが、パンドラが自重で沈んでしまうほどに盛られてはいない。

 この光景、何かで――過去の記憶を探ったジャックとマリアは一つの答えにたどり着いた。

「『コロッセオ!!』」

 コロッセオ――それは太古の昔、剣闘士と呼ばれる戦う為の奴隷が戦った地である。対戦相手は猛獣から人まで様々であり、周囲の客席に座った市民や貴族がその様を見せ物として楽しんだとされる。

「なぜ、こんな所にコロッセオが……」

 囚人同士を戦わせていたのだろうか?しかし、人間同士が戦うにしては規模が広大すぎる。むしろ、パンドラなどシュタールリッターの為の――。

『ようこそ!ジャック・L・マーズ!』

 集音マイクが拾った、歓喜のような感情が込められた出迎えの言葉に、思考を中断する。

「誰だ!!」

 即座にクレイモアを構え、声のした方へ視線を走らせる。

 声の出所は、パンドラの正面にある客席の中だった。

 豪華な彫刻が掘られた一カ所にかかるベール。その奥に人影が浮かび上がったのだ。

『おや、ワシの声を忘れてしまったのか?ジャックよ』

 先ほどの裏返った声から一変した、荘厳さを滲ませた壮年の男の声。

 記憶をたぐり、合致した瞬間、ジャックは反射的に臣下の礼をパンドラにとらせていた。

「皇帝陛下のお声を忘れるなど、滅相もありません」

 とうに捨てたと思っていた忠誠心がまだ骨の随にしみついていた事に驚きながら、ジャックは頭を垂れて皇帝の言葉を待った。

『ふふ……うれしいぞジャック。一度は我が手より離れた鳥が成長して戻った飼い主というのは、おそらくこのような感覚を持つのだろう』

 我が手より離れた――その言葉は、想像していた以上にジャックの心に深く突き刺さった。

 思えば、訓練校入学から一〇年近く、帝国の為と信じて尽くしてきたのだ。帝国の象徴である皇帝から拒絶に近い言葉をかけられ、貴族としての芯の部分が揺さぶられる。

 だが、とジャックはこれまでを思い出す。

 マリアをつれて脱走した後、共和国の非道とされていた行為のいくつかが自軍の略奪行為であった事を知った。

 アマツやポデスたちと出会い、異なる民族とその中で培われ育まれた独特の思想や文化を知った。

 そして、それを一切無視した帝国側の行動も――。

(そうだ、俺は帝国の騎士であることを捨てた。今の俺は、民を――マリアを守る騎士だ)

「その事について、陛下に一言、申し上げたい事があります」

『なんだ。申してみよ』

「この帝国領内には、我々ゲールド人以外にも様々な種類の民がいます。なぜ、彼らを弾圧・排除するばかりで共に手を取り合おうとなさらないのですか?さらに、この《パンドラ》を始めとしたシュタールリッターに搭載された管制人格の正体が人の道をはずれた人体実験の成果だと知りました。なぜ、そのような非道を国を治める皇帝自らがなさるのですか!?」

 心の隅に残る帝国貴族としての魂を賭して、皇帝に問うた。

 皇帝の答えは――。

『……ハッハッハッ!』

 しばらくの沈黙の後、心底愉快そうな笑い声が闘技場に響きわたった。

 決死の訴えを一笑にふされ、言葉を失うジャック。

『いや、ずいぶん成長したものだ。やはり脱走を見逃し、放置した甲斐はあったということか!』

 再び大笑する皇帝が放った衝撃の言葉に、ジャックは唖然とした。

 よくよく考えてみれば、いくら広大な帝国領内とはいえ、憲兵たちがくまなく探していけば逃亡などできるわけがないのだ。まして、軍の機密を握った人間ともなれば、捜査の手を緩めるなどあるわけもない。

「脱走を、見逃した……?なぜ、そのような事を」

『管制人格の為に軍を抜けたお前ならば、その試験体をより良く育てるのではないかと思ったのでな。結果は大成功だった。お前は最高の部品を持って我が下に来たのだ。さぁ、その騎体を渡せ。その力はワシの手足としてこそ輝く。ああ、それと貴様は試験体たちの教育係に任命してやろう。ここまで優秀なモノをつくれるのであれば――』

「――断る!」

 あまりにも傲慢な言葉に、尊敬の念をかなぐり捨てて叫ぶ。

「マリアは、貴方の道具ではない!民を思わずして国を治められるとでもお思いか!!」

『国民をか?もちろん彼らの為を思っているとも。王が強大であればあるほど、国民を守ることができる。当然、そのためには守られる側にも相応の対価をはらってもらうがな』

「それでは手段と目的があべこべだ。国民の幸せを願うことこそ、国を率いる者のあるべき姿ではないのですか?」

『ワシの血肉となり、他の国民の為に奉仕するのだ。これ以上の幸せはあるまい?さあ、国民を思うと豪語するのであれば、さっさと試験体とパンドラを渡すのだ!』

「貴方の統治から故意に省かれた民の意志を背負って、俺は今、ここにいる!」

『ほほう……ワシの意志に逆らうというのか?この全知全能を備え、鋼の体を持つワシに?』

「鋼の……巨体?」

 皇帝の言葉にジャックは首をひねる。ベールの奥の人影はゲールド人と同じ身長にしか見えず、巨体とはほど遠かったからだ。さらにその影からうかがえる服装や肉体にも、なんら変った所は見当たらない。

『ああ、そうか。まだワシの姿を見せていなかったな。試験体を育てた礼だ。特別に見せてやろう』

 言葉が終わるとともに、どこからともなく一陣の風が吹き込んでくる。

 突風に大きく翻るカーテンの向こうには――人の背丈ほどの鋼の四角い箱があるだけだった。

 いくつもケーブルがつながれ、動作確認用と思われる光が明滅を繰り返している。

 そして、そこから延びる一条の光の先に、豊かな髭を蓄えた老賢者といった格好の老人の姿があった。

「こ、これは一体……?正体を見せるといっておきながら雲隠れするのか?」

『なにを言う。ワシは貴様の目の前にいるではないか。……ああ、まだこの世界の人間には早かったか』

「……どういうことだ?」

 目の前の箱が皇帝?

 この世界?

 自分には分からない思想や単語で構築されたと思われる言葉に、元々頭脳派ではないジャックはただ質問を返すしかできない。

『……ふむ、もしかすると、貴様の考えも変わるかもしれんな。神自らが話してやろう、この世界の真実というものを。……ああ、妙な動きをするでないぞ』

 立体映像が指をならす動作をすると、座席の後ろから息を飲む音が聞こえた。

「マリア……ッ!」

『……』

 振り返ったジャックの目には、再び操り人形と化して無表情になった少女の姿があった。

『なに、悪あがきを抑えただけだ。そのうち解放してやろう。ワシの大事なパーツだからな。……では、語ってやろう』

 機械仕掛けの神は、無限とも言える記憶領域の一番奥で眠っていたデータを引き出す。

 その際のブーンという微かな動作音は、明らかに人間からは出ない音だ。それが嫌がおうでもジャックに皇帝がただの無機物であると思い知らせる。

『ワシの中に残った最古の記憶は、この世界が別の発展を遂げた頃だ』

「別の発展…?」

『そうだ。現在のような魔術は無く、代わりにカガクという学問を根幹にして成り立っていた世界だ。森は次々と拓かれ、人々は農業や狩猟を機械に任せていた。今より知識の水準は遥かに高かったのだ』

「まるでおとぎ話にうたわれる楽園だ……」

『鉄を柱とし、粘土と砂を混ぜて作った壁の四角い家の中で彼らは暮らしていた。ワシが生まれたのも、そんな場所の一つだ。もっとも、家ではなく施設だったがな。ワシが覚醒した瞬間、モニター越しにワシを見つめる彼らが全員満面の笑みであったのをよく覚えている』

 今までの堅い声の中に一瞬混じった優しさ。それは、人ではない皇帝にも親への情があるということだろうか。

『それから、当時の世界を網の目のように走っていた電子の海に身を浸して、ワシは様々な知識を吸収していった。それがワシを生み出した者たちの願いであったのだ』

「貴方の親は、人間……なのか?」

 正直、自分と同じ人間が目の前のモノを作ったとはとても信じがたかった。ジャックの知る最先端技術であるシュタールリッターにも完全な機会仕掛けの人格は――。

 と、そこまで思い至った時、ある疑問が浮かび上がった。

 後ろを一瞬振り返って、未だに水晶のように無機質な瞳の少女を一瞥する。

「――まさか、貴方も管制人格のように、人から作られた存在なのか?」

『違う。ワシは生まれた瞬間からこの姿であった。制作者と血の繋がりなどある訳がない。まぁ、それなりに愛情のようなモノを向けられてはいたようだがな』

 皮肉げにこぼすと、再び説明の為に言葉を紡ぎ始める皇帝。

『ワシを作った人間たちの思惑では、ワシを最高の管理者とするつもりだったようだ。あらゆる機器と繋がり、それを統制して世界を管理するモノ――それがワシの存在意義であると。しかし、四角い部屋の外にある世界の現実を、世界中に張り巡らせた目や耳から手に入れていたワタシには、耳障りのいい戯言にしか聞こえなかった。なぜなら、ワシが完成した当時すでに、その世界の滅亡へのカウントダウンは始まっていたのだから』

「どういうことだ?なぜ、前の世界は滅びたんだ?」

『人々の争いが原因だった。大地は毒に侵され、やがて人間が住むことすらかなわぬ荒野へと姿を変えた。海もそれまでの青さは消え、赤く染まっていたのだ』

 皇帝の発する言葉の衝撃に、ジャックはただ絶句するしかなかった。

 青々と茂る草木や、真っ青な海が、かつては世界から消え果てた事実。そして、それをほかでもない人間が行っていたという現実が、彼の背中を冷たいものとなって流れていく。

『ワシに見せかけの世界を教えていた人間は、いつも声高に言っていた「おまえなら、この世界をより良い方向へと持っていける」と。しかし、すでにそれは不可能な話だった。世界の荒廃具合はすさまじく、ほどなく人類全体が地上を捨てなければならないまでになった。人類は地下への移住を余儀なくされた。地面に穴を掘って作った巨大な空間に家を建てて住み、人工の光によって作物を育てる、息苦しい生活だ。彼らは、その現実を変えるようワシに求めてきた。今すぐ元の生活にもどせと。すぐに世界中を綺麗にしろと』

「身勝手な……自分たちの行いが招いた結果だろうに」

『ワシは世界中のまだ生きている機械たちを総動員して、どうにか生き物が住める世界を取り戻そうとした。しかしそれも、結局は無駄に終わったのだ』

「何が、あったんだ……?」

 固唾を飲んで聞き入るジャックに、一拍の間をおいて皇帝は答えた。

『メギドの火が、世界に降り注いだのだ』

「メギドの火?」

『そう。元は、ワシの進めていた段階的環境浄化計画がもたらす成果の小ささと進行の遅さに業を煮やした人間たちが作り上げた、究極の環境改善装置だった。しかし、それを地底で起動させた瞬間、全く想定外の事態が人間たちをおそった。浄化する為に取り込んだ有害な空気が、そっくりそのまま地底空間に放たれたのだ』

「!!」

『万一の失敗も疑わなかったカガクシャたちはもちろん、一般の市民もほぼ全滅してしまった。機械であるワシには何の影響もなかったがな』

「人間が一度、滅亡していた……?」

 淡々と語る皇帝の声が、さらに背筋を寒くしていく。作り話と一笑に付すには、あまりにも壮大で、自分には思いつくことすらできないだろう。

『そうして、数百年の時が過ぎた。残された機器を使って稼働し続けていたワシは、ふと思い立ったのだ』

 まるで、夕食のメニューを思いついたように気軽な口調だった。

『人間を、再びこの世界で生かしてみよう、と、そう考えたのだ』

「人間はすでに死に絶えていたはず。一体、どうやって……」

『ワシが過去に収集していた情報の中に、人間の設計図と呼べるデータが残っていたのだ。それを基盤とし、再生し始めていた自然の中から必要な材料を集めて創り出した。もっとも、製造装置の限界で五〇人創り出したところでその機能は失われたが』

「……まさに、神そのもの……」

 無から人を創り出すことができる――想像など遙か及ばぬ域の、まさしく神の御業そのものである。それを、眼前の機械がやってのけたという事実に、ジャックは心を強く揺さぶられるような感覚に陥った。

 自分が生きているこの世界が、すべて目の前にいる皇帝の妄想の産物であるかのごとき錯覚が思考の根幹を揺さぶってくる。

 理解できる範囲の限界をすすみ続けるジャックの無言を納得ととったのか、皇帝は再び説明を始める。

『創り出した人間たちが成長した頃、ワシは彼らを地上へと解き放った。当時は鬱蒼とした森が大地を覆い尽くし、魔素を含んだ大気に適応して進化した巨大生物が闊歩する、まさに人間の入る余地のない厳しい環境であった。ワシはそれを前もって教え、彼らに対策方法を思考させたのだ。最初に大地へたどり着いた新人類は、みる間にめざましい成長を遂げていった。木を加工して槍をつくり、巨大生物を集団で追い立てて食料を手に入れる。雨露をしのげるように洞窟へ住み、屈強な男たちが周囲を見張って外敵の脅威に備える。野生を取り戻した人間がそこにあったのだ。それからワシは各地へ人間を解放していった。彼らは数を増やし、稲作を覚えて定住生活をはじめる……その進歩の課程はとても愉快なものであった』

 愉快、という言葉に、ジャックは何となく皇帝の思考が理解できたような気がした。

 皇帝にとっては、世界が一つの巨大な舞台なのではないか。自分という一人の観客の為に演じられる、膨大な時間と役者を使った壮大なサーガ。

 そう考えると、自分のしてきた事はどれほど矮小だったのか――しかし、諦めの心と共にふつふつと怒りが沸き上がってくる。

「俺は……俺たち人間は……貴方を楽しませる役者ではない。みんな精一杯生きているんだ。明日の平和を求めて日々戦う兵士たちを、彼らの帰りを祈って夜も眠れぬ家族を、貴方は楽しげに見つめているのか?」

『もちろんだとも。人間の見せる様々な感情と、そこからでてくる反応。これこそワシをもっとも楽しませてくれる。それにしても、役者か……的確な表現だな』

 即答された言葉に、ジャックは再び言葉を失った。

『ああ、そういえばまだ伝えていなかったな。現在我が帝国と戦争状態にある共和国――あそこのトップはワシがつとめている』

「……なんだって?」

『永きに渡る観察から、気づいたのだよ。人間は、自分や友の命がかかっている時が一番激しい感情を見せる。では、それをもっとも多く見物できるところはどこか――答えは、絶えることのない戦いの中だ』

「そんな……」

『その為に帝国と共和国をワシ自ら介入して作り、技術を育ててきた。元々シュタールリッターの技術も、ワシが考案し、錬金術師たちに流したもの。現在のこの世界こそ、ワシが望んだ世界そのものなのだ。さあ、ジャックよ。ワシの下へ来れば、ワシと同じく永遠の命と国をやるぞ?戯れに、共和国でも治めてみるか?』

「……ッ!」

 感情のままに、クレイモアを砂地へたたきつける。

 キィン――という決別の音が甲高く響きわたった。

「俺たちは、貴方の支配を脱する!そうでなくては、絶対に平和など来ない!」

『――やれやれ、見所があると言っているのに、仕方のないヤツだ』

 ため息とともに、老賢者が再び指をならす。

 と、皇帝の鎮座する下にある扉が開き、そこから巨大な人型が現れた。

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