第3話 門前の攻防Ⅱ
「ええい!さっさと侵入者どもを排除しろ!」
裏返った金切り声が響いたのは、ロの字型をした城の中央にある塔――中央監視塔の最上階だった。
床全面に敷かれた赤い絨毯の上に装飾華美な調度品を揃え、窓から覗く周囲の寒々しい風景が嘘のような部屋の中、装飾の施された椅子に深々と腰をおろした小太り男――ヴィクナスト監獄最高責任者兼防衛司令の肩書き持つデュッセル伯爵は、自分の叫びに縮こまる部下を憤怒につり上がった眼で睨みすえたまま言葉を続ける。
「巨大な砲弾の報告からすでに三〇分!状況確認に向かった部隊からの報告は無く、平民の警備兵からの連絡でようやく事態を把握!しかも、討伐に向かわせた警備部隊は未だに戦闘中!さらに、周囲の森からは蛮族や怪物たちがわんさか溢れ出してきている!何だこの体たらくは!一体どう責任を取るつもりだ!ええ!?」
激昂してまくしたてるデュッセルに、甲冑で身を固めた警備隊長――グリッドは平身低頭の姿勢を崩さず、ふるえる声で謝罪を続けていた。
その言葉に染み出かかっている複雑な感情に、デュッセルはまったく気づかないまま――
「ま、まことに……申し訳……ありません。……未明からの濃霧で視界不良が続き、発見が遅れたものと――」
「いいわけなど聞きたくもない!」
部下の言葉をばっさり切り捨てると、近くに置かれたグラスを飲み干す。中に入っていた赤い液体――最高級ワインは、運動など皆無の生活で脂肪が詰まった腹へと落ちていった。
「それで、これからの対応はどうするのだ?」
「はい。それはもちろんファランクスを起動させます。あれがあれば、いくら巨人といえど、ひとたまりもないでしょう。何しろ――」
言葉を一旦切り、脇に抱えていた紙の束を机に置く隊長。
そこには、とある評価実試験の結果が詳細に写生された挿絵と共に書かれていた。
「なんだこれは?」
「昨日行われた防衛能力評価試験の際に皇帝陛下へ提出した書類にございます」
「そうか、言われてみればそのような物に判を押したような……。それで、これが一体なんだというのだ?」
デュッセルが一瞬目を向けただけでバサッと机に放り投げた書類を丁寧に回収すると、隊長は目の前の男が理解できるよう、結論を可能な限り簡略して伝えた。
「
「なんと!?あのミョルニルをか!?」
「はい。その通りでございます」
驚愕に思わず腰を上げる無能極まる責任者へ心中で思いつく限りの罵詈雑言を投げつけながら、あくまで表情は笑顔の仮面を維持する警備隊長。
「そうかそうか、それならば、今回の侵入者も問題なさそうだな」
ふぅ、と安堵のため息と共にイスに腰を落とすと、再びワインを注ぎ始めるデュッセル。
「失礼します」
再び自分の世界に入った最高責任者へ形だけの敬礼をすると、警備隊長は部屋の壁に設置された連絡装置を起動させる。
ボタンを押すと、正門の脇に設えられた連絡装置から届けられた映像が届く。
「守衛!いるか!?守衛!!」
スピーカーから届く地鳴りに負けまいと声を張り上げると、呼び出し音が数度鳴った後、慌てた男の顔がモニターに映った。
『お、お待たせしました!こちら正門!守衛のエスタスです!』
「警備隊隊長のグリッドだ。ファランクスを起動させろ!」
『は、はい。しかし、起動装置がある塔からは、爆発音や剣戟音が響いており、安全に起動できるか――』
「構わん!さっさと起動させるのだ!」
『は、はいぃ!』
一喝にわたわたと走っていく守衛が映るモニターを消すと、グリッドは司令室を後にした。
波の収まらない心のまま廊下を歩いていると、奇異な人影がこちらに向かって歩いてくるのが目に入った。
その人物は、まさに漆黒だった。
全身を隙間なく覆う黒塗りの騎士甲冑。肘や膝など関節部分を覆う鎖帷子、さらには腰に下げた剣の柄や鞘も黒で統一されている。異なる色彩は、頭部をすっぽりと覆い隠したアーメットと呼ばれる球形に近い兜のバイザーの奥から覗く瞳の赤と、兜頭頂部から後ろに流されている飾り布の金だけ。
異様すぎる外見に、グリッドの思考はすぐさまその人物の正体にたどりついた。
「これは……親衛隊長?一体どうなされたのですか……?」
帝国軍内部において「皇帝の守護を最優先とする一団が存在する」という噂がまことしやかにささやかれていた。正式な部隊名や隊員数も不明という、なんとも眉唾な話であった。何でも、その部隊――通称親衛隊の隊員たちは全員漆黒の甲冑で全身を包んでいるという噂だ。特に隊長の兜には、一条の金の飾り布が付いているとされ、その実力は上級騎士数人を剣を使わずに倒したともいわれている。
(かつて帝都に居たときに耳にはしていたが……まさか、実在していようとは……)
荒唐無稽な作り話とばかり思っていたが、実物を見せられては信じないわけにはいかない。
「貴方がここの警備隊の長、グリッドですか?」
やけに甲高い声に、一瞬浮かべた驚愕の表情を引き締め、敬礼で対応する。なにせ、噂が事実ならば目の前の黒騎士は上級貴族を超えるほどの権限の持ち主なのだから。
「ハッ!ヴィクナスト監獄警備隊隊長の任についております、グリッド大尉であります!」
「分かりました。では、ワタシを司令室まで案内してください。最高責任者と警備隊長であるアナタに、皇帝陛下から賜った御言葉を届けましょう」
(自分に、皇帝陛下から……?)
期待と疑問が渦巻いたまま、グリッドは踵を返した。
通信で聞いた怒声でおぼつかない足取りのまま、やっとたどり着いた制御室の中、エスタスは部屋の正面にある大きなレバーを力一杯下げた。
「ふははは!これであのデカブツ共も終わりだ!」
高笑いを響かせるエスタスの瞳には、あの日――評価試験の時に見た光景がまざまざと蘇っていた。
試験当日、ミョルニルの実物を見て縮みあがっていた自分がおそるおそる下げたレバー。その直後、まさに数万単位の軍勢がすぐ後ろで戦闘を開始したような轟音が響いたのだ。
飛び上がって外にでると、城壁が所々開かれ、その隙間から突き出された攻城弓や大砲が絶え間無く射撃を繰り返していたのだ。
向かってくる、球体を寄せ集めた珍妙な姿をした巨大騎士は、みるみるうちに装甲が砕け、内蔵していた矢弾もその威力を見せる前に木くずや鉄くずへと姿を変える。
視界を覆いつくす圧倒的な光景に、エスタスは一瞬で心を鷲掴みにされた。
(すごい……すごいぞ!これを、こんな怪物を俺たちが守っていたのか……すばらしい!あの鋼鉄の固まりが見る影もないじゃないか!)
「っふふ……ふははははっ!」
こらえきれずにもれた笑いは、理性のタガが外れたようにたちまち哄笑へと変わっていく。
守護する物の真価に満足し、その偉容を目に焼き付けようと振り返るエスタス。
その背後では、かろうじて原型を保っていたミョルニルのフレームが寒風で崩れ落ちていった。
「あの……あの光景をまた見れる!」
神話にうたわれる武神の攻撃を髣髴とさせる光景早く見ようと塔から転がりでるエスタス。その目には、強固な壁を構成する煉瓦が所々ずれ、その隙間から砲身や鏃がつきだされる様がはっきりと映っている。
「さぁ、始まれ!」
彼の歓喜の声に呼応するように、無数の矢と弾が向かってくる巨人に降り注いでいく。
急勾配を上ってくる相手にとっては、まさに文字通り手も足もだせない。それに対して、こちらは落下する速度も合わさって比類無き威力を存分に発揮できるのだ。
「よし、よしよしよし!――え?」
標的となった斜面を見下ろしていたエスタスはまったく想定外の光景に我が目をうたがった。
「坂に、何か立っている……?」
柔らかい泥でできた急坂の表面に、巨大な盾のような物が何本も突き刺さっているのだ。それと引き替えに、さっきまで無様にはいずっていた巨人たちの姿はどこにも見あたらない。
「なんだ?あの陰にでも隠れたというのか?しかし、我がファランクスの前ではどんな物でも木っ端微塵になる運命なのだ!」
無駄なあがきを、と鼻で笑うエスタス。そのニヤついた表情は、すでに巨人が叫び声とともに坂を転げ落ちる様を幻視しているかようだ。
彼は気づいていなかった。砲弾や巨大な矢を発射し続けているはずの周りが、静かすぎる事に――。
「いけえええっ!」
叫びに重なるように、放たれた矢や弾が標的と接触する。
「うおおおっ!?」
下からの振動に思わずたたらを踏むエスタス。
すぐに体勢を立て直すと、坂の下をみやる。
まるで、霧が再び発生したのかと錯覚するような凄まじい煙が彼の視界を覆い尽くす。
「ふふふ……どうだ!化け物共め!これがファランクスの威力だ!……っと!」
そのとき、ずん、と腹に響く振動が喝采を叫ぶエスタスをおそった。
「な、なんだ……ヒッ!?」
坂の下を凝視していた目が裂かれんばかりに見開かれる。
立ち上る土煙の中から、ぬっと人影が姿を表したのだ。それも、一人や二人ではない。
先ほど立たせた盾を杖代わりに立ち上がったのか――そんな冷静な思考を頭のどこかでしながら、彼の顔は驚きと憤怒の混ざった形相へ変わる。
「ば、ばかな……おい!いったいどうした!?」
思わず振り返ったエスタスは、再び襲ってきた驚愕に、言葉が出なかった。
記憶では途切れる事無く矢と弾を吐き出し続けていた正門――その突き出された砲塔からはわずかに煙が立ち上り、弓は弦を動かす事無く平静のままだ。
「そ、そんな……ファランクスが……沈黙するなど……」
自分の半身を失ったような猛烈な喪失感が、彼の膝を地につかせる。
巨人の行進が丘を揺らす振動を全身で感じ、もはや、パイクを構えようという意欲も霧散してしまっていた。
「そうか……ジーク、俺がバカだったよ……生きているかわからぬが、達者でな……」
諦観の表情を浮かべ、エスタスは堀を上りきった巨人がこちらへ向かってくるのをぼんやりと見つめていた。
足場の悪さなどものともせず、ずんずんと大地を踏みしめて歩み寄ってくる巨人。
と、こちらの存在に気がついたのか、太陽を背にして自分を見下ろしてきた。
(ああ、これで終わりか――)
「――貴様、この門を守る者か?」
訛りやイントネーションの違いがあるが、聞き取れる言葉を巨人がしゃべった事に、虚をつかれたようにびくりと心臓がはねる。
エスタスの中で巨人とは「言葉の通じない、よく分からない怪物」という認識だった。
そんな存在に話しかけられるなど、夢にも思っていなかったのだ。
「……そうだ……いや、そうだったというべきか。俺の頼りにしていた兵器は、アンタらの仲間に破壊されてしまったようだ」
まるで抜け殻と化したようになったエスタスを、巨人はしばらく見つめていた。
「……どうした?殺さないのか?」
「殺す?おまえはもう門番ではないのだろう?どこに殺す必要がある?」
おかしな事をいう奴だ、と不思議そうに鼻を鳴らして、巨人はそのままエスタスの横を通りすぎ、自身よりも巨大な扉へ手をかけた。
「ぬうううううんッッ!!」
大地をふるわせる気合いと共に、力一杯扉を引っ張る。しかし、石造りの扉には巨人一人の力をもってしてもビクともしない。
「ぬぅ、やはり簡単には動かぬか……おい!そこのおまえ!」
巨人の呼びかけに、数秒の間をおいておそるおそる顔を動かすエスタス。
「もしかして、俺をよんでいるのか?」
「おまえ以外にだれがいるんだ?この扉、鍵とかないのか?これ以上力を入れると破壊してしまう」
巨人の意見に、エスタスはますます首を傾げる。
「アンタ等は扉をあけられればそれで良いのだろう?なぜ壊す事を躊躇うんだ?」
「う~む……我々は金属の加工に関しては自信があるが、いかんせん石工についてはてんで不得手でな。せっかくこんな立派な石の扉があるのだから、ひとつ研究をしようと思いついたのだ」
「……は?」
「だから、壊すのは実にもったいない。どうせなら穏便に済ませたいのだ」
巨人のすっとぼけた言葉は、エスタスの想像の範囲を軽く飛び越えていた。
(な、なんだコイツは……ここは敵地のど真ん中だぞ?それなのに、そんなところに興味を示すのか……)
「貴様、何が目的だ」
「あん?」
「何が目的でヴィクナスト監獄を襲撃したのかと聞いている」
「あ~……長は民族繁栄のためとか難しい話してたが、俺にはそれより大事な事があってな――」
言葉を止めると、ぬっと顔を近づけてくる巨人。
驚いて後ろにひっくりかえるエスタスに、困った表情を浮かべて、とじていた口を開く。
「俺は、外が見たかったんだ。万年雪に閉ざされた山だけが俺たちの住処だった……だが、頂上に立って周囲を見回せば、おまえたちの作った町が森の中に点在しているのが見えるわけだ。こりゃあ、行ってみたいと思うのも無理はあるまい?」
子供っぽい表情で照れ隠しに笑う巨人。しかし、エスタスはなぜか、彼にはその表情がしっくりとくるような感じがしていた。
「そうか……外の世界を知るためか……」
「この牢を攻め落とし、皇帝とやらと話せば、人間から見れば異形な者たちの存在がいやでも浮き彫りにされるだろう。元々悪かった評判だ。これ以上落としたところでどうという事はない。それより、我々の存在を認知させる事が必要なのだ。お前たちが伝説やおとぎ話に追いやった存在は、今現在もこうして生きていると、皆に伝える事ができる。そうすれば、今までのように人間に隠れてコソコソと動く必要がなくなるのだ。大手を振ってとまでは行かないだろうが、町に行く事ができる。そうすれば、色々な技術が得られるし、こちらからも渡していける。これは、どちらにとってもイイ話なんじゃないか?」
「…………」
巨人の口から止め処なくあふれてくる話のあまりのスケールの大きさに、エスタスはただただ黙って聞いているしかなかった。
監獄襲撃の成功の可能性、その情報の伝播する速度や内容の正確性――否定や疑問を挟める要素など、いくらでも出てくる。しかし、それを真っ向からはじき返すような純粋さが、夢を語る巨人の瞳に宿っている事をエスタスは直感で理解していた。
あるいはそれは昔、平民と貴族の差に絶望した自分から抜け落ちたものなのだろうか――。
「それは……すばらしい考えかもしれないな」
口をついてでた言葉に、エスタス自信が驚いた。
(何を言っているんだ俺は!相手は逆賊の化け物だ!こんな甘言に惑わされるなど、あってはならない!!)
帝国軍人としての理性が頭の中で激しく警鐘を鳴らしてくる。しかし、一人の人間としてのエスタスは巨人の言葉に未知の希望をしっかりと感じ取っていた。
「おお!分かってくれるか!!いやあ、話が分かる奴で助かった。殺生などあまりしたくはないからな」
「扉を開く。少し待っていてくれ」
うむ、とうなずく巨人の柔らかい視線を背中に受けつつ、制御室へと飛び込む。
つい一時間ほど前に入ったばかりだというのに、心の中は天と地ほども差ができていた。熱に浮かされたような高揚感で無我夢中だった前とは違い、今は、軍人としての理性が警告を発するのは変わらないが、とても落ち着いていた。
正面のレバーを素通りして、横の机に設置されたボタンを押し込む。すると、低い地鳴りに似た音が響き始め、それと共にカタカタと歯車のかみ合う音も聞こえはじめる。
「よし!開いたぞ!」
中で行われている戦闘で開閉装置が故障していないかという心配が杞憂で終わり、ホッと安堵の息を吐く。
――ずん
突如襲ったわき腹からの激痛に、目を見開くエスタス。思わずやった手のひらには、ぬるりとした生暖かい感触が返ってきた。
首だけ動かしてすぐさま振り向くと、その場に立っていた人物の姿に驚愕は頂点に達した。
「黒……騎士……殿……?」
まるで影から抜け出してきたような出で立ちの襲撃者は、意外な言葉を放った。
「アナタが門を守れなかった事を責めているわけではありません。むしろ、話をする手間が省けたというもの」
え、と血混じりの疑問符を吐き出すエスタスに、黒一色の騎士は再び話し始める。
「アナタが、あのデカブツの言葉に感化されてしまった事が問題なのです。それは、帝国という強固な壁に穿たれた小さなヒビのようなもの……」
語りつつ、突き刺したままの剣を横に薙ぐ。
「…………」
「ああ、もう聞こえていませんか。それでは、ごきげんよう」
まるで翌日に再び会うような気軽い挨拶を転がった肉塊にかけると、黒騎士は来た時と同く消えるように部屋から出ていった。
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