第15話 騎士の剣
「……マリア!」
少女の悲鳴が耳の奥に響いた気がして、俺は飛び起きた。
騎体の外に放り出されたのだろうか、どうやらコロッセオの最上段で寝ていたようだ。それにしては、側にある愛剣としっかりとかけられた防寒用のマントが気になるが……ん?防寒?
「――寒っ!」
寝起き特有の肌寒さとは全く違う、体の芯から凍るような冷気に、ぼんやりとしていた意識が瞬時に覚醒する。
「そうだ――俺はマリアの中で雷を喰らって……」
現状を確認しようと、剣をひっつかんで寝ていた柱の後ろから飛び出した。
『お目覚めかね?ジャックよ』
「!!」
状況は、想像していたものよりずっと悪化していた。
砂の上にうっすらと積もった霜や、天井から生えたつららで、黄土色だったコロッセオは純白に生まれ変わっていた。しかし、大穴や高熱による結晶化がいたるところにあり、元の形をかろうじて留めている今の闘技場においては神聖さや神々しさを引き立たせるどころか、廃墟の寒々しい様を際だたせてしまっているだけだった。
そして、コロッセオ中央には、自身も霜をつけながら余裕しゃくしゃくの様子で佇んでいるウラヌスの姿が見える。
「皇帝……この雪は……」
『ウラヌスの持つ力を使ったまで。あまりにも試験体が反抗的だったのでな。天罰という奴だ』
ウラヌスから発せられる大笑に、ハッとなる。
「パンドラは……マリアをどこへやった!」
『どこへもなにも、貴様の足下にいるではないか』
「何……?」
今立っている客席の下――リンクの外壁をのぞき込む。
「……?」
最初は、皇帝の言葉が理解できなかった。
外壁をえぐるようにしてできた空洞に、白い何かの塊が埋まっているように見えたからだ。
全体から流れでた銀色の液体は凍りつき、平面などどこにも見あたらないほどに穴だらけとなった装甲は、さらにその上から降りてきた霜で真っ白に塗り変えられてしまっている。
そもそも、進化したあとの騎体を見たことがなかったのもあるだろう。
しかし、いくら変化したとしても、三年以上の時をその中で暮らし、家族の一員と言っても過言ではない程に絆を結んだその姿を、見間違う訳がない。
足元から見上げると圧迫感すら覚えるほどなのに、乗り込んでしまえば華奢に思える足。
夜襲の中、少女を大切に包み込んだまま逃げきった両手。
動作不良をよく起こして、その度に部品交換に時間を費やした腰部。
そして――、
「あ、ああ……」
喉の奥から、うめき声のような音が自然と漏れる。
ドサ、と音がして、一瞬視界が暗転した。
リンクの中へ受身も取らず落下した痛みすら忘れ、ボロボロになった鋼鉄にすがりつく。
恥や外聞など全く無く、とめどなくあふれてくる涙を、ただ流し続ける。
「なんで……俺なんかの為に……こんな……」
己のふがいなさにきつく握った拳から、血が滴る。
「君を守るって……元に戻すって……約束した……のに……」
――そう。あの日、あの黎明に誓った。俺は確かに、誓ったんだ。
帝国の非道な行いを正すと。
少女を――マリアを救うと。
『やはり、有り余る力があろうと人間に制御など到底無理であったか……これまでのプランは全て抹消だな。新たな器を構築せねば……』
「!!」
無感情な言葉が、耳に入ってくる。
振り向くと、家のように巨大な騎体が目の前に悠然と立っている。
「ウラヌス……ッ!」
地面に落していた剣を拾い、鞘から引き抜く。
しゃらん、と、鈴の音色に似た音と共に、銀色の刃が白銀の世界に解き放たれた。
『フ……フハハハハハハッ!!まさか、それでワシと戦おうとでも!?片腹痛い。やはり、ワシが用意した鋼の鎧がなければ人間など塵芥以下の存在よ!』
切っ先を鋼鉄騎士へと向け、吼える。
「倒す!アンタを倒して、より良き明日を手に入れる!!」
『ワシを倒せば、今までのような帝国の発展は無くなるだろう』
「それでも、人が人として生きられる世界の方が良いに決まっている!この牢獄に繋がれた賢者たちが協力しあえば、この国を変えられる!全ての民が、管理された中で幸せを享受するのではなく、一人ひとりが、より良い明日を考え、作っていける国が実現させられる!」
『世界の有り様を変えるか……だが、変革を受け入れぬ者もいるだろう。ワシの作り出したこの箱庭の世界にしがみつこうとする者を、貴様はどうすると言うのだ?』
「……」
『フン、やはり答えられまい。性急な革命などに囚われず、ワシの――』
「……る……ッ!」
『うん?』
固く握った震える拳を突きつけ、叫ぶ。
「人間は、どんな事だって乗り越えていける!現に俺は、この帝国で生きる様々な種族の助けを得て今ここにいる!それこそ、差別という概念を乗り越えた証拠だ!!」
啖呵と共に、全速力で敵の巨人に向かって走る。霜が割れ、万の軍勢が行進しているような力強い音を響かせて。
『愚かな……』
嘆息の代わりに吐き出される無数の砲撃。たちまち、もうもうと立ち込めた煙が視界をおおいつくす。
しかし、それでも俺の脚はいささかも鈍ることはない。
『鋼鉄騎士無しでワシに勝てるとでも思ったのか。結局人間など、一山いくらの価値すら……』
「……ぉぉおおおっ!!」
爆煙の中から飛び出す。
『ばかな!直撃の筈だ!』
皇帝の驚く声が闘技場にこだまする。
そして、その頭部がかすかに動き、俺の後ろへ視線を移す。
『チッ……まだ動くか!試作機の分際で!』
皇帝の歯がゆそうな言葉に、一瞬だけ振り返る。
そこには、大破しながらも残った片腕を伸ばす銀色のパンドラの姿が、確かにあった。
(マリア……!)
彼女の顔そのもののようになった頭部――その、青い瞳にうなずきで答えると、俺は剣を構える。
幸いな事に、騎体に意識を向けた皇帝は、双腕の操作をおろそかにしていた。
マリアの作ってくれた隙を活かし、だらりと床についた腕を伝って駆け上る。
だが、快進撃もここまでだった。
俺の行く手を、自動操縦される鉄壁の副腕が塞いだからだ。
『この機械による絶対的防御、生身の身体でどうすると言うの――』
「うおおおっ!」
しかし、立ち止まってなどいられない。
雄叫びを上げながら、振りかぶった剣を勢い良く鋼の腕にぶつける。
『ムダだというのが――』
あざ笑う声は、そのまま次の言葉を続けられず、沈黙した。
なぜなら、俺の切りつけた所にはしっかりと亀裂が入っていたからだ。
『あ、ありえぬ……ッ!』
皇帝は怒りのあまりに声を詰まらせ、地面につけたままだった腕を動かす。
しかし、すでにその間に、俺は数度、副腕を切りつけていた。
俺には、この現象の理由が理解できていた。
懸命に振るう剣の刀身が、銀色に輝いている。
その輝きは、まさしくマイクローゼの輝きそのものだ。
(障壁を張ると同時に、生きているマイクローゼを俺の剣に付与してくれたんだな。ありがとう、マリア)
彼女の温かさすら感じるその剣を、再び俺は副腕に叩きつける。
そして――
「はああああああっ!!」
渾身の力で打ち込まれた剣。
『なん……だと……』
皇帝の唖然としたつぶやきとともに、副腕はついに破砕された。
頭上から降り注いでくる巨大な鉄塊を避けつつ、逆に足場として踏みしめる。
『チィ!』
生きている主腕を振り回し、空中の俺を弾き飛ばそうとする皇帝。
しかし、それは落下してくる小さな破片をまとめてはじき飛ばすだけの結果に終わった。
「やはり、ここまで近づけばあの赤い光線は撃てないようだな!」
腰部装甲の出っ張り部分にたった俺は、刺突の構えを取る。
狙いは無論、マリアが命を賭けて削り取った腹部の装甲。
『き、貴様……ッ!』
ポケットから取り出した髪留めを腕輪につけ、俺は決別の叫びとともに剣を突き刺す。
「お前の掌で踊る時代は、終わったんだ!」
装甲に突き立った剣から、マイクローゼが剥離してウラヌスの装甲を削って行く。
『フ、フハハ……スズメの涙ほどしかないマイクローゼで何ができるというのか』
背後で激しく動き回る腕は、巨体の装甲と生身の人間の小ささに掴まえる事ができず、虚しく空をきる。
「あなたをこの世界から消滅させることはできる!」
マイクローゼが消えた剣を一旦抜くと、再び全身全霊の力をもって、剣を装甲に突き込む。
「うおおおおおおおおッ!!」
マリアの攻撃と彼女から託されたマイクローゼによって装甲にかすかについていた傷。
そこから、ビキビキ、とヒビが装甲全体に広がっていき――ついに剣が装甲を貫通した。
『バ、バカなあああああああああああッ!!』
帝国と共和国を支配した皇帝は、絶叫をとともにその機能を停止させた。
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