騎士の軌跡Ⅲ ‐牢獄の騎士~Knight's revolution~‐

零識松

第1話 静かな朝を破るモノ


 

 ヴァルザール帝国の全てを絶対的権力によって掌握する皇帝――彼に反逆の意を示した者たちはいくつかの刑務所に送られる。

 中でも最も過酷な場所とされるのが、帝国領北方の鬱蒼とした森に悠然とそびえる、超巨大な古城。

 反乱組織の首領や参謀たちのみが送られるこの城の名は「ヴィクナスト監獄」。囚人たちの奪還を企てる者たちから「デスサイズ・キャッスル」の仇名で呼ばれる、難攻不落の要塞である――


        *       *       *


「ふあ……っ」

 退屈な任務に、思わず漏れたあくびをかみ殺す。

 吐き出された息が、極寒の外気に触れて白く煙り、その僅かな煙も、周囲に立ちこめる濃い朝霧に飲み込まれて消えていった。 

「おい、ジーク」

 不機嫌そうな声に顔を向けると、長年の相棒、エスタスのしかめっ面が白くかすみながら現れた。

 肩に担いだ、自分の身長を軽く超える長さを持つ槍――パイクの柄頭を地面に打ちつけて、湿地特有の湿った音を鳴らしながらやってきた彼の格好は、自分と同じく銀色の甲冑に覆われている。

 自分たちは、背後にそびえ立つ巨大な城――ヴィクナスト監獄の正門の守衛を務めている。

 監獄に近づく者を見つけ次第与えられた長槍で制止しつつ、門の奥にいる警備部隊へ通報する事が本来課せられた任務なのだが、ここを訪れる人間のほぼすべてが収監されている囚人たちを奪還しようと襲撃を仕掛けに来る不届き者なので、通報すると同時に槍を血に染める事になる。

 だが、襲撃者も数年前の大掛かりな反抗作戦が失敗して以来ぱったりと途絶え、最近は日がな一日見張りをするのが仕事になっている。

「襲撃者はいつ何時やってくるかわからないんだ。気を抜くな!」

「わかってますよ……」

 年齢が上だからか、エスタスは自分に対して見下ろすような態度を取ることが多い。最初の頃は四角四面なふるまいが苦手で、派手に反発してしょっちゅう険悪な雰囲気になっていたが、今ではエスタスも諦めたのか、多少の不満を見せても鼻を鳴らす程度で抑えるようになった。

「はぁ、今日も霧が濃いですね……ただでさえ薄暗い森に霧。こんな所にやってくるなんて、一体どんな猛者なんでしょうね……」

「いかなる猛者であれ、私の槍の錆にしてくれる!」

 言葉と一緒に盛大な白い息を吐き出しながら、長大なパイクを手足の延長のように自然に扱って演舞を見せ付けるエスタス。

 その姿に内心ため息を吐きながら、遠方を白く隠す霧に視線を戻す。

 雲の中は、このような感じなのだろうか――などと、あまりに退屈な任務に空想へと思考をシフトさせていた、その時――。


 ドゴオオオオオオオン!!


 凄まじい轟音と続いて襲ってきた大地の揺れに、二人とも思わず姿勢を低くする。

「な、なんだ!?」

「門の奥……?」

 万に一つもありえない門の中からの衝撃。

 地鳴りがおさまり、いち早く我に返ったジークは、事態の真相を知ろうと、巨石を削りだして作られた巨大な扉を動かす、開閉装置へと足を向けた。

 その行動に、背後から怒声が投げられる。

「コラ!むやみに門を開けるな!!」

「地震にしては短すぎます!きっと何かあったんですよ!内部の被害状況を確認しないと!」

 非常事態にも関わらず規則に縛られ続けるエスタスの言動に思わず舌打ちしながら、扉近くに設えられた開閉制御室へと急ぐ。

「それは我々の任務ではない。内部の兵に任せておけば……チッ!」

 その場に留まったまま喚く事の無意味さを悟ったのか、エスタスが自分の方へ向かって走り出したのを窓を通して横目で見ながら、ジークは焦る心を抑えて力いっぱいレバーを引いた。

 複雑に噛みあった歯車が立てる重々しい駆動音を聞き流し、動き始めた扉へと意識を向けると、はじかれるように制御室を飛び出した。

「コラ、ジーク!今すぐ扉を閉めんか!」

 追いついてきたエスタスにすれ違いざまに肩を掴まれるが、気にせず既に開き始めた扉が作る隙間を注視する。

 装飾の紋章が割れてできた空間からは、濃霧に混じるように土煙が流れてきているのが見えた。疑惑を確信へ変えて、後ろに声をかける。

「エスタス、外を見張っててくれ。俺は中庭に落ちてきたヤツの正体を確かめにいく!」

 言うが早いか、エスタスの手からひょいと逃れ、人ひとりが通り抜けられるほどに開いた隙間に身を滑り込ませ、中庭を目指して走る。

 後ろからは何かわめき声が聞こえるが、今はそんな事にかまっている時間などない。  

 気温があがってきたのか、だんだんと霧がはれていく。

 ふと気づいた可能性を確かめようと、とっさに振り返ってみたが、投石機や大砲といった兵器は見えなかった。

(おかしい……地鳴りを起こせる程の何かを飛ばせる物を、そう簡単に撤収できるはずがない……)

 不審を抱きつつ、走る速度は落とさずに門をくぐる。いずれにしろ、中に入れば全てがはっきりするのだ。

 かなり薄くなった霧の中、無限に続くのではないかと錯覚しそうな広大な中庭が目の前に広がった。

 青々とした木々や色とりどりの草花が、ロの字型をした古城の中に並ぶ光景――今ではすっかり見慣れてしまったが、着任当初はミスマッチさに首をひねったものだ。

「一体何が……」

 しばらく花畑を進んだところで目に入ったその奇怪な光景に、ジークは思わず首をひねった。

 草の緑と美しい花にうめ尽くされた庭園の中央に、人間など足下にも及ばないほど巨大な銀色の球体が鎮座しているのだ。

 昇ってきた朝日を浴びて燦然と輝くそれの大きさは、おそらくシュタールリッターすら超えるだろう。

 疾走の中でも手にしっかりと握っていたパイクを構え、警戒を強める。

「……うん?」

 後ろから聞こえてきた規則正しい駆動音に振り返ると、警備班所属のリッターがこちらに向かってくるのが見える。両肩部に可動式の装甲を備え、直線を主体としたラインでまとめられた蒼いシュタールリッター《ガベル》三騎が逆三角形の陣形を維持したまま、全く同じ速度と歩調でやってきた。

 もはや条件反射のように、気づいたら敬礼の姿勢をとっていた。

「お疲れ様です」

『貴様、門番だな?ここは我々に任せて、さっさと自分の持ち場に戻れ』

 外部スピーカーからは高圧的な若い声が返ってきた。

 まったく、どいつもこいつもカタい連中だ――などと悪態をつきたいところだったが、貴族相手に平民である自分が反論などできるはずも無く、せめて敬礼を終える動作ををおざなりにする程度のささやか過ぎる反抗が精一杯だった。

『うん?』

 コクピット内部のマイクが拾った、ガベルのパイロットの疑問符が耳に届いた。

 無礼な振る舞いに雷が落ちるかと内心震えていたが、いつまでたっても怒声は降ってこない。何かあったのかと顔を上げると、ガベルが手に持った巨大なハルバードをこちらに突きつけている。

「うわッ!?」

『邪魔だ!どけ!』

 今度こそ降って来た怒鳴り声に反射的に身体がビクリと震え、脱兎の如く駆け出した。銀色の砲弾と急いで距離をあけて、隅に生えている木の陰へ滑り込むと、そこから息を殺して事態の推移を見守る。

(一体、何が――あ!)

 前衛を受け持つ二騎のガベルがハルバードを突きつける先、巨大な球の表面が動いたように見えたのだ。

(中に……何かいる!)

 これほど大きな物であれば、中に何かを仕込む事などたやすいだろう。なにしろ、横に立つガベルよりも大きいのだから。しかし、先ほど感じた着弾時の大地をゆるがす衝撃は、内部のものにも十二分な損傷を与えているはずだ。

 はたして、あの衝撃に耐えられるほどの内容物とは一体なんなのだろうか。

 固唾をのんで覗き見るジークの前で、鋭い刃を眼前に構えられながら、ゆっくりと銀の外殻が開かれる。

『い、一体何者か!?所属組織名を述べよ!』

 まったく予期しなかった事態に、声を裏返しながら叫ぶガベルのパイロット。心なしか、刃が震えているように見える。

 その挙動に、思わずジークは舌打ちをしていた。

「クソッ!新人かよ……」

 最近はリッターの教練が終わったばかりの新兵が実地訓練も兼ねてここの警備に回されてくる事も珍しくなくなった。基礎的な訓練を積んだ連中を、ここで一人前の兵士に育てるのが目的らしい。

 そんな事が可能なのも、この監獄が誇る鉄壁の防御態勢があればこそ。今は明らかに異常事態だ。

 おそらく、前衛をつとめる二騎が新人で、後ろに控えた一騎が教導官なのだろう。

(さっさと教導官に代われ!おまえじゃだめだ!教導官のヤツもさっさと気づけ!)

 喉まで出かかった苦言をそのまま飲み込まなければいけない歯がゆさにやきもきしていた、そのとき――


 ――ゴォッ!


 猛烈な突風が辺り一帯に吹き付けた。

「うわっ……って、熱ッ!」

 とっさに顔を両腕で覆うが、目の前から吹き付ける熱風は中々おさまらない。たまらず、木の陰に入る

(おそらく、あの球からだ……)

 木陰で風をやり過ごさなければならない自分と違って、強烈な熱風をものともしないリッターのパイロットがうらやましい。

(くそッ!一体どうなってる……!)

 ややあって、風が弱まってきた。

 木陰から身を乗り出してすぐさま開いた瞳には、ガベルの奥に立つ見慣れぬ漆黒のシュタールリッターの姿が映った。

「あれは……?」

 すぐさま、頭にたたき込んだリッターの一覧と照合する。

 検索がヒットして驚愕に瞳が見開かれたその瞬間、ぐらりとガベルの巨体が傾いた。

 まるで時間の流れが変わったかのようにゆっくりと地面に崩れ落ちる青いリッター。

 その腰部からは、鈍い光を晴れかかる霧で霞ませながら、鋭い刃が突き出ていた。

 突然起きた惨劇に、その場の誰もが言葉を失った。

「て、敵襲……」

 呆然と開いたままの口から出たその言葉は、誰が発したものだったのか。

 漆黒のボディに青いツインアイを備えた敵騎が、声に反応したように新たに腰部から短剣――グラディエーターを引き抜いた。

『来い……ッ!』

 外部スピーカーから初めて聞こえた襲撃者の声は、過去の襲撃者たちのような名乗りや驕りではなく、重々しい覚悟を背負ったものだった。

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