第2話 門前の攻防
「はじまったか……」
双眼鏡から目を離して振り向いた相棒の顔に浮かぶ表情に、アマツも重々しい様子で答える。
彼らがいるのは、ヴィクナスト監獄の警戒範囲のわずかに外。湿地帯特有のぬかるんだ土と北方の寒風吹きすさぶ暗闇の森だった。
「守衛の様子はどうだ?」
「……どうやら一人は残ったようだ。一度は開けられた門も閉められた」
「チッ、帝国にも職務に忠実な奴ってのはいやがるんだな」
「守衛とはいえ軍人だ。職務に忠実じゃなかったら問題だぞ?」
皮肉に真面目な返答をよこす相棒に苦笑しつつ、後ろを振り返る。
そこには、ヤマンチュールの民以外にも、様々な容姿の者たちが集まっていた。
耳が尖った女、額に二本の立派な角を持つ大柄な男、一つ目の巨人、半人半獣の女性等々、いずれも人間とは異なる特徴を備えた民族――彼らは皆、帝国によって「人に非ず」と烙印を押され、領土拡大の名目の下、元々住んでいた山や森から追いやられた民であった。
(よく、これだけ集まってくれたもんだ)
彼ら彼女らの瞳に燃える気迫を頼もしく見つめながら、アマツはふとこれまでの道のりを追想する。
グラールデン砂漠を出た襲撃隊は、それまでの一直線にヴィクナスト監獄へと急襲をかけるという計画を変更。装備のさらなる充実と新たな同志たちを獲得するべく、ゲールド人からは忌避される土地を巡ってからヴィクナスト監獄へと向かうという事になった。
これは、ジャックという異民族を迎えた事によるアマツの意識の変化が大きかった。
「帝国の政策に反感を持つのは自分たちばかりではないはず」という族長の言葉に賛同した一行は、各地を回り、様々な体験を経て、こうして仲間を集める事に成功したのだった。
森の中には、アマツたち各民族のリーダー格が集まった司令班を中心として、各民族ごとにチームを作り潜んでいる。作戦の推移や状況の突発的変化に応じて速やかに対処できるよう手はずが整えられているのだ。
「……どうやら、決着がついたみたい」
細く尖った耳を小刻みにふるわせていた少女――聴覚に優れたバンシィ族の族長・マリィが静かにつぶやいた。
彼女は遠く離れた監獄での剣戟音を聞き取り、戦況を把握していたのだ。
「どっちが勝ったんだ……?」
固唾を飲んでマリィの言葉を待つアマツの耳に、唸るように発せられた野太い声が届いた。
「信号砲の発射を確認」
シュタールリッターの巨体と同じ位の高さを誇る樹木の間からぬっと顔を出した一つ目の巨人――視力が良いスキア族の中でも際立った目の良さを持って監獄の様子を監視していた族長ポデスの言葉に、長たちはさざ波のように沸き立った。
信号弾の意味は、『奇襲に成功』。
つまり、襲撃計画の第一段階――パンドラによるヴィクナスト監獄上空からの奇襲と着地点周辺の安全確保――が完了したという事だ。
しかし、まだ森の中の班が動くわけにはいかない。
ヴィクナスト監獄正門に設置されていると言われる武装は、シュタールリッターすら容易く破壊されると噂される程の代物だ。それにこのまま馬鹿正直に突撃しようものなら、甚大な被害がでてしまう。
それでは、襲撃の目的――ヤチホコ様をはじめとした知識人の開放を成すどころか、帝国への反乱の意志を示す者が消えてしまう。
「……まだか……ッ!」
「落ち着けアマツ。ジャックが正門を開けるまで辛抱するんだ」
「分かってる!……クソ!」
やり場のない悔しさを握りしめた拳をぶつけた幹がかすかに揺れる。
「気持ちは分かる。ワタシも落下の衝撃に耐えられさえすればあの男と共に行きたかった」
低い声に顔を天へ向けると、苦い心中に口元をゆがめるポデスの顔が視界を覆った。
「今突撃を試みては、あの男が引き受けた陽動が無駄になる……ここは、耐えろ」
「……ああ」
はぁ、と怒りの念を深く吸った息と共に吐き出す。
代わりに入ってきた冷気でようやく冷え始めた思考で、再び城壁に守られた正門を睨むアマツの表情は、旅に出た親友の無事を願う男のそれだった。
「これで三騎」
偵察にやってきた小隊の最後の一騎が倒れるのを見ながら、さしたる感慨もなくジャックはつぶやいた。
「マリア、信号打ち上げを頼む」
『はい』
返答と同意に、後ろからボシュッという音が聞こえた。これでこちらの無事は伝わっただろう。砲弾自体は普通の弾なので、誤射をしたと誤認してくれれば幸いだが、さすがにそこまでおめでたい警備隊ではあるまい。
「それにしても、なんて広大な城なんだ……」
リッターの全長をゆうに越える高さの城壁を見上げながら、思わずそんなつぶやきが漏れる。
攻城弓や大砲など攻城兵器の登場によって、それまでの城の誇っていた防御力は、すべて紙屑以下へとなり果てた。
ただ高さがあるだけの城では、攻城兵器の恰好の的でしかなかったのだ。しかも、当時の城壁は煉瓦を積み上げたものが多く、一箇所に穴を開けられるとそれより上が崩れてしまう場合があったため、城に詰める兵士たちが大勢犠牲となった。
それにより、高い壁と塔を持つ城は次々と解体され、背の低く複数の「稜堡」と呼ばれる凹凸を備えた要塞が主流となった。
防衛拠点の形式を要塞にとって代わられた城は、住居として利用するための改修と周囲への羨望(あるいは畏怖)を目的にした装飾がふんだんに施され、宮殿として戦争から遠ざかっていった。
しかし、その状況をひっくり返す大事件がおきる。
それは、共和国によって開発されたシュタールリッターの登場であった。
身長一〇メートルを誇り、通常の歩兵や騎兵とは全く違う高い目線からすべてを見下ろすリッターには、要塞の壁の低さが致命的だったのだ。リッターの手に持つ巨大な弓矢や大砲、あるいは剣によって丘の上に築かれた複数の要塞は瞬く間に突破されていった。
この惨状の対応に頭を抱えた帝国軍は、ある意味退化とも取れる選択をする。
「リッターの全長よりも高い城郭を持つ城を建造し、防衛拠点をそこへと移す」
反対勢力は少なくなかったが、その声も完成した新たな城の出す成果に徐々に小さくなっていった。
侵入に手間取って城壁前で攻撃を続けるシュタールリッターは、想像以上に攻撃の的としやすかったのだ。好条件が重なれば、生身の歩兵三十人程度で一騎のリッターを撃破することもあったという。
新たな城には、これまでの煉瓦に代わる新素材やリッターを整備・運用するための設備など、最新の技術や建築方法が取り入れられ、もはやかつての城と同じ部分は外観のみとなった城も少なくない。
城とは、端的にいえば「内部への侵入を阻む為の設備」である。
しかし、自分たちはその防壁をいとも簡単に突破してしまった。
(まさか、上空から侵入してくるような者がいるなどとは夢にも思うまい)
もし、何も知らない軍師に今の経緯を話してたとしても、信じてもらえないだろう――まさしく常識の外の方法に、思わず口角があがる。
その一方、あまりの堅牢さにかすかな疑問も浮かび上がってきた。
果たしてここは、これほどの人員と兵器を配置してでも防衛するべき場所なのだろうか。
共和国がわざわざリッターを使ってまで囚人たちを解放しようとするとは考えにくい。
となれば、せいぜい数十人の人間が襲撃をかけてくることが想定できる限度だろう。今回自分たちがまとめた襲撃隊――自称・民族解放連合軍など、この城を建設している当時に想定などできなかったはずなのだ。
では、いったいなぜこの城は過剰とも思える防衛能力をもたせているのか……。
「ジャック?」
思案に落ちていこうとする意識は、後ろから聞こえた少女の声に引き留められる。二人乗りをすると致命的な欠陥が発生するコクピット内部を全面的に改修した結果、前部座席には操縦を担当する俺が、そして後部座席にはレーダーや各種情報を解析する役目を快諾してくれたマリアが座っている。パンドラ内部の管制人格が手に入れた情報は、マリアの元に時差なく送られるようになっているため、以前のようにパンドラと会話をする必要がなくなったのが特徴といえる。
「いや、なんでもない。……マリア、体調の方は大丈夫か?」
『うん、平気よ』
簡潔に答える少女の顔をしばらく凝視する。
『本当に大丈夫だって。あの時みたいに心配はかけないわ』
へいきへいき、と気丈な様子をみせる少女にこれ以上言っても意味がないと察し、ジャックは表情を引き締め、柔らかさを一切断った兵士の表情へ戻る。
「わかった、無理だけはしないでくれ。……施設の内部構造が知りたい。監獄のスキャンを頼む」
『了解』
返事の後、しばらくして、マリアが諦めるように首を振った。
『……ダメ。いくら送信しても、反応が返ってこないみたい』
「ということは、城の建材か何かでこちらが送った波を吸収しているということか……」
厄介だな、と苦々しく言葉を続けるジャック。
当初の予定では、施設の内部構造を把握した後、陽動を続けて警備のリッターを叩きつつ正門を破壊。森に潜んだアマツたちの突入の道を作るという手筈であった。
しかし、想定していた以上に広大な敷地に加え、内部の詳細が不明となると、闇雲に中から破壊していくわけにもいかない。うっかり敵部隊と鉢合わせしては多勢に無勢となってしまう。
しかし、警備のリッターたちは十中八九こちらへと向かっているだろう。戦闘継続を重要視して装備を選んだが、それとて限界はある。
今のところ唯一自分たちにとって有益な事実は、他の拠点からの増援が当分の間来ない事だ。この辺境の地へリッターや兵士を送り込むのは、早くても一日はかかるだろう。
『ジャック、どうするの……?』
マリアの不安そうな声に、思考回路を振り絞って考える。
「――正門を破壊する」
『え?でもそれじゃあ、警備部隊の掃討が……』
「ああ、分かっている。しかし、収監場所が不明となっている現状、結局は手当たり次第にならざるを得ない。ならば、早期に全員を城砦内部に入れて収監された人たちを救出した方が良いだろう。結果的に警備兵にとっては複数の陽動となるかも知れない」
『――そうね。いずれにしても正門の扉を開かない事にはジリ貧なのは明白だし、それでいこう』
マリアの了解を聞いて、パンドラを城門まで走らせるジャック。戦術・戦略に関しては、マイクローゼへの情報提供のために日夜覚えさせられ続けていた彼女の方が自分より勝っているのだ。
(しかし、見た目は幼い少女である彼女がスラスラと戦闘方法を並べて組み立てていく様を見せられるのはやはり違和感があるな……)
帝国の暗部を見せ付けられているような感覚に、ジャックは思わず顔をしかめる。
(そういえば、管制人格計画は皇帝自らが決定したと言っていたな……一度も会った事はないが、一体どんな人物なのだろうか……)
騎士叙勲の際、ヴェール越しに言葉をかけてもらっただけでその姿を直接見た事は一度もない、正体不明の皇帝――この帝国を統べる者に思いをめぐらせていたジャックの視界に、巨大な壁面が迫ってきた。
(落着地点から走り続けて約一〇分か……あそこでも奥は見えなかったということは、この城はまさしく規格外の大きさだ……改修された城砦でも、これほどの規模はあるまい)
ヤチホコに代表される賢人たちを一刻も早く救出しなければ、こちらが危険に陥るな――予想していた以上に不利な状況を振り払うように、パンドラに腰部後方の鞘から投擲用のショートソードを抜かせるジャック。
柄頭を中に押し込み、ソードの中からの破砕音を確認すると、疾走し続けてついた加速をそのままに、剣を投げる。
狙いは、門の横にある円形の塔――。
「行けぇ!」
願いの言葉と共に投げられた短剣は、果たして塔の湾曲する壁面に、金属同士が衝突した時に独特の甲高い音を響かせて刃の根本まで深く突き刺さった。
「やはり、苔むした岩は外見だけか……む」
深く刻まれたヒビの周囲からぱらぱらと剥がれ落ちる煉瓦――その奥にあった赤い輝きに眼を細めるジャック。
『この色は……多分、オリハルコンじゃないかしら』
「オリハルコン!?実在したのか?」
『ええ、施設にいたときに資料で見たわ。さっきのレーダーの異常も、これが原因ね』
「送った波を吸収する性質……伝承通りか……」
むむ、と顔をしかめるジャックの中で疑惑が確信に変わった。
(この施設には、何かある……俺たちの想像を遥か超えるような、何かが……。だが、今はそんな事を考えている場合じゃない。オリハルコンと言えば硬度もかなりのものだろう……破壊できるだろうか)
策を組み立てようとしていたジャックの耳を爆音が襲う。しかし、彼は顔を上げるどころか視線すら向けない。
この爆発は彼にとって予想通りの事態だった。
(ショートソードが爆発したか)
先ほど投げた短剣の内部には、二種類の溶液が厚い壁によって隔てられて封入されていた。投擲前に行なった柄頭を押し込むという操作は、その隔壁を破壊するためのものだったのだ。
隔てる物の無くなった二つの溶液は投擲や目標物との衝突によって十分と混合され、反応する。
その結果が今の爆発なのであった。
(岩塊程度ならば簡単に破壊できるが、オリハルコンともなればヒビすら――)
『あ!』
マリアの突然発した叫びに、次の策を考える内に自然と下がっていた頭を上げる。
『確か、オリハルコンは特別な性質と引き換えに強度はそれほどでもなかったような……』
「……先に言ってくれないか?」
『今思い出したのよ』
もうもうとあがる砂や小石を払いのけたそこには、赤く輝く金属の奥に、円を中心とした複雑な紋様が覗いていた。
「まさか、神秘の金属を破壊できるとは……うん?これは、魔方陣か?」
ジャックの推測を裏付けるために、パンドラのデータバンクから見つけた画像を前面モニターに転送するマリア。
『この魔方陣は、再起の印。おそらく、侵入者迎撃用の矢彈を再装填するために使っているんだと思う』
「そうか。それなら……」
ニヤリ、と含み笑いを浮かべ、今度は腰の横に下げていたクレイモアを抜剣する。
「せぇい!」
頭上高く掲げた鋼の刃を、気合いとともに躊躇い無く振り抜く。
(魔方陣は羊皮紙にかかれたものが一番効果を発揮する。巨大な装置なら間違いなく――)
眼前の黒い魔方陣が真っ二つに断たれ、だらしなく垂れ下がる様を見て、ジャックは己の予測が間違いでなかった事を理解した。
「よし、これで再装填は使えまい!マリア、信号砲を頼む。色は赤だ」
『了解』
数秒と経たないうちに、背後から空気砲のような音が聞こえた。モニターが映す後部カメラの映像には、しっかりと赤い煙を振りまきながら飛び上がる砲弾があった。
「あとは、彼等の頑強さに賭けるしかない」
『はい。……ッ!ジャック!』
「敵か!」
マリアの緊迫した声に気を引き締める。
転送されてきた画面には、自騎を示す青い点へと接近してくる赤い点が四つ表示されていた。しかし、このデータは敵からのロックを逆探知して位置を示しているので、増援の正確な数がどれくらいのものか想像もつかない。何せ、パンドラのツインアイが捉えている映像では、無数ともいえる青いリッターが前から迫ってきているのだ。
「くそ、さすがに敵も呆然としているわけではないか」
振り返り、手に持ったままのクレイモアと、外殻の裏側に固定しておいたクロスボウを構えるパンドラの中で、かすかな地面の揺れを感じながらジャックはモニターを睨みつけていた。
「赤い信号砲を確認!」
緊急の報告は、瞬く間に突入班の間を駆け抜けた。
「ポデス、頼む!」
「おう。任せろ!」
アマツに答える声だけで大地を震わせる巨人――スキア族ポデスが、ずん、とぬかるんだ大地に一歩を踏み出す。
長の動きにあわせるように、後ろに控えていたスキア族がいっせいに立ち上がる。その一動作だけで木々が大きく揺れ、激しい音が暗黒の森に響く。
「いくぞ諸君!積年の想い、今こそ晴らす!」
「「「「「「「「「「おおー!!」」」」」」」」」」
唱和する声が三度、森を揺らす。
「行くぞ!各々の奮闘を期待する!――突撃!!」
号令の後、天変地異かと錯覚するような轟音が森を覆い尽くした。異変に木々や草花が命の危険を感じたのかより一層揺らぎ、狼やコウモリなど暗黒の森に住む動物たちは我先に光さす草原へと逃げ出していく。
その中を、轟音の発生源たる巨人たちは、足元に生えた草花や獣道を這う根を踏みつけて、脇目もふらずに駆け抜けていく。湿地特有の、歩行を邪魔するぬかるんだ大地も、巨大な足裏で踏み固められ、普通の人間たちでも問題なく走れるほどにしっかりと地ならしがされていく。
人間や動物には暗闇に包まれた森も彼らにとっては陽射しよけ程度のものでしかなく、その動きはいささかも鈍る事はない。
そして、ついに先頭――その勇猛果敢さで族内に知らぬ者はいないケルグスが森を抜けた。
目の前には、巨城へと続く急勾配の坂。
「ぬおおおお――!!」
ぬかるんだ大地をその足でしっかりと掴み、自身の身長ほどもある大きな「とっておき」を背負って、のっしのっしと登っていく。
彼に続けと、後続の巨人たちも次々と坂にとりつき、全身の筋肉を残さず使い、四肢を泥にめり込ませて進む。
目指すは、この壁のような急勾配の先にかすかに見える白き城だ。
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