第14話 最後の飛翔と別れの時
(動いて!動いてよ!!)
停止した白銀の騎体の中では、マリアがまさしく声にならない声をあげていた。
高圧電流による気絶からは全身を襲う痛みで数秒とかからず回復できたものの、すでに状況は致命的に悪化していた。
瞼をうっすらと開けたとき、一番最初に目に入ったのは二つの砲口だった。視線をさまよわせると、愉悦に入った様子のウラヌスの姿が目に入った。
(ッ!障壁展開!)
一瞬でも早く展開しなければと焦って手を持ち上げようとするものの、腕はぴくりとも動こうとしなかった。
(――え?)
その時、ようやく視界の隅で点滅している表示が目に入った。
『アクチュエーター異常。急速冷却の必要を要す』
(冷却……って言ったって……)
元々、放熱機能など搭載されていないパンドラをどうやって冷却するか――制限時間が迫るなかでマリアは今までの知識を総動員して考える。
(水……は無い。風……も無い。どうしよう……)
障壁を展開できないのであれば、自身の運動能力で攻撃を回避するしかない。しかし、全身の関節から煙を吹いて立ち上がる事もできない現状で、どうすれば避けられるというのだろう。
(せめて、飛び上がることができれば……)
進化によって失ってしまった機能に想いを馳せる。
一度、ジャックと一緒に飛んだ時の何ともいえない解放感は、今も心に残っている。
真っ青な空を、強度を上げた脚部のテストという事で飛んだあの時。
少し角度をつけて上昇を始めたら、周りの鳥たちが何事かと一斉に飛び上がっていったのを、心では悪いと想いながらも目を輝かせて見ていた。
(あの時は、本当に鳥になったような気持ちだったなぁ……)
思わず現実逃避してしまった思考を戻そうと視界のパラメーターを見直す。
と――
(……あれ?)
蓄積熱量の項目が、想ったより下降しているのが目についた。不思議な事態に考え込みつつ眺めている間にも、数値は下がり続けていく。
その答えは、騎体各部をモニタリングする表にあった。
(あ、背部排熱板……こんなのがあったんだ……てっきりなにも無いのかと思ってたのに)
意識を背中に集中させると、たしかに肩胛骨のあたりに熱が集まっているのがわかる。
と、意識を向けたためか、モニタリング画面に新たな項目が追加された。
(排熱板露出率……?)
おそらく、移動や戦闘の邪魔にならないように普段は装甲内部に格納されているのだろう。長い排熱板がちいさく折り畳まれて――そこまで想いいたった時、乾坤一擲の策が閃いた。
(行ける……ッ!)
確信とともに、思わず心中で拳を握る。
この方法なら、少なくとも今の絶体絶命の状況からは脱出できる。そう、彼と一緒に。
(ジャック!ねぇ――)
思いついた案を急いで聞いてもらおうと呼びかけていた心の声を止めて、ふと想いを過去へと飛ばす。
(――うん。そうだよね……いままでさんざん頼ってきたんだもん)
コクピット内部をスキャンして、未だに意識が途切れたままの彼の状態を確認する。命に別状がないことに安堵すると、マリアは意を決して両目を開く。
まだ首は動かせなかったが、どうやらそれは幸運へと働いたようだ。
何かをぶつぶつつぶやき続けていた皇帝には、自分が目覚めた事を察知した様子がなかった。
と、ウラヌスの肩から小さい何かが飛び出した。
(あれは……?)
ふわふわとこちらに向かってくるそれに、小さい砲口が穿たれているのを確認して、いよいよマリアは覚悟をきめた。
(迷ってる時間はない……私が、この人を守るんだ!)
自分の左右に来た砲台二つと、眼前に鎮座するウラヌス――逃げ道を完全にふさがれても、マリアは動じない。ただ、目の前に現れた巨大な砲口を相手に気づかれないように見つめ続ける。
(発射の瞬間なら、左右で浮かぶ砲台も移動はできないはず。発射された弾が騎体に届くまでのコンマ数秒が勝負ね……)
両膝をついた状態から背中の排熱板を展開させ、さらに排熱板をはためかせて飛翔する。
騎体に残留している熱量に関しては、現在も下がり続けている数値を考えると排熱板を展開した時点で行動に支障がない程度には回復するだろう。騎体を強化しているマイクローゼは、活動可能な範囲内の温度であれば自己修復が可能なので、先ほどの雷撃のダメージを引きずる事はない。
さらに、排熱板も折り畳まれて収納されているのだから、おそらく可動部分を持っていると考えて間違いないだろう。飛行に足りない部分は、マイクローゼによる強化を施すか、次元干渉によって解決するしかない。
(――かなりアバウトな、運頼みと言ってもいいくらいの作戦。しかも、一瞬でも機会を逃せば、私の中のジャックが――)
たとえ想像の中であっても見たくなかった惨状が突然浮かび、それを必死で追い払う。
徐々に砲口から赤い粒子が漏れはじめる。さらに、ウラヌスの胸の奥から聞こえてくる回転音が高周波に近い高さの音を放つ。
無人砲台からも赤い光が漏れ出し、さながらパンドラを赤い結界で包み込んでいるような光景が形成される。
作戦の最終確認を終えたマリアは、皇帝に気づかれまいと微動だにせずその時を待った。
目に見えて周囲の赤色が濃さを増し、そして――。
『そろそろか……発射!』
(排熱板展開!)
砲口から放たれた紅の光から一瞬たりとも目をはなさずに背中に力を込めるマリア。
パンドラの背中にある、わずかな出っ張りにすぎなかった一対の板。その薄い板が銀色の輝きを増すとともに勢い良くせり出した。
急上昇する排熱板露出率に反比例するように、蓄積熱量と騎体温度の値が急激に降下していく。
(マイクローゼ・アシスト!)
活動可能になったマイクローゼが素早く破損個所へと集結し、即座に修復を完了させた。
(今だ――飛んで!)
視界を覆い尽くす赤色にも臆する事無く、マリアは天へと手をのばす。かすかにうまれた希望を手繰り寄せるように。
(次元干渉――開始!)
光線を構成する粒子がついに銀色の装甲に触れようかというその刹那、まるで騎体が膨張するように白銀の輝きがあふれ出した。
『ぬぅ!まだ生きていたか!!』
悔しさがありありと分かる皇帝の声が、足元のさらに下へと落ちていく。
何とも言えない開放感を後押しするように、交錯した光線と砲弾による爆風を背中の翼が捉え、さらに騎体を舞い上がらせた。
(や……やった!飛べた!!)
マイクローゼによって強度を増し、形を変えた排熱板を背負ったパンドラ。その姿は、まさに教会の絵の中にだけ存在する天使そのものの姿となっていた。
(どこか、安全な場所は……)
周囲を見回して適当な場所を見つけると、すぐさま急降下。皇帝が次の攻撃を仕掛けてくる前に事を終えなければ危険なのだ。
背後にある客席へと降りる。コロッセオを支える太い柱の裏ならば万が一にも戦火に晒される事はないはずだ。
急いでハッチを開くと、中から彼を慎重に取り出し、ゆっくりと愛用の剣と一緒に柱の根元に横たえる。そして、防寒用のマントをその上からかける。
と、気絶してぐったりとなった彼の寝顔に、突然思い出が蘇ってきた。
いつもは見上げているだけだった彼の横顔を、見下ろす時が来ようとは、思ってもみなかった。歩くときはしっかりと繋いでくれていた手も、もう握る事はできないのだ。ごつごつとした手で優しくなでてもらえた頭ももうない。
(……っ……うっ……くっ……)
こみ上げてくる悲しさも、誰にも聞こえない嗚咽でしかあらわせない。
「うっ……」
と、柱へ背中を預けさせたジャックがうめき声を漏らした。
(!!)
今すぐ、彼にすがりたい。その口から優しい言葉をかけてもらいたい。よくがんばったと褒めて欲しい。
(でも、今は――)
幼心を無理やり押さえ込み、マリアは彼に背中を向けた。決して振り返らない決意と共に。
(じゃあね、ジャック……)
後ろ髪をひかれそうな心を断ち切って、マリア=パンドラは皇帝=ウラヌスと対峙する。
『搭乗者を捨てたか。確かに今のオマエの能力では、搭乗者など不要だろうな』
(違う!捨ててなんかいない!)
腰に手をやり、出現させた白銀の剣を握ると、音にできない声を力の限り張り上げてマリアは叫んだ。
(あの人を守るため、私はあえてあの人を外に出した……ぜったい、二人一緒に帰るために!)
少女の啖呵にこたえるように騎体を覆う銀色はその輝きを増していく。
『ジャックを抜いたのは好都合。マイクローゼを摂取させ、その知識を全試験体に施す事で管制心理の量産化が早まるのだからな』
(そんな事はさせない!)
翼をはためかせて飛び上がるパンドラ。その後ろを離れまいと追従してくる二つの無人砲台。
背後から容赦なく降り注ぐ赤色光線を、翼の微妙な角度調整を使って紙一重で避けつつ、徐々にウラヌスとの距離を詰めていく。
『懐に入り込むつもりか!甘いわ!』
まるで暴風雨のように光線と砲弾を撃ち続けるウラヌス。掠りでもすれば撃墜必至の威力を誇る攻撃を、気流の読みと巧みな動きで切り抜けるパンドラ。その後ろでは、流れ弾がコロッセオの壁面に大穴を穿ち、壁を構成する砂を蒸発させていく。
前進を続けると見せかけて急後退をかける、右斜めに飛び上がると見せかけて姿勢を変えずにそのまま直上に急上昇するなど、無人である事を最大限利用し、物理法則すら超越した機動力は、小回りが利かない無人砲台を圧倒し、すぐさま二つの花火へと変えた。
しかし、その程度は予想していたのか、ウラヌスの砲撃はまったく緩む気配をみせなかった。
美しい白銀の軌跡が、ついに赤銅の巨躯へと肉薄する。
(これでアームも使えない……!)
『甘いわ小娘!』
まさに好機と伸びてくる背部アームを、剣の一振りで切り捨てる。
(さっきの胸を開いて放つ光線は、チャージに時間がかかるみたいだし、これで終わりね)
激昂した反動なのか、やけに冷静で明晰な思考のまま、マリアは構えた剣の切っ先をウラヌスの腹部に突き立てた。
(これが、アナタに弄ばれた人々の怒りよ!)
白刃を煌かせた長剣が装甲を削っていき、ついに皇帝へと刃が届こうかという瞬間――
(――ッ!!)
剣を突き入れる腕が、まるでその場で固定されてしまったかのように動かない。
(……)
いくら力を込めてもピクリとも動かない腕を諦め、もう一方の腕を伸ばす。どちらにしろ、目の前にある装甲を突破すれば全て終わるのだ。
しかし――動かない。
腕どころか、身体全体がまったく動かせなくなっていた。
『フフフ……不思議な事態に混乱している様子が目に浮かぶ。思考が停止する前に、種明かしをしてやろう』
皇帝の言葉が終わるなり、マリアの全身を急加速が襲う。
投げられた、と理解した瞬間、客席の中へと墜落していた。
(痛た……くない?)
装甲への衝撃を管制心理の痛みに変換する機能の故障かと思い、すぐさま飛び上がろうと肩に力を込める。
だが、翼は全く動かないどころか、所々マイクローゼが剥離し始めていた。機能停止したマイクローゼがまるで粉雪のように舞い上がる。
その光景に、今起こっている状況を説明できる一つの視方が閃いた。
(気温が……下がっている?)
『我がウラヌスは、天空を司る神。森羅万象を操るのだ。大地の奥底に眠る溶岩を放ち、岩石を落とし、気象すら掌の上で転がせる。それこそ、室内の温度を操るなど赤子の手を捻るより簡単な事だ。どうかね?金属すら凍てつく冷気は?』
(冷気――ッ!!)
その言葉に、マリアの中で嫌な可能性が浮かび上がってくる。
金属すら凍りつく程の寒さ。ということは、生身の人間には――。
(ジャック!)
湿地に来るにあたって一通りの防寒装備は着こんできた上、防寒用マントもかけたのだから、すぐさま氷像と化すわけではないだろう。
しかし、気絶したままだとすれば危険な状態だ。
『さて……神に弓引く愚か者には、天罰を落とさねばならんな』
嗜虐心が滲み出る皇帝の宣言を合図に、動けないパンドラへの一方的な攻撃が始まった。
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