機械細工職人と機械義手

天崎 剣

1.展示会

 私が機械細工に興味を持ったのは、本当に偶然だった。

 それまで働いていた保険会社を辞め、家でゴロゴロ過ごしていた私の元に、キャシーがチケットを二枚持って飛び込んできたのだ。


「機械細工展示会……なにこれ」


 ソファでタブレットを弄りながら寛いでいたところに聞こえてきた、遠慮のない呼び鈴。一回鳴ればわかるのに、キャシーは何度も連続で、私が鍵を開けるまで呼び鈴を鳴らし続ける。仕方ないなぁと立ち上がり、ドアを開けた途端に渡されたのがそのチケットだった。


「ライザ、あんた暇でしょ? 付き合いなさいよ」


 キャシーはいつだってそう。私の気持ちなんか聞かないうちに、もう決めている。


「……身支度くらいさせてくれる?」


 私は頬を膨らませた。


「良いのよ、着の身着のままで! 別に男性とデートするわけじゃないんだから!」


「そういう意味じゃなくて。人間としての最低限の身嗜みをするから、せめて少し時間が欲しいって言ってるの。あなたは出かけるつもりで来たんだろうけど、私は今日、1日家で寛ごうと思って部屋着だし、メイクだってしてないのに」


「メイクなんてしなくったってライザは十分可愛いわよ。それより、展示会行ったら一緒に夜ご飯もね。素敵な店知ってるから。一人で食べるよりずっと良いでしょ?」


 キャシーの強引さは、子どもの頃から変わらない。

 私は渋々と返事をして、キャシーをリビングで待たせたまま、支度を始めた。


「今まであくせく働いてきて大変だったのはわかるけど、辞めたら引きこもるってのは良くないわ。あなたにはあなたの人生があるんだから、こんな所でグズグズしてるなんてもってのほかよ! 陰鬱にしてたらカビが生えるわ。今日は天気もいいし、良いもの見て幸せになりましょうよ」


 キャシーはいつになくご機嫌だった。

 サッと着替え、メイクをしながら、私はキャシーをチラリと見る。彼女はそれこそデートでもないっていうのに、明らかに男性に媚びを売るようなフェミニンな服装だ。


「本当に、私とキャシーだけで行くの? 男が一緒ってことはない?」


「ないない。けど、会場に行けば素敵なおじさまたちがいらっしゃるかもって噂を聞いてね」


「何それ」


「今日は出品してる機械細工の職人も何人か会場入りしてるんだって。結構渋めのおじさまたちが多いって言うじゃない。いい作品といい男、両方見られるなら良いかもって思って。ちなみにチケットの入手経路聞く? アンから。ほら、彼女美術館で働いてるでしょ? 時々チケットくれるのよね。で、偶に彼氏と行ってたんだけど、ホラ、私ついこの間別れたでしょ? 一人で行くのもなぁって思ってたら、ライザのこと思い出して! あんた仕事辞めてプラプラしてたはずだし、時間はたっぷりあるって思ったから!」


 遠慮も何もあったものじゃない。酷く傷つくわ。

 でも彼女は、そんなことお構いなしに、ベラベラと喋り続けた。


「私の記憶が確かなら、ライザって昔、大学で造形か何か勉強してたでしょ」


「造形じゃなくて、油絵よ」


「でね、興味はあると思ったのよ。美術には詳しいんだろうし。私、こういう展示会のチケット貰っても、毎回雰囲気だけ楽しんで、中身はちんぷんかんぷんだったのよね。デートの良い切っ掛けになってたけど、男がいなくなったんじゃ無用だしね。本当に興味がある人が見るべきだってやっとわかったのよ。私って気が利くと思わない? 閉じこもってる友人を外に出す切っ掛けとして、本人が興味を持ちそうな展示会のチケットを持ってやって来たのよ! さぁライザ! 準備できたら行くわよ!」


 ホントに、キャシーって人は。私の気持ちが早々上向きになることなんてないのに。

 一人で張り切るキャシーに連れ出され、私は初めて、機械細工の展示会へと足を向けた。



 *



 キャシーとは幼馴染みで、彼女は私のことをなんでも知っている。と、本人は思っている。

 私が上手く会社で立ち回れなかったこと、営業成績が悪くて、胃に穴が空くほど悩んでいたことも、チラリと話したことがある。

 けれど彼女はあまりに楽天的で、


「向いてないってわかったなら、さっさと辞めて別の仕事探せばいいじゃない! うじうじしてるだけ時間の無駄よ!」


 私もそういう思考回路なら、多分倒れることはなかったのだと思う。

 酷い胃潰瘍に悩まされて、しばらく会社を休んだ。けど、復帰したところでまた同じ日常が待っている。仕事に戻ったら、また胃に穴が空くだろうと思うと虚しくなった。

 どうにもこうにも、人生って上手く行かない。

 それなりの給料は貰っていたし、休職しても、辞めてしまっても直ぐにお金が尽きることはなかった。けれど、代償として心の中にぽっかりと空いた穴は、途轍もなく大きかった。

 必死の就職活動でやっと手に入れた職だったのに、苦手ながらも死にものぐるいでやっていたはずだったのに。

 やりがいもあった。事故で、病気で入院したとき、手術をしたとき、誰かが亡くなったとか、何かを失ったとか、そんなときに本当に役に立ったって感謝されたことも一度じゃなかったはずなのに。

 なかなか認めて貰えなくて、精神はボロボロだった。

 助けて欲しいと思って伸ばした手を掴んでくれる人も、近くには居ない。キャシーはやたらと絡んできたけれど、それだってどれだけ本当に私のことをわかっていたのかどうか。

 霧の中をただ彷徨さまようだけの日常が辛くて辛くて。


 私がやりたかったことってなんだろう。

 私が目指すべきものはなんだろう。


 そうして仕事を辞め、ぼうっとした日々を送っていた私を、キャシーは展示会に誘ったのだ。



 *



 ショッピングモールの一角に、小さな美術館がある。半月に一度展示内容を変えて、様々な展示をする。常設展示は絵画と彫刻が少し。企画展として、その時々に活躍する若手作家や有名作家の展示会を行っている。

 入り口に企画展の大きなポスターがあった。歯車とバネ、螺子、銅で出来た天使の像。琥珀色に統一されたそれは、バスを幾つか乗り継いで辿り着いた私の中の霧を、少しだけ晴らした。


「レトロでお洒落だと思わない?」


 キャシーは軽くウインク。


「素敵」


 私は、展示を見るよりも先にうっとりとため息を吐いた。


 会場へ入ると、そこはもう、美しさで溢れていた。金属の板や塊と、小さな歯車たちが精密に絡み合っている。

 時計の内部を見るような、オルゴールを分解して覗いているような。パイプオルガンを裏から見ている、もしくは蒸気機関車の機巧をひとつずつ示されているような。

 大小様々な機械細工が、アトリエごとに展示してあるのを、私はキャシーと一緒にひとつずつ見て歩いた。

 美術館慣れしているだけあって、キャシーは会場内に入るとあのうるさい口をピシャッと閉じて、私がじっと細工を見るのに付き合ってくれた。そんなに広くはない会場だったが、展示数は多い。私はそのひとつひとつを、食い入るように見た。

 同じ機械細工とは言っても、アトリエ、職人さんごとに様々な表現方法がある。

 細かい部品を組み合わせてロボットのようなものを作り、ぎこちなく動かしている物もあれば、ガラス玉の中に小さな部品を入れて細かく動くのや、人間の子どもくらいの大きなモニュメントの中に大きな歯車を入れて動かす、東洋のカラクリのようなものもあった。

 自動人形、オートマタと呼ばれるものも多数展示してあり、私はわくわくしながら展示を見て回る。

 私は立体造形はあまり得意ではないのだけれど、見るのは好きだ。不思議と目が癒やされる。

 解説と称して、何人か職人さんが来ていた。自分のところにお客さんが来ると、彼らは嬉しそうに話してくれる。

 熊のような大柄の男性が作っていたのは小さな時計細工。ほんの数ミリの歯車を綺麗に組み合わせて、カチカチと正確に動く時計を美しく装飾している。色にこだわりあるらしく、金属片に吹き付ける塗料の種類や色についても解説してくれた。

 細身の男性が作っていたのは、空想上の動物の細工。ドラゴンやヒュドラ、フェニックスなど、少年心をくすぐる大胆なデザインの細工は、可動部まで精巧に作られていて、子どもでなくても胸躍った。

 機械細工の特徴は、電力を使わないことと、歯車で動かすこと。螺子やゼンマイで動かすのが最低条件。こういうのは、今どき珍しい。電気や電池で動かせば楽ちんなのに、彼らはワザと、そこから外れたものを作るのだ。


 そうしてグルッと回り、最後の幾つかというところまで来たときに、ふと足が止まった。

 解説者のいない小さな展示スペース。いくつかの小さな作品と、一際大きなドーム型の展示品。機械仕掛けの鳥が静かに天から舞い降り、木々を揺らして星に変え、広大な海の上を飛んでまた空に帰って行くというストーリー仕立てのジオラマに、私は釘付けになった。大きさは机の半分ほど。立体的なジオラマに球状のガラスが被せてあって、私は様々角度からその作品を楽しんだ。

 あまりにも興味深く覗き込んでいる私に、キャシーは半分あきれ顔だった。


「本当に好きね。今度は人と絡む仕事じゃなくて、こういうのもいいんじゃない?」


 多分適当にくれただろうアドバイスに、私は、


「うん。そうする」


 ぼんやりと答える。

 海に見立てたガラスが、天井からの光に当たってキラキラと輝いていた。星くず代わりの小さな電球は、まるで私の心を照らす天からの光のようだった。


「クリフォード・J・スミス氏の作品だね」


 そう言ったのは、さっき解説してくれた細身の男性。

 ニッコリと微笑みながら、妙な格好で作品に貼り付く私を興味深そうに見下ろしている。


「機械細工の業界で最近話題の職人さんだよ。田舎に住んでて、都市部には殆ど出てこないから、会ったことのある人間は一握り。僕も会ったことがない。幻の職人なんて言われてるけど、作品見る限り、かなり面白い人物だろうね。こういう繊細な仕事はなかなか出来ないものだよ」


 へぇと私は頷いて、もう一度作品に目をやった。

 無理のない色づけ、全体に広がる哀愁、そして、細やかな作業の跡。そのどれもが美しく、私の心を惹き付けて放さない。


「お気に入りの職人さん、見つかったみたいね。ホラ、パンフレットにアトリエの住所と職人さんの写真載ってる」


 キャシーが言う。

 サッと出されたパンフレッットの該当部分に目をやると、そこにはうれいを帯びた中年男性の横顔があった。バストアップの写真には、アトリエの中だろうか、展示されている品とは違う作品も映り込んでいる。


「素敵なおじさまじゃない! それにしても、職人の方は皆いい男ね。癒やされるわぁ」


 目の前の職人さんにも媚びを売るように、キャシーが言った。


「そりゃ、自分の作品に誇りを持った男はいつだってカッコイイものさ。アトリエ訪問してみるのも面白いかも知れないよ。うちのアトリエにもよく、若い子が来る。興味を持って貰ってなんぼの世界だからね。誰も嫌な顔はしないと思うよ」


 細身の職人さんは、そう言ってニッコリと笑った。



――クリフォード・J・スミス

 2038年生まれ。

 大学卒業後、商社に勤務。退職後、独学で機械細工を学ぶ。

 76年初の個展。

 78年機械細工芸術協会奨励賞。

 83年Nミニッツ紙が選ぶ世界の新鋭芸術家100選。

 美しい作風から“歯車の奇跡”と呼ばれている。

 N州郊外にアトリエを構え、主にアクセサリーなどの製作をメインに活動。

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