9.架電

 雨は次の日も止まなかった。

 午後からは曇りの予報。でも、じっとり感は続いている。

 マクドナルドさんに修理して貰ったお陰か、昨日よりも少し調子の良さそうなクリフォードさんの義手は、今日もギィギィと音を立てていた。ただ、あまり細かい作業をするには調子が向かないらしい。右手は殆ど動かさず、左手だけで出来る作業をと思ってなのか、昨日届いた部品カタログを眺めては注文書を書いている様子だった。

 私はと言うと、昨日途中だった段ボールや床の掃除。少しずつだが床が見えてきた。

 工場こうばの中で唯一綺麗だった事務机は、私が作業するのに使わせていただいているので、後はクリフォードさんの作業机だけがどうにか使える状態なのだ。その他、色んなところに自由に道具が散らばっていたり、部品の在庫が段ボールに入りっぱなしになっていたりと、掃除をした形跡がない。本当に使用頻度が高いものはクリフォードさんの作業机周辺にあるものの、その他のものは要るんだか要らないんだか。

 薄い金属板が何枚も入った段ボールを見つけたときも、


「あれ、そんなところにあったのか。いつの注文だった?」


 クリフォードさんはとぼけたように言うだけだった。


「日付、3年前です。注文した品物が届いたら、ケースに入れておけば良いだけだって、クリフォードさん自身がおっしゃっていたじゃありませんか。要るんですよね?」


 ちょっと口調を強くして注意してしまった。


「腐らないからな。それに、錆びてもいないわけだろう。要る。片付けといて」


 分かりましたと言った後に、カタログの注文書が目に入った。

 そこに今見つけた金属板と同じ型番が記入してあるのを見つけ、慌てて修正して貰う。


「クリフォードさん、また在庫増やすつもりですか? 同量の在庫があるわけですし、ここは削除してください。もしかして、他の部品も……。注文する前に在庫と照らし合わせてみましょう。ジャックはどうせ、クリフォードさんの言いなりなんだろうし、よくこれで経営成り立ってますね」


 辞めたとはいえ、お金に携わる仕事をしていた私にとって、経費というのはとても大切なものだった。健全経営が一番よいのは当然として、税金の申告でもきちんと経理されているか、必要経費は本当に必要なのかなど、精査しなければならない。

 経理担当というのはもしかしたら名ばかりなのかも知れない。どうせ経理をするなら、在庫点検も一緒にやっていればよかったのに。ジャックはなんて適当な仕事を。考えるだけで憤慨してしまう。


「……面倒な子を雇ったかな」


 クリフォードさんは珍しく冗談を言った。


「かなり面倒だと思いますよ、私。出来れば数日中に段ボール全部開けたいんですけど」


「それはそれで、良い風除けだったんだ」


「風を防いでどうするんですか。空気が籠もりますよ。風通しよくしてください」


 雨に弱いクリフォードさんは、少し可愛い。いつもは強面なのに、どこか幼さの残った少年みたいに見える。

 クリフォードさんはカタログを読むのさえ止めて、椅子の背もたれに寄りかかっては私の動きを面白そうに眺めていた。それはそれは、楽しそうに目を細めながら。


「口は達者だ」


「達者というほどではないですけど、結構喋るのは好きです。こうやって身体動かしながら喋るのも、案外好きですよ」


 ビリビリと段ボールを破ると、また金属部品が現れた。今度は大小様々な螺子だった。綺麗にビニールに入れられた、サイズの違う螺子が沢山。これをまた棚の中に直径や長さ順で仕分けて入れていかなければならない。確か、同じような内容の荷物が、最近届いたばかりだ。本当に、何にも考えずに注文しているのだなとため息が出る。

 あまりに大きなため息だったからか、クリフォードさんはとうとう見かねてしまったらしい。重い身体をヨイショと持ち上げ、のっそりと立ち上がり、


「ライザ、ちょっと事務所に行こう。気晴らし」


 作業中の私は手を止めて、渋々クリフォードさんに続いて事務所の中へと入っていった。



 *



「営業、頼むよ」


「え? 営業ですか?」


 クリフォードさんは唐突だった。

 営業の言葉を聞いた途端、私の胸はドキドキと激しく鳴った。

 事務所で書類の整理をしていたジャックも顔を上げ、驚いたようにクリフォードさんを見ている。


「昨日から僕のことを見てて、よく分かっただろう。機械義手は湿気に弱い。シャワーのときは外してるけど、雨の日はそうもいかない。雨が続くと、しばらくは仕事にならない。こういう日が、年に何日かある。そんなときは、作業より事務仕事や売り込みの方に力を入れる」


 クリフォードさんはそう言って、私をジャックの席に座らせ、固定電話と数枚の紙を差し出してきた。紙は納品先リスト。要するに、取引先だ。


「百貨店や美術商にアポを取って売り込みに行く。上手く行けば、高値で買い取って貰える。君の賃金になる」


 さっきとは違って、クリフォードさんは随分なしたり顔だ。

 まさか、ここまで来て営業をさせられるとは思っていなかった私は、慌てふためいて持っていた箒をポンと床に落としてしまう。


「で、でも。苦手で辞めたのに」


「君は、思ってるほど話し下手じゃない。大丈夫。君なら出来る」


 クリフォードさんは、ニッコリと笑い、深く頷いた。


「え……? ええぇ……」


 ショックのあまり床にへたり込む私を、ジャックが声を出して笑う。


「何、そんなに嫌いなの? 喋るの好きなのに?」


「それと営業スキルは全く関係ないですから! それに売り込みって。未だこの業界の右も左も分からないのに」


「――それなら、僕が行くから大丈夫」


 そう言ったのはジャックだった。


「もしライザがアポイントメント取ってくれるなら、そこから先は僕が動くよ。実は電話でのアポ、結構難しくて。そこをクリア出来たなら、あとは僕が実際動いてどうにかするよ」


 ジャックもまた、ニコリ、と。

 確かに、保険会社時代、電話は良くかけた。けど、だからって突然言われても、何をどうすれば良いのやら……。


「マ、マニュアルとか、あるんですか」


「マニュアル?」


 ジャックが目を大きくする。


「マニュアルですよ。架電用のマニュアル。どういう話の流れになれば良いかとか、こういうときはこう切り替えして、みたいなメモ」


「何それ。初めて聞いた」


 ジャックとクリフォードさんは顔を見合わせている。

 あ、そうか。二人とも事務なんだ。私みたいに営業をしてきたわけじゃない。

 困ったな。こんなの、断れない。

 私は渋々机に向かい、大きくため息を吐いてから、手近にあった白い紙に、ペンで字を走らせた。

 二人はその様子を、初めは少し離れて訝しげに見ていたようだった。それでも、私がしばらくペンの動きを止めないので、何をしているのだろう、電話してって頼んだのにと、紙を覗き込んでくる。


「何してるの」


 とジャック。


「手製のマニュアル作ってるんです。見て分かりませんか?」


 と私。

 紙を縦にして、フローチャートを書いていく。こう言われたらこう、こう言われたらこう、という具合に。


「要するに、このアトリエの商品を店に置いて欲しいこと、サンプルを見て欲しいことを伝えれば良いんですよね。最終的には商品を買い付けて貰う。電話口で困らないように、最初にマニュアル作っておけば、話に詰まっても先に進めるじゃないですか。営業架電の基本ですよ」


「なるほど」


 そんなに食い入るように見なくても良いのに、クリフォードさんは特に熱心に紙を覗き込んでくる。


「……慣れてるね、やっぱり」


「やっぱりってなんですか」


「苦手だとか言いながら、きちんと営業が身についてるってことだよ。素晴らしい」


 言われてドキッとした。

 営業は苦手。営業は嫌い。だから辞めたはずなのに。


「は、恥ずかしいからあまり近くで見ないでください。クリフォードさんは部品の注文するんじゃないんですか。ジャックは書類整理してましたよね?」


 私が言うと、二人は何故か楽しそうに微笑んでいた。



 *



 架電は緊張する。

 声だけで全部伝えなくちゃならないから。

 例えば挨拶一つ、例えば発音の一つ。相手に声だけでしっかりと伝える。

 声は高めに、明るく聞こえるように。

 断られても大丈夫。架電は数が勝負。沢山かけまくっているうちに、良いお客さんに当たるはず。

 それは、久しぶりの営業架電だった。

 保険会社を辞めて以来、ずっと必要なかったもの。まさか、こんな所で役に立つなんて思わずにいたのに。

 高鳴る心臓を必死に押さえつけながらだったが、不思議と口が営業トークを覚えている。スルスルと言葉が次から次へと出ては消えていく。それは自分でも驚くほどに。

 隣で仕事をしていたジャックは、一ヶ所終わるごとに手を叩いた。


「素晴らしい。僕よりずっと上手く話が出来てる。凄い。天才的だよ」


 褒めているのか貶しているのか分からない、大げさな仕草で褒め称えてくる。


「からかわないでください。別に、特別なことをしてるわけじゃないんですから」


「いや、そんなことはない」


 と、今度はクリフォードさんまで、そんな私を見てニヤニヤ顔。


「やっぱり君は、出来る人だ」


 外交員のときは言われたこともなかった言葉を、クリフォードさんは平気で言う。


「あれだけスムーズに喋れるなんて、素晴らしいね。断られたのは残念だけれど、それはたまたま相手の都合が悪かっただけのこと。君の話し方なら、OKの返事をくれるところはきっとあるよ」


 断られても、その会話内容を褒めてくれる。


「自信持って良いよ。君の電話が、いずれ僕の作品を世に出していくんだ」


 二人はいちいち嬉しい言葉を放ってきた。

 否が応でも、私の顔は熱を帯びた。



 *



 結局その日は、延々と電話をかけ続けた。途中休憩を挟みながら、何件も何件も電話をかけていく。

 初めて、このアトリエの役に立っている気がした。

 ただの掃除じゃなくて、片付けじゃなくて。

 まだ、まともに機械細工は教えて貰っていないけれど、なんだかとっても嬉しくて嬉しくて。

 保険会社時代だってそんなに沢山架電に時間を割いたりしなかったのに、私はびっくりするほど長い間、集中して電話をかけ続けた。

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