8.機械義手

 昼を過ぎても、未だ雨は降りしきっていた。

 手持ち無沙汰になった私はアトリエの片付けにいそしんだ。

 ずっと気になっていた足元の配線を整理するためにも、まずはあちこちに積まれた段ボールを整理する必要があった。クリフォードさんがアトリエを開いて以来、ジャックも殆ど片付けたことのない様々なものたちは、鬱積し、決して広くはない工場こうばを更に小さくしていた。

 少しは工夫しているらしく、作業机の辺りには手作りの棚や道具置き場があるが、それ以外はどうでも良いとばかりに自由にものが積まれている。配達証の日付の古いものは5年以上前。ラベルも日焼けて、中身も分からない。そんな段ボールが、大小様々積まれている。

 腐るものではないし、もしかしたらクリフォードさん的に絶妙は配置なのかも知れないけれど、私を雇って、一人で作業を続けていくというわけにもいかなくなったのだから、いい加減整理整頓しなければ。

 普段なら作業中邪魔をしないように、指示されたこと以外はなるべくやらないように心がけている私も、この雨で仕事にならないクリフォードさんがいないのをいいことに、少し片付けてみようという気持ちが湧き出てしまっていた。

 こうなると、身体は勝手に動いていく。

 ゴミ袋を用意して、雑巾とバケツを手元に、工場の中を右往左往した。

 堆積した埃は油と混ざってねっとりし、ただ拭き取っても完全には綺麗にならない。洗剤を使いながら、一ヶ所一ヶ所綺麗にしていく必要がある。

 入り口付近、最近追加された荷物の付近から少しずつ掃除を始め、段ボールの山を崩しながら拭き掃除と掃き掃除でバタバタしていたとき、ふと、開け放した入り口が薄暗くなった。

 来訪者だ。


「こんにちは。クリフォード・J・スミス工房へようこそいらっしゃいました。ご用件お伺いします」


 私はようやく慣れたこのフレーズを、咄嗟に口にした。

 と、驚いたのは来訪者の方で、大きなシルエットがぶるんと震えるのが見えた。


「あ、ああ、こんにちは。クリフはいるかい? 修理で来たディーン・マクドナルドだ」


 随分大きな身体をしている。

 右手に大きな鞄。修理道具一式が入っているのだろうか、随分重そうだ。

 年の頃はクリフォードさんと同じくらいだが、太っている分、マクドナルドさんは少し年取って見えた。


「お待ちしてました。事務所の方にいるので、こちらからどうぞ」


 私はアトリエの入り口から出て、隣の展示室を通り、事務所へとマクドナルドさんを案内した。

 ドアをノックして開けると、クリフォードさんは親しげにマクドナルドさんに手を振った。巨体のマクドナルドさんがクリフォードさんの隣に座ると、小さな二人がけのソファはびっくりするほど沈んでぺったんこになった。


「よぅ。相変わらず湿気しけつらしてるなァ、クリフ」


 マクドナルドさんは何の遠慮もなしに、上半身にボタンも止めず上着を羽織っただけのクリフォードさんの背中をバシンバシンと勢いよく叩いた。ちょっとやり過ぎじゃないのと心配するほど勢いがよくて、私は思わず震え上がった。


「湿気た面で悪かったな。そんなことより、義手を見てくれ。お前の義手は決まってこの時期になると動きが鈍る。もうちょっとどうにかならないのか」


 私に話すときよりも、ジャックに話すときよりもざっくばらんなクリフォードさんは初めてだ。

 マクドナルドさんもニコニコと嬉しそう。


「丁度メンテナンスの時期だ。それに、実際ちょいと修理するだけで長持ちするんだからいいだろう。頻繁に買い換えの必要な市販品よりだいぶ長持ちしてる。なぁに、安心しろ。俺が生きてる間はちゃんとメンテナンスしてやるからよ。出張代込みでだいぶ格安でメンテナンスしてるんだぜ。余所で修理してみろ。眼ン玉飛び出るからな」


 悪友と言った理由がなんとなく分かる。もっと若いときは今よりもっともっと仲がよかったんだろうって、直ぐに想像が付く。


「ライザ、案内ありがとう。仕事してたんなら、続きすれば?」


 ジャックに言われてハッとした。

 そう、掃除の途中だった。

 私は慌ててアトリエの方へと戻っていった。



 *



 ほんの少しの会話だったけれど、意外だった。

 あんなクリフォードさんは初めてだ。

 何よりも、目が笑ってた。いつもは死んだような目をしているのに。心の底から笑ったことなんてなかったのに。

 私は機械義手のクリフォードさんを、どこかで人間じゃない、別の何かだと思っていたのだろうか。

 同じ人間なら、同じように笑ったり喜んだり、泣いたり怒ったりするはずなのに、私の前でクリフォードさんはいつも硬くした表情を解そうとしない。

 彼が笑わない理由。それはやはり、死んだ奥さんに似ているという、私のせいなのだろうか。

 ぼんやりと考えながら仕事をしていると、展示室の方から物音がした。

 どうやらメンテナンスが終わったようで、クリフォードさんとマクドナルドさんの軽快な別れの挨拶が聞こえる。

 パタンとドアが閉まって、雨の中、ピチピチ音を立てて歩く音。足音は軽快なリズムを刻んで近づいて、遠くなって――、また近くなって、止まる。

 入り口がまた、人影で薄暗くなる。


「ちょっとお邪魔するよ」


 マクドナルドさんは巨体を揺らしながら、のっそのっそとアトリエの中に入ってきた。荷物を床に置いて、その辺にあった丸椅子を引っ張ってきてドカッと座ると、まるで幼稚園児の椅子に大人が座ったみたいに見えた。


工場こうば、だいぶ綺麗になったようだね。前に来たときと比べて、見違えるようだ。お嬢さんが掃除を?」


「あ……、そうです。ライザと言います。初めまして、マクドナルドさん。ご挨拶が遅れました」


 アトリエの中は日中でも薄暗い。もう少し片付いたら、天井の照明も充実させようと企んでいるのだけれど、一体いつになることか。

 こんな薄暗くて申し訳ないと思う私に構わず、マクドナルドさんはニコニコとあちこちを見回している。


「驚いたな。クリフが女の子を弟子に取るなんて、とうとう頭がイカれたのかと。それに」


「――死んだ奥さんに似てる、ですか?」


 言葉に詰まったようなマクドナルドさんに、間髪入れず、私はストレートな言葉をぶつけた。案の定、マクドナルドさんはつぶらな瞳を大きく開いて、驚いていた。


「し……、知ってたのか」


「つい最近知りました。本人の口から聞いたわけではないですけど。その……、ジャックに聞いたんです。似てるんじゃないかって。似てますか? 写真を見たけど、全然似てないような気がしましたけど」


 私が首を傾げると、マクドナルドさんは目尻を下げて、


「似てるよ」


 と言った。


「生き返ったのかと思った。そのぐらい、似てるんだ」


 そこまで言われると、私はどうしたら良いのか分からなくなる。

 否定したいのに、マクドナルドさんの目は嘘をついていないと分かる真っ直ぐな目。


「そう……、なんですか……」


 私は言いながら、隅にあった椅子を引っ張って、ゆっくりと腰を下ろした。



 *



「マクドナルドさんは、マリアさんのことをよくご存じなんですか?」


 恐る恐る尋ねると、マクドナルドさんはその大きな身体から空気が全部抜けるような、豪快なため息をついた。


「マリアは、小さい頃から可愛かった。俺たちのお姫様さ」


「お姫様?」


 意外なワードに、私は少し驚いた。


「マリアは俺たちより5つ年下だった。まだオムツの取れないような頃からの知り合いだ。活発で物怖じしない子でさ。女の子の少ない地区だったから、やたら俺たちについて回った。妹みたいな存在さ。皆、マリアのことが大好きだった。正義感が強くて、真っ直ぐで、そして優しい。可愛いマリアを誰がものにするのかで喧嘩したこともあった」


 昔話を語るマクドナルドさんは、まるで少年だった頃の風景が目の前に広がっているかのような、うっとりとした顔をしている。


「マリアがクリフと付き合ってるって知ったときの俺の気持ち、分かるかい? この世が終わったかと思うくらい、打ちのめされた。酷いヤツさ。皆が皆、マリアのことを大好きで仕方なかったのに、独り占めしやがった。まぁ、今と違ってあの頃のクリフはイケメンの秀才だった。悔しいが、いい男だった。他の誰に奪われても納得出来ないが、クリフなら仕方ないと思わせるくらい、二人はお似合いだった。結婚して子どもが出来たと知ったときも、畜生、あのマリアと寝たのかと皆でののしった。子どもはマリア似だった。綺麗な金髪の坊主で。俺のことも『ディーンおじさん』と呼んで懐いていた。あの頃はよかった。クリフと結婚して、最高に幸せそうだった。俺も、仲間たちも、マリアはクリフを選んで正解だったと信じていた」


 そこまで言って、マクドナルドさんは、開けっぱなしのドアから外を眺めた。

 まだ、雨が降っていた。

 徐々に日が傾く時間が近づき、心なしか薄暗くなってきていた。


「ライザちゃんは、もし突然、空から飛行機が落っこちてきたらどうする?」


 マクドナルドさんは、唐突に話を変えた。


「例えば、橋を渡っている途中、急に橋桁が落っこちたら? 突然の地震でビルが倒れてきたら?」


 質問の趣旨が分からない。

 私は、


「どうにもできません」


 と、首を横に振る。


「そうだろう。突然の災害は、自分の意思でどうにか出来るものじゃない。だから、クリフは自分を追い詰めるべきじゃないって、俺は何度も言ったんだ。あの日、キャンプに行こうと張り切って準備していたクリフが悪いわけじゃない。シートベルトもしてた。チャイルドシートにもしっかり乗せてた。可愛い奥さんと子どもの命を預かって、安全運転していたわけだ。キャンプ場までの道を軽快に走っていた。数日前まで悪かった天気もすっかりよくなって、キャンプ日和だと喜んでいたそうだ。バーベキューの準備も、テントの準備も万端。夜には一緒に星空を見ようと、星座表まで持ってってたらしい。狭い道を通っていたときにそれは起きた。突然の土砂崩れだ。そこに運悪く、クリフの車が通りかかった。ハンドルを切ったが間に合わなかったらしい。気が付くと、助手席と後部座席が潰れていた。車の天井がひしゃげて、クリフの右腕も巻き込まれた。身動きが取れなかったそうだ。圧死だ。即死だったそうだよ。鉄の塊の中で苦しむ間もなく逝ってしまった。目の前で。それをまだ、クリフは悔いてる」


 マクドナルドさんの目は、潤んでいた。

 淡々と話す彼の言葉のひとつひとつが重く、私の胸に刺さった。

 言葉が出ない。


「今時機械義手を付けているなんて、変なヤツだと思わなかったかい? ありゃぁね、贖罪しょくざいだ。鉄の腕を見る度に、鉄屑に成り果てた車の中で押し潰されて死んでいった妻と子どもを思い出すように。自分が守れなかった命を、思い出すようにってさ。勿論、俺だって普通の義手を勧めた。『機械義手なんて、特殊な仕事に就いてるヤツが必要に迫られて使うもんだ』ってな。そしたら急に仕事も辞めて、機械細工の職人になるなんてほざきやがる。『職人になるから、必要に迫られた。機械義手を寄越せ』なんて言ってな。正直、狂ったのかと思ったよ」


 マクドナルドさんの険しい顔。

 事務所に通じる裏口の方から、ふいに足音が聞こえ出す。


「救いを、求めてるんじゃないかな。クリフは」


 誰かが来る。

 ジャックか、クリフォードさんか。

 私はチラチラと目線を裏口に向けた。

 マクドナルドさんは気付かず話し続ける。


「もし、可能なら支えてやってくれないか。あの自暴自棄なクソ野郎でも、親友なんだ。助けてやって欲しい。こんなこと、初対面のライザちゃんに話すことじゃないと分かってる。けど、やっぱり顔を見たらマリアのことを思い出して、どうしても話しておかなければって」


 ガチャリと裏口の扉が開いた。

 外の薄明るい日が差し込んだ。


「未だ帰ってなかったのか、ディーン」


 クリフォードさんだ。

 マクドナルドさんは慌てて話をやめ、そそくさ立って荷物を持ち上げた。


「いや、悪い悪い。あんまり可愛いお弟子さんで、つい話し込んじまった。じゃ、ライザちゃん、また。度々お邪魔するから。クリフもそんな景気の悪そうな顔してないで、偶にはニッコリ笑ってみたらどうだ」


「お前に言われたくはないな」


 半ば追い出されるような形で、マクドナルドさんは帰って行く。

 クリフォードさんはなんとなく、ご機嫌斜めそうに見えた。

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