6.家族
「聞かなきゃよかった?」
その日の帰り際、すっかり薄暗くなった頃。アトリエから出たところで、ジャックに呼び止められた。
私は随分と酷い顔だったのだと思う。
午後からの仕事はあまり手が付かなくて、気が付くとぼうっとしてしまっていた。
保険の外交員をしていたとき、やはり事故で半身不随の方や寝たきりになってしまった方、手足を失ってしまった方などに直接お会いして請求手続きをしていただいたことがあった。声のかけ方が分からず、先輩には『淡々とやれば良いのよ』と言われ、とても居心地が悪かった覚えがある。
こんな言い方をしたら失礼だけれど、あくまでお客様はお客様であって、私の身近な人ではなかった。どんなに親しくされても、所詮赤の他人であって、私は単に手続きでお邪魔しただけ、相手は私が担当になっただけという関係から先には進まないのだと思っていたのだ。
実際、命に関わる仕事だった。
生まれれば保険を勧めた。何かしら人生の節目には、必ずお客様に会った商品を勧める。それが仕事だった。
誰かが傷ついたとき、倒れたときも保険は大活躍した。今まで払った分、やっとお返し出来るわけだし、お客様もそのために支払っていたのだし、それはもう、暗闇に光を刺すような仕事だとは思った。
けれどそれは、あくまで仕事で。
実際その保険金を受け取り、傷ついたまま生きる選択をした人が直ぐそこで働いていると思うと、どう接したら良いのか急に分からなくなってしまった。
死亡保険金というのは、特に切ない代物だ。天寿を全うして受け取っていただくならまた別かも知れないけど、未だこれから先、明るい未来が待っていたはずの人間が急に命を絶たれたときに払われるお金。クリフォードさんがそれをどのような気持ちで受け取ったのかと考えると、胸が締め付けられていく。
――『君を雇ったのは、君が保険の外交員をしてたって聞いたから』
馬鹿だ。
私は自分の熱意が伝わって、彼に受け入れて貰えたのだとばかり思っていた。
つまり、私が保険の外交員をしていなかったら、きっと彼は私を門前払いしたということだ。
私という人柄とか、私という人間とか、そういうのよりも先に、『保険の外交員』をしていたからという理由で私を選んだわけだ。
知らず知らずのうちに沢山涙を流してしまっていたのかも。目がヒリヒリして、上手く開かない。その腫れぼったい目を見て、ジャックは大げさにため息を吐いた。
「案外、ドライな性格なわけだよ、クリフって人は。本当に酷いよね。君の気持ち、完全に踏みにじってたんじゃないかな」
「そんにゃこと、ありまひぇん……」
しゃくり上げてまともに喋れない私を、ジャックは笑った。
「一旦、気持ち落ち着けてから帰ったらどう? それじゃ道中ずっと笑われものだよ」
彼はそう言って、私をアトリエ奥の事務室へと案内した。
*
温い珈琲が一杯、目の前に差し出された。
お礼を言って、グビグビと飲んだ。けれど、涙は次から次へと溢れてきて、どうやって止めたらいいのか私には分からなくなってしまっていた。
ジャックはティッシュボックスとゴミ箱も一緒に私の側に置いてくれて、それから直ぐに事務室から出て行った。
どうやら一人にしてくれたらしい。
そう思うと、また涙が溢れてきて、私は声を上げてわんわん泣いた。
三十分ほど経って、いい加減涙が乾いてくると、測ったようにジャックが事務室に戻ってきて、
「落ち着いた?」
と一言。
「はい。酷いところをお見せしてしまいました。ありがとうございました」
私は呆けたようになって、ただグッタリと、礼だけ述べた。
ジャックは私の座っていた椅子の側に自分の事務椅子を引っ張ってきて、そこに腰掛け、ふぅとひとつ、ため息を吐いた。
「彼に他意はないんだと思うよ。そこは、わかってあげて」
そう言われると、また涙が出そうになる。
だけど、泣きすぎてもう、涙も出ない。
「ジャックも、クリフォードさんの家族のことを?」
聞くと、彼はニコリと笑った。
「勿論。何度もお会いした。ホラ、言ったろ。プライベートで何度もお邪魔した。子どもがまた、可愛くてさ。彼と違って、金髪の。奥さんに似たんだ。奥さんも金髪だった。目がくりくりしてて、童顔で、小柄で。丁度、君みたいな――……」
そこまで言って、ジャックは動きを止めた。
アッと声を上げて、私からゆっくり目を逸らした。
「そうか、誰かに似てると思ったら。しまった……、全然気付かなかった。もう十年以上経つんだもん、おぼろげにしか。あぁ……、そうか。そうだったんだ。しまったなぁ。もっと早く気が付いていれば」
パシンパシンと左手の平に右手の拳を当てて、一人でブツブツ言い出すジャック。そのセリフが、どう考えても不審すぎて。
私はそっと席を立ち、彼の真ん前へと移動して顔を覗き込んだ。
「つまり私が、クリフォードさんの死んだ奥さんに似てるってことですか?」
言うとジャックは、
「ヒャッ!」
とお化けでも見たかのような声を出して飛び上がった。
「いや、あの、その」
誤魔化そうとしていたが、明らかに顔が引きつっている。
「そういうことなんですね。私、似てるんですね。彼の奥さんに。それもあって、私のことを弟子に取った。けど、クリフォードさんは絶対にそれを口にしない。それに気が付いて、ジャックは今慌てたってことなんですね。よく分かりました」
「え? いや、そうじゃなくて。困ったな」
外はすっかり暗くなってしまっていた。事務室の窓は鏡のように、明るい室内をそのまま映しだしている。
私が見える。
お洒落に殆ど気を遣わないような、作業で汚れても言い様に作業用のズボンと、よれたシャツを着て、肩までの髪をひとつに纏めている私。日焼け止めと保湿クリームだけは塗っているけれど、化粧はここに来てからしなくなった。直ぐに汚れるから、しても無駄だもの。
キャシーが見たら、きっとダメ出しされる。女はいつでも綺麗にしてなくちゃダメ、いつ他人に見られても一番素敵な自分を見せつけるくらいじゃないとダメって。
こんな私が、死んだ彼の奥さんに似てる?
まさか。
「もし、からかってるなら止めてくださいね。そういうの、趣味悪いです」
思いっ切り、言ってしまった。
本当かどうかも分からないのに。
ジャックは困ったなと頭を掻いて、机の隅に置きっぱなしのタブレットをたぐり寄せた。画面を操作し、何かを探している。
「からかってるわけじゃなくて。ホントに。……あった」
彼は私にタブレットの画面を見るよう、差し出してきた。
私はふぅと息を吐いて、タブレットを受け取った。
若い、クリフォードさんの写真だった。
見たことのない、屈託のない笑顔で笑っている。
彼が抱きかかえているのは、息子さんだろうか。笑顔が一緒だ。違うのは髪の毛の色。彼の髪は黒いけれど、子どもは金髪で。
そして、隣に写る、小柄な女性が彼の――。
「マリア・スミスさん。クリフの奥さん。予告なしに遊びに行っても、気さくに応じてくれて。引っ込み思案だったクリフを無理やり引っ張ってくような、豪快な人でさ。息子のルイス君も、何度も遊びに行く僕に凄く懐いてくれた。可愛かったよ。凄く賢い子で、将来は学者さんになるだって、未だ小さいのに沢山本を読む子だった。事故さえなければ、今頃大学生かな。とても素敵な家族だった」
マリアさんの顔は小さくてよく見えない。拡大しても、画素が荒くてはっきりと顔が見えるとは言いづらかった。
「似てますか?」
「似てる。あ、ちょっと待って。別の写真もある」
再びタブレットを操作し、今度はと差し出したのは、クリフォードさんとマリアさんのツーショット。頬を寄せ合った、自撮りの写真だ。
満面の笑みで、見てるこっちまで恥ずかしくなる。
確かに金髪だし、目の色も似てる。けど、雰囲気も顔の作りも全然違うように見えてしまう。
「実はさ、クリフってば、写真、殆ど残してないんだよ。見ると辛くなるからって、殆ど削除しちゃって。これは僕がファイルに鍵かけて取ってるヤツだから、偶々残ってたけど。鼻のあたりとか、ニッコリ笑ったときのえくぼとか。似てるでしょ?」
じっと見る。
けれど、自分の顔は自分が一番よく知っているからか、他人にしか見えない。
身体的特徴は、確かに似ているかも知れないけれど、やっぱり、私は私、マリアさんはマリアさんだ。
「……何を、求めたんですかね」
私はボソッと呟いた。
「何をって?」
ジャックが首を傾げる。
「私を見たとき、クリフォードさんは私の中に何を求めたんでしょう。『保険の外交員だったから』と言っておいて、その実、私は死んだ奥さんとどこか似ていたわけでしょう。安らぎ? 平穏? でも、私には何も伝わらなかった。クリフォードさんは頑なに自分の殻に閉じこもっていて、本当のことは何も言わないんです。……仕事のことは別ですけど」
そこまで言うと、なるほどとジャックも頷き始め、
「確かにね。ここんところ、おかしいからね。年を取ったってのもあるとは思うんだ。前よりももっと、自分を追い込むようになったというか、気難しくなったというか」
鼻から噴き出した息は、空中に弧を描きそうなくらい勢いよかった。
ジャックにもどうやら思うことがあるらしい。長い間、一緒にいたんだもの。
「ところでジャックはどうしてここに? 前の仕事を辞めてまで、クリフォードさんと働く理由は?」
椅子に座り直し、ジャックを見る。
口を尖らせて少し考えた素振りをし、彼はタブレットから手を離して何度か頭を掻いた。
「放っておけなかった」
「クリフォードさんのことを?」
「そう。今にも命を絶ちそうで。彼に必要なのは、誰かが一緒にいてやることだと思った。病院のベッドの上で彼は廃人のようだった。大切なものを一度に失うってのは、どれほど辛いことか、想像がつかなかった。彼は、仕事が出来たし、面倒見もよかったからね。あれほど表情豊かだった彼が、面を被ったみたいにニコリともしなくなった。ゾッとしたよ。退院後も介護は必要だろうからと、仕事休んで手伝いに行った。飯を食べることすら拒否し始めたとき、この人は死のうとしているのかも知れないと思った。怖かったんだ。自分の身近な人間が絶望してるってことが。仕事を辞めてもしばらく生きていけるだけの蓄えはあったし、いっそのこと仕事なんて辞めてしまって、彼を助けたいと思ったんだよ。そうしないと、僕自身、後悔しそうだったら」
――目に、浮かぶ。
苦しんで苦しんで、自分を追い込んでいったクリフォードさんの姿が。
彼が立っていられるのは、きっとジャックがずっと寄り添ってきたからなのだろう。それほど彼を尊敬し、信頼していた。クリフォードさんの日常を知っていたジャックは、彼を放っておくことは出来なかったのだ。
「ありがとうございます」
私の口から、知らず知らずに出た言葉。
ジャックは驚いて、目をぱちくりさせた。
「クリフォードさんの側にいてくれて、ありがとうございます」
そう、ジャックがいなければ、この話を聞かなければ、私はクリフォード・J・スミスという人を誤解したまま、ここを飛び出していたかも知れなかったのだから。
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