5.過去

 工場こうばの外、日当たりの良い庭の一角にコンテナを数個置き、椅子とテーブル代わりにしてランチするのが、私たちの日課だった。

 ジャックが纏めて頼んでくれるトマト印デリバリーのランチは日替わりで、サンドイッチ、ピザ、パスタ、サラダやスープ、いろんなものがバランスよく届くのがお気に入り。味もすこぶるよくて、対応も親切丁寧。単身世帯やオフィスでも大人気とあって、手抜きがないのも嬉しい。

 元々一人暮らしの男性が二人でやっていたアトリエで、わざわざランチのために外に赴くのも面倒だと、ずっとこのスタイルらしい。

 飲み物だけは各自持参。私はいつもお気に入りの紅茶のペットボトル、クリフォードさんはブラック珈琲、ジャックはいつもコーラだ。

 アトリエに来て半月ほど経った頃だったろうか。


「ライザはどうして、突然僕の弟子になろうと?」


 お昼休憩のときだった。

 サンドイッチを頬張りながら、私は遂にこの質問が来たかと、気が気ではなかった。

 木々の揺らめきを耳で感じ、口の中を空っぽにしてから、ゆっくりと深呼吸する。

 目を開くと、クリフォードさんの優しい顔がそこにあった。ジャックも興味津々に私を見ている。


「……特に深い理由はないんですけど、仕事を辞めて暇を持て余していたところに、友人が機械細工展示会のチケットを持ってきて。クリフォードさんの作品を初めて見ました。それで、……とりこに」


「前職は保険の外交員さんだっけ?」


 とジャック。

 私はこくりとうなずいて、ため息を吐いた。


「ええ。気を遣いすぎて、身体を壊しました。それで、辞めたんです」


 神妙な私の表情に、二人の顔が曇るのがよく分かった。


「保険の外交員さんて、めちゃくちゃ大変な仕事だよね。もしかして、営業得意だった?」


 コーラ片手にニコリとするジャック。

 クリフォードさんは、難しい顔して、コーヒーカップに目を落としている。


「せっかくだから、話聞きたいな。僕ら二人、あまり人と接するの得意じゃなくてさ。ね、クリフ」


 何故かしらジャックは、クリフォードさんに同意を求めた。けれど、クリフォードさんはやっぱり銅像のように固まったまま、反応してくれない。


「や、やめませんか、こんな話。過去のことだし、聞いててもつまらないし」


 私は眉をしかめて、首を横に振った。

 それでもジャックはニコリと笑う。


「いや、異業種の話は面白いものだよ。ランチのお供に、聞かせてよ」


 そこまで言われると仕方がない。

 私は食べかけのサンドイッチをランチボックスに置いて、渋々と語り始めた。


「保険の外交員って言っても、仕事は多岐にわたっていて、募集は勿論、各種請求やアフターフォローまでなんでもこなさなければならないんです。言わば、営業店がそのまま移動してるって思っていただければわかりやすいかと思うんですけど。電話をかけてアポイントを取って、お邪魔することもありますし、虱潰しに一軒ごと訪ねて歩いたり、チラシを投函してみたり。とにかく、忙しい仕事でした」


 木陰の下、コンテナに深く座った二人は、頷きながら私の話を聞いている。

 なんだかとても照れくさい。


「勧めても入ってくれる人はほんの一握りなので、とにかく沢山お話ししなくちゃならなくて。でも、そうやって入ってくださった方に、『あなたが勧めてくれたから、入院のときにとても助かったわ』とか『主人が亡くなるまで、保険なんてかけてても仕方ないと思ってたけど、そんなことなかった、ありがとう』とか、感謝の言葉をかけられると嬉しくて、私は保険を売ろう、皆に幸せになって貰おうと、必死だったんです。最初は手続きだけだったのに、だんだん信頼が深まっていくと、まるで昔からの知り合いだったみたいになっていくのも面白かったですね。私の何倍も生きているおばあちゃんに、友人みたいに接して貰ったこともありますし、とある夫婦からは親切にしていただいて、私の身の回りにまで気をかけて貰ったこともありました。……私、あまり親とは上手く行っていなくて。大学に進んだとき、家を出たっきり、殆ど帰ってなかったんですよ。そういうこともあって、私のこと、皆心配してくれました」


 二人から、ため息が漏れた。『あまり親とは』のあたりだ。


「私、本当は美術の道に進みたかったんですけど、親は大反対で。そんなことよりも働いて身を固めた方が良いと。多分、親なりに私のことを心配していたんです。でも、夢を諦めたくなくて。夢は叶うはずって思ったんです。だけど、結局就職口も見つからない、自分の絵は認めて貰えない、気が付いたら安定した仕事に――、保険の外交員になっていました。ホント、皮肉ですよね。だったら最初から、夢なんか見ずに現実を見てればよかったのに」


 フフッと私は力なく肩で笑って、それから一口、紅茶を飲んだ。


「でも、辞めた」


 と、ジャック。


「はい」


 と、私。


「外交員は、私には合わなかったからだと思います。営業職なんて、人と話すのも苦手なのに選ぶんじゃなかったって思ってからは地獄でした。――数字に追われて、頭がおかしくなりそうでした。私、請求とか事務とか、そっちの方ばかり得意で、話し下手なのもあって募集は上手く出来なかったんですよね。お客様から信頼は得られても、あと一押しというのが分からなくて。こなさなければならない数字がどんどん雪だるま式に増えていって、いつの間にか巨大な数字に……いつも、なってしまうんです。下から数えた方が早い営業成績について、上司や同僚からネチネチ言われることが増えてくると、私ってなんのために仕事してるんだろうって、思い始めるじゃないですか。好きだったはずの仕事にどんどんやりがいを感じなくなってきて、ただ日々を過ごすようになってきたら、もう、ダメってサインなんです。精神が本当にやられてしまう前に辞めてしまえと思い切ったのは良いのですが、そこから先、どうしても何もやる気が起きなくて。1年ほどブラブラしてました。クリフォードさんの作品を見たのは、ほんの偶然です。不甲斐ない私を見かねて友人が無理やり展示会に連れて行ってくれなかったら、きっと今も部屋で引きこもってました」


 自分の弱さを出すのはとても勇気がいる。

 私は目を泳がせて、必死にクリフォードさんとジャックの視線から逃れようとしていた。


「身体は? もういいの?」


 クリフォードさんの優しい声。


「はい。だいぶ回復しました。お医者さんにはもう少しで手術が必要だったと言われて焦りましたけど。無理をしたらいけませんね。クリフォードさんはどうして機械細工を?」


「ん? 僕かい? そうだなぁ。僕は……」


 話を振られた途端、クリフォードさんは黙りこくった。

 まくり上げた袖の下から覗く機械義手の右手を何度も握ったり開いたり。

 今度は私の方からクリフォードさんが視線を逸らして、とても落ち着かない様子。


「その話は……、今は止めた方が良いんじゃない?」


 ジャックが隣でクリフォードさんの顔色を覗っている。

 休憩時間はとっくに過ぎて、いつもなら作業を始めている時間だった。

 時計をチラチラと見るジャックに、クリフォードさんは首を振って、


「いいや、今話す」


 何か思い詰めたような顔をした。

 ジャックはそんなクリフォードさんを見かねたのか、大げさなくらい大きくため息を吐いて、すっくと立ち上がった。


「ま、黙っててもいずれ、どこからか聞こえてくる話だろうし、僕は止めないけど。ごちそうさま。先に戻ってるから。片付けだけ、頼んだよ。悪いけど、湿っぽい現場に付き合うのはゴメンだ」


「えっ?」


 顔を上げると、ジャックは自分の食べたランチの空とコーラのペットボトルを持って、さっさと展示室の方へ向かっていた。

 酷い、二人きりにして!

 思ったところで、私にその場を立ち去る権利はない。

 クリフォードさんは私を見ていた。私のことをじっと見据えて、私が聞く姿勢になるのを今か今かと待っている。

 私はコンテナにきちんと座り直して、もう一度口に紅茶を含んだ。そうしないと、とても話を聞いていられないような気がしていた。

 クリフォードさんも、珈琲を飲んだ。もう、カップの中は空だった。


「事故」


 唐突に発せられた一言に、私は直ぐに反応出来なかった。

 

「多額の保険金が手に入ったんだ。妻の分と、息子の分と、それから僕の右腕の分。僕一人が暮らして行くには十分すぎるお金が入ったから、仕事は辞めた。こう見えて事務員だったんだ。夏休みの家族旅行で事故に巻き込まれて。僕だけが助かった」


 背中にゾクゾクと何かが走っていくのを感じた。

 彼は私を直視しているのに、私は彼を直視出来ない。

 午後の熱いはずの日差しが、急に冷たく感じられて、柔らかく吹く風さえ、凍てつく氷の刃になって、私の肌を突いた。

 私は咄嗟に顔を手で覆った。


「……ご、ごめんなさい。私、そんなこと何も知らなくて」


 言ったところでもう遅い。

 ジャックが止めたのは、こういうことだったからだ。


「義手ってことで、なんとなく察してはいたんじゃないかな。僕は事故で腕を失った。家族も。そして、仕事も。虚しさで何もすることが出来なくて、しばらくは廃人同然だった」


 クリフォードさんは目を潤ませて、静かに笑っている。その悲しそうな笑顔が、また、私の胸を突く。


「長い夏休みに、学校に入ったばかりの息子と妻と三人で、キャンプに出かける予定だった。運が悪かったのさ。保険会社には本当にお世話になった。どこかで恩返しをしなくちゃいけないくらいにね。君を雇ったのは、君が保険の外交員をしてたって聞いたから。これはきっと運命なんだと僕は思った。だって普通、保険の外交員をしてた人間が、機械細工の職人になろうとは思わないだろう?」


 クリフォードさんはまた、ハハハと力なく笑う。

 私は笑うことも、目を逸らすことも出来なくて、ただじっと彼を見つめるだけ。

 おもむろに、クリフォードさんは右手をグイッと前に突きだした。私の真ん前で手のひらを握ったり開いたり、捻ったり。まるでよく見てくれとばかりに、ぎゅいんぎゅいんと動かしている。


「この義手は、友人が安価で付けてくれたんだ。利き手がなければ何も出来ないだろうって。初めはね、こんな機械義手じゃなくて、人工皮膚の付いた最新型が良いって言われたんだけど、僕はそれを断った。それでも機械義手のままじゃ困ることもあるだろうからって、結局人工皮膚の義手も一緒によこされてね。そっちは本当に、よそ行きというか。どうしても人前に出る必要のあるときだけ付けてる。普段はこっちの機械義手。僕は、全てを失った戒めに、機械義手でいるべきだと今でも思ってるんだ」


 私の目の前で、義手が握手して、の形のまま止まった。

 初めの日、握手をしようと差し出された手を、私は未だ握ったことがなかった。

 恐る恐る、私は両手でその義手にそっと触れた。

 ――冷たい。金属の塊。沢山の部品で構成された、ロボットのような手。

 以前、百貨店で、コンシェルジュロボに触れたことがあった。人型で、顔のまっさらなロボットだったけれど、最近のロボは見た目にも美しく作られていて、人工物だと分かっていても一定の親しみやすさというものがあった。少し前、まだまだロボットが一般的じゃなかった時代には、彼の機械義手のような可動部剥き出しのロボットも多く存在したようだけれど、今は稀だ。


「右腕のリハビリのつもりで好きな機械いじりを始めた。最初はフォークも握れなかった手が、徐々に身体に馴染んでいってさ。失った右腕の感覚を、脳は覚えてるんだ。自分の腕がそこにあったときと同じように動かせるようになれば、あとは年に数回のメンテナンスで自由の身。今では何の違和感もない」


 機械義手をまじまじと触る私に、クリフォードさんは目を細めた。

 けれど、その後私の顔を見て、また表情を曇らせる。


「……ゴメン。余計なこと、喋ったかな」


「い、いえ。余計なことじゃ。寧ろ、とても大切なことです」


 私は彼からそっと手を離し、下を向いて、ランチを続ける。

 顔を上げると涙が頬を伝っていきそうで、私は彼の顔を見ることが出来なかった。

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