4.禁欲主義
「初めまして。僕はジャック・スペンサー。クリフォード・J・スミス工房で、経理を担当してる。お会い出来て嬉しいよ、ミス・グリーン」
スペンサー氏は、スミス氏とはまるで正反対の人物だった。
電話で何回か連絡を取り合い、アトリエの近くに越した私は、本格的にスミス氏の働きながら機械細工を勉強することになった。細かい段取りを全部スマートにこなしてくれたスペンサー氏、落ち着いた声だし、やっぱりスミス氏と同じ年頃なのだろうかと思っていたら、想像よりもずっと若くて、私は心底驚いた。
30代半ば、シャキッとしたシャツ、アイロンのしっかり掛かったスラックス。なんとも精悍で爽やかな男性だった。青い瞳がとってもチャーミング。ニコッと笑うと、目がなくなるタイプだ。
「こちらこそ、お会い出来て光栄です、スペンサーさん。私のことはライザと。私もジャックとお呼びしてよろしいですか?」
「勿論。クリフも凄く、君のことを気に入ってた」
クリフ、というのがスミス氏の愛称らしい。
ジャックはアトリエの奥に籠もって作業をしているスミス氏を、親指でツンツンと指さした。
アトリエの中に入り、ひとつだけ片付いている机に椅子を寄せて二人で座る。ジャックがこれからのことを説明してくれるらしい。
「……にしても、よくクリフの首を縦に振らせたね。今までだって、いろんな人が何度も尋ねては『弟子に』『勉強を』って訪れたのに、全部断ってた。君はこの間、初めて来たんだろう。それなのに、クリフは直ぐに弟子にして良いと言った。しかも、機械細工の経験は皆無なのに。――可愛いから?」
首を傾げておどけたように言うジャックに、遠くからスミス氏の怒号が飛ぶ。
「そういう単純なアレじゃない! ジャック、君はそういう女たらしな口をどうにかした方がいいと思うぞ」
どうやらジャックはスミス氏にワザと聞こえるようにいっていたらしかった。
ジャックはペロンと私にだけ見えるように舌を出して、ウインクした。
「ま、それはともかく。保険の外交員さん? だったっけ。その経験をどうにか活かして、クリフのご機嫌を取りながら仕事頑張ってね。僕は経理や外部折衝のみで、展示室奥の事務所から殆どこっちに来ることはない。見ての通り、アトリエの中はクリフがやりたい放題散らかして、足の踏み場もないくらいだ。最初は整理整頓。届いた部品の仕分けや注文のあった商品の発送を手伝って貰う。それから少しずつ、様子を見てクリフが指示を出してくれるそうだから。僕もクリフも、慣れないことが沢山あると思うけど、なにか気になることがあったら、遠慮なく言って」
「わかりました。これからどうぞ、よろしくお願いしますね」
*
お喋りなジャックがいなくなると、ますますそれは緩やかになっていった。
それに、スミス氏は黙々と組み立て作業をしていたため、私は彼に近づくことも許されなかったのだ。
「初日はどこに何があるか確認して。こまごまとしたものも多いから。足元には気を付けるように」
スミス氏は言葉少なにそう言っただけで、あとは自分の仕事に没頭している。
薄暗いアトリエの中で、彼の手元だけが白く切り取られたかのようにライトで照らされていた。黙々と作業するその背中は、まるで重いものを担いで必死に立っているようにさえ見えた。
*
彼は生きる時間の殆どを機械細工に注いでいた。
細工のデザインを起こし、設計図を引く。
ある日は延々と設計図を引くばかりで終わり、ある日は歯車の噛み合わせのチェックだけで終わる。
その時々に私を呼んで、この場合こうしたらこうなるだとか、この角度で噛み合わせるとこの動きになるからだとか、そういうことを嬉しそうに語る。
「クリフォードさん、本当は人に教えるの上手ですよね」
スミス氏は、私にファーストネームで呼ぶことを許した。けど、ジャックのように彼を愛称で呼ぶのはなんだか恐れ多くて、私は常に“クリフォードさん”と彼を呼んだ。
「“さん”付けは止めてくれ。で……、ここなんだけど、歯車一枚分、横にずらす。すると、この機構はこっちの部品と噛み合うから、これが手前に回転して……、わかる?」
「はい、わかります」
目は悪くないのだが、この工房に来てから、専用のルーペを買った。眼鏡のように耳にかけて使えるもの。一番小さな部品は、3ミリほどしかない。床に転げたが最後、きっともう、見つけることも出来なくなる。
「クリフォードさんは今日もデリバリーですか? どこのピザがオススメとか、ありますか?」
夕方になってきて、何の気なしに夜ご飯の話題を振る。
クリフォードさんは無言で、私を無視しているのか、黙々と作業を続けている。
「明日は休日ですけど、クリフォードさんは何します?」
質問を変えても、彼は何も答えない。
返事のない質問ほど、面白くないものはない。私は椅子から立ち上がって、その日広げた部品を棚に戻し、ゴミを纏めた。彼は相変わらず、何も聞いていなかったかのように作業を続けている。
ふいに、大きく深いため息が聞こえた。
今日の作業が終わったらしい。肩を回してカチコチになった上半身を解しながら、クリフォードさんが立ち上がった。
「ピザは、ドリームピザのミックスが美味い。格別だ。家に帰ったら多分、頼むだろう。それから、休日は家で死んだように眠っているか、死んだようにテレビを流しっぱなしにしてるか、どちらかだな。……君は、変なことを気にするね」
振り向いたクリフォードさんの顔には、くっきりと一週間分のクマができていた。
「気にするというか、何と言うか。あまり会話をしないのも申し訳なくて。一緒に仕事をするってことは、お互いある程度趣味や嗜好をわかり合ってた方がいいと思うんです。で……、あんな話を。私もドリームピザ、この間いただきました。やっぱりあそこのピザ、美味しいですよね。テレビは何をご覧になってるんですか? スポーツ番組とか、歌番組とか……」
「いや、こだわりはないな。気が付くと、延々紀行番組流してたりする。要するに、テレビが付いてればそれでいいんだ。君は週末、地元に戻るのかい?」
「いえ。未だこのあたり詳しくないので、少し探索しようと思います」
「そうか。気に入る場所が見つかれば良いね」
無理やり会話に付き合ってくれている。そんな気がした。
クリフォードさんは力を使い果たした戦士のように、グッタリと項垂れたままアトリエから出て行った。
*
家族はいない。恋人もいない。
音楽は集中力の妨げになるし、金属の微妙な噛み合わせの音を消すからと、一切聞くことがない。
テレビや芸能、政治にも関心がない。
彼の興味は常に、機械細工を作ることだけ。
「クリフォードさんって、昔からあんな感じなんですか?」
仕事終わりに事務所へ行って、ジャックに愚痴をこぼした。
彼は気の抜けたような顔で笑いながら、珈琲を出してくれた。
「ずっとあんな感じだよ。少なくとも、機械細工を始めてからはね」
アトリエとは正反対の、塵ひとつ落ちていない綺麗なオフィス。必要最低限のもの以外はきちんと棚に片付けておくのが、ジャック流の仕事術らしい。
「昔はさ、腕を失う前は、今よりもっとシャンとしてて、今よりずっとお喋りだった。……なんて言っても、信じないだろうけど」
ジャックのセリフに、私は思わずピクッと身体を震わせた。
「知ってるんですか? 彼が義手になる前のこと」
恐る恐る、私は上目遣いにジャックに尋ねた。彼はどうしようかなとため息を吐いてから、
「どうせ黙ってても、いずれわかると思うけど」
前置きして、少しだけ昔話をしてくれる。
「同じ会社に勤めてたんだ。クリフは元上司。とても仕事が出来る人だったよ。家族をとっても大事にする人でさ。自分のことなんか全部棚上げにして、全力で大切な家族を愛そうとする、そういうところに惹かれたんだ。あの頃は確か、ラジコンを弄ってみたり、プラモデルを作ってみたり。手先が元々器用な人だった。僕もプライベートで自宅に何度もお邪魔しては、彼のコレクションを見せて貰った。仕事が、いちいち丁寧なんだよね。趣味なのに。パーツのひとつひとつを宝物みたいに扱うんだ。ヤスリで磨いて、綺麗に塗装して。どんな年になっても、好きなことを忘れない人生って良いな、素敵だなと、本当に尊敬していたんだ。それがどうだ。今じゃあのザマだ。クリフが良い作品を作るのは間違いないけれど、もう少し周囲に心を開いていかないと、あれ以上の成長はないんじゃないかな。最近、注文も減ってきてるし。見てる人は見てるんだよ。品質が落ちてるってこの間も贔屓の百貨店に言われたばかりだ」
ジャックは明らかにご機嫌を斜めにした。人前では仲よさそうにしているけれど、本当はそうじゃない。二人にはどうやら、何らかの確執があるらしい。
「ご家族、いらしたんですね、クリフォードさん。てっきりずっと独り身なのかと」
言うと、ジャックはしまったとばかりに、口に手を当てて目を大きく見開いた。
「……今は、独り身。いやぁ、ついつい余計なことを。詳しいことは本人から聞いてよ。あと、今の話は聞かなかったことにして。ちなみに、僕は今までずっと独り身だから。今夜食事、どう? 奢るよ」
なんともまぁ、彼はなんてわかりやすい。
私は思わず噴き出してしまう。
「じゃ、奢ってもらいます。まだまだ薄給の身ですし」
「そりゃよかった。じゃ、さっさと片付けて外に出よう」
*
ディナーの彼はご機嫌だった。
お酒が入ると、更にジャックの口はお喋りが止まらなくなった。
堅物のクリフォードさんに散々苦労していること。
人前に出たがらない彼の代わりに、あっちこっちで向いては商品を売り込んでいること。
彼の作品は丁寧で綺麗で、どこに行っても重宝されること。
それから、本当は月に一度くらいのペースで、彼に対して問い合わせや弟子入りの志願があること。それをいちいち断っていること。
私が来て、少しはアトリエが片付き、本心から喜んでいること。
彼は女性がいるにも関わらず、全然身嗜みを直そうとしないこと。
そして、私自身の人となりについて、物凄く興味があるということ。
「誰かに似ている気がするんだよね」
ジャックは言う。
「私がですか?」
「そう。なんとなくだけど」
最後まで大切なものをひた隠しにしながら、ジャックはまた、ニコリと笑った。
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