2.アトリエ
気が付くと私は、手紙を書いていた。
パンフレットには電話番号がなく、アトリエの名前と住所だけ。タブレットで調べてもそれ以上の情報はなかった。
手紙が届く頃に行ってみよう。私はそう思い立つと、もうそれしか考えられなくなってしまっていた。
彼は余程の変わり者なのか、写真も動画も殆ど撮らせないようだ。パンフレットにあった横顔の写真一枚を、何度も使い回している。その代わり、作品の写真は沢山あって、検索すると次から次へと新しい作品の画像が出てくる。どれも丁寧な仕事。見ていて全然飽きなかった。
彼のアトリエの写真もあったが、展示室の外観のみで、内部や彼自身の写真は見つからない。
もしかして、人嫌いなのだろうか。
職人には変わった人も多いと聞く。展示会場に居たのは人当たりの良さそうな職人さんばかりだったけれど、実際はアトリエに籠もって黙々と作業する人の方が多いのだろう。それに、彼らの仕事は人前に出ることではない。作品を人前に出すことだ。別に、彼自身の情報などなくても不自然ではないのではないか。
私はそんな風に、前向きに考えていた。
*
展示会から十日ほど経ってから、私は意を決して、アトリエへと向かうことにした。
ここからはバスと電車を乗り継いで半日ほど。朝発てば、夕方までには着く計算だ。
キャシーの言う通り、引きこもってばかりでは腐ってしまう。私もそろそろ、外に出て刺激を貰わなければならない時期に来ているような気がした。
長い道のりだった。
私が住む町より南にあることもあってか、道中どんどん気温は上昇した。もう少し薄着で来れば良かったとと後悔するほど。
ビルの建ち並ぶ光景が、次第に住宅街へと変わり、一面の牧草地帯となり、岩砂漠となる。徐々に見えてきたのは、寂れた町。あのあたりは昔、自動車工業で栄えた町のはず。遠景からは廃墟にしか見えない町で、彼はアトリエを開いているらしい。
電車を降りて、私は汗を拭った。町全体が乾いていた。ほんの少し先の景色さえ、蜃気楼で揺らいで見えた。
「間違いない、……よね?」
パンフレットの住所を確認。やはり間違ってはいない。
「機械細工職人のアトリエ? そんなのあったかな」
道を尋ねながら歩いたが、町の人は彼のことを知らないのか、彼の家を知らないのか、皆一様に肩を竦めた。
「過去に賞をとった人だし、新聞にも名前が載ってたようなんですけど」
それでも皆、首を横に振る。
有名人ってわけじゃないのか。こんなに小さな町なのに。
私は首を傾げながら、とぼとぼとアトリエへの道を辿った。
*
エイルストリート68番地。
パンフレットの住所と、タブレットの画像を確認する。
「ここだ」
辿り着いたアトリエは、寂れた住宅街の隅にあった。
半分傾きかかったようなボロ家で、油と金属の臭いが外にまで充満していた。中で作業しているのだろう、金属を削るような音がギャンギャンと響いている。外観には何の味気もなく、単なる
そして、どうやらこの隣が展示室。レンガを積み上げた外観と、壁に這わせた金属製の蔦がなんとも美しい。写真はアトリエが写らないよう配慮して撮られた物らしかった。
手紙は届いているだろうし、とりあえず思い切って中に入ってみよう。
私は恐る恐る工場に近づき、錆び付いたトタンの外壁に手を当て、開け放たれたドアから中を覗き込んだ。
――もっと、不安になるべきだったのかも知れない。
機械細工というのは音も出るし臭いも出る。閑静な住宅街のど真ん中でやるような作業じゃないっていうのは想像に難くなかった。油絵だって鼻につく臭いだったし、汚れ落としのシンナーも凄い臭いで、美術室は大抵、絵の具まみれ。多少汚れているのは当たり前だと思っていた。だから、外観がどうの音や臭いがどうのなんて、それほど気にするべきでもないだろうと、私は高をくくってしまったのだ。
「誰だ」
ふいに、低い男性の声が降ってくる。
怒りを蓄えたような声に、私は思わずブルッと震えた。
暗い室内、小さな明かりを頼りに作業していた男性のシルエットがぼうっと浮かび上がっている。
「あ、あの。クリフォード・J・スミス工房、こちらでよろしいですか。私、手紙を書いたライザ・グリーンです。どうしても作品を拝見したくて」
私ってば、失礼だ。声が震えてる。
「手紙?」
男性は作業の手を止めて、のっそりと立ち上がった。
「手紙なんか来てたかな。丁度ジャックが休暇を取ってて、郵便物の類いは週二回しか確認してないんだ。手紙出したのいつ?」
「せ、先週の初め頃に」
「先週? おかしいな。来てたの、見逃したかな」
言いながら、作業机らしき場所に積み重なった書類を触るが、首を傾げたまま。どうやら探しきれないらしい。
私は声を上ずらせながら、必死に男性に説明した。
「手紙の、内容は。機械細工の展示会で素晴らしい作品を拝見しました、是非他の作品も拝見したいので、アトリエに訪問したいのですが……、れ、連絡先が住所しかなくて。電話番号もメールアドレスもわからないし、直接お邪魔しますねって。そういうことだったので」
徐々に目が慣れてきた。それで、わかった。
パンフレットの写真と同じ横顔。
この人が、この男性が、クリフォード・J・スミスその人なのだ。
「展示会? ああ、先週末までやっていたヤツ」
「そ、そうです。あのジオラマが、とても素敵で。胸を打たれました」
「ジオラマの? どのあたり?」
「こ、細かい細工と、色使い、そしてテーマが。胸打たれて、何十分も見とれてしまって。ネットで、他の作品も拝見しましたが、出来れば生で見たいと思って。……迷惑、でしたか?」
私は彼の表情をどうにか読み取ろうと、慎重に言葉を連ねた。
スミス氏は少しだけ口角を上げ、
「若い女の子が興味を持ってくれたのは嬉しいよ。アトリエまで来てくれることも珍しい。ま、連絡先も住所しか書いてないからね。大体、辿り着かないんだけど。それに、大抵ここを訪れるのは機械細工職人の見習いとか、商品を扱いたいビジネスマンとか、そんなんばっかだ」
彼は入り口まで歩み寄りながら、首に掛けたタオルをサッと手に取り、汗を拭う仕草をして、私にスッと手を差し出した。
「来てくれてありがとう。私がクリフォード・J・スミスだ」
日差しに照らされ、ようやくスミス氏の顔がはっきりと私の目に映った。
なんとも優しそうな、なんとも柔らかそうな表情。さっきの声はなんだったのだろうと思うほどに、人当たりの良さそうな人だ。ロマンスグレーの素敵な笑顔の可愛い男性に、私は思わず頬を赤らめた。
「改めまして、ライザ・グリーンです。よろしくお……」
無意識に差し出した手と、スミス氏の手が触れた。――そして、私は固まった。
彼の手は、冷たかったのだ。
ハッとした。
人間の肌の感触ではない。
目線を手に落として、私は息を飲んだ。
「機械義手――……!」
彼の右手は、金属製だった。
今時珍しい、人工皮膚を使わないフルメタル製で、可動部が全部丸見え。動かす度にウィンウィンと軋むような音が鳴った。
目を丸くした私に、彼は手を引っ込め、申し訳なさそうに小さく笑う。
「もしかして見たことなかった? 怖い……だろ?」
そこまで言った彼の顔は酷く辛そうだった。
私は必死に首を横に振る。
「ち、違いますスミスさん。私、初めて見たから、その。驚いた、だけで」
両手を同時に振って必死にアピールする姿に、益々申し訳なさが募ったのだろうか。スミス氏は機械義手の右手で頭をポリポリと掻き、口元を歪ませる。
「僕のような障碍者がまさか機械細工をしてるなんて思ってもみなかったんだろう。当然だ」
差し出された手をきちんと握ってさえいれば良かったと後悔する。
スミス氏は深く深く、ため息を吐いた。
「来ると知っていれば、別の義手に付け替えていたのに。困ったな。急な来客だと対応しきれなくて、ついこっちの義手を見せてしまった。怖がらせる気はなかった。もし、気分を害したなら帰ってくれ。言い訳しても仕方がない。なにせこの状態だ。僕には指先の感覚がない。こんな、肩から先を失った人間が作っているようなもの、たかが知れていると思うのは正常なこと。君が気にすることじゃないよ、ミス・グリーン」
彼は頭を抱え、私を避けるように大きな背中を向ける。
わかった。
わかってしまった。
彼が人前に出ないのは、義手にコンプレックスを感じているからだ。
写真の枚数が極端に少ないのも、連絡先が住所だけなのも、義手のことを秘密にしておきたいから。だからこんな所で一人、アトリエを。
しかも、不意に現れた若い女に不覚にも秘密を見られてしまった。自然な会話の流れだったとはいえ、彼にとっては不本意だったに違いない。
アトリエに出向くまで、彼の仕事以外のことは何も知らなかった。私は彼の作品のことばかりに興味があって、彼自身のことを調べようとはしなかった。きちんと下調べするべきだったのだ。
義手が嫌なわけじゃない。
知らなかったことに恥を感じた。
片田舎に小さなアトリエを構え、ひっそりと作っているという彼の作品に、私は光を見て
義手なんて、本当は気にするべきことではないのだ。
「――スミスさん。私を、弟子にしてくださいませんか」
振り絞って出した言葉に、私自身が一番驚いた。
スミス氏は、私を振り返って大きく目を開く。
「本気かい?」
顔を歪ませる彼は、きっと私の言葉を冗談だとしか捉えていない。
「おじさんをからかっちゃダメだ。いくら何でも、そういう切り返しは良くない。僕の作品の何が好きで何を学びたいのか全くわからないが、機械細工を学びたいなら、もっと適材が沢山居ただろう。あの会場には職人が何人か来ていたはずだ。彼らにも同じように弟子を申し込んだかい? それで断られて、田舎でひっそりやってる僕のところに来たとか? 生憎、弟子は取ってない。僕は独学で、美術を学んだこともない。そんな人間に教わろうだなんて、君はどうかしてる」
彼は私を鼻で笑った。
しかし、それは私を蔑んでいるわけじゃなくて、自虐的な意味を込めていたことに、私は気付いていた。
作業着の腕をまくり、露わになった右手を、彼は何度も左手で無意識にさすっていた。私の視線を右手から逸らすように、わざとらしくそんな冷たい言葉を。
「義手かどうかなんて、問題じゃありません。私、スミスさんの作品に惚れたんです。他のどの職人さんの作品を見ても、そんなこと思わなかった。けど、スミスさんの作品にだけは物凄く魅力を感じて。……弟子に、して貰いたいんです。学びたいんです。いけませんか?」
私はどうにか自分を震い立たせて、必死に訴えた。
目を逸らさぬよう、ぐっと歯を食いしばり、両手に拳を作ってスミス氏を睨み付けた。
彼の作品を見てから湧き上がってきた、言葉に出来ない衝動の正体は、多分これだったのだと確信した。つまりは、彼の作品に刺激を受けた。私も作ってみたい、彼に学んでみたいという気持ち。
保険会社を辞めてぼうっと過ごしていた日々を取り返すには、この衝撃を力に変えるしかない。前に進む力に。
突然態度を変えた私に、スミス氏は明らかに動揺した。
「本気……?」
「勿論です。そのために、ここまで来たんですから」
私はしっかりと、彼に伝わるようひとつひとつの言葉に力を込めた。
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