16.解決

 ジャックの力は強かった。

 ほどこうと思っても、とても解ける物ではなかった。

 抵抗しようとする私の身体を、ジャックは益々強い力で抱く。


「違う、違うよライザ」


 熱い。

 ジャックの身体が火照っている。


「君は、勘違いをしている。僕らはただ、客人としてキャシーをもてなした。君の大切な友だちなのを知っているから、僕らもキャシーを大切にした。君を苦しませたくなかった。なのにどうして、君はこんなにも傷ついてるんだ」


 小刻みに震えているのが分かった。

 負の感情を殆ど見せようとしない彼の、心の中に押し込めていたものをこじ開けてしまった気がした。――それこそ、私の心にキャシーが無理やり入り込んだのと同じように。

 私は、恐る恐る彼の背中に手を伸ばした。


「ごめん……なさい。ごめんなさい。私、どう謝ったら」


 酷いことを言った。

 ジャックを傷つけた。

 彼の、柔らかくて温かい心に、私は氷の刃を突き立ててしまった。


「ごめんなさい、ごめんなさい。本当に、ごめんなさい」


 私は呪文のように、何度も何度も唱える。

 ジャックは苦しそうに、深く、深く、息をしている。


「大丈夫、怒ってない」


 彼は言った。


「誰も、ライザを責めたりしない。僕らは味方だ。僕らはただ、君と同じ時間を過ごしたい。誰も、君のことを、君の心を責めたりなんかしない。だからどうか――……」


 ジャックは一層強く、私を抱きしめる。


「どうか、僕らの前から消えないで欲しい」



 *



 私とジャックの酷いやりとりを、アトリエにいたクリフォードさんが聞いていたのかどうかは分からない。

 ただ、モヤモヤした気持ちのまま働く私を、きっと変な子だと思っていたに違いない。

 それでも、クリフォードさんは流石大人だ。ジャックに言われていたのだろう、機械細工教室で使う材料は在庫からの捻出でいいか、新たに注文すべきかなど、いつもと変わらぬ調子で話しかけてくる。


「同じ型番の材料なら、在庫から消費した方がいいと思います。ただ、大きさがちょっと……。この板は、教室で使うには少し大きすぎるんじゃないでしょうか。うちにある機械じゃ切れませんから、鉄工所で半分か三分の一くらいずつに切断して貰ったらどうでしょう」


 仕事の話をされると、なんだか落ち着いたし、私もいつも通り答えることが出来た。

 人間づきあいよりも、仕事をしているときの方が心が落ち着くなんて、私はどれだけ機械細工にのめり込んでしまったのだろう。


「道具はどうする? 本格的な道具を人数分揃えるとかなりの金額になるかも知れない。けれど、安すぎる道具で行うと、破損の危険が伴う。もし長く続けるつもりならば、それなりの物を用意した方がいいと、僕は思う。ライザはどうだい?」


「そうですね。道具は良いに越したことはないと思います。ただ、私たちが使うのと同じである必要は無いです。少しランクは下だけど、安物ではない程度で。それは必要経費ですよ。教室用として予算も別枠で組んでしまって、その中から準備金として支払えばどうでしょう。本業とはあくまで別になりますし、どのくらい集客すれば元が取れるか計算すれば、事業計画もし易くなります」


「最初は赤字からのスタートだからね。どれくらいで元を取りたい?」


「さぁ……。チラシ撒いて、実際どのくらい人が集まるのか分からないと、何とも。どこにどのくらいチラシを撒くのか、ジャックとも相談して、出来るだけ効率的に集めたいですが、こればっかりはやってみないと分かりませんね」


 仕事の話をしているうちに、だんだん心は晴れていった。

 クリフォードさんはそんな私を見て、静かに笑う。


「良かった。いつもの君だ」


 言われて私は、顔が熱くなった。

 私はどれだけ長い間、塞ぎ込んだり、変に興奮したりしていたのだろう。


「僕は、ライザで良かったと思ってるよ」


 作業机を背にして、クリフォードさんはニッコリと笑った。


「君が来てくれなかったら、多分僕は未だ、薄暗いトンネルの中をジャックと二人でウロウロしてた。君はもっと自信を持っていい。誰かと比べたり、自分を責めたりしなくていい。君は君で十分魅力的だし、君にしかない力やアイディアをきちんと持ってる。大丈夫。君は君だ」



 *



 空き地の草刈りが終わって、重機が入った。基礎を作るために、地面が掘り起こされていく。

 昼休み、いつものようにお弁当を広げる庭からも、工事の様子がよく見えた。


「教室は平屋建てだから、そんなに圧迫感はないと思うけど、少しアトリエへの風の入り方が変わるかな。あんまり熱くなるようなら、エアコンも入れなきゃって思ってるけど、とりあえず今のところは様子見ね。で、入り口がこっちで、ここが教室、奥にトイレと洗い場。奥に道具を入れておく専用の棚を括り付けで作って貰う。人が出入りすることを考えて、冷暖房も完備で。涼しい季節は窓を開け放したら、アトリエの中がちょっと見えちゃうけど、それはそれでいいでしょ? 仕事風景も覗けて機械細工も学べる。我ながら素晴らしい間取りだと思う」


 ジャックは大げさに身振り手振りし、自慢げに自分自身を褒め称えた。

 キャシーの何気ない一言から始まった機械細工教室の構想も、形になり始めると急に実感が湧いてくる。あんなに嫉妬していたのも嘘のように、気持ちが軽くなった。あんな負の感情に支配されていたなんて、私は私自身を愚かだと思うようになってきていた。


≪あなたのお陰で機械細工教室が実現するところよ≫


 キャシーにメッセージを送ると、その何倍もの文面で返事が戻って来た。

 あのときはありがとうだとか、やっぱりその方が良いわとか、ところで二人は元気なのか、楽しく仕事をしているときが人生で一番だとか。

 あの一週間、私は酷くご機嫌斜めだったから、キャシーが傷ついていないか心配だったけれど、私が考えるほど深刻ではないと知ってホッとする。


≪教室始まったら教えて! 私も是非参加したいわ!≫


 その文面をジャックに見せると、彼もニッコリと微笑んでくれた。


「大歓迎だって、返事しといて。キャシーの美的センスは抜群らしいから、是非素敵な作品を作って見せて欲しいって」


 そのウインクが誰に向けられた物だったか。私は頬を緩めて、小さく頷いた。



 *



 大工のアルフレッド・ジョンソンさんはクリフォードさんの幼馴染みの一人だった。

 打合せのためジョンソンさんがアトリエを訪れたとき、懸念していたあの問題が再燃した。


「よぉ、クリフ。邪魔するよ」


 軽い調子で入ってきたジョンソンさんは、あるじの返事も聞かないうちにズンズンとアトリエの奥まで入ってきて、クリフォードさんの側まで行くと、二人で息の合ったハイタッチをして見せた。


「ヤケに片付いてるなぁ。ちょっと前に来たときには段ボールの山で工場こうばの中が見渡せなかったのに。掃除夫でも雇ったか?」


 筋骨隆々、頭にタオルを巻いて、髭という髭をもじゃもじゃとさせたジョンソンさんの第一印象は、山男だった。


「違う違う。彼女がやってくれたんだ。ウチで最近雇った職人見習いのライザがね。ライザ、この間話しただろう、幼馴染みのアルフレッド・ジョンソン。ガタイが良くて怖そうに見えるかも知れないけど、アルの場合見た目だけだから安心して」


 私は作業を止めて立ち上がり、


「ライザ・グリーンです。初めましてジョンソンさん」


 いつものように挨拶したつもりだった。

 薄暗いアトリエの中でも、作業机の付近は照明も多めに点いていて、明るかった。私の姿がジョンソンさんにどう映ったのか分からないけれど、やはりと言うべきか、クリフォードさんと窮地の中の人には見えてしまった。


「――マリア!」


 ジョンソンさんは顎が外れてしまうのではないかと思うほど口をあんぐりさせていた。

 しまった、と私は思った。

 幽霊騒ぎを適当に誤魔化して終わらせていたことを思い出した。

 クリフォードさんは、私が幽霊の正体だってことを知らな――……。

 私は両手で顔を覆って、そのまま立ち尽くした。


「ま、マリアじゃないか! え? ええぇ?! アレ? 違う。ん?」


 ジョンソンさんの変な動きに、当然クリフォードさんは驚いた。

 そして明らかにムッとした。


「誰がマリアだって?」


「誰って、その子」


「ライザが? 冗談だろ」


 クリフォードさんは立ち上がって、首を捻りながら少しの間何かを考えた。

 それからゆっくりと私のところまで歩いてきて、両腕を組んで私の顔を見入った。


「……似てる? マリアに?」


「そっくりだ。髪の色とか、背格好とか、雰囲気とか」


「似てるか? 少なくとも僕は一度も似てると思ったことはないが」


「マリアにそっくりだから雇ったのかと」


「そんなわけない。彼女は元保険屋で、美術に造詣ぞうけいもあった。だから雇った。何を勘違いして――……あ! そういうことか!」


 クリフォードさんははパチンと、鈍い音を立てて手を打った。

 そうして、なるほどなるほどと何度か口の中で喋って、それから私とジョンソンさんの顔を頷きながら眺めた。


「幽霊騒ぎ、真相が分かった。確かに幽霊なんていなかった。ジャックの言ったとおりだ。勘違いだよ。君のことを、ライザのことをマリアだと思った人が他にもいたってことだよ。死んだマリアが戻ってきたのかと思って、変な噂を広めたヤツがいる。……なるほどね。いやぁ、良かった。本当に単なる噂だった。解決した」


 なぁんだと、口元を緩めるクリフォードさん。

 これまでずっと引っかかっていたものが解決して、すっかり気が抜けているようだった。


「君の髪の毛の色、この辺では珍しいくらい綺麗な金髪だって、気付かなかった?」


 クリフォードさんに言われ、私はハッとして自分の髪の毛を掴んで見た。珍しい? 生まれたときからこの色だし、私は何とも。


「この土地の民族的なものもあるんだろうけれど、黒髪や茶髪、赤毛は沢山いるんだよ。でも、透き通るような金髪ってなかなかいなかった。余所の土地から引っ越してきていたマリアの家族くらいだった。だから勘違いされたんだと思う。髪型もまぁ、似てたしね。もしかして、これまでもあちこちで“マリア”って呼ばれただろう? マリアは僕の死んだ奥さんの名前。嫌な気持ちにさせて悪かった。アルもそうだし、他の皆も、悪気があって言っていたわけじゃない。本当に、そう見えていたんだな」


 ハハハッと、クリフォードさんは声を立てて笑った。

 困惑した。

 笑って、いいの?

 釣られるように、ジョンソンさんも笑った。


「つまりアレか、町中がこんな勘違い状態だったってわけか。やられたよ。アジア人の顔が区別点かなくて、皆同じに見えるのを笑ったことはあるが、そうか、そういうこと」


 私は目をぱちくりするしかなかった。

 あまりにも大きな声で二人が笑うので、事務所からジャックが何ごとかと顔を出した。


「どうしたの?」


 目を丸くして、笑い転げる中年二人を見つめるジャックに、私は簡潔に事態を説明した。


「幽霊騒ぎが、ホントのホントに解決したみたいです」


「へぇ」


 それこそ本当に、久しぶりの笑い声。

 クリフォードさんはもしかしたら、本来こうやってくだらないことで大盛り上がり出来る明るい人だったのかも知れないと、私は彼の過去の姿を垣間見たような気がした。

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