17.職人
機械細工教室の新築工事は順調だった。
真夏を過ぎ、秋を間近に感じ始めた頃、作っていたチラシが刷り上がってきた。
私がレイアウトを考えて、ジャックがパソコンでどうにか作ったチラシは、初心者が作ったにしてはまぁまぁの出来映えだった。
「デザイン会社に任せればもっと格好いいのが出来たかも知れないけど、微妙な素人っぽさが出てて、これはこれで味わい深いと思う。……どう?」
チラシを胸の前に突き出して、ジャックが見てくれとアピールする。私とクリフォードさんは、事務所に積まれたチラシの束を前に圧倒されながら、チラシの刷り上がりを確認した。
薄手のコート紙に印刷されたチラシは、機械細工の歯車をパステルカラーの背景に重ねたデザインで、工房の連絡先や講座の内容、作品例など、様々な情報が簡潔に書かれている。
書き過ぎない程度に情報を纏めるのが特に大変だった。機械細工を全く知らない人の方が多いだろうと、裏面には白黒印刷で機械細工の説明とクリフォードさんの作品などを写真つきでびっしり載せた。
素人にも興味を持って貰うことと、それなりに興味のある人にとっても満足出来る内容であるようにと、気を配ったつもりだ。
「あちこちの店先に置いて貰おうと思うんだ。クリフの知り合いの店、結構あるだろう。散歩のついでに30枚くらいずつで良いから、頼んでくれないかな。チラシを置いて貰ったらこに地図にしるしと部数を書き込んでおけば、誤って何度もお願いに行くこともないだろうし。ライザもスーパーや商店街の小さな店に、立ち寄るついでにお願いしてきてよ。皆で分担したら、案外早く終わるかも知れない」
ジャックはとても上機嫌。なんたって、これほど機械細工のPRにお金と時間をかけたことはないのだから当然だ。
「上手く行くといいですね」
私が言うと、ジャックはニッコリ、えくぼを作った。
「そりゃ、上手く行くさ。最初は知り合いから始めるのもいいと思う。そこから口コミでどんどん広がっていけば、そのうち町の皆が機械細工を知ることになるだろうね。凄い。今までひっそりとやってきたことを思ったら、大進歩だ。キャシーにもチラシ送ってよ。彼女、楽しみにしてるだろうから」
「勿論」
クリフォードさんもご機嫌で、このところずっと口角が上がっている。
嬉しそうにチラシを何度も読み返しているようだ。
「本当に素晴らしい」
クリフォードさんの声も明るかった。
「ライザが来て、良いこと続きだ。僕はただ、自分のためだけに、失った家族への贖罪のつもりで機械細工を始めた。自分がどう世間から評価されたいだとか、機械細工を知って貰いたいだとか、そういうところとは別のところで、ただ黙々と作り続けていた。ジャックはそんな僕を見かねて経理を買って出て、営業までしてくれていたが、君が来てからはまた別の世界を見ることが出来た。実はね、僕は今まで、自分のことを“職人”だなんてこれっぽっちも思ったことはないんだよ」
自然な会話の流れの中で、クリフォードさんは急に、大切なことを喋った。
私は顔を上げて、彼の話に聞き入った。
「“職人”っていうのはさ、専門の技術を身につけた人ってことなんじゃないかと、ずっと思ってきた。ただ我流で気の赴くままに歯車と螺子と金属を重ね合わせているだけの人間を、“職人”と呼ぶのはおこがましいと、ずっとずっと思ってきた。けれど、よくよく考えてみたら、僕はこうやって機械細工を作り始めて、世間に作品を発表した時点で“職人”だったのではないかと思い始めた。もっと自分の作品に誇りを持つべきだって、思わせてくれたのは、他ならぬライザだ」
思いも……よらぬ言葉だった。
「君も、保険の外交員として長年働いたから分かるだろう。経験のあるなし、年数の長短に限らず、お客さんの前に立ったら君は保険のプロだったはずだ。何も知らない、詳しくない一般の人々の役に立つために、君は頑張って働いていたんだろう。例え営業成績で苦しんでいたとしても、人間関係で悩んでいたとしても、君は電話口ではあの調子でペラペラ喋っていただろうし、お客さんと対面したら、自信を持って相談に乗っていた。違うかい? 君は保険のプロだった。そして、もうすぐ機械細工の“職人”になる。いつまでも雑用してばかりじゃなくて、自分だけの作品を作ってみたいとは思わないかい。君ならば、君だけの世界を作り出せる。教室をしながら、君も自分の作品を作っていったらいい。そして、あの彩色した機械細工と並べて、君だけの作品を出そう」
クリフォードさんは、時折私の胸を射貫く言葉をくれる。
“職人”に? 私が?
とても信じられない。
ブルブルッと、身体が震えた。
「どうしたの? 変なこと言った?」
クリフォードさんが首を傾げる。
「違います。ムシャブルイです。知ってますか? 何か凄いプロジェクトを前にして、身体がブルッと震えること、日本だとそういうふうに言うんですって。ムシャ……サムライがブルって震えるからムシャブルイ」
「へぇ。じゃ、ライザはサムライ? 女の子だとクノイチの方が合ってる?」
とジャック。
「どうでしょう。あれ? クノイチって、女のニンジャじゃありませんでしたっけ」
「さぁ。ちょっと分からないな。異国の文化はあまり得意じゃない」
クリフォードさんは笑いながら、他愛ない会話に付き合ってくれた。
*
仕事帰りに寄り道して、チラシを持っていく。個人商店は早いと18時には閉まってしまうから、少し大きめの店舗中心に。ワザと早く仕事を終えて、チラシを撒いて歩いたこともあった。
商店街に行ったときには緊張した。
思っていた通り、私のことをマリアさんと勘違いする人の多いこと!
クリフォードさんが言うように、確かに金髪の人はあまり見かけなかった。同じ白人でも色素の濃い人たちが多い印象。幽霊騒ぎも納得だった。
「私みたいなおばあちゃんでも大丈夫?」
言ってくれたのは、文房具屋のおばあちゃん。
「大丈夫ですよ。年齢関係ないので。ただ、ちょっと細かい作業があるので、そこはお手伝いします。眼鏡タイプのルーペも用意してますから、安心してください」
「そう。それじゃ、一回だけお試しってのもアリな訳ね」
「ええ。勿論。最初から難しいことはやりませんから、気軽に参加していただけますよ」
幽霊騒ぎ以降何度かお邪魔して、今ではすっかり顔馴染み。話しやすさがとても嬉しい。
「誰か、他に参加するっていってる人、いるかしら」
「そうですね、今のところまだ5人くらいかな……。皆、機械細工を見たことも触ったことも無い人ばかりです」
「あら、そうなの? 私も一回だけ、参加してみようかしら」
「ありがとうございます!」
こんな調子で、少しずつ受講者を募っていった。
*
電話の問い合わせもあった。
簡単なアクセサリーを作る教室とチラシに書いてあるのに、“機械”の文字だけ切り取って、ロボットを作るのかという問い合わせまで。
クリフォードさんに相談すると、噴き出していた。
「それ、面白いからそのまま受け付けて良いよ。機械には変わりないんだし」
何件か変な問い合わせもあったけれど、順調に受講者は集まっていった。
*
草木は徐々に赤や黄に色づき始めていた。
涼しい風がアトリエにも心地よく吹き込んでくるようになった。
夏の日に汗を垂らしながら作業していたことも分からなくなるくらい、とても過ごしやすい季節だ。
私が彩色した機械細工は好評で、売り上げが前年の1.5倍だとジャックが小躍りしていた。これで機械細工教室が上手く行けば、今までのように財産を削るだけの自転車操業じゃなくなると大はしゃぎだった。
クリフォードさんは私に図面の引き方を教えてくれた。
「ライザは、植物の絵が得意だね。モチーフを統一したら良い。草花や木々はどうだろう」
アドバイスを受け、草木の図鑑を経費で購入して貰った。
クリフォードさんは鳥や虫、動物の細工を好んで作る。互いに別々のモチーフならば、クリフォード・J・スミス工房の作品としても幅が出るし、今までより幅広い層にアプローチ出来そうだというのだ。
花が風で揺らいだり、葉っぱがチラチラと動いたりする単純な細工ではあったけれど、小さなブローチの中に細工を入れたり、小さなオブジェとして飾っておけたりするような物も面白いのではないかと、クリフォードさんは具体的にアドバイスをくれる。
形にするにはもう少し時間がかかりそうだけれど、考えるのも、作っていくのもとても楽しい。
「凄いのが出来てきたねぇ。クリフも随分思い切ったじゃないか」
ディーン・マクドナルドさんがメンテナンスと称してまた遊びに来ていた。
事務所のソファで義手を外したクリフォードさんは、自分の義手を遠目に見ながら、嬉しそうに「まぁね」と言う。
「アイディアを出したのはライザのご友人だけど、ジャックとライザがいなかったら、きっと僕は今でも一人、アトリエに籠もってただただ機械を
クリフォードさんはさりげなく、嬉しい言葉を口にする。
私がどんなに塞ぎ込んで、当たり散らしても、クリフォードさんはいつもと同じ調子で接してくれる。それがどんなにありがたかったか。
「ライザちゃんも細工作るようになってきたんだね。どう? なかなか細かい作業だろう」
義肢職人のマクドナルドさんも、普段は大きな身体を作業場に押し込めているんだろう。決して嫌味ではなくて、同じく細かい作業をする一人の職人として、当たり前に声をかけてくれた。
「はい。目が疲れますね。でも、凄くやりがいがあります。頑張っただけ形になるのは嬉しいです」
私のことをマリアさんだと勘違いしたことを、マクドナルドさんは未だ少し、気にしているようだ。そしてそれが、変な騒動を巻き起こしてしまったことも。
広げた鞄の中に、私は一つの写真が紛れ込んでいるのを見てしまった。鞄の内側、メッシュの部分に書類と共に入っているのは、クリフォードさんとマクドナルドさん、ご近所のお友達の皆さんと、マリアさんの写真。一際小さいのは、多分クリフォードさんの亡くなった息子さん。
マクドナルドさんはマリアさんのことが好きだった。
多分、クリフォードさんと結婚したあとも、ずっとマリアさんのことを恋い焦がれていた。
だから今でも写真を持ってる。私のことが、マリアさんに見えてしまう。
素直で自分に嘘をつけないマクドナルドさんは、思ったことをそのまま口にする。
「クリフは昔のこと、思い出すことはないか? お前はがちっちゃい息子を隣に座らせて、ラジコン組み立ててた。俺も自前のラジコン持ってよく遊びに来た。庭に手作りのコース作って走らせただろ。マリアが呆れたように笑ってた。あの頃は幸せだった。ライザちゃんは本当に、マリアの若い頃に似てる」
悪気がないのはとうに分かってる。だから私は、そうですかと聞き流す。
クリフォードさんは左手を右肩に回して、肩の凝りをほぐした。目線はローテーブルの自分の義手に向けられている。
「ディーンは昔を懐かしみすぎだ」
クリフォードさんはマクドナルドさんを鼻で笑った。
「そうか?」
とマクドナルドさん。
「事故があったのも、家族を失ったのも、右手を失ったのも不幸だったかも知れない。もし何ごともなければ、別の未来が待っていただろう。けど、もしそうだったとしたら、僕は機械細工を始めようとは思わなかった。ジャックも僕のことをそれほど気に留めなかった。そして、ライザと出会うこともなかった」
ちらりと、クリフォードさんと目があった。外出中のジャックの事務机を借りて紅茶を飲んでいた私は、なんだか恥ずかしくなって思わず目を逸らした。
「昔を懐かしみすぎるのは、今を否定することになるだろう。あのとき……なんて言ったところで、戻れるわけじゃない。僕の右手も元には戻らないし、家族だって帰ってこない。今更ってことさ。今更何を思っても、これから先、プラスになるようなことはない。だったら、今のことを考えた方が良い。マリアや息子と共に生きていたifより、機械細工職人として生きる道を選んだRealのことを考えて生きた方が、ずっとずっと、楽しいだろ」
クリフォードさんの笑顔には淀みがなかった。
一時は自殺も考えるほど不安定だったという彼の精神状態は、いつしか静かな湖面のように、波一つ立てないほど安定していた。例えば私のようにバシャバシャと波を立てるような人間が周囲にいたとしても、彼の心はそれを鎮め、また静かな湖面を取り戻してゆく。
静かで、大らかで、そして温かい。
言葉のひとつひとつが重たくて、私は彼と知り合い、彼とこうして一緒に仕事をしていることを誇りに思う。
「参ったな。まるでどこかの宗教家だ」
マクドナルドさんは笑った。
「全てを失ったお前を支えられるならと、ずっと頑張ってきたが、もう不要らしい。クリフ、お前にはもう、お前だけの人生が見えているんだな」
セリフには哀愁が込められていた。
けれど、マクドナルドさんはどこか嬉しそうに、鼻歌交じりでメンテナンスを続けていた。
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