18.生と死

 マクドナルドさんが倒れたと知らされたのは、それから数ヶ月経ってた、冬の日のことだった。

 その前日も、マクドナルドさんは、大繁盛の機械細工教室を嬉しそうに覗きに来ていたのに。

 急性心筋梗塞だった。

 一人、作業場で倒れていたところを家族が発見するまで、相当時間がかかったそうだ。

 クリフォードさんは一報を聞くなり形相を変えて、仕事道具を全部放ってタクシーに乗り込み、病院へ駆け込んだ。

 到着したときにはもう、マクドナルドさんは息を引き取っていた。

 病室には、マクドナルドさんの奥さんと息子さん、娘さんが悲愴な面持ちで立ち尽くしていた。クリフォードさんはご遺族がいるにも関わらず、ズンズン進んで、ベッドの真ん前に陣取った。


「ディーン! 何寝てるんだ! メンテナンスはどうする? 義手は? この冬もお前が見てくれるんじゃないのか?!」


 誰かが制止しなければ、クリフォードさんはマクドナルドさんの遺体に殴りかかっていただろう。声を荒げた粗暴なクリフォードさんは初めてだった。マクドナルドさんの息子さんとジャックが、二人がかりで押さえ込まなければならないほど、クリフォードさんは取り乱していた。



 *



 病室を追い出され、待合室でようやく落ち着いたクリフォードさんの隣に、私は座って背中を擦った。

 北部とは違い、冬になっても雪が積もるようなことはなかったが、冷たい風の吹く日が続いていた。その日も薄曇りで肌寒かったし、南部にしては珍しく、雪がチラついていた。

 少しずつキシキシと音を立てるようになった義手を、クリフォードさんは何度もコートの上から擦っていた。その姿は、見ていてとても痛々しかった。


「血圧が高いのは知ってた。あの体型だろう? 僕は何度も痩せろと言ったんだ」


 クリフォードさんは珍しく苛立っていた。

 機械の義手で何度も膝を叩き、歯を食いしばっていた。


「なぁにが『安心しろ。俺が生きてる間はちゃんとメンテナンスしてやるから』だ! 先に死んだら意味がない! 意味がないだろう!」


 止めどなく流れていく涙を、彼は拭おうとしなかった。

 私はただ、隣に居ることしか出来なかった。



 *



 人は簡単に死ぬ。

 今を大切に生きなければ、明日にでも死んでしまうかも知れない。

 クリフォードさんは、身をもって知っていた。

 だからこそ、前を向こうとしていたのだろうし、過去を振り返り続けたマクドナルドさんを否定したのだろうと思う。

 私は、これから先、どう生きたら良いのだろう。

 やはり、生きて行くには前を向くしかないのだろうか。



 *



 クリフォードさんは、黙々と機械細工を作り続ける。

 悲しみや辛さを感情に出さない代わりに、美しい細工を作り続ける。

 彼にとって機械細工とは何なのだろう。

 表現活動の一環などでは決してない、魂の叫びとでも言おうか。


――『救いを、求めてるんじゃないかな。クリフは』


 生前そう表現したマクドナルドさんの言葉が、重く、重く、のしかかっていく。

 辛いならば、泣けば良いのに。

 苦しいならば、叫べばいいのに。

 彼は自分の中に感情を押し込め、ただただ機械細工を作り続けた。



 *



 機械細工教室は、びっくりするほど大人気だった。

 クリフォードさんが主に講師をやったけれど、私も時々、講師の代役をすることもあった。何回もやっているうちに、私もだんだん、教えるのが上手になっていった。

 不器用なジャックが講座用の材料の袋詰めを手伝ってくれた。小さい材料が床に散らばったり、時折数を間違えてしまったりと、失敗も色々あったけど、ジャックがアトリエに入り浸るようになったのは驚いた。

 マクドナルドさんの息子のトムが、父親の跡を継いでクリフォードさんの義手のメンテナンスをしてくれることになった。お父さん譲りの巨体で、そして、お父さんよりも愛嬌が良い。


「親父から『あの義手は特別だ』って聞いてたけど、本当に言葉通りだった。なんだか、親父の思いが沢山詰まってて、直ぐそこで親父がニヤニヤしながら見下ろしているような気持ちになるよ」


 トムが言った。


「ディーンが? 本当に?」


 クリフォードさんが聞くと、トムは満面の笑みで答える。


「親父、スミスさんのこと本気で支えようと思ってたらしいんだよね。今度は俺が、親父の代わりに頑張るよ」


 そう言ったトムの顔は、誇りに満ちていた。



 *



 ジャックは仕事が終わってから、人知れずクリフォードさんの介護を続けていたようだ。主にシャワーの前後の義手の着脱。

 年が経つにつれ、介護中の小言が増えてきたと、ジャックは一度だけ愚痴をこぼした。

 どんな会話を交わしながら介護していたのか、私には分からない。

 私を心配させないよう、気を遣ってくれているのか、私にはそういう現場を見せようとはしなかったし、私も興味本位で見るようなものじゃないと思っていた。


「若いときより、肌の張りがなくなってきたかな。それでも、あの重い義手を使い続けてるんだ。凄い体力だよ。僕たちが思っているよりもずっと、あの義手には色々な思いが詰まってるんだろうな」


 ジャックはクリフォードさんを遠目に、静かに笑っていた。



 *



 同じアトリエの中に居ても、一言も喋らないまま一日が終わるときがある。

 お互い、それぞれの作品を黙々と作る。

 作業机の向きは90度ちがうから、目を合わせようとしなければ合わせることもない。

 彼は彼の作品を作る。

 私は私の作品を作る。

 同じ時間を同じ空間で過ごす。

 一つのことに、命を懸ける。

 職人とは、孤独で、そして、とても頑固な生き物だ。



 *



 いつしか私は、クリフォードさんを一人の男性として見ていた。

 彼は、理想の男性だった。

 もう少し年が近ければ、本気になっていたのかも知れない。

 私の好意を知っていて、クリフォードさんは距離を一切縮めなかった。

 それが、家族を失った彼の信念のように。






 *






 数年の歳月が流れた。


「僕と、いつまでも同じ時間を過ごして貰えないか」


 ジャックは私に求婚したのは、爽やかな春の日だった。殺風景だったアトリエの周囲に私がコツコツと増やしたプランターの花々が、一斉に咲き揃っていた。木々に芽吹いた小さな葉が、日差しを受けてチラチラと輝いていた。

 私は既に30手前。断る理由も見つからなかった。

 違う。

 断る理由を見つけようとも思わなかった。

 私はYESと返事をした。


 二人でクリフォードさんに報告すると、彼は満面の笑みで祝ってくれた。


「おめでとう。二人の幸せが永遠に続くよう、祈っているよ」


 クリフォードさんはそう言って、私たちの手を温かく包み込んだ。



 *



 ウェディングアイルのエスコートは、クリフォードさんにお願いした。


「まるで夢のようだ。マリアとの間には娘なんかいないのに!」


 その、綻んだ顔と言ったら!

 白髪の交じったクリフォードさんの、少し丸みを帯びてきた背中。私は彼の左側。クリフォードさんは、にこやかに機械義手を振りながら歩いて行く。

 町中の人がお祝いに駆けつけてくれた。商店街の皆さん、機械細工教室の受講生の皆さん、取引先の営業マン、機械細工職人の方々、そしてキャシーも。

 小さな教会は人で溢れた。


「たったひとつの出会いが、運命を変えることがあるって、君は知ってたかい?」


 涙を浮かべながら、クリフォードさんは言った。


「僕は知ってる。君が偶然、アトリエにやって来たときから、僕らの止まっていた時間は動き始めた。ありがとう、そしておめでとう。これからも、一層、素晴らしい日々を」


 私とジャックは、幸せを噛みしめた。

 そして、クリフォード・J・スミスという、心優しい男性が私たちの未来を見守ってくれるということに、心から感謝した。



 *



 付かず離れずの関係を保ちながら、私はそれから何年となくアトリエで過ごした。

 クリフォードさんと私は師匠と弟子。

 それ以上でもそれ以下でもなかった。


 クリフォード・J・スミス工房の一員として作品を発表するようになると、益々仕事が忙しくなった。

 二人展を開いたこともある。

 私はほとんど営業に口出しすることもなくなっていた。主にジャックが営業をこなし、クリフォードさんと私が作品を作る。コンスタントに新作を発表することにより、収入も徐々に安定した。

 機械細工は天職だと思えるようになっていた。


 機械細工教室も勿論、ずっと続けている。キャシーの見立て通り、教室を始めたことで、周囲からの理解が得られると、噂はどんどん広まって、今では遠い町から列車を乗り継いだり、泊まりがけで来てくれたりと、受講者が切れることもない。子どもからお年寄りまで、私たちは沢山の人を受け入れた。

 マイナーな装飾品に過ぎなかった機械細工が、少しずつ市民に認知されていくのが楽しくて堪らなくて、私たち3人は益々機械細工にのめり込んだ。

 傍目には、仲の良い親子に見えていただろうか。舅と息子夫婦と言われても、否定のしようがないくらい、私たちは仲が良かった。

 けれどクリフォードさんと私はどこまでも、師匠と弟子だった。



 *



 結婚して3年目に娘、5年目に息子が生まれた。

 2人とも、私に似たのか綺麗な金髪だ。青い瞳の娘はジャックに、緑の目の息子は私に似ているらしい。

 クリフォードさんはまるで本当の孫のように、私たちの子どもを可愛がった。機械の義手で抱き上げ、高い高いをする。おどけた顔をして笑わせてみたり、子守歌を聴かせてあげたり。

 ベビーカーを押して散歩に連れて行くこともあった。アイディアを捻り出すためなんかじゃなく、彼は子守のために散歩するようになった。商店街を周り、


「ウチの孫だ」


 と自慢して歩いていたそうだ。

 数年前亡くなった文房具屋のおばあちゃんも、パン屋のおじさんも、肉屋の奥さんも、金物屋のおじいさんも、そして大工のジョンソンさんも、皆口を揃えていった。


「まるで本当のおじいちゃんだ」


 そしてその言葉を、クリフォードさんは嬉しそうに聞いていたそうだ。


 失った時間を取り戻すかのように、彼は緩やかな時間を過ごした。

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