19.日々
年月は、無情に過ぎ去っていくものだと思う。
自分自身はいつまでも変わらぬつもりでいるのに、顔には小じわが出来、髪の毛には白髪も出てきた。
ジャックはこの頃老眼で、伝票の細かい数字が見えなくなったのだと私にぼやいた。
「私だって、手元が怪しくなってきたわ。いやぁね、年を取るって」
すると、大抵クリフォードさんがハハハと笑って、
「それを僕の前で言うのはどうかと思うよ、ライザ。君はまだまだ、若いじゃないか。そんなこと言ったら、僕なんてどうなる。若い頃より足腰は弱くなった。散歩じゃ、いつも置いてけぼりだ」
「それは、シャーロットとロナルドがクリフォードさんのことを考えず、先に走って行ってしまうからでしょう。二人にはちゃんと話しているんだけど、難しいわね」
「大きくなった証拠だ。仕方ないだろう」
ジャックが見かねて口を挟んだ。
私たちは皆で苦笑い。
「シャーロットも、学校に入る年になったのか。早いな」
クリフォードさんはそう言って、アトリエの窓に顔を向け、目を細めた。視線の先には、機械細工教室の小さな小屋がある。
休講日の教室は、シャーロットとロナルドの恰好の遊び場だった。危ないものを全部片付けておくと、二人は大きな机に紙を広げてお絵かきしたり、ブロックを広げてみたりして、楽しそうに遊ぶのだった。
アトリエから一直線のところにある教室の窓からは、二人が楽しそうに遊ぶのが見える。
年上のシャーロットは手先が器用で、ハサミや糊を上手に使った。それを見てジャックが、自虐的に笑う。
「僕に似て不器用だったらどうしようかと思ったけど、大丈夫みたいだね」
「でも、父親に似たほうが美人になるって聞いたことがあるわよ」
私はそう言って、ウインクする。
そんな会話を聞きながら、クリフォードさんはまた、黙々と作業机に向かっていた。
彼が作るのは、何種類ものガラスを使った、大きな機械細工。数年ぶりに開かれる、機械細工展示会のための新作らしい。
縦横1メートルの大きなアクリルケースに収める予定の作品は、四季と地球を題材にしたものだと彼は言った。今はその中の、小さな部品を沢山作り出す工程。細かい葉っぱのパーツが、幾つも幾つも用意され、それをひとつずつ溶接していく地道な作業だ。
彼は、その作品を誰にも手伝わせようとしなかった。
以前より上手に道具が使えないことも多くなったが、あくまで自分一人で作り上げようとしていた。
私たちは、彼の意思を尊重した。
*
「“スミス&スペンサー工房”に変えたらどうです?」
取引先に言われ、私とジャックは少し困惑した。
「どういう意味ですか?」
営業の女性は、ニッコリと笑みながらも、少し尖った物言いをした。
「見たところによると、スミス氏はもう殆ど作品を製作していない。徐々にライザ・スペンサーさんの作品の比重が増えてきているわけですよ。今後、作品を発表していく上でも、いつまでもスミス氏の名前を看板としておくのは勿体ない気がするんです。何なら、思い切って、“スペンサー工房”でも。ご夫婦が中心となって経営してらっしゃるのでしょう? おかしな話ではないと思いますよ」
クリフォードさんは偶々、娘達を連れて散歩へと出かけていた。恐らく彼女は、クリフォードさんがいないのを見計らって話をしたのだ。それがまた、モヤモヤした。
「確かに、作品の割合は、私の方が多くなってきてますけど、それは彼の年齢的なものもあります。それに、新作も制作中です。そういう言い方は……どうかと思います」
私は思い切り言い放ったつもりだったが、心の中では、彼女の言うとおりなのかも知れないと、どこかで思っていた。
近頃、クリフォードさんは仕事に身が入らなくなってきている。体力も落ちたと自分で言っていたように、本当は義手を動かすのさえ辛いのではと思うこともある。
未だ毎日入浴の介護をしているジャックは、彼女の言葉に完全に詰まってしまった。私よりもっと、思うところがあったのかも知れない。しかし、
「変えませんよ」
とジャックは言った。
「このまま、“クリフォード・J・スミス工房”で。僕らは、彼の元で仕事をしてる。誇りなんです。このブランドを、これからも大切にしていきますから、よろしくお願いします」
「そうですか……。分かりました。では、今後もお願いしますね」
営業の女性は、諦めたようにため息を長く吐いていた。
*
身体的な衰えは、思ったよりも早く来る。
男性の平均健康寿命は70代前半。右腕が機械義手のクリフォードさんは、健常者に比べてその衰えが少し、早いように感じていた。
マクドナルドさんの息子、トムも、私たちと同じことを考えていたようだ。
「機械義手を止めたらどうかと、スミスさんに言ったんだ。60もとっくに過ぎたし、体力も若い頃に比べて衰えているはずだから、できる限り身体に負担がかからないようにした方が良いんじゃないかって」
事務室で、トムとジャックと私、三人がテーブルを囲ってため息を吐く。
「彼、断ったのね」
私が聞くと、トムは大きく首を縦に振った。
「死ぬまで、機械義手が良いそうだ。そう言われたら、俺はうんと頷くしかない。ジャックには面倒かけるけど、義手の取り外しやシャワーの介護は、これからも続けて欲しい。それだって、本当はプロの介護士に頼んだ方が良いのにな。変にこだわるんだもん、あの人は」
「――それでもさ、前よりは業者にお願いする頻度は上がったよ」
とジャック。
「子どもの誕生日とか、キャンプに連れてくときとか、気を遣ってくれているつもりなのか、そういうときは業者に頼んでるらしい。ああ見えて綺麗好きだから、機械油の臭いを出来るだけベッドルームに持っていきたくないらしくてさ。毎日就寝前にはシャワー浴びるんだ。近所に住んでるから良いけど……、寂しいんだと思うよ。本当は」
「寂しい?」
私が首を傾げると、ジャックは言い辛そうに、私から目を逸らした。
「なんとなくだけど、ライザが僕のものになったショックを、未だ引きずってるみたいで」
その言葉を聞いて、トムがアッと口を塞ぎ、目を逸らした。
「席、外そうか」
気を遣ってくれていたようだけれど、ジャックも私も、別にそのままで大丈夫と、手で合図した。
「ライザはマリアさんに似てたし、ライザもクリフのこと、慕ってただろう? それが異性としてなのか、師匠としてなのかはよく分からなかったけれど。どこかでクリフも期待していたのかなと、思うときもあってね。僕が結婚しておいてなんだけど、ライザのこと、クリフももしかしたら好きだったのかなってさぁ……」
ジャックが申し訳なさそうに言うのを聞いていると、私の中から思わず笑いがこみ上げてきた。
「私、彼とは親子ほども年が離れているのよ? どうかしら?」
「男心は分からないもんだよ」
「ジャックはそう言うけど、彼、私がマリアさんに似てるってことは明確に否定したわ。今更変なこと言わないの」
「まぁ……、そう、なんだろうけどさぁ……」
顔を歪めるジャックの肩を、トムがポンポンと叩いた。
「言いたいことはわかる。俺の親父の遺品に、マリアさんの写真があったくらいだ。男は案外、未練たらたらなんだよ」
二人がそう言ってわかり合うのを、私は呆れた顔で見つめるしかなかった。
*
クリフォードさんの大作は、展示会までには間に合わなかった。仕方なく、既存の作品を幾つか出品する。
「手伝った方が良かったですか?」
私は聞いたのだけれど、彼は静かに笑って、
「いいや。これは、僕の最後の作品になるだろうから、ゆっくりじっくり、一人で完成させようと思う」
アトリエの作業机には、小さな紙に書かれた、何枚もの設計図とメモ書きが散乱していた。それが全て、あの大きなジオラマのためのものだというのは、チラリと見ただけで直ぐに分かった。
作業が遅れた理由は分かっていた。義手が上手く動かせないらしいのだ。
クリフォードさんは困りはて、何度かトムを呼んでいた。トムは他の仕事もあるだろうに、いつも最優先でクリフォードさんのところに来てくれる。
「もう少し、電気信号の伝達をスムーズにするような部品はないのか」
眉をひそめるクリフォードさん。
トムは困ったように頭を掻きながら、う~んと唸っていた。
「親父が作ったときより性能の良い部品はあるけど、少し改造が必要になる。基盤を入れ替えればどうにかなるとは思うよ。ただ、基盤の場所が場所だから、少し時間を貰えれば」
「どれくらいだ?」
「そうだなぁ……、二日ほどかかる」
「もっと短くなる可能性は?」
「善処するよ」
代わりに、スペアの義手を付けたクリフォードさん。人工皮膚のそれは、若いときに作ったこともあって、皮膚の感じが左手と明らかに違っていた。シワと血管の目立ってきた左手に比べ、右腕の義手はジャックよりもずっと若々しかった。
なんだか妙に違和感がある。
私とジャックは苦笑いしながら義手を見つめ、娘と息子は目をまん丸くした。
「きもちわるい! じいじのうで、にんげんだ!」
子どもたちの率直な感想の、なんて恐ろしいこと!
「酷いなぁ。僕のことを、君たちはどういうふうに見てたんだ」
口ではそう言っていたが、クリフォードさんは嬉しそうに、頬を綻ばせていた。
*
機械義手は、クリフォードさんの一部だった。
人工皮膚の義手は、使う人の年齢によって変化する皮膚の状態と合わせるため、大人になってからも何度か作り替える必要があると、トムに聞いた。血管の出具合、皮膚の張り、シミ、表皮の劣化具合、脂肪の付き方など、人間の老化は手に現れるという。より自然に人工皮膚の義手を使い続けるには、メンテナンスや作り替えが必須な理由だ。
今更別の義手に付け替えたくないと、クリフォードさんが拒み続けていた理由も、なんとなく分かる気がする。
*
次の日の夕方、トムが改良した機械義手を持ってくるまで、クリフォードさんは子どもたちが気持ち悪いと言った人工皮膚の義手で過ごした。
私たちはあまり口にしないように心がけていたけれど、やっぱり違和感が拭いきれなくて、気が付くと視線が義手に向いていたのは、本当に申し訳なかったと思う。
クリフォードさんはクリフォードさんで、機械義手に比べて、人工皮膚の義手では思うように手が動かないこと、細かい作業が難しいこと、取り外しはこっちの方が楽なことなどを確認していたようだ。
その上で機械義手を付け直すと、やはりそっちの方がしっくりくる。
「やっぱりこれだな」
クリフォードさんは何度も頷いて、自分の機械義手をまじまじと見つめ、付け心地を確かめていた。
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