20.ありがとうさようなら
大きなジオラマが完成するのに、結局10年の歳月がかかった。
60代前半から70代前半まで、クリフォードさんは自らの使命だとばかりに、日々の製作に加えてジオラマの製作に熱を注いだ。
その作品は国内全土の機械細工職人のみならず、海外からも高く評価され、一時はこの
しかし、メディア嫌いのクリフォードさんはかなりご機嫌斜めだった。
「彼らにこの作品の本当の意味など分からない」
「一時的な反応だ。直ぐに熱は冷める」
「本当に素晴らしいと思うなら、他の職人の作品にもスポットが当たるはず。偏見がもたらした過剰反応だ」
新聞やテレビに話題が出る度にカンカンだった。
それもそのはず、やはり、義手のことが一緒に話題にされてしまったからだ。
“機械義手の頑固な職人が生涯をかけた作品”などと紹介されれば、なおのことクリフォードさんは怒る。その怒りが私たちクリフォード・J・スミス工房の社員や子どもたちに向けられてしまうのだから、本当に、どうしたら良いのか分からなくなる。
「僕は腕を失って、義手で作品を作っている。それがどうした。僕以外にも、手足を失って活躍している人なんてごまんといる。文明は発達し、義手や義足のお陰で何不自由なく生活している人たちにとって、それは特別ではない。耳が聞こえづらくなれば補聴器を、視力が悪くなれば眼鏡をかける。けれど誰も、補聴器や眼鏡を使う人を特別扱いしないはずだ。なのに何故、手足が欠損しているだけで特別扱いする? メディアは嫌いだ。僕らは単に、それを普通として生きていたいだけなのに」
親切と、余計なお世話は違う。
クリフォードさんはよく、そういう話をした。
困っている人のためにどうにかしようと思う気持ちだとか、理解しよう、寄り添おうと思う気持ちだとか、そういうのと、色眼鏡で見てくるのとは全然違う。見れば分かるのだと。
「クリフもいい年なんだから、そんなヤツら放っておけば良いのにね」
そんなことを言うのは、20歳になったシャーロット。大学で造形を学んでいる。
「それは無理だと思うよ。あれだけ年を取ると、誰かの言葉を素直に聞こうって気持ちは薄れてしまうらしい。周囲が気遣うようでなきゃ、どうにもならないよ」
18歳のロナルドは、トムに憧れ、義肢職人になりたいと修業を始めた身だ。
クリフォードさんをおじいちゃんと慕ってきた子どもたちも、どんどん大きくなっていく。私たちよりも、もしかしたらクリフォードさんのことをよく見ていたのかも知れない。
*
機械義手に上手く脳からの電気信号が伝わらなくなり、以前ほど細かい作業は出来なくなっていたが、機械細工職人としてのクリフォードさんは、80を過ぎても健在だった。
数年前に腰を痛めてからは、車椅子の生活に。70手前のジャックにこれ以上迷惑をかけ続けるわけにはいかないと、いい加減ヘルパーさんを雇うようになった。
それまでシャワーの介助をずっと続けてきたジャックは、口には出さなかったが相当ゆっくりしたのか、一気に白髪が増えた。精悍だった面影も虚しく、彼も立派な年寄りの仲間入りだ。
機械細工教室は、主に私とシャーロットが担当するようになった。ジャックは相変わらずサポート。そして、車椅子の上から、クリフォードさんが私たちの様子を見守る。
「有名な職人さんだったんだって」
展示室にはクリフォード・J・スミス工房の様々な作品が飾ってあるが、それをまさか、こんなよぼよぼのおじいちゃんが作っていただなんて、若い受講生さんたちは知らない。
金属と油、そして塗料の臭いが充満する機械細工教室は、細く長くをモットーに、細々と続いている。
採算は取れているんだか取れていないんだか。ジャック曰く、何年経っても実にギリギリの線らしい。
それでもずっと続けているのは、私たちが愛する機械細工というものを、少しでも分かって欲しいから。誰かと繋がる手段としても、感情表現の一つとしても、とても有効なものだからだ。
機械細工はここ何十年かで有名になったか、と聞かれれば、首を傾げる。
多分、きっと全然有名じゃない。
少し凝ったカルチャースクールのネタという位置から這い上がるまでは、もう少し時間がかかりそう。
私がこの町に初めて来たとき、機械細工のことを、町の人たちは誰も知らなかった。同じ町で暮らしているクリフォードさんが何をしているのかも、知ろうとしなかったし、興味すら無かった。
それが、今では機械細工教室のチラシをどの店にも置いてくれる。商品のサンプルも店頭に飾っていてくれる。町のお土産として取り扱ってくれる。それが、本当に嬉しくて嬉しくて!
興味を持つ、知ろうとすることが、理解への第一歩。
だからまず、知ってもらおうと立てたあの作戦は大成功だったわけね! 流石キャシー!
勿論、私とキャシーの仲も、まだまだ続いている。
彼女はデザイナーに。時々遊びに来ては、私やシャーロットのファッションチェックをしてくるの。
「女はね、幾つになっても美しくあるべきよ。もっと気を遣いなさいよ、ライザ! シャーロットも、お母さんに綺麗な服を着るよう、きちんと話しておくのよ。気が付くとライザは直ぐに作業着姿になっちゃうんだから。この町に来て、あなたは本当に変わったわよ、ライザ! 生き生きしてる。でも、お洒落は一生忘れない。私からのお願いよ」
お互い年齢を言うのも恥ずかしい年になったってのに、キャシーはいつまでも美しいまま。
「お気遣いありがとう、キャシー。あなたも、私のことばかり心配してないで、自分の幸せを考えてよね」
浮気っぽいキャシーが誰か一人の男性に縛られるっていうのも、あまり考えられないけれど、彼女はまだまだ独身で。今は仕事が恋人、みたいなことを言っているけれど、新しい彼氏と同棲中なのは聞いている。今度は年下だってニヤニヤしてた。
「人生って、一人じゃ送れないものでしょ? だから心配なんて気にしなくていいじゃない。私は好きでライザにちょっかい出してるの! 自由に生きてさ、自由に楽しまなきゃ。やり残しのある人生なんて、私は真っ平ゴメンね!」
そう言い放つキャシーは、やっぱりいつまでも眩しい存在。
私のことを支えてくれた、私のことを見ていてくれた、そんな人と出会えたことを、私は神に感謝する。
*
そして神は、平等に時を与え、平等に死を与える。
永遠など、この世界には存在しないのだということを、教えてくださるのだ。
*
とある、初夏の昼下がり。
アトリエには私とクリフォードさんの二人きり。
シャーロットはこのあと始まる機械細工教室の準備のため、隣の小屋へと赴いていた。
ジャックは介護センターへ、クリフォードさんの今後について相談へ出かけて留守だった。
ロナルドはトムの元で正社員として働き出し、朝から晩まで憑きっきりで仕事を教えて貰っていた。
アトリエの窓から、木々のざわめきが聞こえていた。クリフォードさんの作業机に向かって、風が丁度よく窓から入り込んでいた。
殆ど荒れ地状態だったアトリエの周りが木々や花々で彩られると、商店街の皆さんや住宅街の皆さんが自然と集まりだした。何年か前からは、機械細工教室の周りにもベンチをいくつか置いて、くつろげるようにした。それがまた評判良く、知らず知らずのうちに、誰からともなく集まってくるようになっていたのだ。
風の中に、人々の会話が混じって聞こえてきていた。
他愛のない会話。今晩のおかずとか、家族の様子だとか、誰かの愚痴だとか。どうでもいい話声が心地よくバックミュージックのように聞こえてくる。
私たちは、その声を聞きながら、ずっと作業を続けていた。単調な作業を、ずっと。
クリフォードさんは、車椅子で作業台に向かっている。近頃はもう、一人でトイレにも行けなくなってしまったため、日中はクリフォードさんの介護をしながらの仕事だ。ジャックがいるときはトイレの介助を彼が行う。私やシャーロットだけの時、クリフォードさんはトイレの介助は良いよと拒んで、ジャックが来るまで待っているか、トイレの前まで彼を連れて行くと、一人で頑張って用を足すのだった。
介護センターに行ったジャックは、思ったよりも時間がかかっているのか、なかなか戻らない。
午後の機械細工教室までは、あと30分に迫っていた。
「ライザ」
彼は優しい声で私を呼ぶ。
「どうしました、クリフォードさん」
私もいつものように答える。
立ち上がり、彼の作業机まで行くと、その上にはトレイに載った小さな歯車がいくつかと、ピンセットが転げている。
「今日は雨が降っているのかい?」
外は晴天だった。
最早耳も遠く、目も病気で殆ど見えなくなってきているのだと医師は言っていた。
私は腰を屈め、彼の口元まで耳を寄せる。
「手がどうも、上手く動かないんだ」
外のざわめきで、かき消されてしまいそうな、か細い声だ。
受講生さんたちも少しずつ小屋に集まり始め、「もう少しで始まりますから、お待ちくださいね」というシャーロットの声が、一際大きく聞こえている。
私は彼の後ろに立ち、そっと右の義手に手を添えた。
「どうしたんでしょう。私が手を添えますから、ピンセット持ってみましょうか」
彼の手をそっと握る。
いつもはスッと上がる腕が、鉛のように重い。
「クリフォードさん?」
彼は、そのまま二度と動かなかった。
彼の手は、酷く……冷たかった。
*
クリフォード・J・スミスが残した作品に、“美しき四季”と題された大きなジオラマがある。
天使の手のひらに、小さな人間を乗せた作品だ。
天使は全て、小さな葉っぱで出来ており、そのひとつひとつが丁寧に溶接され、柔らかな天使の姿を形作っているのだ。花が開くように天使の手のひらが開いていくと、そこに小さな男の子が座っている。膝を抱えた男の子が立ち上がり、空を見上げると、天使はその柔らかな顔を綻ばせる。
色とりどりのガラスが彼らの周囲にちりばめられ、光の加減で七色に光る。
天使が徐々に手の高さを上げていくと、男の子の目線が天使の顔と同じ高さに。天使は首を傾げ、男の子は手を伸ばし、互いにキスをするような仕草をするのだった。
*
クリフォードさんの死後、私たちは彼の住まいを整理することを余儀なくされた。
生前彼は、私を家に寄せ付けなかった。いや、正確には、家の中には入れてくれなかった。
ジャックは介護のため日々通っていたが、私にはその現場を見せようとしなかった。
曰く、初めて雨が降ったあの日、私を驚かせてしまったことをずっと悔いていたのだとか。
「変なことにこだわるのよね、クリフォードさんは」
私は苦笑いしながら、家族と共にクリフォードさんの家に向かった。
2階建ての白い壁の家は、少しくたびれて見えた。庭には数本の木が植えられていたが、殆ど選定されている様子はない。それでも、ヘルパーさんを雇っていただけあって、庭先や家の中は殆ど荒れた様子はなく、清潔に保たれていた。
「僕が一人で介護していたときとは比べものにならないくらい綺麗だよ」
とジャックは笑った。
「この家、全部空っぽにしなきゃいけないんでしょう」
「そう。誰も住む見込みがないし、売却するしかないだろうって」
クリフォードさんには、身内が残っていなかった。愛する妻も息子も、とうの昔にあの世にいる。
要るもの、要らないもの、仕分けながら片付けるよう家族に指示し、私も水回り中心に片付けていく。
と、ジャックが一つの部屋の前で、しばらく佇んでいた。
「どうしたの?」
手を止めて声をかける。
「クリフの寝室。僕も、入ったことがない」
ジャックはそう言って眉をひそめている。
「でもさ、誰かがいずれ片付けなきゃならないんだ。入るしかないだろ?」
ロナルドが言う。
「そうそう。もしかしたら、死んだ奥さんの写真が飾ってあるかもだけどね」
シャーロットがイタズラっぽく言う。
私の胸は、急激に締め付けられた。
そう、死んだ奥さんの、マリアさんの写真があるかも知れない。殆ど捨ててしまったのだとジャックは言っていたけれど、もしかしたら、今も残っているのかも。
「開けてみるか」
ジャックがそっと、ドアノブに手をかけた。
ゆっくり、ゆっくりと、ドアが開いていく。
ツインのベッドがあった。
そのうち一つにだけ、布団が敷かれている。
壁一面の棚には、家族の写真やラジコン、古めかしい子どものおもちゃまでギッシリと詰め込まれていた。
「見て! この子、クリフの息子さんじゃないの?」
シャーロットが言う。
以前ジャックに見せて貰った写真とは別アングルの、似たような構図の写真。若いクリフォードさんと一緒に写る、金髪の少年。
「うわぁ、これ、年代物! 良い趣味してたんだなぁ!」
ロナルドが感嘆の声を上げたのは、ラジコンとプラモデルのコレクション。どれも丁寧に着色され、埃が被らないようにケースに入れてある。
マリアさんの写真も、沢山あった。
付き合っていたとき、結婚したとき、新婚旅行に行ったとき、子どもが生まれたとき、三人で息子の誕生日を祝ったとき。沢山の写真で溢れていた。どれも大切に、手作りのフォトフレームに几帳面に飾ってある。
彼の生きた証が、彼の生き様が、苦しいくらいに伝わって、私の目からは自然と涙が、涙が。
ベッドの横、サイドチェストの上を見て、ジャックが私を手招きした。
「どうしたの?」
涙を拭い、ジャックの元へと行くと、そこには懐かしいものがケースに入れて飾ってあった。
「これ……! 私が初めて彩色した機械細工……!」
『色を、塗ってみたらどうだろう』
クリフォードさんの声が、どこからともなく振ってくる。
『僕はあまりセンスがない。君は絵のたしなみがあると聞いた。色を付けたら、印象が変わると思わないかい?』
優しいクリフォードさんの笑顔と、ぎこちない機械義手の音がする。
『人生にも彩りを。機械細工にも彩色を。どうだい? 良いアイディアだろう』
私は、気が付くと泣き崩れていた。
クリフォードさんの声が、私の中で幾重にも重なって響いていた。
<終わり>
機械細工職人と機械義手 天崎 剣 @amasaki_ken
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