11.心配

 クリフォードさんは義手で器用に物を持つ。

 摘まんだり、引っ張ったり、叩いたり、なぞったり。

 ディーン・マクドナルドさんに安価に付けて貰ったなんて言ってたけど、本当は安価な代物じゃないくらい、私にだって分かる。

 特に指先。感覚が無いと本人が言っていたことに嘘はないのだと思う。実際、何かがぶつかっても間違って熱い物に触れても、反応が遅いことは良くあるようだ。

 上腕骨から先っぽがないクリフォードさんが細かい作業を行えるのは、彼の集中力の高さと、マクドナルドさんの義手の性能のお陰。指先は少し磁力を帯びていて、小さな釘や螺子、歯車も、上手く摘まめるよう工夫してあるらしい。時々、必要のないものまでくっついてくるのが悩みの種らしいけれど、それはそれで、無くなっては困る大切な機能だ。

 右手の感覚が残っているとクリフォードさんは言った。

 手がないのに、あるような感覚というのは、他の障碍者の方にも話は聞いたことがある。しっかりと脳が覚えていて、咄嗟にそういう信号を出すらしい。

 それをキャッチして手を動かすのが機械義手。人工皮膚の義手も、構造や仕組みはほぼ一緒。違うのは見た目と耐久年数、そして、お値段。


「本当は、滅茶苦茶高いですよね、あの義手」


 差し入れのお菓子を持ってアトリエに遊びに来ていたマクドナルドさんに言うと、彼は慌てて人差し指を前に出し、シーッシーッと声を上げた。


「トイレとはいえ、クリフが近くにいるんだから、そういうこと言うなよ」


 どうやら図星だったようだ。

 マクドナルドさんは汗をびっしょり掻いて、顔も真っ赤っかだ。


「どのくらい値引いたんですか? 相場、ちょっと分からないですけど、人工皮膚の義手も用意したって聞きました。本当は結構なお値段だったんでしょ。クリフォードさん、あまりお金のこと考えてないみたいなのは、仕事しててなんとなく分かるんです。高い部品でも躊躇無く注文するし、注文したのも忘れて何年も段ボールを山積みにしてあったところから考えると、値切ったり注文付けたりは殆どしなかったんじゃないですか?」


「――ちょ、ちょっと困るなライザちゃん。あんまりそういう話はしないでくれ。義手は俺の誠意のようなもんだ。値段じゃない」


「……ですよね。やっぱり。遊びに~なんて言いながら、目線はずっと義手の方を向いてました。マクドナルドさん、義手のことが心配でちょこちょこ顔を出すんでしょう。マクドナルドさんて本当に優しいですよね」


 あまりに褒めちぎったことに照れたのか、マクドナルドさんはヒューヒューと変な息の仕方をして、両手で顔を大げさに仰ぎ始めた。汗が噴き出るほど出ていたので、棚からタオルを持って差し出すと、


「ありがとう。ライザちゃんには本当参るな。これじゃ本当にまるで――」


「まるで?」


 マクドナルドさんは釣られなかった。

 セリフをゴックンと飲み込んで、顔をブルッと震わせた。


「いやぁ、怖い怖い。口が滑っちまうところだった」


「――口が滑る? またろくでもないことを考えてるんじゃないだろうな」


 後ろから低い声が被さってきた。

 トイレから戻ったクリフォードさんが、ムッとした顔でマクドナルドさんを見下ろしている。

 ハァ~ッと、マクドナルドさんは大げさに息を吐いて、頭に手を当て、


「参ったな」


 と言った。

 マクドナルドさんは静かに笑っていた。なんとなく、目に涙が浮かんでいるようにも見える。


「どうしました?」


 私が覗き込むようにして様子を覗うと、マクドナルドさんは慌てて、持っていたタオルで顔をゴシゴシ拭いていた。


「何でもない」


 何でもないはずがない。マクドナルドさんの嘘は、直ぐに分かる。


「いや、年かな。年のせいかもしれない。最近――、涙腺が。妙なところで急に。本当に、そんなつもりは。なんでだろう。止まんねぇな」


 マクドナルドさんは変な様子だった。

 クリフォードさんがどうしたんだとジェスチャーしてくる。私は、さぁ分かりませんと、ジェスチャーで返した。



 *



 集中力が切れると、クリフォードさんは散歩に出かける。

 どん詰まりになると、外の空気を吸わないとやる気が湧かなくなるらしく、あてもなくフラフラと行き来するらしい。


「クリフ! 電話持った?」


 前触れ無く出かけようとするクリフォードさんの動きを、何故かジャックは事前に察知して、いつもそう声をかける。

 クリフォードさんがアトリエにいて、ジャックが事務所にいるときも、何かをふと感じるらしく、事務所の扉をバンと開けて飛び込んでくるのだ。


「持ってる持ってる」


 適当に受け流そうとするクリフォードさんを疑って、ジャックは慌てて電話をかける。

 と、大抵電話は作業机で鳴る。


「やっぱり持ってないじゃないか!」


 ジャックは口をひん曲げながら作業机の電話をむしるように取り、クリフォードさんのポケットに突っ込んで、


「面倒でも持って行けって言ってるだろ。お互い、何かあったら困るだろ?」


 クリフォードさんはムスッとあからさまにご機嫌斜めな顔をする。


「こういうものを携帯していると、自由にはなれないだろう? ジャック、君は僕から自由を奪うのか?」


 とんでもない言い訳。


「自由にお空に飛んで行かれると困るので、きちんと連絡取れるようにしてください。いいですね?」


 年上のクリフォードさんに対し、ジャックは遠慮なしに威嚇する。それも、襟元を掴んでけんか腰に。するとクリフォードさんは、ジャックの腕を義手で掴んで、ハイハイハイとその手をどけるのだ。


「そんな愚かなことはしないよ。じゃ、行ってくる」


 ここまでがテンプレートだった。

 最初こそ驚いたものの、同じようなやりとりが何度も続くと、感覚はどんどん鈍っていく。私も近頃は、作業しながら横目に見ていても、胸がドキドキするようなことはなくなってきていた。

 クリフォードさんが行く先を、ジャックは心配そうにしばらく眺めている。これも、毎度同じ流れ。


「……今日は商店街か」


 クリフォードさんの姿が見えなくなった頃、ジャックはようやく戸口から戻ってきた。

 短時間のやりとりに気を張っていたのか、ふぅとため息を吐いて力を抜いている。


「心配性ですよね」


 私は何気なしに、ジャックに声をかけた。


「いや、僕が心配性なんじゃなくて、クリフがそういう人だから心配してるんだ。腕を失った直後は特に酷かった。フラフラと車道を歩いている片腕の男がいると大騒ぎになった。線路に降りようとしているところを駅員さんに取り押さえられたこともある。探しても探しても見つからなくて、やっと見つけたのがビルの屋上だったことなんて、何回あったことか。事故の後何年かそういう状態が続いて、医者にも通ってたし、薬も飲んでた。今はだいぶ落ち着いてるけど、本当に酷かったんだ。それを知ってるから、心配してる。電話はあくまでお守りだよ」


 不穏な言葉が返ってくる。


「ごめんなさい、私、知らなくて……」


 誤ると、かえってジャックの方が恐縮そうな顔をした。


「あ~、大丈夫。多分ね。薬飲まなくても死にたくならないみたいだし、ああ見えて顔が広いらしくて。“義手のクリフ”で通ってる。昔は奥さんとのラブラブッぷりが大評判だったそうだけど、今は変な義手付けてるって方が知られてるみたいだね。機械細工なんてこんな田舎じゃ知ってる人も興味ある人も居ないから、何の仕事をしてるかは知られてないのが悲しいけど」


「――ああ、それで!」


 と、私の中で合点がいく。


「最初にこの町に来たとき、機械細工のアトリエを知らないかって聞いて回ったんです。そしたら誰も知らなくて。義手のって言えば通じたんですね! ……とは言っても、私、お会いするまで義手のこと、何も知らなかったんですけど」


「ま、そういうもんだよ。知らなくてもいい個人情報、あちこちに載せるわけにもいかないからね。それに、義手だってことで作品を色目で見る人も居るらしい」


「……色目で」


「障碍者が作ったものは美しく見えるんじゃないかとか、特別な義手で作ってるから精密なんじゃないかとか。どこの世界も一緒だと思うけど、そういう心ない声もあるってことさ。知っての通り、別にクリフの心は全然美しくないし、ディーンが作った義手だって、作業しやすいように作られたわけじゃない。全部努力の成果だってことを認めたくない一定数の輩が世の中には潜んでる。だから別に、クリフは自分の職業を知られたいとは思わないし、自分の身体のことを知って欲しいなんて思ってない。本人の気持ちを尊重して、できるだけ外部にはクリフ自身のことは公表しないことをお願いしてるのは、そういう理由。納得した?」


「――はい、物凄く」


 なんとなくだけれど、ジャックとマクドナルドさんは、クリフォードさんへの接し方が全然違う気がする。

 二人とも、クリフォードさんを心配してはいるけれど、方向性が別というか。

 どっちが正解、という断定はとても危険だと思うけれど、私はジャックの接し方が好き。クリフォードさんの気持ちを尊重しつつ、適度に世話を焼く。簡単なようでとても難しいこと。


「最初は一人で出かけるのも止めろって言ってたんだけどね。ああいう性格だし、無理でしょ。好きにさせてあげるのが一番なんだと思うよ。一人の時間が欲しいのは、誰だって同じだと思うし。ただ、せめて携帯電話くらい持って貰わないと、いざってときに連絡がね、取れないととても困るから」


 ジャックは私に説明するようにそういって、いつもの笑顔で事務室へと戻っていった。



 *



 一時間で終わる散歩のときもあれば、数時間帰ってこないこともある。

 クリフォードさんはどんな気持ちで、どこを歩いているんだろう。


「車持ってないから、遠くまで行ってないと思うよ。あ、でも、バスや電車に乗っちゃえば行けるか。アハハ」


 ジャックは脳天気だ。

 きっと、遠くまで行っていないという確信があるからだろう。

 夜、日がどっぷり暮れても帰ってこない日もあった。

 私は作業を止め、アトリエの掃除をしながらクリフォードさんを待った。


「こんなことで残業しても仕方ないだろ。帰りなよ」


 アトリエの入り口をボーッと見つめる私に、ジャックは言う。


「でも、もうすぐ帰ってくるかも知れませんし」


 私が言うと、


「君の帰りが遅くなる。女の子が夜出歩くのは物騒だ。クリフのことは僕が待ってるから、ライザは早めに切り上げて良いよ。大丈夫。心配しなくても、明日にはいつも通り、自分の作業机に向かってる。クリフはそういう人だから」


 ジャックはそう言って、私を先に帰してくれた。

 荷物を持ってアトリエを出る。

 しばらく歩いてアトリエの方を振り返ると、ジャックが戸口でじっとクリフォードさんの居なくなった方向を見つめていることがあった。

 本当は、誰よりもクリフォードさんのことを心配してる。けど、それを彼はおくびにも出さない。

 無言で佇む彼に、私は何よりも強い絆を感じたような気がした。

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