12.幽霊騒ぎ
いつものようにジャックに心配されながら外に出かけたクリフォードさん。
私もだんだん慣れてきて、
「気をつけてくださいね」
くらい気の利いた声かけが出来るようになってきた。
作業机の上には、メモが沢山散らばったままだ。
またアイディアに詰まったのかなと、私は作業の手を止めて休憩に入る。すると数十分と経たないうちに、クリフォードさんが血相を変えて帰ってきた。
「た、大変だ。この界隈に最近幽霊が出るらしい」
ジャックと私は目を丸くした。
冷房のある事務所でジャックにアイスコーヒーをご馳走になりながら、どうでもいい話に花を咲かせているところだったが、クリフォードさんの強烈な一言が全てを遮った。
「ゆ、幽霊……?」
「何ですかそれ?」
あまりにも突然すぎて、何を言っているのか全然分からない。
けど、ただひとつだけ分かるのは、クリフォードさんがいたって真面目だということ。
「パン屋のじじいに言われたんだ。『お前の家の辺りに幽霊が出てるって噂があるけど大丈夫か』って」
暑い季節になってきていたのは違いなかったが、怖い話をするには日が高すぎる。それとも、だんだん暑くなって頭がおかしくなったのだろうかと、私はジャックと目を見合わせた。
「か、からかわれてるんじゃないですか? ね、ねぇジャック」
「だと……思うけどなぁ。あのパン屋さん、僕も時々行くけど、そんなことは言われなかったなぁ」
「それが、パン屋だけじゃない、肉屋にも、金物屋にも言われてきた。全く、わけがわからん」
クリフォードさんは顔を真っ青にしている。
わけがわからないのは皆一緒。
三人でどうなっているんだろうと首を傾げ合った。
「幽霊って、男ですかね、女ですかね」
尋ねると、クリフォードさんは、
「女らしい」
と答える。
ジャックはう~んと唸った。
「よくよく考えてもみろよ。うちの界隈ったって、別にコレといってお墓があるわけでもない、だだっ広い洋館があるわけじゃない。ちょっと行けば川や森はあるが、あとはいたって普通の小さな町だ。誰だよそんな噂流すの」
「でも、噂ですよね。元々来客者も少ないアトリエだし、別に困りませんよ?」
――と、私が言うと、何故か男二人は私をギッと睨み付けた。
「良くない! 夜一人で帰れなくなる!」
とジャック。
「同感だ。薄暗くなったら、それだけで仕事どころじゃなくなるだろ!」
とクリフォードさん。
どうやらここの男衆は、怖いものが苦手らしい。
「単なる噂なのに、そんなに怖がらなくたっていいじゃないですか。大の男が二人して」
……なんて、私が言ったのがいけなかったのかも。
ジャックは口をへの字にして、
「じゃ、じゃあ、ライザが調べてよ。幽霊がいないって分かれば、僕たちも安心して仕事が出来るんだし」
クリフォードさんまで、両手をこまねいて何度も頷いて、
「そうだな。僕らは君より心臓が弱い。残念ながら、本ッ当に怖いものが苦手なんだ。幽霊が出て散歩出来なくなったら、創作活動に影響が出る。これも仕事だと思って、君が商店街を回って真実を突き止めてくれ」
「えぇぇ……。なんか、営業の電話といい、面倒なのを私に押しつけようとしてませんか?」
「いや、断じて違う。人には与えられた使命がある。君には、営業の電話をするという使命と、幽霊の正体を調べるという使命がある」
堂々と言い放つクリフォードさんの顔が、なんとなく赤かった。
なんて、子どもっぽくて、可愛らしいんだろう。
「はいはい、分かりました。何かのついでにでも、聞き込みしてみますよ」
まるで二人とも、年下みたい。
私はなんだか微笑ましくなって、ほっぺたが緩んでしまったのだった。
*
――それにしても、幽霊だなんて。
この町に越してきて、私は家とアトリエの往復ばかり。コンビニや宅配ピザくらいしか用事のない生活をしていたから、クリフォードさんの散歩道がどんなかも知らない。そして、彼が育ったこの町の人のことも、殆ど知らない。
義肢職人のマクドナルドさんはクリフォードさんを心配して、よくアトリエを訪れるけれど、機械細工に興味の無い町の人たちは、アトリエに近づいてくることもない。
よそ者の私がすんなりアトリエで働けているのは、多分そういう環境だから。もし、このアトリエが盛況だったり、クリフォードさんがやたら社交的で、いつでも町の人と楽しげにしているようだったら、私はもしかしたら、ひと月と持たなかったかも知れない。
私は実はとても人見知りで、人と会話するのが苦手だからだ。
人付き合いと数字で苦労したから、出来ればそういうのとはちょっと離れたところで仕事をしたいなって気持ちが常にあった。初めて見たこのアトリエはとても汚れていて、人が沢山いるようじゃなくて、もしかしたら私の沈んだ気持ちにピッタリなのかも……なんて、今考えればとても失礼なことだけれど、そう、思っていたに違いなかった。
そうして、与えられた彩色の仕事をこなしつつ、あれこれ考えていると、ふいにジャックから声がかかった。
「ライザ、お遣い頼むよ」
私は手を止めて振り返った。ジャックが申し訳なさそうな顔をして、小さな箱を私に向けて差し出している。
椅子をグルッと回してジャックに向き直り、箱を受け取った。鉛筆の箱だ。
「うっかり切らしちゃって。6Hの鉛筆、文房具屋で買ってきて欲しいんだけど」
製図用に使う、硬い鉛筆。金属加工の際、金属に直接下書きやあたりを入れるときにも使用する大切なもの。
「……ご自分で、行かないんですか?」
きょとんとして私が訊くと、ジャックはフルフルと首をふるわした。
「い、いや。ほら、なんかが出るとか出ないとか。ここは検証がてら君が行ったらいいのではないかと、クリフも言ってたよ」
ジャックがチラッとクリフォードさんを見る。と、私が目線を向けた途端、クリフォードさんは背中を向けた。……酷い。
財布と空箱を渡され、私は渋々立ち上がった。
「いい加減にしてください。一体、幾つなんですか、二人とも」
ほっぺた膨らまして二人を睨み付けると、ジャックは両手を挙げて降参のポーズを取った。
「年齢と幽霊に対しての耐性に相互関係はないでしょ。さ、お願いしますよ、ライザ・グリーン嬢」
本当に酷い。
二人ってば本当に、子どもとまるっきり同じなんだもの。
*
渡された地図を頼りに、文房具屋さんへ歩いた。
今日は曇っていて、少し薄暗い。雨が降るのかな、なんて思いながら、キョロキョロしつつ歩いて行く。
仕事を始めてこの方、実は商店街には殆ど行ったことがなかった。チェーン店やスーパーなら行くけれど、小さなお店は少し苦手。どうしても、その土地の人独特のコミュニティが存在しているから、初めてだと入りにくい気がして。
古くからある商店街なのだろう、看板のペンキはどれもところどころ剥げていて、どの店の壁も、汚れて色がまだらになっていた。看板はサビやヒビが入っているし、軒先に迫り出た
場違いだなと口には出さないけれど、そんなことを考えながら歩く。
けれど、店先の小さな鉢植えや、猫や犬が遠慮なしに軒先で横になっていたり、おじいちゃんおばあちゃんたちが椅子やら箱やら路上に置いて話し込んでいたりするのを見ると、これはこれで味わい深いと感じる。
例えばあのおじいさんは、クリフォードさんが子どもだった頃には今のクリフォードさんよりずっと若かったのだろうし、あのおばあさんは昔はもっと美人で、さぞかしモテたのだろう。
私は田舎を捨ててしまった人間だけれど、クリフォードさんはずっとこの町で暮らしてきて、その中で嬉しいことも楽しいことも悲しいことも辛いことも、何もかも経験してきたのだ。
駄菓子屋さんの店先で、小さな息子さんにお菓子を買ったこともあったろう。
肉屋さんでは奥さんがその日の夕食のため、肉を吟味していたのだろう。
金物屋さんでは、好きな工具について語り合ったり、何十分も吟味して、ひとつの道具を買ったこともあったろう。
私にとっては慣れない土地だけれど、クリフォードさんにとっては住み慣れた土地。
ジャックにとっては、クリフォードさんを支えようと決めた土地。
そう思うと、少しだけ足取りが軽くなった。
*
アトリエから3ブロック先を右に入ったところに、小さな文房具屋がある。古いお店で、看板の剥がれかかったペンキを最近上塗りしたような跡があったし、壁のレンガのヒビはモルタルで埋めてあった。
ドアを開けて中に入ると、チロンチロンとベルが鳴った。
二世代くらい前の陳列棚が所狭しと置いてある。かなりごちゃごちゃしていて、商品は探しにくい印象だ。ただ、ジャックが指定した店だけあって、やたらとマニアックな者も多く売ってある。会計用から製図用、画材も少しだが、扱っているらしい。
筆記用具の棚を探そうとして躊躇した。店の人に聞いた方が早いのかも。
レジカウンターで店員が事務作業をしているのが見えた。私はその直ぐ側まで足を運び、
「すみません、ちょっといいですか」
と声をかける。
「買いたいものがあるんですけど、これと同じ鉛筆ってどこにあります?」
「鉛筆?」
店員は、60代くらいのおばあちゃんだった。
顔を上げて、私のことを見た瞬間、おばあちゃんの動きが止まった。
持っていたペンをポロッと落とし、銅像のように凝り固まってしまった。眉をひん曲げ、口をポカンと開けて、何か言いたげにしている。
「マ、マ、マ……」
その次の発音が出てこない。
おかしいなと思って首を傾げ、箱をおばあちゃんに差し出してみる。
「これなんですけど、硬さが6Hの……、どのあたりにあるか教えていただければ、探してみますけど」
ニコッと笑ってみせるが、何かがおかしい。
「鉛筆、欲しいんですけど。6Hの」
再度箱を差し出すと、おばあちゃんはようやく我を取り戻したかのように、
「鉛筆! 鉛筆ね鉛筆。6Bだったかしら?」
「いえいえ、違います。硬い方。6H。BじゃなくてHです、6H」
何度か訂正したけれど、分かっているのか分かっていないのか。
おばあちゃんは壁際の棚を指さして、
「鉛筆はメーカーごとに並んでるから、好きなメーカーの好きな硬さの鉛筆選んで頂戴。色鉛筆はその隣ね。普通の色鉛筆と、水彩色鉛筆とあるから間違わないように。筆とパレットはその二つ隣の棚、画材コーナーにあるからね。あと、額縁も欲しいなら奥にコーナーがあるわよ」
定型文をそらんじるかのようにスラスラと、さっきとは別人みたいに話し始めた。
困ったなと思いながら、言われたとおりの棚から空き箱と同じ鉛筆を選んでレジに持っていった。
おばあちゃんはそんな私をじっと観察していて、とにかく視線が痛いのなんの。
「領収書、『クリフォード・J・スミス工房』でお願い出来ますか?」
お金を払いながら言うと、おばあちゃんは益々慌てた。
「――やっぱり、マリアなのね!」
と、今度はそのセリフに私が驚いた。
おばあちゃんはカウンターから身を乗り出して、私の手をむんずと掴む。
「ち、違います。私は、クリフォードさんの弟子のライザで、マリアさんとは別の」
「事故に遭ったんじゃなかったの? 息子は? あの可愛い坊やはどうしたの?」
「ですから、人違いですって。私はマリアさんじゃなくて、全然別の」
「坊や、大きくなったでしょう。ずっと心配してたのよ。クリフは一人で随分苦しんだのよ。いつ帰ってきたの? 今までどこに?」
う、うそでしょ? 全然似てなかったはずなのに、何でこのおばあちゃん、私のことマリアさんだって勘違いを。マクドナルドさんといい、このおばあちゃんといい、どうして私がマリアさんに見えちゃうわけ?
「私はマリアさんじゃないですから! 第一、マリアさんが生きてれば、一体幾つなんですか? 少なくとも私よりずっと上ですよね。本当に、本ッ当に違いますから!」
おばあちゃんの腕を、申し訳ないけど無理やり振り切った。
そんな私を、おばあちゃんは少しの間呆然と見つめていたけれど、そのうち目を凝らすようになって、眼鏡をかけて、もう一度顔を私に近づけて、遠ざかってみて、また近づけて、遠ざかって。
「……別人?」
ようやく興奮が収まったらしい。
私はふぅと胸を撫で下ろした。
「別人です。あの、領収書、いいですか? 『クリフォード・J・スミス工房』宛てでお願いします」
おばあちゃんも、長いため息をして、OKのサインをした後、領収書にアトリエ名を走り書き。
「……マリアの幽霊を見たって話を聞いてたから、そう見えちゃったのかしら。ごめんなさいね。よく見ると、確かに別人だわ。マリアはもうちょっと……、こう……、スタイルが良かったわね。化粧も上手だったし、髪の毛も跳ねてなかった」
ウフフッと、おばちゃんは可愛く笑う。
「似てました? 私。その――、マリアさんに」
うん、と、おばあちゃんは口角を上げた。
「若い頃のマリアに凄く似てるわ。パッと見たら、そう思っちゃうくらいね。でも、よくよく見たら、あなたの方がマリアより少しチャーミングだわ」
「ありがとうございます」
おばあちゃんは、再度ゴメンねと、苦笑いした。
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