13.来客
「幽霊の正体がライザだったとはねぇ。――で、どうするの? それ、クリフに言う?」
お遣いから帰ってジャックに報告すると、彼は苦笑いした。
文房具屋のおばあちゃんの話から、真相が分かったのだ。
“クリフォードさんのアトリエにマリアさんと似た女性がいるのを見た”というある男性の証言が、知らないうちにどんどん膨らんだようなのだ。それが、どこでどう変化したのか、“アトリエの付近に女の幽霊が出る”というふうに変わっていったらしい。本当に、迷惑な話だ。
「で、噂の出所は多分、ディーン・マクドナルド。……どうしようもない」
「でしょう? 散歩がどうの言ってますけど、面白いからそのままにしておくのも手かなと思ったんですけど、ダメですかね」
「そりゃ、放置してたら面白そうなのは同意するけど、クリフは怒るだろうね。自分たちだけで勝手に解決して! って。それとなく僕から言っておくよ。ありがとう、変なこと頼んじゃってゴメンね」
「いいえ。お役に立てて良かったです」
思ったよりあっさりとした解決で、面白味に欠けるような気もしたけれど、本当の幽霊だったら大変だった。これはこれで良かったのかも知れない。
あとは、ジャックが上手いことクリフォードさんにお話ししてくれれば良いのだけれど。
*
それからしばらくして、クリフォードさんはまた、いつものように散歩に出かけるようになった。
ということは、ジャックがちゃんと説明してくれたのかな? とも思ったのだけれど。
「――ゴメン、ライザ!」
クリフォードさんがいないある日の昼下がり、ジャックは申し訳なさそうに、アトリエで作業中の私に謝りに来た。
眉毛を山のような形にして、あまりにも変な顔で迫ってきたもんだから、私は思わずぷっと吹き出してしまう。
「どうしたんですか? 何がゴメンなんです?」
するとジャックは自分の両胸を掻きむしるような仕草をして、自分の気持ちを全身で表してきた。
「……言えなかった。言えなかったんだ」
「え? 何がですか?」
「ライザを、町の人がマリアの幽霊だと思ってたってこと」
「え? えぇぇえ?!」
「じゃ、クリフォードさんにはなんて?」
「ゆ、『幽霊の噂はデマだった』って。『誰も幽霊なんて見てないよ』って」
「……うわぁ」
私は両手で顔を覆って、天を仰いだ。
本当のこと、言えばよかったのに。ジャックってば、クリフォードさんに変な気を遣ってしまったんだ。その気持ちは凄く分かるけど。
「で、どうするんですか。私、街中歩くとき、フードかツバの大きな帽子が必要ですかね」
「……って言うかね、ちょっと信じられないんだけど、どうもクリフ、ライザがマリアに似てるの、気付いてないみたいで」
「え? ど、どういう意味」
「自分の奥さんの身体的特徴を忘れるわけはないと思うんだけど、どうも、別に二人が似てるなんて、微塵も思ってないっぽいんだよ。なもんだから、幽霊の正体を伝えたところで、ピンとこなさそうで。――って言うかさ、言えないだろ。『死んだ奥さんと似てる人を雇ったのか』なんて。誰も。言えっこない。例え町中の人が、ライザをマリアと勘違いしたとしても、クリフは全然分かってないんだから、『お宅の新しいお弟子さんをマリアが戻ってきたんだと勘違いしちゃって~』とか、無理だろ」
「む、無理ですね」
「この間お遣いお願いした文房具屋のおばあさんに言われたんだよ。『あのライザって子、物凄くマリアに似てたわ。思わず帰ってきたのかと思って色々話しちゃって、ごめんなさいねって伝えて置いて欲しいの。でも、クリフがここに立ち寄ったときには、変な子を雇ってしまって面倒くさいんだとか、そういう話だけで、容姿の話なんか何もしなかったもんだから、あんなに似てる子だなんて思わなくてびっくりしたわ。どういうことかしらね』って」
ジャックは文房具屋のおばあちゃんのものまねが物凄く上手だった。
「クリフが立ち寄ったパン屋さんにも行った。そしたらそこのおじさんは、『マリアに物凄く似てる女がウロチョロしてるって噂を聞いて、クリフに、まさか死んだ奥さんが戻ってきたようなことはないよなって聞いたけど、何を言ってるんだって馬鹿にされたよ』ってクリフに突っぱねられたらしいんだ。で、クリフが知らないなら、もしかしたらマリアが未練がましく幽霊になって出たのかなってことになったそうだ」
「ハァ……」
め、面倒くさいことになってる。
私は決してマリアさんじゃないのに、どうしてそんなにマリアさんにそっくりに見えてしまうんだろう。
「ちょっと――、困りましたね。どうにかして、町の皆さんの誤解を解かないといけないし、クリフォードさんのこともなるべく傷つけないようにしないといけないし」
ジャックもうんうんと頷いた。
「直ぐにはどうにもできないかも知れませんが、出来るだけ早くどうにかしなくちゃいけないですね」
私とジャックは、揃って腕を組み、またう~んと唸った。
*
そんなこんなで、幽霊騒ぎがくすぶる中、私は家路についた。アパートまで早足で歩きながら、今日の夕食についてあれこれ考えていた。昨日仕込んだサラダの残りがあるし、グラタンでも焼こうかとか、偶には野菜多めのスープも良いかも知れないとか。
アパートまではずっと住宅街で、店屋に行くのも面倒なので、私は冷蔵庫の中身で大抵適当に料理を作るようにしてる。週末に纏めて買い込んでおけば、仕事終わって家に帰ってからの時間も多く取れる。
夕飯終えたら好きなドラマでも見ようか、それとも買い置きの本を読もうか。
ふと、辿り着いたアパートに目をやると、私の部屋の入り口に、誰かが座っていた。その人物は、私の姿を見て、大きく手を振ってきた。
「ライザ! 待ってたよ! 泊めて!」
あの屈託のない笑顔。こんがりと焼けた褐色の肌と、元気いっぱいのポニーテールは。
「キャシー!」
越してから一度も会っていなかった親友が、訪ねてきてくれたのだった。
*
「ちょっと長い休暇が取れてね。せっかくだから、足を運んだの。ライザのお眼鏡にかなった麗しいおじさまに、是非お会いしたいと思って。急でゴメンね。連絡すれば良かったんだけど、サプライズの方が面白いかなぁと思って」
キャシーは相変わらずマイペースだ。
私のアパートなのに、ずっと前から一緒に過ごしていたみたいに、好き勝手あちこち弄る。……冷蔵庫とか、本棚とか。
勝手にジュースをコップに注いで、グビグビ飲み始めるのは恒例だから、私は何も言わない。
「で、どう? 一緒に働いてみて。良い感じ?」
「うん。思った通り、素敵な人」
「へぇ。ちなみに、それは職人として? 一人の男性として?」
キャシーは遠慮が無い。
それどころか、平気で私の心の見えないところを素手で
私は少し、考えた。
クリフォードさんを、私はどう見ているのだろう。今はただ、仕事を覚えることと、彼の邪魔にならないようにするのが精一杯。悲しい過去と向き合っている辛いところも何度か見たけれど、それはそれ。
同情しているわけではないし、かといって、恋愛対象として見ているかと言われると、それも違うような気がする。
「職人として……、かな」
はにかみながら私が言ったのが悪かったのかも知れない。
キャシーはやたらとニヤニヤして、
「じゃあ明日、私、アトリエ行って確認しようかな。ライザの想い人がどんな人か」
何が何でも恋愛に持ち込みたいのかな。
本当に、キャシーは奔放で、昔から変に世話焼きなんだから。
*
私が出勤するのと一緒に、キャシーは私に付いて来た。
何を想像していたのかは分からないけれど、キャシーは私に変な顔をして、
「凄いところで働いてるのね。あ~、なるほど。だからノーメイク」
相変わらずズバズバと、言われたくないことを平気で言ってくる。
「そう。埃と金属片と油と塗料まみれ。素敵な職場環境でしょう?」
アトリエの外観を前に、私はニッコリと微笑んで見せた。
うちのアパートより自宅がアトリエに近いというクリフォードさんとジャックはもう既に出勤していて、機械を動かしたり、接客用の珈琲の準備をしたりしていた。
「あれ? お客さん連れてきたの?」
ジャックが物凄く驚いた顔でキャシーを見ていた。
「違います。私の友人、キャシーです。幼馴染みで。昨日、私のことを訪ねてきたんです。展示会に連れてってくれたのも彼女なんですよ。キャシー、こちら、お世話になってる経理担当のジャック・スペンサーさん」
「よく来たね、キャシー。好きに見学してって良いよ」
「こちらこそ、ジャック。とっても素敵な方ね」
社交辞令にしては親しげに挨拶を交わした二人に、私はちょっとイラッとしてしまう。初対面なのに『素敵な方』なんて、私、絶対に言えないから。
一通り機械の立ち上げが終わったクリフォードさんが事務室に来ると、また挨拶。
「あなたがクリフォード・J・スミスさん! 初めまして。ライザの親友のキャシーよ。お会い出来て嬉しいわ!」
またしても、素敵すぎる挨拶の仕方。
私にはとても真似出来ない。
クリフォードさんは少し面食らっていたようだけれど、
「こちらこそ、お会い出来て光栄だ。ライザの友人にお目にかかれるなんて、嬉しいね。君も機械細工に興味が?」
普段は無口なのに、初対面の方や取引相手の方とは、普通に話す。なんとなくだけれど、彼が饒舌になるのは、自分の私生活にあまり近しくない人にだけ。
それとも、こう言うときはこう話そうとか、そういう一連のテンプレート的なものを持ち合わせているのだろうか。
なんとなく、私と話すときとは態度が違うような気がして、なんとなく違和感を覚えた。
キャシーは始終ニコニコ顔。
「そうですね。興味、ありますよ。ライザが夢中になるくらいだもの。展示会でも作品は見たけれど、やっぱり少し、手の届かない遠い存在のような気がしていたから、こう指摘貝細工のアトリエを訪れるのを、とても楽しみにしていたんです」
私が予め、クリフォードさんは義手なのだと伝えていたこともあって、キャシーは最初、それほど驚きはしなかった。
けれど、動かす度に起動音がギュインギュインと聞こえるのが、次第に気になったようだ。目線が徐々に下がり、終いには身を乗り出すようにして、クリフォードさんの義手を見ていた。
そんなに見つめちゃ……! と、キャシーに声をかけようとしたのより先に、彼女は言ってしまった。
「凄い。機械義手なんて、初めて見た。触っても?」
――やっぱり。
好奇心の強いキャシーが彼の義手を見たらどう思うか、どんな行動に出るかなんて、分かっていたはずなのに。止められなかった。
「いいよ。怖く、なければね」
クリフォードさんは、スッとキャシーの前に義手を差し出した。
最初は恐る恐る。それからじっくり。キャシーはまるで手相を見る占い師のように、まじまじと丁寧にクリフォードさんの義手を見た。
関節のひとつひとつ、つなぎ目、手のひら、手の甲。金属の他にゴムが使われているところ、細かな部品が組み合わさっているところ、人間の手とほぼ同じ動きが出来ること、そして、ズッシリ重いこと。
私でもあんなに丁寧に見たことはないのに、キャシーは初めて見たクリフォードさんの義手を、びっくりするほど細かく見ていた。
「丁寧な仕事……。この義手を作った人は、あなたのことをとても大事にしているのね」
キャシーの口から出た言葉に、私はドキッとする。
クリフォードさんは微笑んで、頷いた。
「ライザに聞いたときはどんなかと思ったけど、クリフォード、あなたの手、とても素敵」
「ありがとう」
他愛ない会話。
ほんの刹那の出来事。
だけれど、私は衝撃を受けた。
私が言えなかったことを、私の口から出なかった言葉を、キャシーは簡単に言ってしまう。キャシーは簡単にできてしまう。
何だろう、心の中がむず痒い。
どうしてこんなに、心が騒ぐんだろう。
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