春うららかに・18
エリザは気が遠くなった。
やはり、サリサは寿命を察して、最高神官の地位を捨てた。そして、残りわずかな余命を――一年を楽しもうとして……。
「だから、叶いそうもない夢を追ったの? 蜜の村を選んだの? 霊山に籠れば温存できる……その時間を捨ててまで?」
「そうじゃない」
サリサはやんわりと否定した。
「最高神官になって以来、僕は常に死が近づく予感で目覚めていた」
エリザには、意外な言葉だった。
死が怖い人が、どうしてランを救うために、あんな無理をしたんだろう?
ジュエルを求めて、旅をした時だってそうだ。
「不思議なんだけれどね、エリザといると、どういうわけか強くなれる」
サリサは、照れくさそうに笑った。
「死は、いつかやってくる。自分の寿命はおおよそ見えていた。だから、覚悟はできていたつもりだったんだ。でも、実際は違った。僕は、本当に自分が消えるなんて、きっと信じていなかった」
最高神官の力――それは、寿命を力に変えて、どれだけ放出できるか? ということだ。
一般人よりも寿命の消費は激しく、その分、長い寿命が用意されている。
「ある日、急に自分に残されている寿命が、はっきりわかるようになった。いつ、何時までね。おそらく、最高神官としての力が衰えたのではなく、むしろ、絶頂期に入ったんだと思う。で、力を使えば、その日は早まり、少し温存すれば、その日はちょっとだけ伸びる。仕え人たちが、僕の力の使い過ぎに、一喜一憂する気持ちがよくわかった」
朝、ムテに祈りを捧げれば、夕には寿命が一日減った。誰かに強い暗示を掛けたら、一気に一年、寿命が減った。
サリサの最後の日はどんどん迫ってきた。
「怖くなってしまったんだ。だから、その力を抑制しようとした。でも、朝にはムテの霊山の気が、僕に力を与えてしまう。そして、僕の死ぬ日・死ぬ時間を正確に教えてくれるんだ。それで……僕は祈れなくなった……」
サリサの祈りが届かなかったのは、そのせい――。
「最高神官としての責務を果たせないなんて、意味がないこと。僕が勇退を決意したのは、そういった情けない理由からだった」
さすがに、サリサは目を伏せた。
エリザはもう泣いていなかった。自分の不安や恐怖など、サリサが味わったものに比べたら、ほんの些細なものだろう。
どうして、自分からサリサに会いに行かなかったのだろう?
適当に理由をこじつけて霊山に赴き、たった一言、どうしたの? と聞いたら、サリサは本当のことを教えてくれただろう。
一の村で、サリサの祈りが届かないと嘆いていた自分が恥ずかしい。
ただ日々、クヨクヨしていた自分が……。
「……あとどのくらい時間は残されているの?」
とても恐ろしかったが、聞かずにはいられない。
やはり、あと一年? それとも、半年?
「それが……霊山を下りたら、力の抑制が利くようになって……わからなくなった。暗示にかかったのか、思い出せないんだ。かなり力を温存したから、最後に感じたままかも知れないし、ここに来て力を使ったから、短くなってしまったかも?」
「じ……じゃあ、もしかしたら、長いってこともある?」
「かなり短いかも知れない。霊山に戻ったら、おそらく思い出せると思うけれど……」
ぞくっとした。
やはり……知らないほうがいい。
それに、霊山でサリサが去る日を指折り数え、不安に苛まれて過ごすなんて。それが、より温存された長い時間だったとしたら辛すぎる。
「わからないってことは、いいことかも知れない。寿命はけして伸びていないはずなのに、霊山を離れたら、また、祈れるようになった。力も使えるようになった。それでランを助けることができたのだから、現金なものだね」
「……相談してくれればよかったのに」
エリザの言葉に、サリサは苦笑した。
「僕が一番恐れたのは……エリザに僕がこんなに情けない男だって、知られてしまうことだったんだ。エリザはいつも、僕を尊敬して、立派な最高神官にしてくれたから」
サリサに嘘をつかせるのは、エリザのほうだった。
そういえば、嘘だと言え! と、自分が言ったのだ。辛すぎたから。サリサは、それに答えただけなのに。
もっとサリサを……いや、自分を信じればよかった。
弱虫だけど、真実を受け入れる力があると、もっと自分を信じればよかった。そうすれば、サリサに立派な最高神官なんか演じさせなくてもすんだ。悩みを素直に相談してもらえただろう。
「それでも、相談してくれればよかったのに……」
エリザは、そっとサリサの頭を胸に抱いた。
マール・ヴェールの祠で蜂蜜飴をわけあった日のことが、鮮やかに蘇った。
辛いことがあったら、分かち合おうと誓ったのに……。
サリサがそこまで苦しんでいる時に、側にいることができなかった。
――本当のことが聞けてよかった……。
何も知らないままだったら、エリザは不安を抱えたまま、せっかくの日々を憂鬱に過ごしたことだろう。
そして、サリサに迫る死の恐怖を癒すこともできないだろう。
ふと、リリィの言葉を思い出した。
――側にいれてよかった。
あのまま孤独なまま、逝かせなくてすむから。
最後の日は、誰にでも訪れる。
でも、きっと私たち、その日まで幸せに過ごせる。
その日まで、私、ずっとサリサを支えていくわ。
「歴代の最高神官は、死の恐怖を乗り越えて、メル・ロイとなるまでムテに尽くし、マサ・メル様はその瞬間まで最高神官だった。すごい精神力だと思う。とても真似ができない」
サリサは照れくさそうに、でも、さりげなく言った。
「僕は……やっぱり逃げているのかも? 自分でも気がつかないうちに能力を封印してしまうなんて。臆病で弱虫で、大人になりたくなかった子供時代と変わらない。マサ・メル様に去られて、途方に暮れてしまって……一の村の川辺で足が痛くて泣いていたあの時と、どこも違わない」
エリザは、自分の決意に酔いしれて、ぼんやり聞いていた。
思わず安易に「ううん」と返事をしようとして……。
エリザの記憶は、どんどんとさかのぼり、やっとの思いで、一の村の川辺にたどり着いた。それほどまでに、忘れていた。
「え?」
びっくりして飛び上がった。
大きな目でじっとサリサを見ると、彼は恥ずかしそうに視線をそらした。
「サリサ? あの、今、なんて?」
「……僕は子供だったってこと。もう、何度も言っているじゃないですか……」
確かに、よくサリサは自分のことを「子供で至らなかった」と言って、エリザを驚かしていた。その度、冗談だと思っていたが。
「あ……あの、蜂蜜飴をあげた?」
「……だから、宝物にしていたでしょう? あ、あなたにも見せたではありませんか」
信じられない。
あの男の子は、ほんとうに小さくて……。
でも、一年後に巫女姫選びで会った時、サリサは、少年っぽさを残していたものの、すでに恐れ多い最高神官だった。
あの時の面影なんて、みじんもなかったのだ。
「●×△◆!」
「……そこまで驚かなくても……」
よほど、言いたくなかったのだろう。いくらエリザが目を凝らしても、サリサは視線を合わせようとしなかった。
エリザはすっかり言葉を失ってしまった。
――そ、それってどういうこと?
「と、とにかく! もう時効ですよね? わ、忘れてください。あんなガキのこと。それよりも、喉が渇いたかも? お茶にしませんか?」
サリサはベッドから起き上がり、軽く伸びをして見せた。
そして、いそいそとドアに向かったが、エリザが硬直して動かないことに感づいたのか、そっと振り返った。
「あの……あなたが、常に僕の支えだったこと。それだけは忘れないでくださいね」
――そして、これからも。
ぱたん……とドアが閉まった。
==春うららかに/終わり==
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