春うららかに・16
その年の祈りの儀式は、例年にない華やかさだった。
何せ、最高神官クラスの者が、二人揃っているのだから。しかも、一番大きな一の村の祈り所が舞台なのだ。
巫女制度が形骸化したおかげで、最高神官を補助する役は、聖職者の中から選ばれるのが常となっていた。
かつては日を改めて行進した巫女姫と最高神官だったが、今は輿を並べての行進となっている。儀式も簡略化され、逆にパン配りが二日になった。
小さな変更であったが、最高神官と一般人の距離はぐっと縮まった。
また、これ見よがしに参列した癒しの巫女と神官の子供の姿は無くなった。今や、学び舎の神官課程には、神官の子供でなくても能力さえあれば入ることができる。神官の子供である特典も束縛も、すべて無くなったのだ。
そして、場所が許す限り、祈りの儀式に一般人も入ることが許された。
やはり改革のなせるところだった。
エリザは、噴水近くでミキアやアリアと一緒に、最高神官の行進を見ていた。
先に姿を現したのは、シャインの輿だった。
去年一昨年、巫女姫役はシャインだった。そして、今年、一の村での『祈りの儀式』で、彼は最高神官として儀式を執り行うことになる。
サリサが、まるで古代ムテ人の生まれ変わりならば、シャインは今時のムテ人である。ややムテにしては大きめの目と、ふっくらした頬。美しいというよりは、あどけない可愛らしい容姿だった。それでいて、サリサの能力とマヤの聡明さを受け継いでいた。
マヤは、サリサを手に入れることはできなかったが、最高神官の血を最もよく伝えた女性となった。
おそらく、ムテの正史に名を残すのは、エリザではなくマヤだろう。最高神官サリサ・メルの名の横に、時々名を
そういった意味では、マヤはサリサに一番近しい存在となったのだ。
多くの巫女姫の存在に苦しんできたエリザだったが、シャインを見ていると、巫女制度の苦しみも、無駄ではないと感じた。
巫女制度は、優秀な血を残すための制度。エリザは、子をなせなかったために、より苦労を強いられた。シャインがいなければ、いまだ、サリサは巫女姫をとらされ続けていたことだろう。
すでに、最高神官の片腕として主な仕事を代行しているシャインは、本当の最高神官であるサリサよりも、一般人への露出度が高い。ニコニコ微笑みながら手を振ると、黄色い歓声すら上がって、人気の高さを表した。
「やれやれ。こんなことなんて、マサ・メル様の時代には考えられないことよね」
エリザの横で、あきれたようにアリアが呟いた。
続いて現れたサリサの輿。
こちらは、対象的に厳かで神々しい雰囲気だった。人々は、ありがたがって手を合わせる。静かで穏やかな空気が、さっと流れた。
エリザが憧れた最高神官――だが、長い間、サリサと共に生きてきて思い出すのは、茶目っ気たっぷりの笑い顔や、子供みたいな甘えた顔ばかり。
今、輿の上にいる人には、そのみじんもなかった。
美しい衣装に身を包んだ、過去から現れたような、神のごとき存在だった。畏怖さえ感じるほどだ。
エリザは、もしかしたらサリサと目が合わないだろうか? と、必死に見つめていた。
だが、最高神官は切れ長の目をやや伏せ目がちにして、前を見ているだけだった。
沿道に手を振ることも、愛嬌を振りまくこともない。今まで通りの最高神官だった。
「ああ、今年で、サリサ・メル様のお姿も、見納めになるのかねぇ?」
急に知らない誰がの声が耳に届き、エリザははっとした。
振り向いてきょろきょろしたが、誰が言ったのかわからない。通りすがりの、普通の人のようだ。
「あくまでも噂、たかが噂よ」
よこで、ミキアがエリザの服を引っ張った。
――たかが噂。
だが、それは意外と広く知られている噂らしい。
祈りの儀式は、一般人も入れるとはいえ、聖職者が最優先である。
押し合いへし合いの祈り所の入り口に、エリザは気遅れした。
だが、ミキアは強かった。エリザの手を引いて、ぐいぐい中に入ってゆく。慌ててアリアがその後をついて行った。
こうして、エリザはちゃっかりいい場所を確保した。ただ……最悪なことに、真正面にクール・ベヌが陣取っていた。
五の村に左遷された彼は、もはやこの場を取り仕切ることはない。だが、おかしな自尊心だけはそのままなのだろう。あたりににらみを利かせていた。
つい、目が合ってしまい、エリザは小さくなってしまった。
夜になった。
祈り所の天井が開く。壁が静かに取り払われた。
大満月の光が、祈り所の中に差し込んで、あたりは荘厳な空気に包まれた。
ミキアのささやき声。
「でもね、この後、男同士で手を繋ぐなんて……ちょっと考えたくはないわよね」
「しーっ! 静かに! そんなへんなこと、神官たちに聞かれたら大変よ。追い出されちゃう!」
アリアが慌てて耳打ちした。
だが、エリザの耳はそのような会話を聞くこともなく、目はただサリサが現れるだろう扉に釘付けになっていた。
やがて、ゆっくりと東の扉が開く。
銀の光に包まれた、まばゆいばかりの最高神官が姿を現した。
本来、サリサが歩くべきところを、シャインが歩く。
中央で歩を止めた時、まるで朝日が差したのかと思えるほど、一瞬明るく輝いた。
再び開いた扉から、今度はサリサが入ってくる。
こちらは、まるで銀の月――大満月の光そのものだった。
かつて巫女姫時代にエリザが歩いたと同じところを、同じようにサリサが歩いてゆく。
その足取りを、エリザは感慨深く見つめた。
初めての祈りの儀式の時、何度も何度も、練習したところ。そして、手を取り合った――懐かしく思い出した。
あの時、エリザ自身は何の力も持っておらず、サリサの光で輝いたようなものだった。
だが、今回の儀式は違う。
二人の力は、まさに互角。手を合わせたとたん、光と光が重なりあって、閃光が走った。
いつの間にか、エリザはまどろみの海に沈んでいた。
それは、横でふざけた会話をしていたミキアやアリアも同じだった。いや、この空間にいるすべての人が、心をひとつに繋げて、光の恩恵を受けたのだ。
――噂は嘘だわ。
だって、サリサの力はまったく衰えてなんかいないもの。
エリザは安心した。
確かにシャインの力は、最高神官に匹敵する。むしろ、若い分だけ生命力にあふれていて、華やかな気を持っていた。
だが、サリサの穏やかで優しい気は、もっとしっとりと心に染みてくる。ずっと最高神官らしいと思うのは、エリザの贔屓目ではない。
儀式も終わりにさしかかった。
二人並んで退場し、今夜の儀式は終わる予定だった。だが、サリサとシャインは、お互いに目配せし、再び会場の中央に立った。
かすかなどよめきの中、サリサが口を開いた。
祈りの儀式の間に言葉を発すること――それは、異例中の異例だった。
だが、それよりも、その言葉自体が驚くべきものだったのだ。
「この素晴しい恩恵の夜に、我がムテの民に伝えるべきことがあります」
あたりは静まり返った。
空気がすべて水にでもなったように、あたりが揺らめく。その中に、サリサの声だけが響いている。
「古き光は西に去り、新しい光が東から差すように、時は流れてゆくもの。我が寿命はわずかとなり、力は既に衰えました」
あたりは静かなままだった。
サリサは、その場にいるすべての人に、敬意を捧げるように胸に手を置き、頭を下げた。
「本来ならば、この体が灰となるまでムテのために祈るつもりでした。でも、新しい陽が上るのです。春の光を待って、私も静かに去りたいと思います」
――それは、最高神官の勇退宣言だった。
エリザは全く理解できなかった。
寿命がわずか? それはどういうことだろう?
静かに去る? それはどういうことだろう?
シャインがサリサに引き続き、挨拶をした。
「私、シャイン・メルは、神のごとき存在にあらず……一介のムテ人に過ぎません。でも、父であるサリサ・メルより、このムテの地を守る力を受け継ぎました。新しい時代のために、力を尽くす所存です」
しんとしていた場に、かすかに拍手が響き、やがてさざ波のような響きに変わった。
――どうして? どうして皆、喜んでいるの?
おかしい、おかしい、おかしい! そんなはずない!
心臓が頭に上がったようだった。
ガンガンと鳴り続ける頭を抱えて、エリザは今の状況を把握しようと努力した。
だが、考えれば考えるほど、何が起きているのかわからない。
――助けて、サリサ!
お願い! 嘘だと言って!
エリザは、意識を失う寸前に、ふっとサリサを見た。
一瞬、目が合ったように思われたが、彼は微笑みさえたたえて、その場の人々すべてを見ていた。
その姿は、先ほどの行進の時となんら変わらない。
エリザのサリサではなく、ムテの最高神官であった。
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