春うららかに・10
朝、気がつくと、エリザはベッドに寝ていた。
あのまま眠ってしまったから、サリサが運んでくれたに違いない。そのサリサは、ベッドにぬくもりだけを残して、姿は見えなかった。
どうやら、疲れていたのはサリサよりもエリザのほうだったらしい。
エリザは慌てて飛び起きた。
ふと懐かしい霊山の気。神官のいない蜜の村にあって、これはサリサの力のせいだ。
最高神官を勇退してから、サリサの力はみるみるうちに衰えていた。だが、それは勘違いだったのだろうか?
エリザは、複雑な気持ちだった。
日を重ねるごとに不安が募ったのは、神官としての力の衰えが、そのままサリサの衰えに感じたからだ。寿命がつきかけていると感じたのだ。
だが、そうではないとしても、とても安心できなかった。
力があるということは、それだけ寿命を費やすということだ。霊山にいないサリサが力を使うということは、とても危険なことだ。
霊山の気に混じって、何やら甘い香りがする。
エリザは、バタバタとスリッパを引っ掛けて、台所に向かった。
案の定、サリサがパンケーキを焼いているところだった。
「おはよう。また寝坊したね?」
神官らしいところは何ひとつない。力を感じない。銀の髪を邪魔にならないようひとつに縛って、やはり別人のよう。
だが、間違いなく、サリサの力は衰えても消えてもいない。最高神官であったことを感じさせないために、わざと抑制しているのだ。エリザすら、すっかり騙された。
エリザの心配をよそに、サリサはパンケーキを皿に載せた。
「昨日、ヴィラが蜂蜜をたくさん置いていってくれたんだよ」
まるで、子供のようにうれしそうに言う。
――なんだか……耐えきれない。
サリサが明るければ明るいほど、うれしそうなほど、エリザは不安に囚われていく。
まるで、最後の生命の輝きのようで、はかなくて、切なくて……。
春うららかな日々、だが、エリザの回りだけは晩秋のよう。
半年前、初めてサリサの勇退を聞いた時と同じような、冬を迎える季節。
――霊山に戻りたい。
脳裏に浮かんだ言葉に、エリザは自分でも驚いた。
蜜の村での生活は、長い間、夢見た生活のはずなのに。
でも、エリザには耐えきれなかった。この静かな、穏やかさが。
乾いた唇が震えた。そして。
「サリサ。私。あの……帰りたいの」
サリサは、不思議そうな顔をした。
「だから、帰ってきたでしょう?」
「いえ、そうじゃなくて……」
その時だった。
バンバン! と、けたたましいノックの音。
エリザの言葉は、途中で途切れた。
ふと、サリサの視線がエリザから外れた。彼は、そのまま戸口に向かった。
その仕草ひとつひとつが、霊山にいた時と同じ最高神官のものなのに、感じる気――命の輝きだけが、どういうわけか抜け落ちている。
宙に浮いた言葉が虚しい。エリザは再びその思いを胸の奥底に引っ込めた。
でも、この不安を抱えて、どうして楽しい日々を間抜けのように過ごせるだろう?
エリザは切なく目でサリサの後ろ姿を追った。
だが、それどころではなかった。
朝早いお客は、エオルだった。
しかも、顔色が悪い。
「あ、おはようご……」
サリサの挨拶も受ける間もなく、エオルは本題に入った。
「ここにランは来ていないだろうか?」
ラン――それは、エオルの孫で、あのはにかんだ少女の名前だ。
「え? 来ていませんけれど」
サリサの言葉に、エオルはうなだれた。
「……いったい、どこに行ったんだろう? あの子は!」
「お兄さん、いったいどうしたの?」
エリザも慌てて駆け寄った。
朝早くから、子供の行きそうなところを探しまわっていたのだろう。エオルは憔悴しきっていた。
「ちょっと目を離した隙に……いなくなってしまった」
やっと走り回れるようになったばかりの子。
ここ数日、エリザの帰郷があって、大人たちにかまってもらえなかった。うるさくしたら、暗示で押さえ込まれていた。
すっかりいじけてしまったに違いない。
「カイトの馬車を見送ってすぐだ。もしかしたら……」
「お兄さん! カイトはそんなことしないわ」
エリザはびっくりして声を上げた。
「いや、連れ去られたんじゃなく、ついていったのかも? あの子はあんなふうに遊んでもらったことがなくて、カイトになついていたから」
「でも、子供の足では、馬車に追いつくはずがない。その辺の道で泣いていそうですけれど」
サリサの言葉に、エオルは頷いた。
「初めはそう思って……手分けして探したんだ。でも、まったく見つからなくて。もしかしたら、ここに来たかと思い」
「とにかく、僕たちも探します。あと、行きそうな場所は?」
食事は後回しになり、サリサは長衣を羽織った。
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