麦畑の風・2
気がつくと、風が金色だった。
一瞬、あの日の続きかと思った。まさか。
何かの奇跡がおき、私の気は吐き出されてもとに戻ったのかと思った。まさか。
耳に何かが……音が響く。聞き覚えのある声。
「テル? テル!」
視力が回復してくると、ぼんやりとした銀色の影が、はっきりとエリザの姿になる。
「エリザ?」
彼女は、相変わらずの大きな瞳に涙をいっぱい浮かべていた。
「よかった! 逝かなかったのね? 戻ってきたのね?」
ぎゅっと抱きしめられる感覚。体に重さが戻ってきている。自分の手、足、そして髪。すべてが、そこにあった。
エリザは、あの時と変わっていた。何と大人になっていた。そして、私も大人になっていた。
その事実を知れば知るほど、すぐに驚かなかった自分が不思議だ。どうやら、私が死んだと思ったあの日から、ずいぶんと長い時間が経っているようだ。
「あの日ね、気がついたら私一人になっていて……。ずっとここで眠っていたようなの。だから、テルは一人で逝ってしまったんだと、ずっと思っていたの」
エリザは、まるで子供のようにしゃくり上げながら言った。
「ねえ、いったい今までどこにいたの? どうやって生きてきたの? どうして村に戻らなかったの?」
その質問に答えたかった。
でも……私には、思い出すべき記憶がなかった。
まるで時間の谷間に落ちていたかのように、あの日があり、今があった。
私には、語るべき物語がなかった。
だが、エリザには、語るべきことがいっぱいあった。
麦畑の中を歩き、村に向かう道の間、エリザはずっと興奮気味に話を続けていた。
あの日以来、私の両親はとても悲しんで、長い間、立ち直れなかったそうだ。一時期は病にでもなるかと思うほどに。
「でも、私が巫女姫に選ばれて……信じられないでしょう? でも本当で。それで、村にも希望ができた、もうテルのような悲しい死はなくなると言って元気になってくれたの。おかしいわね? こうしてテルが生きていると知ったら」
エリザには力があると思っていたけれど、霊山の巫女姫に選ばれるなんて、確かに信じがたいことだった。
「私、テルのことを忘れたことはなかったわよ。霊山で、あなたの幻にも会ったし。霊獣って知っている? 何でも死者の気の集合体って説もあるけれど……こうしてあなたが生きて大人になっているということは、やっぱり幻だったのね」
エリザは、すごい人生を歩んでいた。私が死んだ……と思い込んでいたことは、彼女の生き方に少なからずも影響を与えていたようだ。
霊山の巫女姫となったなら、その後は【癒しの巫女】という地位を与えられ、人々の尊敬を集める存在となる。
その名の通り、霊山に秘められている癒しの技を持って、病を癒せるからだ。しかも、薬師としての知識も持ち合わせている。
「もしも、蜜の村に癒しの巫女がいたなら、あなたを失うことはなかったのに……って、ずっと思っていたの。それが、いつの間にか、私自身が癒しの巫女になって、この村に帰ろうって夢に変わったの。辛い日々もあったけれど、乗り越えられたのはあなたのおかげ」
エリザは、遠い目をした。
このような
「二度と子供を死なせない。その気持ちが私を支えてくれたのよ。多くの人を癒してきて、中には助けられなかった人もいる。でもね、子供は全員助かった。その子たちを見ているとね、ああ、今の私なら、テルを助けることができたのにって……そればかり思っていたわ」
エリザは、一瞬疲れた顔を見せた。
だが、それはあっという間に吹き飛んだ。
「でも、あなたは生きていた。私、子供の命を誰一人も失わなかった。これほどうれしいことはない」
噛み締めるようにエリザは言った。
ふとあたりを見渡すと、あの日と変わらない風景があり、青い空がある。
でも、エリザの話を聞いているうちに、何十年もの月日が経っていると実感した。
本当に、私はいったいどこで何をしていたのだろう? 私の物語は、どこへ消えてしまったのだろう?
記憶がないということは、とても心もとない。まるで、自分の存在が、まったくないような感覚だ。
その埋め合わせをするように、私はエリザの話を飢えた獣が食いつくように聞き入っていた。そして、思い出せる過去のことを、エリザと語りあい、懐かしさに安堵した。
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