春うららかに・5


 カシュは、いつも強くて明るくて、私を支えてくれていた。

 でも、カシュはね、とても苦労して大人になった人なの。それこそ、私たちが信じられないくらい。

 そのことを知ってね、私、小さな頃のカシュに出会って、慰めてあげたいと思ったの。少しでも、小さなカシュの力になれたら……って。そんなことできっこないはずなのにね。

 でもね、その代わりに、今、こうしてカシュの力になって支えてあげることができる。それが、うれしいの。

 強くて明るいカシュも、老いてしまったカシュも、私の大事なカシュ。

 カシュの死を受け入れるのは、ものすごく怖い。

 けれど、会えて一緒に生きてこれて、とてもよかったと思う。マリやカイトのような子供にも恵まれて、リューマの仲間たちとも楽しく仕事ができて。にぎやかで楽しい家庭を築けて。

 そして何よりも……。

 カシュを、あのまま孤独なまま、ひとりぼっちで逝かせなくてすむから。


「あの人ったらね、墓石に刻む言葉さえ決めているのよ。バカみたいでしょ?」

 リリィは泣き笑いした。

「死ぬまで幸せに生きた男……ですって。だから、死ぬまで幸せにしてあげなくちゃね」

 エリザは笑えなかった。

 だが、昨夜のサリサの言葉が思い出された。


 ――死なないことが大事なんじゃない。どうやって生きたのかが大事。


 その言葉に追い打ちを掛けるように、リリィが言った。

「カシュのことは、心配しないで。それよりも、心配しすぎて、大事な幸せを逃さないでね」




 馬車は、快調に蜜の村を目指している。

 やはりいい天気だった。

 エリザは、荷物の間に小さくなって横たわっていた。

 最初のうちは、景色を見たりしていたが、リリィの言葉やらカシュのことやらが頭から離れず、なんだか疲れてしまったのだ。

 サリサは、マリがいなくなった御者台の隣に陣取って、楽しそうにカイトと話をしていた。

 やがて、話が無くなったのか、しばらくすると、サリサの歌が聞こえてきた。

 とても癒される心地のいい声……と思ったのもつかの間、その声にだみ声が重なった。カイトがつられて歌い出したのだ。心地よい歌は、不協和音になってしまった。

 ぐっと我慢していたエリザだったが、耐えきれなくなって起き上がった。

「エリザ、疲れているなら寝ていたほうがいいよ」

 サリサが振り向いて、声をかけた。何となく腹立たしく思って、返事をしなかったら、サリサがエリザの横にやって来た。

「急な出発だったから、疲れたんだね?」

 サリサの言葉に反応したのは、エリザよりもカイトだった。

 彼は、がははと笑いながら、リューマ族らしい下品な冗談を飛ばした。

「疲れたのは、夜、がんばりすぎたからだろ?」

 エリザは、顔を真っ赤にした。

 確かに昨夜、二人は久しぶりに抱き合い、身も心も結びあったのだが……。ムテ人同士は、そのようなことを笑いの種になんかしない。

「そんな破廉恥なこと!」

「そんな激しくなかった」

「! ○×△○*……!」

 エリザと同時に発されたサリサの言葉に、エリザは思わず平手が出た。

 その瞬間、目を白黒させてしまった。

 最高神官だった人に、平手打ち? エリザは、自分のしたことに固まってしまった。

 その空気を引き裂いたのは、やはりカイトの下品な笑い声だった。

「がはははは!」

「きゃー! ごめんなさい! 痛かった?」

 顔が沸騰して湯気が出そうなエリザに対し、サリサのほうは、きょとんとして頬を抑えたままである。

「いや、痛くはないけれど……疲れたかも」

 そう言うと、サリサはころんと横になり、あっという間に寝てしまった。

「え? サリサ? ちょ、ちょっと待って」

 あまりの寝付きのよさに、エリザは不安を覚えた。このまま、もう二度と目覚めないような……。

 ところが、再び下品なカイトの笑いが、その空気を引き裂いたのだった。

「がはははは!」

「ん、もう! いい加減にして!」

 エリザは怒ってふて寝した。

 だが、サリサの隣に横たわったものの、興奮して眠れそうになかった。

 だから、お昼に目覚めるまで自分が死んだように寝ていたと知って、びっくりしてしまった。


 エリザが目覚めたのは、懐かしい霊山の薬湯の香りのせいだった。

 ふと、荷台から見ると、サリサがカイトに薬湯を入れているのが見えた。

 元最高神官が、自らの手で薬湯を入れ、しかもリューマ族にふるまう。何とも不思議な光景だが、エリザが驚いたのは、それにあまり違和感を持たなかったことである。

 霊山から遠く離れたせいか、サリサはまったく一般庶民と変わらない様子だった。いや、それ以上に気さくなムテ人であろう。

 あまりにも板についていて、エリザは最高神官であった彼を一瞬忘れた。

 本当は、これが真のサリサの姿なのかも知れない。だが、エリザが知っているサリサは、最高神官であることの方が多かった。

 戸惑いながらも、エリザはそれに慣れてきている。

 つい、うっかり、ひっぱたいてしまったのも、自然といえば自然だった。

 だが、サリサから最高神官の力を感じなくなるに連れて、エリザの不安は募るのだった。

 エリザが目覚めて見ていることに気がついて、サリサは微笑んだ。

 はっとして、エリザも微笑み返した。


 ――嫌だわ。

 今後は思いっきり楽しく過ごそうと思っているのに……。


 エリザの不安は、きっとサリサにも伝わってしまう。

 たとえ、最高神官としての力が衰えてしまったとしても、ムテ人は気を読むのに長けている。しかも、こうして心と体を繋いでいれば……。

 エリザは、自分に暗示をかけるほどに強く、不安を忘れ、楽しいことばかりを考えようとした。

 そして……しばらくは成功していた。

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