春うららかに・4
翌朝、本当にサリサが旅立つことに決めていて、エリザは驚いてしまった。
「ひどい! あたし、今日は学校を休みにしたのに!」
マリは、ちょっぴり膨れっ面だった。
カイトの話だと、サリサに恋人を紹介したかったらしい。今日のお昼に彼を招待していたのだ。
「ごめんごめん、落ち着いたら遊びにくるから。約束する」
ぼかぼかマリに叩かれながらも、サリサは悪びれもなく言った。
三日間の滞在予定を切り上げて、朝のうちに蜜の村に向けて旅立つこととなった。
エリザは、荷物をまとめながらも、サリサの気の変わりように戸惑っていた。
カイトもどうにか都合を付けてくれたが、急なことで迷惑しているに違いない。元最高神官とあれば、多少のわがままも通用させなければならない。
――本当に……何を考えているのかしら? サリサったら。
エリザは、申し訳なく思い、カイトのほうを見たが、彼はなんとも思っていないのか、がはは……と笑いながら、リューマの仲間と馬車の準備をしていた。
「エリザ様、これを」
リリィが、お昼のお弁当を渡してくれた。
カシュを癒す約束をしていながら、中途半端になってしまったというのに。正しく言えば、まだ、状況判断をしただけで、何一つ癒していない。
「リリィ、ごめんなさい。こんな、急に旅立つことになってしまって」
エリザは謝った。
だが、リリィはちょっとだけ頭をさげ、しばらく無言になった。
やはり、怒っているのだろうか?
エリザが、さらにお詫びしようと口を開きかけた時、リリィが先に口を開いた。
「あの……エリザ様。ちょっとお話が……」
誰にも聞かれたくない話らしい。
それに、話をするのかも、リリィはかなり悩んだらしい。
リリィとエリザは、人目を避けるように、馬が草を食んでいる放牧場の横の道を歩いていた。
だが、なかなか本題に入らない。
「あの」
たまりかねて、エリザが声をかけた時、やっとリリィが話し出した。
「私、エリザ様の不安な気持ち、よくわかりますわ」
風が渡り、牧草がそよいだ。その横で、エリザの髪も風に舞った。
「私……の、不安?」
サリサと二人、暮らせること。
誰よりも何よりも、うれしいはずなのに。
エリザは、なぜか広い草原にたった一人で立っているような、寂しい気持ちに襲われた。
「ええ、私も驚きました。サリサ・メル様が、最高神官を勇退なさったことには。正直、あまりにも悲しいことで、涙が止まりませんでした」
最高神官を失うことは、ムテでは大きな痛手である。
マサ・メルの死の際は、その孤独に耐えかねて後追いする者が続出した。リリィの夫もその一人だった。
サリサの場合は、立派な後を残しての勇退であるから、今までにない例とはいえ、衝撃は少なかった。だが、彼を近しく感じる者にとっては、やはり悲痛なことである。
「でも、私、サリサ様の気持ちも痛いほどわかるんです。エリザ様が思っている以上に、あの方はエリザ様をとても大事に思っているんです。だから、これだけのことを決心なされたと思うんです」
だからこそ、エリザは不安になってくる。
サリサの今後を、エリザが決めてしまったようなものだ。
「……サリサ様に、急いでここを発つように言ったのは、私なんです」
突然のリリィの告白に、エリザは驚いてしまった。
てっきり、急に旅立つことに、怒っているのかと思ったのだが。
「ご自分では気がつかないかも知れませんが、カシュとお話してから、エリザ様は様子がおかしかったと……。サリサ様は、とても心配して、何かあったのかと私に聞きに来て……」
「! そ、そんな!」
エリザは慌てた。
不安に思っていることが、あからさまに態度に出ていたとは。
「だから、私……。きっとこれ以上、カシュの側にいたら、エリザ様は、私たちとご自分を重ねあわせて、悩まれることでしょう。それよりも、早くご自分たちの新しい生活に慣れるべき。そう、サリサ様に進言したのです」
「……」
エリザは言葉を失っていた。
自分の知らないところで、そこまで心配されていたとは。
「カシュが、余命少ないことは、私もよくわかっています。エリザ様に癒されても、もうどうしようもないことぐらい」
リリィは、さすがにうつむいた。
「そ、そんなことないです。痛みは和らげることができますし、安静にしたら、少し寿命だって……」
「いいんです」
「よくないわ!」
心臓がドキドキした。リリィの落ち着きが気持ち悪いくらい、エリザは興奮していた。
「よくないわ! リリィ、大事な人をそんなに簡単に諦めるなんて!」
リリィは、少し涙ぐんでいた。
「諦めてなんかいません。受け入れているだけですわ」
――ダメ! ダメったらダメ!
エリザは、まるで悲鳴のように打ち鳴らされる心臓の音を、抑えることができなかった。
自分の大事な人の死を受け入れるのは、諦めるのとどう違うのだろう? リリィの言葉がわからない。
だが、リリィはそっとしゃがみ込んで、道端のタンポポを摘んでくるくると回して見せた。その表情は、まるで少女のようだった。
「エリザ様、聞いてくださる? あの人ったら、プロポーズする時に、私になんて言ったと思います?」
――俺はリリィさんのお願いを聞いてくたばるような、軟な男じゃないんだ。殺されても死なねぇ。
「ねえ、バカみたいでしょ? そんな話、あるわけない。私、あの人と歩むのが、色々怖かった。そのひとつは、カシュが私よりも早く死ぬことだったの」
リューマ族がムテ人より早く死ぬのは、当然のことである。
「なのに、あの人ったらね……死なないなんて」
リリィの手の中で、タンポポの黄色い花がくるくると回った。
「……だから、カシュさんの死も覚悟ができていたって、言うの?」
エリザは、とても花を愛でる気持ちにはなれなかった。
大事な人の死は、ムテには辛い出来事。だから、ムテ人は死ぬ前に旅立ち、愛する人に老いを見せない。死を見せないものなのだ。
リリィのように、介護することもなければ、その死をみとろうとする人はいない。
当然、エリザだって、普通のムテ人である。
「……私には……耐えられない」
エリザは小さく呟くと、ぐっと涙をこらえた。
「私も耐えられないと思ったわ」
リリィは、立ち上がると、そっとエリザの肩を抱いた。
「でもね、こうしているとね。今も幸せだと思えるの。カシュと一緒にいることが」
リリィの頬に涙が流れた。
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