春うららかに・6
順調な旅で、陽が沈まないうちに蜜の村に入ることができた。
エリザは思わず馬車から落ちそうなくらいに、身を乗り出していた。
何十年ぶりだろう? ジュエルを連れて帰って以来だ。しかも、あの時は、すぐに一の村に行くことになり、ほとんど故郷を味わうことがなかった。
不安を払拭できたのは、暗示の効果よりも故郷への懐かしさで興奮したからかも知れない。
それほどまでに、エリザはうれしかった。
今までいったい何度夢見たことだろう?
サリサとこの故郷の村で暮らすことを……。
それは、サリサにとっても、叶わないほどの遠い夢だったのだ。彼は、身を乗り出すエリザをそっと後ろから抱き寄せた。
たとえば……木漏れ日の中、家族と過ごす日々の中で、あなたと出会いたかった。
ただの夢です。
願っても叶わないこと、でも、願わずにはいられない。だから、夢……。
抱きよせる腕の力が強くなって、きゅんと胸が痛んだ。
サリサは、かすかに震えていた。肩に顔を埋めるサリサの息づかいが、まるで泣いているようにすら思えて、エリザは切なくなった。
サリサは、叶わない夢を叶えるために、これだけの重大な決意をした。その不安は、エリザの比なんかじゃない。
どこからともなく、風が甘い香りを運んで来た。
エリザは目をつぶり、大きく息を吸い込んだ。
サリサの決意を生かすも殺すも自分であるなら、自分も勇気を出して、新しい生活に飛び込んでゆくべきなのだ。
もう、一歩を踏み出してしまい、後戻りできないのだから。
蜜の村で一番大きな家。珍しい二階建ての建物だ。
その前で、馬車は止まった。
門には表札があり、『蜂蜜請け負い・加工/エオル』とある。その先、花の中に小道があって、家の入り口まで続いている。
少女が一人、扉を明けて飛び出してきた。勢いよく走ってきたが、馬の前で驚いて止まった。
エリザが馬車を降りると、もじもじしながら、後ずさりした。
「エリザ!」
懐かしい声がした。
その声を聞いて、少女はまっしぐらに走り出し、声の主に飛びついた。
「お兄さん!」
エリザは、思わず少女と同じように、まっしぐらに走り出し、飛びつく寸前で足を止めた。
「お帰り、エリザ」
ニコニコと微笑む兄の顔を見て、エリザは胸がいっぱいになってしまった。
エオルに抱かれた少女は、きょとんとして、エリザの顔を見つめていた。
「えーと……。ヴァイオラ……だったわね?」
エオルは思わず笑い出していた。
「ランだよ。ヴァイオラの娘」
そういうと、エオルは少女をゆっくりと下ろした。少女は、その後、再び走り出し、その後ろにいた母親に飛びついた。ヴィラに似た美女だった。
「おばさま、ヴァイオラです。おひさしぶりです」
エリザは、自分の大ボケに真っ赤になってしまった。
手紙のやり取りで、兄夫婦が家に似合う大家族になっていたのは知っている。でも、エリザの中では、初めての姪であるヴァイオラは、いつまでたっても少女のままだったのである。
ほんの小さな頃、トラン・タンに連れられて【祈りの儀式】を見に来た少女。それからエリザの中では成長していなかった。
ヴァイオラは、ランの手をとって、ふってみせた。その手首には、赤いルビーを編み込んだ腕輪があって、エリザを感動させた。
ヴァイオラが生まれた時に、エリザが作って贈ったものである。
ふと、ラウルのことを思い出した。
この腕輪を贈ることができたのは、彼のおかげである。
ラウルの献身を思うと、エリザはいつもうしろめたくなった。風の噂で、元気でやっていると聞いて、少しはほっとするのだが。
もしも、もっと素直に自分の気持ちを見つめることができたら、ラウルを傷つけることはなかっただろう。まるで両天秤に掛けるような真似をして、彼を選んだつもりになって……サリサのこともひどく傷つけた。
無駄な寄り道ばかり……いや、その無駄があったからこそ、今があるのだろうか?
とはいえ、ひとつ心を大事にするムテには、失恋は大きな傷として残る。恋争いに破れることは、他の種族とは比べ物にならない悲劇なのだ。
エリザができたことといえば、くじけそうになるたび、もうサリサとは歩めないと落ち込むたび、もう一度勇気を振り絞ることだけである。
ラウルをはじめ、多くの人を傷つけて、守ってきたひとつの心・想いなのだから、ちょっとやそっとでは諦められない。
馬車から手荷物をさげて、サリサが降りて来た。
「あ、ああ、お兄さん。こちらが……」
照れ隠しもあって、エリザはサリサをエオルに紹介しようとした。
手紙のやり取りもあって、多少は知ってはいるだろうが、初対面のはず……と思っていた。
ところが、サリサときたら、すっと荷物を下に置くと、エリザの言葉を待たずにエオルに近づき、抱擁した。
(え? 何なの? このはぐはぐ???)
なぜか自分だけキツネにつままれた感じである。
唖然としているエリザに、兄嫁であるヴィラが近づいてきて、そっと腕をとった。
「エリザ、さあ、こちらへ。まずは、ゆっくりくつろいでね」
エオルの家には、小さな子供が二人いた。エオルの子供と孫である。
遊びたい盛りの子供達は、今日ここに泊まることになったカイトに遊んでもらってはしゃいでいる。
心話で子供を押さえつけがちのムテ人よりも、体当たりで子供にぶつかっていくリューマ族のほうが、子供はうれしいらしい。きゃっきゃはしゃいで楽しそうだった。
それを横目で気にしながらも、大人達は談笑していた。
この家には、ヴァイオラの家族も住んでいて、活気があった。しかも、エオルは一時期の不信感を払拭して、今や蜜の村の村長を務めていた。常に人々が出入りする大きな家になっていたのである。
手紙で知っていたので、それは驚かなかった。だが、どうしても信じられないのは、サリサがこの家に馴染むのが早すぎることである。
エオルともヴィラとも、旧知の仲のような振る舞い。むしろ、ヴィラはエリザよりもサリサのことをよく知っているような雰囲気だ。
(私だけ……何かへん?)
兄とサリサが、酒を仲良く酌み交わしているのを見て、うれしいはうれしいのだけど、取り残されたような気分だった。
その様子を察してか、少し酔って朗らかになったせいか、エオルがエリザに言い出した。
「おまえ、もしかして何も聞いていないのかい? この人はね……実は」
「うわ、待ってください! それは言わない約束で……」
慌ててサリサが制止する。
赤くなっているのは、酒のせいではないだろう。その動揺ぶりは、今まで見せたことがないほどである。
「え? 何? 何ですの?」
「う……、いや、何でもないって」
何でもないなら、なぜここまで動揺するのだろう? エリザはいぶかしんだ。
「サリサ。私に何か、隠していることがあるなら……」
「う、いや、その……別にたいしたことではなく」
「たいしたことでないなら、教えてください!」
エリザは必死になって食い下がった。だが、サリサは逃げてばかりである。
その様子を、ヴィラとエオルが笑いながら見ていた。
だが、しばらくしてかわいそうに思ったのか、エオルがサリサに助け舟を出した。
「エリザ、もう許してあげなさい。実にたわいもないことなのだから」
――そう。
今となっては、たわいのないことなのである。
こうして、二人、一緒になれたのだから。
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