10. 運命の輪 — Wheel of Fortune
「運命の輪っていうのは二重なんだ。左へ回れば悲しみを運んでくる。右へ回れば喜びを運んでくる。あんたの運命は少しだけ右に回り始めたようだね。何ってわけじゃないが、あんたの顔を見ているとそう感じるよ」
マルドウック市のはずれ、小さなそれでいて清潔で安全なホテルのバー。マルドウック市滞在の最後の晩に訪れたミラに、老婦人が語りかけた。
「失礼、喋りすぎたようだ。こんなことは滅多にないんだけどね。あんたは全く喋らないもんだから、こちらがいつも以上に喋っちまう」
気晴らしにバーを訪れた老婦人はミラの佇まいに好感を覚え、ミラは老婦人の凛とした眼差しと丁寧だが力強い物言いに好感を持った。要するに意気投合した。
「知り合い—いや、仲間にもそう言われたことがある」
「そのお仲間とも気が合いそうだね。何をしている人なんだい?」
「兵士だったが死んだ。戦争で。死にかけた私にこの腕を残して」
「そうかい。そりゃ—たまらないだろうね。殺した奴のことが憎いかい?」
ミラはゆっくりと首を振る。
「あれは戦争で、何でも起こり得た。そしてそのことをみんな知っていた。だから憎しみは無い。ただ、私や彼女のような人をもう増やさないでほしい。そして時には死んでいった者たちのことを思い出してほしい。そう願うだけだ」
ミラは最初からボイルドを殺すつもりなどなかった。アウベスから渡された三枚の写真の標的も同じだ。三人の軍人の邸宅には三発の同じ銃弾が撃ち込まれただけ。ヘルファルト社製の十二・七ミリ×九九ミリ弾。ミラと、あの戦争で死んで行った仲間たちからのメッセージ。『私たちを忘れないで』
「さっきの話—運命の輪っていうのは、誰かに回してもらうことも出来るのか?」
「もちろんさ。誰かの運命が右に回るように願い、励ませば、その人の運命はきっと少しずつ右に回り始める。人は一人じゃないからね」
「だとしたら私の運命が右に回り始めたのは、きっとあの娼—いや、少女と出会ったおかげだ」
黒い髪の、強い目をした少女。朝、ミラが目覚めたときにはもう部屋にはいなかった。顔はもう思い出せない。名前も聞かなかった。きっとあの少女のような娘は、この市内にいくらでもいる。
「出会うべくして出会ったんだろうさ。いるべき場所、いるべき時間に居合わせた。ただそれだけのことさ。でもそれだけのことが、運を右に回す。特に女の運を、ね」
そう言って老婦人は軽くウインクする。
いるべき場所、いるべき時間。
ミラは四肢を失ったが生き残った。それはあの時、あの場所にいたから。
サラとメアリーは死んだが、ミラに四肢を残した。それはあの時、あの場所にいたから。
ミラは両腕をかき抱くと、静かに涙を流す。
アウベスの制御装置を撃ち抜くために規格外の弾速で弾丸を撃ち出したため、爆発にも似た狙撃時の反動で狙撃銃<RAVEN>は砕け、ミラの両腕もずたずたに吹き飛んだ。自己修復力の強いサラの腕でなければ、ミラは病院のベッドを出ることなく一生を過ごしていたかもしれない。
「実を言うとね、この街を出ようかと考えていたんだ。だけどあんたに会って気が変わったよ。あんたのような人に出会えるのなら、この街もまだ捨てたもんじゃない」
「—もし私が出会った少女に、あなたが出会うことがあったら、あなたの言葉を伝えてもらえないか?あなたの言葉は、人に力を与える」
「名前も顔も知らない女の子に?私の言葉を?面白いことを言うねえ」
老婦人は少しだけ笑う。
「いいさ。私は仕事柄、多くの人と出会う。気に留まった人には、私なりの運命の真実ってやつを伝えてみようか」
「頼む」
「—あんたはどうするんだい?」
「故郷に帰る。故郷でなくしたものを見つめ直して、それからどうするか考える」
あの時のサラの問いへの答えを、ミラは目の前の老婦人にぶつける。
「—そうかい」
「何年先になるかわからないが、またこの街に来ることがあるかもしれない。その時には—」
「ああ。運命はきっとあんたをいるべき場所、いるべき時間に導いてくれるさ。その時にはまた語り合おうじゃないか」
そう言って二人はグラスを鳴らし、ミラは故郷と、心の中に残された家族と仲間との思い出に心を浸す。
運命の輪 — Wheel of Fortune 日出 隆 @takataka2
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