2. 生還 — Returning

 染みの入った天井と点滅する蛍光灯、はがれかけたリノリウムの床と所狭しと並べられた医療機器。鷹を思わせる鋭い目つきの白衣の老人。全身に繋がれたチューブと、自分のものではない四肢。壁代わりに部屋の四方を仕切る、吊るされた白い布。

 ミラが次に目覚めたとき、目に入ったものの全て。

「お目覚めとは驚きだ、お嬢さん。数ヶ月、いや数年ぶりか?よもや地獄に行く前にこの部屋で目覚める者がいようとはね。ああ、しまった地獄はここだったな」

「ここは…?」

「言っただろう?”地獄”さ。眠りにつく前と大差ないな、ミランダ・”サイレント”・オウンウェイズ。念のため聞くが、お前さん、まさか希望なんて洒落たものは持ち合わせちゃいないだろうな?」

 枕元に置かれた銀色のトレイと、その中に置かれたミラのドッグタグ。にやりと笑い、老人は話を続ける。

 白衣の老人—ウィリアム・エイプリル。自称、軍の研究機関である宇宙戦略研究所における生物工学の第一人者だった男。曰く、三博士に匹敵する知性の持ち主。会話の最後には必ず自分を解雇した軍への不満。

 ミラの”静かな”心はウィリアムの内面を客観的に分析する。三博士への強い嫉妬。自己欺瞞とそれを認識し身動きのとれないプライド高き心。”楽園”の対局として”地獄”を作り、”オクトーバー”への嫉妬から”エイプリル”を名乗る成長しきれていない性格に抱かれた類い稀なる知性。

 その知性の中身は本物で、灼熱の地獄の底で失われた四肢の代わりにミラが得た新たな四肢は、自分の四肢よりもしなやかな動きを見せる。

「いいぞ!いいぞ!灼熱の地獄の底から死にかけのお前さんを引き当てたのは運命だな。同僚たちが炭と化してぼろぼろと朽ち果てていく姿なぞ見たくもなかったろう?あの時のことを多少なりとも覚えているのかね?」

 口元に浮かんだ愛想笑い。卑屈と皮肉が同居するねじ曲がった精神は、ミラに過去を振り返れと促す。


 都市から遠くはなれた田舎町で生まれたミラは、都市に出ることを夢見る何処にでもいる十代ティーンだった。泥水よりは幾分ましなコーヒーをだすカフェと、ギャングになりきれない地元のゴロツキが集まるバー、それに潰れないのが不思議なカジノ。食料品店が二つでモーテルはなし。九時には灯りが消える、平和と退屈が同義という田舎の街。

 ミラの運命が転がり出したのは十四の時。麻薬中毒の男の運転する車が時速百二十キロでミラの父親の運転する車に突っ込んだ。たまたま家に残っていたミラを除く家族三人と、麻薬中毒の運転手が即死。天涯孤独となったミラは一週間泣き続けた末、被害者支援カウンセラーの女性に軍の幼年部隊に入ると宣言した。

 札付きのワルか、行き場の無い独り者。軍の幼年部隊に来るのはそのどちらか。礼儀と仲間という言葉を知らない少女たちに、軍は規律と協力という言葉を叩き込んだ。一年も経つ頃には彼女たちは軍の色に完全に染まっていた。

 染まらない奴もいた。

 ミラがそうだった。軍務は完璧にこなすが、口数が少なくコミュニケーションがとれない。

 目くじらを立てていた上官たちもいたが、彼女の境遇を知ると、自然と声を上げることをやめた。

 必要以上の言葉を口にすることの無い彼女が、狙撃手となったのはある意味当然のことだ。

 もともとの適性もあったのだろう、ミラはすぐに戦果をあげるようになった。周囲と協調することなく戦場で一人、黙々と獲物を狩るミラに窮地を救われた者も多かった。

 ミラはどれだけ戦果をあげても驕ることがなかった。互いに生還を祝い合う仲間たちから離れ、一人寂しげな眼差しで静かに佇むだけ。

 そんな彼女のことを、いつしか仲間は畏敬の念を込めてこう呼ぶようになった。”静かなミラ”と。

 

 その日もいつもと変わらなかった。側面支援のためにミラは一人、部隊から離れて闇夜の中を移動していた。暗視スコープ越しに見る敵の姿に個性はなく、銃火が煌めく星のように戦場に散りばめられていた。いつものように淡々と引き金を引き続け戦果をあげていたその時、それが起きた。

 轟音とともに天から火が注がれた。

 注がれた炎は瞬く間に大地を焼き付くし友軍を飲み込んでいった。

 溢れ出た炎は大地を嘗め、気付いたときにはミラも周囲を炎で囲まれていた。

 高温の空気に喉が焼かれ、蹴躓いて倒れたミラの手足を炎が搦め捕った。灼熱の地獄の底から見上げた赤い空を巨大な爆撃機が悠々と飛び去っていった。その姿は運命の頚城から放たれた巨大な鳥のようにも、無機質なただの金属の塊のようにも見えた。


「Exactly!正解だ!いいぞ!!そう爆撃機だ、まさにそれだ。お前さん、自分たちがなぜ爆撃されたか知っているか?」

 枯れ木を思わせる細い身体をせわしなく揺すりながらウィリアムが尋ねる。

「誤爆さ!間違いだったんだ!覚醒剤中毒のパイロットが、お前さんたちの頭の上から、敵さんにお見舞いするはずの爆薬を降り注いだのさ!どうだ?こんなことが許されていいのか?いいはずないよなあ!そうだろう?」

 ミラは誤爆という真実よりも、ミラを煽るウィリアムの口調の方が気になっていた。この男は自分をどうしようとしているのか?何をさせたがっているのか?見極めたかった。


「ああ、そうだな。許されることじゃない」


 真実をそのまま淡々と告げるミラの言葉にウィリアムは一瞬、毒気を抜かれたような顔をし、その後で大きく笑い出す。

「そうだろう?そうだ、当然だ!」

 ウィリアムは大きく頷くと、ミラにタブレット端末を渡す。

「<楽園>から持ち出した極秘情報だ!誤爆の嘘と真実がそこにある。お前さんの身体のメンテにはまだ数日必要だ。その間にそいつを頭に叩き込んでおけ」

 タブレット端末を起動すると一人の男の顔写真が現れた。精悍な顔つきの軍人。友軍の上から爆弾のシャワーを降らせた覚醒剤中毒者。

 その名はディムズデイル・ボイルド。

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