8. 娼婦 — An innocent girl
歌が聞こえた。
—月曜日の朝、希望に満ちて目が覚めた僕たちは、金曜日の夜、自分がくだらない人間に成り下がったことに気付くんだ。お互いを傷つけ合うばかりでどこにも行くことが出来ないって気付くんだ—。
夕陽の差し込む戦場のラジオ局。敵の撤退が伝えられ、弛緩していく空気。床に座り足を投げ出して一組のイヤホンを二人で分け合い、オールドカントリーミュージックに聞き入る兵士たち。
隣に座るのは眼の覚めるようなブロンドのサラ。眼を閉じたその美しい横顔に思わず見とれる。私の視線に気付いたサラが眼を開け、とびきりの笑顔を私に向ける。
—でも、まだ僕たちは多くを手にしていない。今スタートを切ろうとしているところなんだ。楽園が近づいてきているのがわかるんだ—。
頭の片隅でミラは理解する。サラはもういない。あの時の爆撃で両腕を残して消えた。夢と分かっていながらも思わず彼女の腕に眼がいく。白い肌と健康的な筋肉の盛り上がった腕。ミラが引き金を引く瞬間、微かに震え、狙いを外させた腕。その腕を抱え、彼女はミラを覗き込む。
「ミラは、戦争が終わったらどうするつもりなの?」
あの時のサラの問いへの答えをミラはすぐに思い出す。
「私は—」
そこで唐突にミラの意識は引き戻される。
「ごめんなさい、起こしちゃったわね」
狭い物置のような部屋の一角。目を覚ましたミラは床に寝かされ、身体の上には幾枚もの女物の衣服が重ねられている。夢の続きと思ったのはあの時の曲が聞こえたから。見上げると窓際で星の光を灯り代わりに先ほどの少女が小型のラジオをいじっている。
「この曲は—?」
「ここはどこ?とか、あなたは誰?とか聞くことはたくさんあるはずなのに、この曲について知りたいの?あなた変わってるわね。問いに応えるなら、私の大好きな曲、よ」
「そうか、私もこの曲は好きだ」
「気が合うわね」
彼女は手を差し出し、ミラはその手を握り返す。
「あなた怪我をしている。しかも普通の傷じゃない。身体の内側からじわじわと湧いてくるような傷」
「—ああ」
「あなた、エンハンサーね?」
「—聞いてどうする?」
「エンハンサーは特殊な能力を持っているんでしょ?それで人を殺めるんでしょ?ねえ、あなたも人を殺したことがあるの?」
少女はじっとミラを見つめる。その瞳にふざけている様子は見られない。純粋な好奇心に加え、彼女にとってなにかとても大切なことを尋ねているようにも見える。
「—ある。でもそれはエンハンサーになる前のことだ。私は兵士だった。その曲は戦場で聞いた。私と、もう一人で。懐かしい曲だ」
「その、もう一人は?」
「死んだ。私にこの腕だけ残して」
そう言って、ミラは両腕をかき抱く。少女はしばらく黙っていたかと思うと、窓際の小さな物入れの奥から何かを取り出す。
「これ。飲んで」
少女が差し出したのは錠剤が入った瓶だ。
「悪いが、私は辛いからと言って
「信じるかどうかはあなた次第だけど、これは薬よ。あなたたちエンハンサーの薬」
ミラは驚いて差し出された小瓶と少女の顔を見比べる。
「エンハンサーの客が置いていったの。その瓶を残して死んだ、って言うのが正しいわね。ことの最中に警察に踏み込まれて、取るものも取らずに逃げ出して。挙げ句の果てに追いつめられて川に飛び込んで溺死。信じられる?エンハンサーが溺死するなんてね。私の客じゃないわよ?でも私が一番まめだから、って遺品代わりに預かっているの。でもみんなもうそんな客がいたことさえ忘れてる。だからあなたにあげる」
少女は出会ったときと同じように真っすぐミラを見つめる。
「あなたたちって、検査を受ける必要があるんでしょ?薬も必要だって。その客が言ってた。信じるかどうかはあなた次第だけど」
再び同じ言葉を口にする。ミラは黙って小瓶を開けると錠剤を二つほど取り出し、口に含む。
「あなた、私に出会わなかったらそのまま死ぬ気だったでしょ?」
「私は—」
「私はなに?友達を失くして、悲しみに溺れて自分も死ぬ気だった?戦場で悲惨な体験をして、もう生きる気もなくした?」
少女は怒ったようにミラのことを見つめる。まるで糾弾するかのように。
「お節介かもしれないけど言わせてもらうわ。あなたに何があったかわからないけれど、あなたは今、生きてる。私にもどうしようもなく辛いことがあったわ。ええ、それこそ死にたくなるほどたくさん。今でも辛いことは多い。でも私もいま、生きてる。だから生き抜く。あの曲と同じよ。まだ私の人生、スタートだって切っていやしないかもしれない。死ぬくらいなら、『なんで私なの?』って問いかける。『なんで私にこんな酷い運命を背負わせたの?』って。運命に疑問を持って、戦う。そのまま受け入れてなんかやらない」
少女の言葉に、少女の心の熱を感じる。その熱がミラの心の奥底の何かに火を灯す。身体のあちこちに少しずつ意識が行き渡り、それと同時に、生きていることの証のように、身体のあちこちが痛み出す。
「あなたは今、生きている。なら、生きようとするべきよ。少なくとも、それが死者への礼儀だわ」
ミラは自分の手足を見つめる。自分のものとなった、他人の手足。自分に手足を残して死んだ、女たち。
「—そうだな。そんな簡単なことも忘れていた」
ミラは自分の今と、過去に思いを馳せる。そして少なくとも一つ、自分が為さなければならないことがあることに気がつく。
「明日には私はここを出て行く。やるべきことを思い出した」
少女は満足そうに頷くと、年相応の小娘のような笑顔を浮かべる。
「だったら今日はゆっくり寝て。明日にはきっと今日よりもよくなるわ」
ミラは一つ頷くと、そのままするりと眠りに落ちていく。
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