9. 追悼 — Mourning

 マルドゥック市郊外の廃工場。製薬企業のプラント施設だった当時の面影を残す、放置されたままの工業設備。生い茂る雑草/錆びた鉄骨/廃油の漏れ出るドラム缶。

 この施設にまつわる噂—異形の者と化した生体実験犠牲者の住処/巨大な怪物が夜な夜な闊歩するワンダーランド/新興勢力と旧勢力が争いを繰り広げるギャングたちのホットスポット。

 この廃工場にまつわる真実—縄張りにしようと目論み入り込んだギャングの多くが失踪/表沙汰にならない案件多数。

 その敷地に滑り込むガソリン車。降り立つのは09法案の従事者—ディムズデイル・ボイルド。

 彼にとっての廃工場の真実—売人を締め上げて聞き出した変異性多幸薬ミュータント・ピルの出所/<楽園>出身を名乗る科学者が居を構えた複合実験施設/オフィスの脅威となった狙撃犯の隠れ家。

 潜入—大口径の銃を構え油断無く。

 観察—滅茶苦茶に荒らされた工場施設。天井部からぶら下がる切れたクレーンの鎖/圧し潰された金属製の巨大培養槽/工場の隅に叩き付けられた巨大な防爆性チャンバー。何か巨大な存在が暴れた跡。残る黒く乾いた血痕。

 高所窓から差し込む陽の光を頼りに研究施設に潜入。粘液がそこら中にこびりつき、巨大な生物の腹の中にいる心地。

 地下へと続くへし折られた階段—底の見えない地下への巨大な縦穴は多くの侵入者にとって廃工場の到達点。迷うことなく疑似重力フロートを展開し、縦穴を垂直に進む。暗い穴の最深部は壁の代わりに薄汚れた白い布で区画が仕切られた薄暗い研究施設。

 

「これはこれは。こんなに早く来るとは。覚醒剤中毒の犯罪者の君に後悔という二文字はあるのかね?失礼、つい先走ったが、君に会ったら聞いてみたいと思っていたことだ」

 小柄な目つきの鋭いやせ細った老人。オフィスの揃えたデータと照合。アウベス・デラトーヤ。<楽園>の生体工学研究メンバーの一人。自意識が強く、三博士を含めた他人の研究成果を盗み、無謀な実験を繰り返したことで<楽園>を追われた<追放者>。自称—ウィリアム・エイプリル。ボイルドの追跡者ターゲット

 迷うこと無く突進し、アウベスを組み敷く。苦悶の表情を浮かべるアウベスに構わず尋問。変異性多幸薬ミュータント・ピルについて/この施設について/狙撃者について。

「こんなことをしておいていきなり質問かね?どう見ても人にものを尋ねる態度じゃないな。まあいい。そら!」

 アウベスの声と共に部屋の四方の布を破って異形の者たちが飛び込んでくる。姿形は人だが、泡を吹き、喚き声をあげ、その表情から理性は窺い知れない。手足が足りない者や、逆に数が多い者もいる。狂った科学者による生体実験被験者の行き着いた姿。

「どうだどうだどうだ!変異性多幸薬ミュータント・ピルをばらまいたのは市場実験のためさ!その結果がこいつだ!見事だろう?」

 後退するボイルドを無数の異形の者たちが追い詰める。さながら生ける屍による襲撃。ボイルドは大口径の銃の引き金を躊躇いなく引き、肉の塊を築き上げていく。しかしいくら撃っても異形の者たちは次々に現れてくる。

「彼らがなんだか分かるか?お前のような戦争屋が残した屍をもとに変異性多幸薬ミュータント・ピルで装飾して、さらに切って繋ぎ合わせて作り上げた私の最高傑作、さながら地獄の軍勢さ!どうだ?地獄の軍勢に楽園で作り上げられたエンハンサーが追いつめられるなんて最高だと思わないか!?死体はいくらでもあるぞ!お前たちが作り出したんだからな!」

 疑似重力フロートを駆使し、縦穴を来たときよりも速い速度で駆け上がる。異形の者たちはお互いの身体をへし折り、骨を釘代わりに、筋肉を糸代わりに繋ぎ合わせ縦穴を這い上がってくる。その姿はもう人の形など全く留めておらず、巨大なブヨブヨとした肉の塊に過ぎない。

『アウベスもあいつと同化している。あれにはもう個人の意志なんて存在しない。ただの巨大な肉の塊をアウベスが操っているに過ぎない』

 研究施設を飛び出し、工場の中を失踪するディムズデイルの懐で金色の鼠が早口で喋る。

「舌を噛むぞ」

『もう何度も噛んでるよ!アウベスが肉の塊を操るための核—君の疑似重力の発生装置のようなものが、あいつの身体のどこかにあるはずなんだ!それを探して壊せばあいつは止まる!』

「あの巨体から拳大の核を探し出すのか?そいつはなかなかに骨の折れる作業になりそうだ」

 ボイルドは振り返ると大口径の銃の引き金を立て続けに引く。轟音と硝煙の臭いが敷地内に立ちこめる。ボイルドに向けて伸ばされていた肉の触手は弾幕に磨り減らされて勢いを失い、飛び散った肉片が疑似重力フロートの壁に張り付いていく。肉の塊はその勢いを失いつつあるが、それでも動きは止まらない。ゆっくりとしかし確実に肉の壁に四方を囲まれ、その壁が次第に狭まってくる。

『まずいよ!』

 ボイルドが疑似重力フロートごと肉の塊に圧し潰されそうになり、金色の鼠が悲鳴を上げた、そのときだった。


 乾いた音と共に工場の天井近くにある光取りの窓が割れた。

 肉の塊が—正確には肉の塊と一体化したアウベスが—何事かと見上げた時、その胸に二発目の銃弾が突き刺さった。

 ヘルファルト社製の十二・七ミリ×九九ミリ弾。

 狙撃用ライフルで一般的に使われる弾丸—ではない。耐熱耐酸化コーティングされた特殊鋼で作られたその弾丸は、一般的な狙撃ライフルではバラバラになってしまう、超高速の弾速にも耐えられる一品。

 通常の狙撃銃を遥かに超える力で撃ち出されたその弾丸は肉の塊を易々と突き破り、その奥に隠されていた拳大の塊—アウベスが<楽園>から持ち出した、意志を持たない肉体の神経系統を制御する装置—を撃ち砕く。

「がはっ…!あの女…!!」

 制御を失った肉の塊が工場の床に崩れ落ち、制御装置を撃ち抜かれた衝撃で気を失ったアウベスが転がり出る。

 疑似重力フロートを解除し、明かり取りの窓を見上げたボイルドは、その先にある高層建築物—廃墟と化したラジオ局—を認める。何の動きも見えないが、微かに何かを聞いた気がして、ボイルドは目を細める。

 かつて戦場での唯一の娯楽だったミュージック。古き故郷の音楽。

 そう、我々は戦争をしていた。しかし一人で戦っていたわけではない。何か—忘れてしまったがとても大切なもの—を分かち合える仲間がいたはずだ。

 ボイルドはラジオ局に向けて遠い昔に覚えた軍隊式の敬礼をする。そしてそのまま床の肉片—数多の戦死者に目を移し、心から彼らの死を悼む。

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