ヒナゲシのせい


 ~ 六月十五日(金) フェンシング同好会 ~


   ヒナゲシの花言葉 乙女らしさ



 本日は、フェンシング同好会の活動を見学するために、四つ離れた駅へ移動。

 雑居ビルの三階、場所と道具のレンタルだけというコースのあるフェンシング教室へお邪魔しています。


 いつも通り部活体験してみたいものですが。

 参加するとなると、利用料がかかるので。

 俺たち四人そろって、ただの見学なのです。


 中学時代からの仲良しという同好会の一年生二人組は。

 校内に自分たちのプライベートスペースがもらえるという噂を聞きつけて。

 彼らの地元駅前にあって、それなりリーズナブルに楽しめる遊びをネタに同好会申請したということらしいのですが。


 それでも、一度レンタル衣装に身を包むと。

 真剣そのものな勝負を繰り広げるのです。


 見学前に予習してきたので、なんとなくわかるのですけど。

 彼らが行っているのは、武器の名をとったフルーレと呼ばれる競技で。

 命中の判定は胴体のみ。

 そしてこの競技最大の特徴は、


「くそっ! ナイスガード!」

「へへっ。じゃあ、俺の攻撃だな」


 ……攻め側と守り側がはっきりと分かれていることらしいのです。


 守り側は、攻め側の剣をはじいたら攻撃権を奪えるらしいのですが。

 でも、テレビで見た時、攻守交代のたびにこんなにのんびりしてたっけ?


 疑問はあれど、真剣な戦いを目にして俺も興奮しています。

 そしてこの子が、熱くならないはずはありません。


「うずうずしてますね、瑞希ちゃん。興味ある?」

「お恥ずかしいっす、脳筋直情型なので……」


 それに引き換え。


「うろうろしてますね、穂咲。興味ない?」

「お恥ずかしいの、おトイレ探してるの……」


 やれやれ。


 俺が教えた方へ、内またで走っていくのは藍川あいかわ穂咲ほさき

 軽い色に染めたゆるふわロング髪を、今日は……どんな形でしたっけ。

 いや、髪形はともかく、どんなことになっていたのかはよく覚えているのです。


 ただ、アレがどうやって固定されていたのかまるで思い出せませんし。

 落ち着いて考えてみたら、ありえないお話ですので。

 夢でも見ていたのですね。


 オレンジ、黄色、ピンク、赤、紫、色とりどりのヒナゲシのお花。

 まあるく咲いたお花を見事にアレンジした、巨大なフラワーバスケットを頭に乗せていたような気がするのですけど。


 ああ、そりゃそうですよね、夢ですよね。

 花かごがそのまま頭に乗っているなんてないですよね。


「せっかくそう思ったのですから、目の前に現れないでください」

「なんなの? 失礼なの」


 ハンカチで手を拭きながら。

 怪奇・かご乗っけ女が戻ってきました。


 しかし、ひとつ気がかりがありまして。

 葉月ちゃんが、真剣なわけでもなく、不真面目なわけでもなく。

 大変ニュートラルな表情をしているのです。

 どうしたのでしょう。


 問いかけようとした俺ですが。

 その言葉が、ふいに響いた扉の音で止められました。


「げ」

「……随分なご挨拶ですね、秋山道久。非常識です」


 練習場に現れたのは、招かざるお客様。

 生徒会長、雛罌粟ひなげし弥生やよいさんです。


「ええと、俺たちを追って来たんですか?」

「何を非常識な。同好会の解体勧告へ来たのに決まっているでしょう」


 生徒会長の言葉に、マスクを外して仕方ないかと肩をすくめる一年生ですが。

 さすがに可哀そうなのです。


「えっと、無下に解散させてはもったいないです。興味がある人はたくさんいると思いますし」

「活動が積極的ではないから解体候補なのです。顧問も指導者もなく、対外試合すらしないでは話になりません」

「楽しくやるのもいいじゃないですか」

「非常識なことを。スポーツは、勝つために、必死にやるものです」


 うぐ。

 それを言われるとぐうの音も出ません。


 ……ついこの間、二人三脚を馬鹿にした会長に。

 大見得切って俺たちが言った言葉そのものなのです。


 しかし俺が口をつぐんだ姿を見た同好会の二人は。

 生徒会長の発言に対して猛反撃を開始しました。


「必死じゃないとは心外な! 凡人ながらも必死にやってるんだ!」

「そうだ。俺たちは、間違いなく日に日に上達している」


 ふくれ面の二人に鼻息で返事をした生徒会長さん。

 何を思ったか、葉月ちゃんにこんなことを言い出しました。


「……葉月。あなたはこの同好会を守りたいのですか?」

「は、はい……」

「ならばチャンスをあげましょう。あなたがフェンシングで勝てば、解体は無かったことにします」

「え? 私が勝てばよろしいのですか?」


 こくりと頷く生徒会長さんが、利用料はすでに払っていると言いながら。

 葉月ちゃんに防具とフルーレを手渡します。


 えっと、これはどういう事でしょうか。

 日舞もかなりの腕前でしたけど。

 まさかフェンシングも?


 ……そんなことを考えていた自分が恥ずかしい。

 かなりの腕前どころの騒ぎじゃないのです。


 更衣室で、体操服に防具をつけてきた葉月ちゃん。

 試合開始と同時に、何が起きたかまったく分からぬ間に、あっという間にフェンシング同好会の二人を屠ってしまったのです。


 同好会の二人の勝負は、八割かた見えていた俺ですが。


「うそでしょ? 葉月ちゃんが何をやったかわからないのです」

「当然です」

「え? 中学の頃、選手か何かだったとか?」

「あの程度の腕で公式の試合に出るなどおこがましい。……せいぜい、県で優勝するあたりが関の山でしょう」


 うわあ、まじか。


 もちろん、同好会を維持したいという思いも手伝って。

 会員の子が鈍く動いたのかもしれないけど。

 それにしたって圧倒的なのです。


 ふうとマスクを取る葉月ちゃん。

 やり切った感満載の笑顔だったのですが。

 すぐにその笑顔が曇ります。


 そう、彼女は気付いてしまったのです。

 同好会を守ろうとした行為が、逆に彼らの心を折ってしまったことに。


「あ……、あの、私……」


 これは本末転倒なのです。

 彼らは同好会を畳んでしまうかもしれない。

 生徒会長の思惑は、ここにあったのでしょうか?


 ……そう思っていたのに。

 生徒会長のとった意外な行動に、その意図が読めなくなってしまいました。


「さて、それでは最後の勝負と参りましょう」


 会長はそう言いながら更衣室に入ると。

 体操着に防具といういで立ちで、俺たちの前に姿を現したのです。


「ど、どういう事でしょうか……」

「あなたが勝ったら、解体を無しにすると言ったはずです。相手がフェンシング愛好者を名乗るにもおこがましい者で良いはずはないでしょう」


 うわあ、ずるいのです。

 それに、葉月ちゃんが青ざめていますけど。


「生徒会長さん、そんなに強いの?」

「い、一度も勝てたことがないので……」


 しゅんとして、俯いてしまった葉月ちゃん。

 ちらりと同好会の二人をうかがい見ていますけど。


 勝てるかどうか以前に。

 同好会の二人の表情に、必死になるべきかどうか逡巡している様子なのです。


 ……でも、そんな葉月ちゃんの丸まった背中を。

 この元気っ子はいとも簡単に伸ばしてしまうのでした。


「葉月! いろんなもの背負いすぎ!」

「……え?」

「スポーツは、勝つために一生懸命やるものなの!」


 そう言いながら、ニカッと笑って親指を立てる瑞希ちゃん。

 ほんとにいい友達だね。

 葉月ちゃんも、ようやく笑顔を浮かべてくれました。


 さて、そんな二人の様子を、生徒会長はどんな思いで眺めているのか。

 気になったのでこっそり表情をうかがうと。



 ……どういう訳か。



 にこやかに微笑んだように見えたのです。



 …………ああ。

 なるほど、またその作戦ですか。



「あ、でも、その、同好会のお二人が……」


 おっと、葉月ちゃんの背中がまた丸くなり始めているのです。

 生徒会長の思惑に乗るようで癪ですが。

 俺は踊らされることに決めました。


「葉月ちゃん。穂咲が二人三脚の練習している姿を見たとき、どう思った?」

「え? そ、その、あたしも全力で頑張りたいなって。勇気をもらいました……」

「なら、全力で戦って来るのです。その姿が止まっていた何かを動かすかもしれないのです」


 俺の言葉に、しばらくきょとんとしたままの葉月ちゃんでしたが。

 言わんとしたことが伝わったようで。

 同好会の二人を、きっと見据えると。


「……必ず、勝ってきます」


 そう口にした彼女の中で。

 今、何かのスイッチが入ったようなのです。



「何をしていますか。無駄です。その子は今まで一度も私に…………」


 そこまで言いかけて、息をのむ生徒会長。

 葉月ちゃんの真剣な目を見て、フルーレを握る手からも、ぎりりと音が聞こえてきます。


 そしてお互いにお辞儀をし。

 マスクをつけて、開始線に立ち。


 緊張して見つめる俺たちの前で。

 審判の合図も無いのに、同時にフルーレを繰り出しました。



 ……あとはもう、何が何やら。

 速すぎて、まるで分からないのですが。

 今はどちらが攻めでどちらが守りなのか。

 本人たちだけが把握しながら、火花を散らし続けるのです。


 流星のように突き。

 瀑布のように払い。

 舞いのように避け。


 呼吸する間もないほどの応酬。

 力を抜く間もないほどの興奮。


 まるで二つの光がその覇を競うよう。

 俺たちは、無我夢中で歓声をあげました。


 でも。

 お隣からは、それどころじゃない。

 魂を揺さぶられた者が、体内で暴れる興奮を吐き出すかのよう。


 涙を流しながら、葉月ちゃんに声援を送っていたのです。



 葉月ちゃん。

 君が、今まで瞳を閉じていた彼らを動かしたんだ。


 俺は、趣味としてのフェンシングも楽しいと思うけど。

 でも、やっぱり。

 フェンシングはスポーツなんだ。



 本物を見て、心が震えない訳はない。



 ――そして、お互いが全てを賭けたような死闘は。

 葉月ちゃんが繰り出した、フェイントからの会心の突きを。

 ありえないほどに身を反らせながら弾いた会長が。

 信じがたいボディーバランスでそのままフルーレを突き出し。


 葉月ちゃんの胸にカウンターで突き刺して。

 今、その幕を閉じたのです。


 会長の側に灯る赤いランプ。

 崩れ落ちる一同。


 地に両膝をつき、床を叩く葉月ちゃん。



 一歩。

 あと一歩だけ、届きませんでした。



 ……でもね。

 勝負は届かなかったけど。

 君の想いは、二人の胸にしっかり届いたようなのです。



「生徒会長! 同好会の解体は少し待ってください!」

「会長の言う通り、ちゃんと指導を受けます。対外試合もします」

「ここ、レッスンもあるよな!」

「ああ、バイト代つぎ込んで申し込む」


 溢れる涙を拭きもせず訴える二人に。

 一瞬くすりと笑った顔をすぐに渓流の冷たさで隠した会長は。


「……よくわかりませんが、そういうことなら問題ありません。審査の際には考慮するようにしましょう」


 そう言い残して。

 更衣室へ姿を消してしまいました。


「葉月! お疲れ様!」

「葉月ちゃーん! 頑張ったのー!」


 女子二人が、崩れたままの葉月ちゃんを抱き抱えます。


 俺も胸が震えました。

 ちょっとおかしな表現だけど、男らしくてかっこよかった。


 ……そんな感動の場面だというのに。

 穂咲は頭のバスケットをすぽんと外すと。


「よく頑張ったで賞をあげるの」


 『乙女らしさ』という花言葉を持つヒナゲシのバスケットを。

 葉月ちゃんにプレゼントしました。


 それを受け取った葉月ちゃんは。

 バスケットに負けないほどの。

 笑顔の花を晴れやかに咲かせたのでした。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る