トキソウのせい


 ~ 六月五日(火) ボランティア研究会 ~


   トキソウの花言葉 届けたい想い



「献血へご協力おねがいしまーす」



 春の妖精が、南から吹く風にあおられて。

 桜色の羽根を慌ててパタつかせるこの季節。


 また来年、必ず来てねと声をかけて。

 見送る俺たちの空をいつまでも。


 寂しそうな顔をしてずーっと漂う雲の上。

 そのうちぽろぽろと泣き出して。


「あ。……降って来たかも」


 夏の熱気を、春の涼やかさで落ち着かせる。

 冷たい雨を降らすんだ。



「献血へご協力おねがいしまーす」



 ――放課後の駅前。

 何度も振り返っては、駅の名前を確認する。


 きっとここは違う県。

 いつも使う駅と同じ名前の所があるなんて。


 学校へ向かう出口の反対側に、普段は用事なんてないから。

 同じ場所なのに、まったく違う空気。


 目に映る景色には緑色が少なくて。

 季節すら感じることのできないビジネス街。


 そこを行き交う人たちも。

 同じ電車で、同じ駅に降りる皆さんだと思うことができず。


 まるで映画のスクリーンの中。

 ここには、俺たちの現実なんか無いのかもしれない。



「献血へご協力おねがいしまーす」



 そんな町へと降りた階段の前。

 高校生が七人で。


 献血バスの前に立ち。

 気になるほどでもない雨が、すこうし舞い始めた銀幕に向かって。


 献血の呼びかけを行っているのです。



「献血へご協力おねがいしまーす」



 俺の視界の端っこで。

 まったく変わること無く、同じトーンで呼びかけ続けるのは藍川あいかわ穂咲ほさき


 軽い色に染めたゆるふわロング髪を、今日は清楚にローツインにして。

 右耳の辺りにトキソウを一輪活けています。


 朱鷺トキと呼ばれるだけあって。

 薄紅の、不思議な形をしたお花が。

 見る角度によっては、鳥に見え。

 見る角度によっては、相変わらずのバカ丸出しなのです。



「秋山、ご苦労だったな。お前も呼びかけに戻っていいぞ」

「あ、はい。……先生、ボランティア研究会の顧問もやってたんですね」

「我が校では歴代、奉仕教育の担当者が顧問を受け持つことになっているのだ。去年奉仕活動についての特別授業を俺がやっただろう。覚えていないのか?」

「各組の担任がやるものだと思ってましたよ」


 小さな頃は、奉仕という言葉は地域への恩返し的な物だと思っていたのに。

 それが先生の授業で、世界への手助けというスケールの大きなものを当たり前のように行う同い年の人がたくさんいることを知って、衝撃を受けたのです。


 あと、日本で歴史的な災害が起きた時に。

 海外の小さな子供が、自分のお小遣いから募金してくれたエピソードを聞いた時には穂咲と二人で涙しました。



 ただ、だからと言って。

 本格的なボランティアとなると、どうにもしり込みしてしまうものです。

 なので、リストにボランティア研究会の名前を見つけた時には。

 思わず頭を下げてしまいました。


「でも、ここが解体候補のリストに書かれているなんておかしいと思うのですが」

「ふむ。……これを言うのはアンフェアだから、ヒントだけだが」

「はあ」

「そのリストを作った者が、お前たちに見せたかったという事なのだろうな」


 先生は、どうにも答えの見えない謎かけを残して。

 そして参加者全員に目を配ります。


「……さすがは先生なのです」

「何がだ」


 岩石をくりぬいたような、融通のきかなそうな頑固顔。

 その筋肉と血管の浮き出た左腕に、止血のための絆創膏。


「まさかご自分も献血へ協力してくるなんて」

「献血をお願いするのだからな。まずは自分が範を示すのは当然だろう」


 さも当たり前という風情で先生は言いますが。

 先生の当たり前は、俺たちにはまだ遠くの灯火なのです。


「それだけではないのです。先生が献血に行ってる間、俺に他の参加者が事故にあわないか監視していろと命令したじゃないですか」

「ん? うむ…………」

「昨日学んだばかりなのです。誰かが監視していないと危険だって。これならなにかトラブルがあった時、俺がすぐにフォローに行けます」


 傘をさす人もまるでいないほど。

 細い細い針で引いたような雨が。

 たまに思い出したように地面を叩きます。


 そんな街は喧騒に包まれているはずなのに。

 静謐を灰色で溶いた不思議な絵画。

 その世界から聞こえてくるのは。


「献血へご協力おねがいしまーす」


 機械的な、穂咲の声と。


「……それはすまん」


 厳格な先生の声だけ……、え?


「なにがでしょう? 別に謝られるようなことされてませんけど?」


 俺が先生を横に見上げると。

 この堅物は、都合が悪くなった時のいつも通りに。

 首ごと逸らせてぶつぶつとつぶやくのです。


「……なにか事件があったら、お前が身代わりになってくれると踏んでいた」


 ひでえ。

 それでも指導者か。

 ……でも。


「うーん、普段なら怒るところですけど、今日はそれほど信頼してくれたと思うことにして喜んでおきます」

「……貴様は大人になったな。重ねてすまなかった」


 珍しく。

 本当に珍しく。


 先生がにっこりと微笑んで俺を見下ろしてくるのですが。

 

 慣れないことに、恥ずかしくなったので。

 俺は慌てて他の話題に切り替えました。


「えっと、先生。呼びかけって、どの程度の効果があるのでしょう」

「お前はずっと見ていたのだから分かるだろう。大変効果があるのだ」


 そうは言われましても。

 普段の状態を知らないので、比較のしようもありません。


 ただ、気付いたことと言えば。

 慣れているはずのボランティア研究会の皆さん。

 彼らの呼びかけよりも、はるかにこいつの声に反応する方が多くて。


「献血へご協力おねがいしまーす」


 淡々と、機械のように繰り返される穂咲の呼びかけ。

 そんな声に反応した人が、穂咲を見て、献血バスを見て。

 そしてまたひと方、こちらへ足を運んで下さいます。


 振り返っても、ごく普通の献血バス。

 なにも不思議なことはない。



 ……そんな疑問に首をひねる俺の元に。

 瑞希ちゃんと葉月ちゃんがやって来たのですが。


「え? ……どうしたの、二人とも」


 二人は、辛そうに、悲しそうに。

 涙を流しながら俺にしがみつくのです。


 そして、理由も話さずに。

 穂咲の方を指差します。



 ――淡々と、機械のように。

 針で引いた雨に肩を濡らしたまま。


「献血へご協力おねがいしまーす」


 同じ言葉を繰り返すオルゴール。


 でも、明らかにそんな声に反応した人が。

 穂咲を見て、献血バスを見て。

 そしてまたひと方、こちらへ足を運んで下さいます。


 振り返っても、ごく普通の献血バス。

 なにも不思議なことはない。


 俺たちと穂咲。

 違いがあるとすれば。




 ……心から。


 輸血の大切さを知っているかどうか、ということか。




 理由を理解できた俺は。

 しがみつく二人をそのままに。

 銀幕を行き交う皆様に、心から呼び掛けました。


「献血へご協力おねがいしまーす」


 おそらく、涙を流しながら訴えかけている幼馴染の顔を見ることなく。

 俺の知らない街へ、呼び掛け続けました。




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