ユウギリソウのせい


 ~ 五月三十日(水) 日本舞踊部 ~


   ユウギリソウの花言葉 穏やかな精神



 どういう訳か。


 昨日、俺にチョップされたのを。

 キャーキャーと喜んだ一年生コンビ。


 ですので、そのイラッとする歌をもうやめなさいという意図は伝わらず。

 今日も今日とて歌うのです。


「たのしみなの美的っス~♪」

「アウストラロピテクッス~♪」



 俺はこの遊びを。

 『ダジャレイラリうたやなこって』

 と、名付けました。


 もちろん語源は。

 スリジャヤワルダナプラコッテです。



 ~🌹~🌹~🌹~



 ……ついさっきまで。

 楽しそうに歌っていたというのに。

 今や彼女は気息奄々きそくえんえん

 何度やっても合格が貰えず、板張りへ崩れ落ちたりしておりますが。


「は、ハードなの……」

「あたしも、体中がつりそうです……」


 ぺたんこ座りで、床へ両手を落とすのは。

 元気いっぱいがトレードマークの六本木ろっぽんぎ瑞希みずきちゃん。


 その隣で、シャクトリムシのようにお尻を突き出して床に落ちているのは。

 人類の中で、日本舞踊からもっとも離れたところに位置する藍川あいかわ穂咲ほさき


 軽い色に染めた頭のてっぺんを。

 今日はユウギリソウの小花でまんべんなく埋め尽くしているのです。


「もう、一センチも動けないの……」

「うおおおお、指がきしむ……。葉月、こんなのよくできるわね」

「あ、あの、小さな頃から習っていたので……」


 恐縮しながら二人を見つめるのは、雛罌粟ひなげし葉月はづきちゃん。

 同じく小さなころから日舞を習っていたという部長さんからも手放しで褒められる達人っぷり。


 でも、褒めるに留まることなく。

 流派が違うから勉強になるとかなんとか。

 葉月ちゃんに休みなしで躍らせ続けて。

 かぶりつきで見るとかやめてあげて欲しいのです。


「すいません、部長が。研究熱心と言うか、日舞にまっすぐな人でして」

「いえ、とんでもないです。私もアドバイスをいただけて嬉しいですし」


 ご丁寧に葉月ちゃんへ謝るのは。

 穂咲と瑞希ちゃんに基本を教えてくださった副部長さん。


 凛として、指先まで神経がいきわたって美しい座り姿。

 どこかで見たことがあると思って記憶を探れば。

 穂咲のおばあちゃんの姿勢と同じなのです。


 穂咲のおばあちゃんは名家の奥方。

 凛とした正座の姿勢から。

 手を膝に、ぴっと整えたまま立ち上がる姿が美しくて。

 いつも見とれてしまうのですが。


 副部長さんも同じ所作で立ち座りなさるので。

 ちょっとドキッとしてしまいます。


「さあ、いつまでも寝てないで。合格するまで帰さないわよ?」


 とは言え、厳しさもおばあちゃん並み。

 げっと声を上げる二人を見つめる視線は真剣そのもの。


「もちっと待ってほしいの。手と、足の裏がぴくぴくいってるの」

「新手のエアロビクス~♪」

「アウストラロピテクスなの~♪」


 ……穂咲までやり始めやがりましたか。


「副部長。歌ってる余裕があるようなので、こっぴどくやっちまってください」

「そうね。……はい! 二人とも立って!」


 副部長に促されるまま、ブリキ人形のように立ちあがった二人は。


「……穏やかな心でお願いします」


 先ほどからの決め台詞を聞くと。

 柳のような、実に女性らしいポーズから。

 『舞い』。

 そして。

 『踊る』のです。


「だめ! 藍川さんは指先を意識しすぎ! 六本木さんは逆に足運びばかりに気を向けない!」


 ……日本舞踊の動きは。

 上半身を中心とした『まい』。

 逆に下半身を基軸にした『おどり』。

 そして、身振り手振りでの表現である『ふり』。

 これらで構成されているとのことで。


 意識をどれかに向けると、他がおろそかになるらしく。

 複雑な動きが苦手な二人は。

 正味二分ほどの卒業試験にまたもや落第して床に墜落しました。


「うう……。もう、この部屋から脱出できる気がしないの」

「あたし、手も足もつりそうで限界です」


 そんな二人に、立ちなさいと厳しい声が飛んだところで。

 不意に部室の扉が開きました。


「あれ? 生徒会長?」

「お姉ちゃん!?」

「……学校では、雛罌粟ひなげし先輩とお呼びなさい」

「……はい。済みませんでした、雛罌粟ひなげし先輩……」


 この、渓流を思わせる涼やかさと激しさを兼ね備えた美女は。

 我らが生徒会長にして、葉月ちゃんのお姉さん。

 雛罌粟ひなげし弥生やよいさんなのです。


 そんな彼女は部室をざっと見渡して、おおよその状況を把握したようで。

 溜息を一つ吐いたあと、部長さんへ顔を向けると。


 どうしてこの人からはこんな言葉しか出てこないのだろうと思えるくらい。

 冷たい勧告を始めるのです。


「この度、生徒会では、無尽蔵に増えた部活動と同好会の見直しを決定しました。日本舞踊部は、二週に一度程度の活動しかしておらず、コンクールや大会での実績も薄いため、解体候補となっております」


 にわかにざわつく日本舞踊部の皆さん。

 それを割るように前に出た部長さんは、生徒会長に負けないほどの厳しい表情で迎え撃ちます。


「ちょっと雛罌粟、横暴でしょ! 去年の夏もコンクールに出てるわよ!」

「町内のよさこい大会をコンクールと呼ぶには無理があります。……それに、指導も非常に質が低いようですし」


 ええと、困りました。

 なんだかどえらい場に遭遇してしまったのです。


「このような場所で学ぶ時間があったら、しかるべき先生からご指導を受ける方が効率的でしょう。違いますか?」


 生徒会長の正論に、ぐっと言葉を飲み込んで俯く皆さんですが。

 部長さんと副部長さんは。

 これに不敵な笑みを浮かべて対抗するのです。


「それは違うわよ、雛罌粟」

「ええ。仲間と共に学ぶことに意義があるんです」


 俺たち高校生なら誰もが頷く反論に。

 かぶりを振った生徒会長は。

 葉月ちゃんに問いかけます。


「……我が家でのおけいこの方が、質が高いでしょう。あなたから教えて差し上げなさい」


 うう。

 葉月ちゃんにはとことんドSな会長さんなのです。


 これには渋々頷くしかないでしょう。

 そう思っていた俺の耳に。

 葉月ちゃんの、透き通った声音が流れ込んできました。


「いいえ。私も、仲間と共に学ぶことに意義があると思います。現に、今日皆さんにお会いして、最近さぼりがちだったおけいこを再開しようと思いましたから」


 真剣な表情で反論する葉月ちゃんに。

 うぐっと声を上げた会長は。

 ……少し寂しそうな表情を浮かべると。

 今度は瑞希ちゃんにお鉢を回してきました。


「そうは言っても、下限というものがあります。あなたはここで指導を受けたのでしょう? 舞ってみせなさい」

「は、はい!」


 ……自分にすべてがかかっている。

 プレッシャーが、そのまま動きに現れた瑞希ちゃん。

 卒業試験、最初の姿勢を取るなり。

 転んで尻餅をついてしまいました。


「……やばいの尾てい骨なの~♪」

「ア、アウストラロピテクス~♪」

「やはり、ふざけているようですが?」


 こら穂咲!

 なんて空気の読めない子!

 ……あと、瑞希ちゃんも後で説教です。


「えっと、今の無しで。ずっと見ていましたけど、指導もしっかり厳しかったですし、何より皆さん、心から日舞を愛していらっしゃいますよ?」

「…………またあなたですか、秋山道久。部外者が口を挟まないように」

「その部外者に舞わせて判断しようとしたのは自分でしょうに」


 ……またやっちった。

 俺はどうしてこう、生徒会長さんの整ったお顔立ちを般若にさせる名人なのでしょう。


 真っ赤になった生徒会長は、涼やかさをとうとうかなぐり捨ててしまいました。


「では、この部に見どころありということを証明なさい!」


 そんなことを急に言われても困ります。

 でも、あたふたとした俺の視界を遮るように。

 穂咲がすっと前に出たのです。


 そして、先ほどのぎこちなさはどこへやら。

 たおやかで優しい舞を披露すると。

 部室が割れんばかりの拍手に満たされました。


「……教わった通りにしただけなの」


 悔しそうな表情を浮かべる生徒会長を尻目に。

 副部長さんへ振り向きながら穂咲は言いますが。


「はい。大変穏やかな心が伝わりました。合格です」

「ううん? そういうのはよく分かんないの」


 ……せっかくまとまりかけていたちゃぶ台を。

 豪快にひっくり返すのです。


「なに余計なこと言い出しました!? じゃあ、どんな心で踊ってたのさ!」

「サンバカーニバル」

「欠片も伝わらねえ!」


 ああもう、台無しです!

 そして生徒会長さんが、ぷっと噴き出した後。

 咳ばらいを一つ入れてから、再び真剣な表情で俺を見つめます。


「やはり、この部の指導とは関係が無いようですが?」

「いえいえ、みなさんの指導は厳しくてわかりやすくて、この上ないものでしたよ? 例えば、卒業課題の動きなんか、聞いていただけで理解できたし」

「ほう?」


 うわあ。

 生徒会長さんの目。

 それは、さっき外で見た野良グリフォンの話をする子供を見る時の、お母さんの目です。


 な、なんとか証明しないと。


「えっと、こう、こんな感じ?」


 俺は副部長さんが話していたことを思い出しながら。

 指先、顎、肩甲骨と腰骨。

 内股と膝、足裏まで意識した姿勢で立つと。


「おおおおおお!」

「いろっぽい!」

「ウソでしょ!?」

「あの男子、何者なの?」

「女の子より色っぽいわよ!」



 ……拍手喝采なのですけど。



 …………そろそろ自分が信じられなくなり始めました。



 その上、生徒会長の悔しそうな顔。

 目的が叶った反面。

 嬉しくない烙印が押された心地なのですけど。


 しかも。


「あなたがそういう態度なら考えがあります。解体候補の部や同好会のリストを渡します。ちゃんと活動できているか調査の上、レポートを生徒会に提出なさい」


 酷い仕事を押し付けてきたのです。

 さすがに断ろうとした、その瞬間、


「「「はい!」」」


 背後から、元気な三人組の声が響いたのです。



 ……こうして俺たちの部活見学は。

 おかしな方向へ転がり始めたのでした。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る