ツキミソウのせい


 ~ 六月十九日(火) 華道部 ~


   ツキミソウの花言葉 湯上がりの美人/自由な心



「華道部そうとうきつそう~♪」

「果糖ブドウ糖液糖~♪」

「そういうのは部室に入る前に済ませてください」


 思わず血の気が引いた俺に向かって。

 二人揃って、てへっと舌を出していますけど。

 その遊びの間は容赦なくなりますね、君ら。


「あら? きつくするのがお好みならそうしますけど?」

「うそですごめんなさい!」

「ご、ごめんなさい……」

「俺からもすいませんでした」


 頭を下げる俺たちを笑顔で迎えてくださった先輩は。

 制服なのに、まるで和装のようなたたずまいで。

 ふわっとやさしい物腰が。

 部室を満たすお花の香りにとてもマッチしている方でした。


 ――華道部には。

 すごい腕を持つ、大変厳しい副部長さんがいらっしゃると聞いていたのですが。

 俺たちが体験入部のアポイントを取ってみたところ、その副部長さんからのお返事を言伝ことづてでうかがいまして。


 副部長さん曰く。

 完成したお花を観賞するのは構わないけれど、集中を乱すから、活けている間は見学を遠慮してくれとのこと。


 そんな厳格なお返事に。

 身を引き締めて、約束の時刻ちょうどに扉をくぐるなり。


 ……この歌。


 俺の胃は、恐縮の余りナス程のサイズに縮んでしまいました。


「ふふっ、面白い歌ね。テレビではやっているの?」

「いえ? あたしが思い浮かべた言葉が、何かに似てるなーって思いながら歌うとですね」

「……わ、私がその単語を当てるんです」

「まあ、ほんと? そのインスピレーション、お花に向いているかもしれないわ」


 ころころと喜ぶ先輩は、二人を作品の前へ促しますけれど。

 俺たちを遠巻きに眺める部員さんの、つららのような視線が。

 モンキーバナナくらいに俺の胃を縮こませてしまうのです。


 お花を活けている間は来るな。

 そんな返事をされた、厳しい副部長さんもあの列の中にいらっしゃるわけで。


 …………いや、いた。

 もちろん面識などないのですけれど。

 ピアノ線のように、ぎゅっと張り詰めた視線を向けるショートヘアの三年生。


 もう、オーラだけでそれと分かるハリセンボン。

 どういうわけか俺ばかりをにらんでいらっしゃいますが。

 とげっとげなのです。



 しかし、そんな副部長さん。

 たった一つしか違わないのに、華道の達人と称されているらしく。

 俺は、あと一年でそれほどに言われる何かを持つことができるのでしょうか。


 ……そんなことを感じた自分を鼻で笑う誰かが、俺の中で正論を言います。


 十六年という歳月の間に。

 何かを始めるきっかけなんかいくらでもあったのに。


 将来を見据えず、なんにも打ち込んでこなかったから。

 今の、なんにも持っていないお前がいるのではないか?


 例えば、小四の時。

 オルガンが上手とほめてくれた先生を信じて。

 六年間、熱心に音楽へ打ち込んできたら。

 自慢できる武器を持った、胸を張って歩くことのできる男になっていたのではないのか?


 ……すべて、身から出た錆のようなもの。

 分かっていますから。

 自分で気づいていますから。


 だから副部長さん。

 その、温かさの欠片もない視線はやめてほしいのです。

 針のむしろ一枚持たされて、南極に放り出された心地なのです。


 これ以上なにかあったら胃がつぶれてしまいます。

 せめて余計なことを言わないように。

 皆さんを刺激しないようにやり過ごしましょう。


「それにしてもケチなの。華道体験したかったの」

「お願いだからおよしになってー!!! 穂咲、しばらく口チャックです!」


 山火事に油田を投げ込むんじゃありませんよ。

 今の君の発言のせいで。

 俺の胃は柿の種と同じサイズになりました。


「ごめんなさいね。夏休み明けに、部外者へ向けた華道教室を開催するからそれまで待ってね」


 本当に申し訳なさそうに。

 それでも、穂咲が興味を持ってくれたことに対して、嬉しそうな表情を浮かべた先輩ですが。


 当然と言いましょうか。

 こいつの頭を、まじまじと鑑賞し始めました。


 そんな、歩く花器の銘は、藍川あいかわ穂咲ほさき

 軽い色に染めたゆるふわロング髪に、先日作った花器を固定して。

 以前お願いした華道の先生に。

 見事にツキミソウを活けていただいているのですが。


「素晴らしいわね。自分で活けてるの?」

「ううん? これ、なんか格好つけてるみたいでいやなの」

「あら、お花は格好が重要なのではないの?」

「全然違うの。お花は、いらっしゃいの気持ちだってあたしは思うの」


 頭の上を指さして、意味の分からないことを話し始める穂咲ですが。

 華道部の先輩になに言ってるの、君。

 ちょっと黙っているよう改めて釘を刺そうとした瞬間。

 またもこの人が扉を開いたせいでセリフを止められました。


「…………またですか?」

「秋山道久。あなたは本当に礼儀知らずですね」


 そこに現れたのは生徒会長さん。

 渓流のような厳しさで俺を見つめるのですが。

 今度は華道部にケンカを吹っ掛けに来たんですか?


 半目で見つめる俺でしたが。

 生徒会長さんは華道部員の皆さんへ慇懃な挨拶をすると。


「……なぜ俺の元に来ます? 今度は俺を解体する気ですか?」

「あなたが持っているリストを出しなさい」


 生徒会長さんの冷たい視線。

 今日は蒸し暑いのにクーラーいらず。

 俺は言われるがまま、いつもの解体候補リストを取り出すと。


 会長は『ストリートバスケ研究会』の名を二重線で消して。

 再び俺にリストを押し付けてきました。


「レポートは何日もまとめず、すぐに書いて提出なさい」

「うぐ。……ストバス研はいいのですか?」

「ええ。活動場所が駅前のバスケットコートということに問題があっただけですから。今日からは大人しく体育館で活動することでしょう」


 それじゃ、ストバスじゃないのです。

 それに『大人しく』と仰っていたようですが。


「……また、実力の程を知らしめてきたのでしょうか?」

「そういう事になりますね」


 美人の生徒会長さんに涼しい顔でそんなことを言われると。

 似合い過ぎて恐怖しか感じませんが。


 どうやら、そんな勝負でかいた汗をシャワーで流した後なのでしょうか。

 大人っぽいボディーソープの香りが漂ってきたので。


 ちょっとドキドキしてしまうのです。



 ……俺はななんとちょろいのでしょう。



 さて、そんなドキドキがばれたら一大事。

 平静を装いつつ。

 生徒会長さんへ近寄りたい誘惑と戦っていたその時。

 優しい華道部の先輩が、こちらへ話しかけてきたのです。


雛罌粟ひなげしさん。相変わらず生徒会監査の先生に振り回されているようね」

「さあ、何のことか分かりませんが。華道部も解体候補ですので、他人事ではありませんよ、萩原さん」


 へえ、先輩のお名前、萩原さんって言うのか。

 それにしても、生徒会長は先生に振り回されて何をしているというのでしょう。


「ここは解体されません。だって、この救世主たちが守って下さるのですから」

「お任せください。悪の生徒会長から、きっと守ってごらんに入れます」

「悪? それはどういう意味なのかしら?」


 あれ?

 きょとんとしちゃった萩原先輩ですが。

 だって解体リスト作ったの、この人ですよ?


 既に嫌われ放題なために、歯に衣着せなくなってきた生徒会長へ振り返ると。

 この人、意外にも涼しい顔をなさっているのです。


「……では、正義の秋山道久」

「なんざんしょ」

「華道部の副部長は、技術を軽んじるような指導をすると指摘されています。また、大変厳しいとクレームも出ているようです。そこを踏まえて、良いレポートを提出なさい」


 生徒会長はそう言い残して華道部を後にしたのですが。


 ……そんな反撃ある?

 背後に感じる黒いオーラの方へ振り返ることができなくなるじゃないですか。


「あら、副部長は厳しいの? そうでもないと思うけど」

「……あ、その、厳格なのはいいことだと思うのです」


 俺は精一杯のフォーローを入れつつ。

 生徒会長が投げ込んでいった音響爆弾を聞かなかったことにして。

 展示されたお花の元へ走りました。


「へえ! 見事な作品ですね!」


 我ながら棒読み。

 でも、いったん火事が沈静化するまで波風立てる訳に行きません。


 ……そう思っていたのに。

 こいつは俺の胃を、完膚なきまでに潰しにかかるのです。


「このお花を活けた人は、自分が下手だって言ってるの」

「いきなり酷評!?」


 もうほんと、君のせいでとうとう俺の胃はななくなりましたよ。

 食道の後、直で十二指腸なのです。


「酷評じゃないの。こんなに上手なのに、へただーって言ってて、なんだかもったいない気がするの」

「は? 君はプロファイラーなの? ばか言ってないで、お花を愛でなさい」


 お花屋の娘なのに。

 どうしてお花を評してあげないのですか。


 美しいお花が、より美しく飾られて。

 このコントラストがどうだとか。

 角度が計算されているだとか。

 華道ってそういうものだと思うのですが。


「次のやつを活けた人は、片思い中なの」


 だというのにこいつは。


「こっちの人は、最近綺麗になってるの」


 おかしなことばかりを口にしながら歩きます。


 すると先輩が。

 優しい笑顔を浮かべながら穂咲へ問いかけました。


「では、あなたのお花を活けた人はどんな方なのです?」

「自由人なの。お花の意味は、あんま分かってないかも。自分が楽しいから活けてる感じなの」

「そう? あなたが楽しく感じてくれるようにという気持ちが読み取れますよ?」


 そうかなあと、携帯を鏡にして穂咲は自分の頭を確認していますけど。

 それにしたって先輩までプロファイリングを始めてしまいましたが。



 お花って、そういうものなの?



 首をかしげる俺と一年生コンビをよそに。

 なにやら意気投合した先輩と穂咲が。

 中央に飾られたお花に向かいます。


 それを見て、ようやく楽しそうな笑顔になった穂咲が。

 偉そうで適当な事を言うのです。


「この人は、良く分かってるの。華道部へようこそいらっしゃいな気持ちなの」

「なにを偉そうに。そういうもんじゃないでしょ、華道って。このボリューム感がどうだとか、色彩が計算されているだとか、そういうものじゃない?」

「あら。でしたらこの作品はその辺りがまるでなっていませんね」

「全然関係ないの。これは名作なの」


 まだ言いますか。


「そうじゃないと先輩も言っているでしょうに。これは駄作…………ひうっ!?」


 …………覆水は戻るはずもなく。

 いまさら口を押さえたところで何としましょう。


 作者のプレートに書かれた『副部長』の文字。

 俺は反射的に。

 真っ黒なオーラがとうとう噴火した副部長へ向けて土下座したのですが。


 あれ?


「…………先輩。ひとつ、確認しても?」

「ええ、なにかしら?」

「その副部長のネームプレートに書かれた『萩原』さんって?」

「私の事みたいね」


 土下座、方向転換。


 俺は、胃どころか。

 内臓が全部潰れて消えるほど身を縮めて謝罪することになりました。

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