スカシユリのせい
~ 六月二十一日(木) 落語研究会 ~
スカシユリの花言葉 子としての愛
「じゅげむじゅげむごこうのすりきれ~♪」
「え? …… お、王政復古の大号令~?」
珍しい。
どうやら外れたようで。
むっとした顔を真ん中に寄せているのが
そんな必要もないでしょうに。
両手を合わせて謝るのが
そして。
「笑い話なんかできないの」
「笑い話じゃないです。落語です」
この、落語と面白トークの区別もつかないのが
先日は、コントと漫才の区別もつかないと言っていました。
軽い色に染めたゆるふわロング髪を、今日はポニーテールにして。
その結わえ目に、スカシユリを一本突き刺しています。
六枚花びらの、鮮やかなオレンジのユリを揺らしながら。
落語研究会のみなさんに拍手で送り出され。
その部屋の奥。
一段高くなったところへ敷かれた座布団へ正座して。
俺をタレ目で見つめてきます。
「急にやってみろとか言われても困るの」
「ええと、そうですね。時候の話みたいのから初めて、本題を話して、落ちをつける。……わかる?」
俺のつたない説明に。
ぼけーっとした顔のまま十五秒くらい停止して。
ようやくこくりと頷きましたけど。
全然わかってないですよね、それ。
でも、落語を一言で説明しろと言われても無理なのです。
諦めて世間話でもしてきなさい。
「センパイセンパイ! 藍川先輩、めちゃ可哀そうなんですけど!」
「そ、そうです。きっと一人だけ笑われちゃうことに……」
「大丈夫」
自信をもって二人の後輩に頷いてあげましたけど。
もちろん穂咲が一人で笑いものになるようなことにはなりません。
……だって、確実に。
次は我が身なのです。
笑いものになるのは四人なのです。
落ち研の方が、携帯からお囃子を鳴らして。
それが終わると同時に盛大な拍手。
そして穂咲は、見よう見まねにお辞儀をすると。
いつも俺たちに話すトーンと同じ。
こどもが大人に話しかけるような口調で語り始めました。
「梅雨なの。お蕎麦のじゃなくて。
近所でたっくさんのアジサイが咲いてるの。
紫のお日様って書くの。
雨に煙ると、まじかーってくらいに夢の中みたいな景色なの。
ずーっと見ていたいけど、雨だからすぐに真っ暗になるの。
六時くらいには、なーんにも見えなくなるの。
……紫のお日様なんだから自分で光ってほしいの」
落ち研の皆様、何人かが噴き出していらっしゃいます。
ちゃんと時候の話から入ってるし。
『枕』に落ちがあるとか、秀逸なんですけど。
「でね?
その日も雨が降ってて、アジサイが綺麗だったの。
パパとお散歩に行った帰り道で、パパがだーい好きなケーキを三つ持ってたの。
大好き過ぎて、頑張った時にしか食べちゃいけない決まりなの。
でも、アジサイを見てるうちにね。
道久君とこの三人が遊びに来てるってメールが来たの。
だから、みんなで半分こして食べようねってパパが言ったの」
へえ。
そんなことがあったんだ。
覚えているような、いないような。
「その時にね、アジサイはきれいだから、ママみたいだねって言ったの。
そしたらパパが、それは絶対言っちゃいけないよって言ったの。
なんでか聞いたら、アジサイの葉っぱは、毒があるって教えてくれたの。
だからね、パパに聞いたの。アジサイは悪者なの? って」
それにしても、『枕』からきれいに本題へ繋げてますけど。
なんなの君は? 天才なの?
落ち研の皆さんも、ほうという口の形で感心しているご様子。
でも、ただの偶然ですから。
期待しないでお聞きくださいな。
「そしたらパパがね、生きるために毒を持っているんだから。
アジサイは悪者じゃないって言ってたの。
でも、やさしさは足りないかなって言ってたの。
なんでなのって聞いたら、こんな例え話をしてくれたの。
お友達同士八人で一生懸命お饅頭をこさえて。
九個できちゃったの。
みんな、二つ食べたいなって顔してるの。
……でも、ひそかにあたしは三つ食べたいの」
ここでは、どっとひと笑い。
でもみなさん、違うんです。
今の、笑わせようとした話じゃないんです。
たんなる食いしんぼの感想です。
「えっと、なんの話だったっけ。ああ、そうだ。
その八人の中で、五人はさぼりながらお饅頭を作って。
三人は一生懸命お饅頭を作って。
そしたら、がんばった方の三人が。
余った一つを取り合ってケンカになっちゃったの。
でも、せっかく仲良く作ったのに。
こんな騒ぎになるのは嫌だからって。
残った五人のうち四人が。
お饅頭を半分だけ、お盆に戻したの。
そしたらケンカしてた三人は。
余った一個と、半分になったお饅頭四個をもらって。
仲良く二個分ずつ食べたの。
でね?
お盆に半分返さなかった人が一人いるでしょ?
…………その人がアジサイなんだって。
お饅頭が半分になっちゃったみんなと。
同じだけしか働いていないのに。
自分だけまるっと一個食べられることに気付いて。
その時ようやく。
自分が毒を持ってることを知るんだって」
しんと静まり返る落ち研の練習部屋。
無理もない。
展開が気になる、実に面白いお話なのです。
学校の行き帰りに穂咲が話す与太話と何ら変わらないのですが。
こいつの話は、いつもこんなふうに。
どこか考えさせられて。
なぜか引き込まれてしまうのです。
そしてこんな話を聞いたこともない俺も。
気付けばお話に引き込まれ。
想像の翼を広げます。
おじさんが教えようとしたことは何か。
このお話は、優しさや自己犠牲のお話とも思えるし。
仕事と給料のお話にも聞こえるし。
あるいは、強要についてのお話なのかもしれない。
一年生コンビのせいで覚えた、ハインリヒ四世のような。
逆転劇の話になるのかも。
……いや、きっとそうじゃない。
自分の分を誰かに食べさせるほど親切じゃない。
でも、他の人からお饅頭を奪うようなことはしない人。
そんな、どこにでもいる最も平均的っぽい人が。
自分が毒を持っていることを、もし知ったら。
一体、どんな行動にでるのでしょう。
想像を膨らませていた俺の胸の中で。
一つの答えが生まれます。
この幸せな世界に。
お饅頭を全部独り占めしてしまう悪魔が誕生したのです。
いやはや、落語なんて分かりもしない君なのに。
高座からいつもの調子で話すだけで。
ぐっと面白くなるものです。
人間模様でお話が進み。
起承転結で言えば、まさに今までの話を転じた、予想外な問題提起。
『アジサイが、自分が毒を持っていると知ったらどうなるのか』
しかしてそれを、何と解く?
ごくりと固唾をのんで見つめる皆の前で。
どういう間の取り方なのやら、君は深々とお辞儀して。
きょとんとなさっていますけど。
……あれ?
ひょっとして。
「穂咲。お話、おしまいなの?」
「そうなの。パパが話してくれたの、これで終わりなの」
「なんだそりゃ!!!」
うわあ、落ちが気になる。
皆さんも俺と同じ気持ちなのでしょう。
一気に落胆のため息が部屋を満たします。
道徳の授業じゃあるまいに。
アジサイが毒を持っていると知ったらどうなるのか。
気になって仕方ありません。
「あたしにもよく分からないんだけど、そのお話の後にね? パパが小さな声であたしに言うの。パパは、そのケーキを半分でもいいから絶対に食べたいんだって」
高座から降りて、俺の元に寄って来た尻切れトンボさん。
俺からペットボトルを取り上げて、ひとつすすると。
「だからママに、アジサイみたいだねって教えちゃいけないんだよって」
……この見事な落ちに。
教室内は、盛大な笑い声と鳴りやまない拍手とで満たされました。
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