ただいまのキス!


 あこがれの先輩の家にお邪魔してすぐの突然のキス。

 自分の唇を覆う柔らかな他人の唇の感触に、心臓が痛いくらいにドキドキする。

 中々終わらないそのキスの合間に、恋人でもないのにどうして、とか、涼香先輩は相手が女の子でもいいのかな、とか、色々な考えが頭をぐるぐる回る。


 そんな混乱に、一瞬おちいったが、すぐにはっと我に返る。

 そして思った。

 これは、あれだ!……と。


 ソラは知らない。

 ただいまのキスをする家庭は日本では滅多にないし、しかも唇同士のキスでそれを行う家庭など、きっと日本に悠木家くらいしかないだろうと言う、そんな事実を。


 故にソラは思った。

 あ、これはただいまとおかえりのキスなんだ、と。


 正直、キスのタイミングも悪かった。

 帰ってきてからまだ腰も落ち着けていない状態だから、ぎりぎりただいまのタイミングだ、とソラはそう思いこんだ。

 思いこんでしまったのだ。

 それは涼香にとっては不幸な勘違いだった。


 唇をあわせるだけとは言え、ごく普通の高校生相手であれば十分に刺激が強いと言える、長めのキスを終えて涼香は満足そうな吐息を漏らす。

 そして、色っぽく上気した頬もそのままに、愛おしい後輩を見つめた彼女は、そのまま首を傾げた。

 何とも微妙な表情を浮かべて。


 なぜなら、突然のキスを終えた後のソラの顔には、年頃の女の子らしい恥じらいの表情が見あたらず、平常運転な感じでニコニコしていたからだ。


 べつに、ソラのニコニコ笑顔が不快なわけではない。

 その顔は正直、とっても可愛らしい。

 許されるなら、このままもう一度キスをしてしまいたいくらいには。


 だが、この場合、ソラが浮かべるべき表情は、突然のキスに驚き恥じらう、年相応の乙女な表情では無かろうかと思うのだ。

 涼香はなんだか当てが外れたような顔で、ソラを見つめた。

 そんな涼香を見上げ、ソラは言う。



 「これ、ただいまのキスですね!」



 と、元気いっぱい、天真爛漫に。



 「た、ただいまの、きす??」



 意味不明のソラの発言に、思わず反射的にその言葉を繰り返してしまった。

 それを聞いたソラが嬉しそうに頷く。



 「そうです。涼香センパイの家も、帰ったときにただいまのキスをする習慣なんですね。私の家も、そうなんですよ~」



 奇遇ですね、とソラが笑う。

 ただいまの、キス。

 海外ドラマとか見てると、よくやってるあれだろう。ほっぺたにちゅっちゅっとする、あれ。


 だけど、今、自分はソラの唇にキスをした。

 そしてソラは、そのキスをただいまのキスと称している。と、いうことは、だ。



 「た、ただいまのキスって、唇に?」



 思い浮かんだ疑問をそのままぶつけると、小首を可愛く傾げたソラに、



 「あ、うちではそうですけど、涼香センパイのお家では違うんですか?」



 そう返された。

 そうか、やっぱり唇同士のキスでただいまするのか……と思いつつ、



 「う、ううん。うちでも、その、ただいまのキスは唇、かしら……うん、唇にするわね」



 反射的にそう返していた。



 「そうなんだ。おそろい、ですね」



 そう言って、ソラがはにかんだように笑う。

 その笑い顔が、もう、なんともたまらなく可愛かった。


 ソラと毎日キスが出来るとは、ソラの家族はなんて役得なんだ、と思ってはっとする。

 家族とキスをする……ということは、父親ともするのだろうか?

 父親とは言え、男性とキスしているソラの姿を思うと、なんだか胸の辺りがモヤモヤした。



 「う、うちは、父親とは唇で挨拶しないんだけど、ソラのところはどうなの?お父さんとも、する?」



 ずーっとモヤモヤしているのも気持ち悪いので、さりげなくそう聞いてみた。

 すると、



 「あ、そうなんですね。うちもですよ」



 返ってきたのはそんな答え。

 話を聞けば、どうやら母親側が父親とのキスは禁じているらしい。

 その答えを聞いて、涼香はほっと息をつく。良識のある(?)お母さんで良かった、と。


 父親とは言え、男は男。

 こんなに可愛いソラと毎日キスをしていたら、ついついよからぬ考えを起こしてしまうこともあるかもしれないではないか。


 そんなことを考える涼香は知らない。

 ソラの家庭では、そう言う意味ではむしろ、母親達の方がよほど危険なのだと言うことを。

 なにも知らない涼香がこっそり胸をなで下ろしていると、はっと何かに気がついたようにソラは涼香を見上げた。



 「あ、今のキスって、涼香センパイがただいまでキスをしたんでしょうか?それとも私?」


 「ん?」


 「えっと、うちでは、お迎えする側がお帰りなさいのキスをして、帰って来た方がただいまのキスを返すんですけど……センパイのお家では違うのかな?」


 「……なるほど。ということは、さっきのは私からしたから、今度はソラから返してもらえるってことなのね」


 「あ、でも、涼香センパイのお家では違うなら」



 ソラがおずおずと尋ねると、涼香は力強く首を振った。



 「大丈夫。うちも、ソラの家と一緒だから。じゃあ、今度はソラから、お帰りなさいとただいまのキスで、二回。ね?」


 「あ、そっか」


 「そうそう。ほら、さっき私も、二回したでしょう?」


 「あ、そう言えば、そうだったかも……ですね?」


 「ね?」



 涼香はにっこり笑って、さ、どうぞ?と目を閉じた。

 ソラは目の前にある憧れの人の顔にしばし見ほれ、ほんの少しほっぺたを赤くしながら、じゃあ、失礼します、とその頬に手を伸ばした。


 指先が触れた瞬間、涼香がぴくりと震える。

 その頬はかすかに上気して、わずかに開いた唇が色っぽい。


 どうしよう、なんだかまたドキドキして来ちゃった、と思いつつ、ソラは少しずつ自分の唇を涼香の唇へと近づけていく。

 吐息が触れあうような位置で一度唇を止め、それから思い切ったように唇を押しつけた。


 最初は優しくついばむように。

 いつも、美夜ママにしていたような優しいキスを。


 短いキスを終え唇を離すと、涼香の唇からは名残惜しそうな甘い吐息。

 センパイ、可愛いなぁ、と思いつつ、ソラはもう一度唇を寄せる。


 今度のキスは有希ママ仕込み。

 うっすら開いた涼香の唇に誘われるように、ソラは自分の舌先を伸ばした。

 涼香は入り込んできた熱い舌先に一瞬おどろいたように目を見開き、だがすぐに、そっちがそのつもりならと、己の舌でそれを迎えうった。


 徐々に激しさを増す口づけに漏れ出る、お互いの甘い声が耳を打つ。


 涼香は思う。

 本当にこれ、お帰りのキスでいいのかしら、と。


 だが、すぐにそんな思考も溶けて消え去り、後は夢中でソラとのキスに没頭した。

 どれだけそうしていただろうか。

 どちらからともなく唇を離した二人は見つめ合ったまま、荒い息を整える。


 互いの唾液で濡れた、ソラの唇を見るとはなしに見ながらぼーっとしていると、不意にソラがとんでもないことを言い出した。


 ソラは言った。

 うちではいってきますのキスもするんですけど、涼香センパイのお家ではどうですか?と。


 正直、こんなキスをあと四回もして、体はともかく理性は保つだろうか、とは思う。

 だが、せっかくの機会をふいにするのは余りにもったいない。

 しばし考え、涼香は答える。



 「奇遇ね。うちもソラの家と一緒」



 と。

 そうなんですね、とお揃いなのが嬉しいのか、またまた可愛く笑うソラを見ながら、自分の顔もふにゃりと緩むのがわかった。


 こんな顔、軽音部の男連中になんか、見せられたものじゃない。

 明日の部活の時までに気を引き締め直さないと、と自分に言い聞かせつつ、冷蔵庫からお茶を出し、お菓子を取り出すと、ソラを促してリビングへと向かった。


 本当は自分の部屋で話すつもりだったが、予定変更だ。

 なんといってもあそこにはベッドがある。

 そんな状態で、理性的にソラに接する事が出来るほどには、まだ涼香も大人では無かった。

 それでも、リビングで共に過ごす数時間、ソラがいちいち可愛くて、理性ががりがりと削られたのは言うまでもない。


 そして、帰り際。

 玄関先でソラと向き合ってキス。


 一度深いキスを知ってしまった二人が、触れるだけのキスですませられるはずもなく、ついついキスに熱中し、ソラを見送り玄関を閉めた涼香が、そのままずるずると床に座り込んでしまったことは、ソラには言えない秘密である。


 ソラはそこまでの事態にはならなかったものの始終ご機嫌で、自宅の両親は今日はどんないいことがあったんだろうね、とこっそりと不思議そうに顔を見合わせたらしい。

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