出会いと再会と~芝本楓の場合~

 春休み。

 もうすぐ高校二年の幕が上がるという頃、いつも通っている合気道の道場で、小さい頃から世話になっている師範代から声をかけられた。



 「芝本、ちょっといいか?」


 「はい、構いませんけど?」



 何の用だろうと、小首を傾げて見上げる。

 師範代は大きな人なので、そこそこ身長のある楓でも、しっかり上を見なければ顔が見えなかった。

 話に聞いたところによると190㎝以上はあるらしい。


 合気道以外にも様々な格闘技に精通した人で、話をするのは楽しく、よく話を聞かせてもらっていた。

 だが、そう言う時も大体他の仲間が一緒で、二人で話すというのは珍しい事だった。

 師範代の方から、個人的に声をかけてくるという事も。


 道場にはまだ少し人が残っていて、それらの人たちを見ながら、師範代は居心地悪そうに楓の前に立っていた。

 ガシガシと頭をかき、あー、と唸った後、



 「ここで話すのもなんだから、ちょっと外にでねぇか?俺が奢るからよ」



 そんな提案をしてきた師範代に、楓はにこりと笑顔を見せる。



 「いいですよ。あまり、聞かれたくない話ですか?」


 「あー、まあな。そんなとこだ」


 「じゃあ、着替えたら外にいますので、声をかけて下さい」


 「おう、すまんな」



 そう段取りを決めて、お互い分かれて更衣室へ向かう。

 急いで着替えて外に出ると、すでに師範代はそこにいて、彼が良く行くという喫茶店に案内された。


 そこは落ち着いた喫茶店で、店内に入るとジャズのメロディが迎えてくれた。

 師範代のイメージからあまりにかけ離れていて、ちょっとだけ驚く。

 よほど意外そうな顔をしていたのだろう。

 師範代は居心地悪そうに大きな体を縮めて、俺の相方がこういうの好きなんだよ、と言い訳のように小さな声で言った。


 二人揃ってオリジナルブレンドを頼み、初老のマスターが持ってきてくれたそれをまずは一口。

 思っていた以上に美味しくてびっくりした。

 今度、また来てみようか、そんな事を考えながらコーヒーの味を楽しんでいると、



 「あー、その、芝本。お前、俺の娘の事、覚えてるか?」



 歯切れ悪く、そんな風に問いかけられた。

 師範代の娘?

 首を傾げて考えること数十秒。

 小学校低学年の頃、良く師範代が道場に連れて来ていた女の子の面影が脳裏に浮かんできた。


 師範代の娘とは思えないほど、小さくて大人しくて可愛らしい子だったと思う。

 人見知りで引っ込み思案だったが、なぜか楓には良く懐いていて、あの頃はいつも一緒にいた。

 とはいえ、家同士はそれなりに離れていたので、道場内での事に限られたが。

 確か、名前は……



 「ええ、覚えています。ソラ、でしたよね、名前。元気にしてますか?」



 ソラと会わなくなってもう大分たつ。

 確か、楓が小学4年生になった頃、ぷつりと来なくなったのだ。

 当時はソラに会いたくて、師範代に連れて来てくれるようお願いしたこともあったが、それが叶えられることもなく、嫌われてしまったのかと随分落ち込んだものだった。



 「おう、良く覚えてたな。ずいぶん前の事なのに」


 「ええ。当時は良く一緒に稽古をしましたからね。そのソラが、どうかしましたか?」



 確か年は一つ下だったはずだ。

 小さかったソラも、もう高校一年生になるのか、そう思うと何となく感慨深い。ソラはどんな女の子に成長したのだろうか。機会があれば、会ってみたいような気もする。

 小さい頃は物凄い美少女だったから、きっと綺麗な女の子になっている事だろう。



 「芝本は、高校は百合丘だったよな?」


 「ええ。そうですが」



 師範代の質問にそう答えると、なぜか彼のごつい顔がぱっと明るくなった。



 (私が百合丘に通っていると、何か都合のいい事があるのだろうか?)



 そんな事を考えながら、次の言葉を待つ。



 「実はな、うちの娘のソラな、百合丘に受かってな。春から通う事になってんだ」


 「へえ。じゃあ、4月から私の後輩ですね」



 もうじきソラに会える、そう思うと何だか胸がほっこりした。

 どんな風に成長したのか、もうすぐこの目で確かめられる。

 出来れば師範代にはあまり似ていない方がいいなと思ったのは、師範代にはもちろん内緒だ。



 「そう、お前の後輩になるんだよ。で、だな」



 そこまで言って、師範代は少し言いづらそうに言葉を切った。



 「で、なんですか?」



 そう促すと、彼はこちらの顔を窺うようにしながら、



 「お前、うちのソラと友達になってやってくれねぇかな?」



 そう言った。



 「友達、ですか?」


 「おう、友達だ」



 首を傾げると、師範代は大きく頷いた。



 「私は構いませんが、わざわざ私に頼まなくても、ソラにはソラの付き合いもあるでしょう?」



 そんな疑問をぶつけると、師範代は苦虫を噛み潰したような何とも言えない顔をした。



 「うー、まあ、そりゃそうなんだがな。百合丘は、家から遠くて同じ中学から進学した奴が少ないらしいんだ。それは、まあ、どっちかっつーと好都合なんだが……」



 確かに百合丘は、ソラや師範代の住む地域からは少し遠い。

 むしろ楓の家からの方が近いだろう。

 私立で学費もやや高め、自由な校風だが偏差値も結構高く、付属の中学からの進学者が多い為、ソラと同じ中学からの進学者少ないのも頷ける。

 実際、楓も中学から百合丘だった。


 同じ中学の進学者が少なくて好都合、そんな師範代の言葉に引っ掛かりを覚える。

 普通であれば、同じ中学出身が多い方が心強いものだと思うのだが、どうも違うらしい。

 中学時代になにか嫌なことでもあったのだろうか?

 そんな事を考えながら、師範代の次の言葉を待つ。

 師範代は、自分の失言には気が付かなかったようで、何事もなかったように話を進めた。



 「ほら、うちのソラ、人見知りだろ?優しくて良い子なんだが大人しいし。新しい環境で友達が出来るか、どうも不安でな。そしたら、芝本と同じ高校だって師範から聞いてよ。こりゃいいやって思ったんだ。ほら、お前ら、ちっさい頃仲良かっただろ?」



 確かに小さい頃は仲が良かった。

 楓も物凄くソラを可愛がったし、ソラも楓を慕ってくれた。


 だが、もう十年近く前の話だ。

 自分もあの頃とは違うし、ソラだってそうだろう。

 いきなり会いに行って、友達になろうと言われても、自分はともかくソラは困ると思うのだが、親という生き物はそう言う事が分からないのだろうか?


 そんな事を考えつつ、師範代を見る。

 師範代は、言いたいことを言いきってすっきりしたとばかりにニコニコしていた。


 ……たぶん、分からないんだろうな。


 そう結論付けて、小さく息をつく。

 いきなり友達になるかどうかは兎も角、ソラの事が気になるのは確かなので、気をつけてみてやりたいとは思った。

 その上で、お互い友達として付き合いたいと思うのであれば、それもいいだろう。



 「分かりました。ご期待に添えるかは分かりませんが、私も久しぶりにソラと話してみたいですし」



 そう言って、了承の意を示すと、師範代は「そーか、そーか」と嬉しそうに頷いた。

 そして、



 「んじゃ、入学式の日に俺も学校行くから、その時にどいつがソラか教えるな?いやー、助かったよ、芝本。この恩はいつか必ず返すからな」



 がしっと握手をし、切りよくコーヒーも飲み終わっていたので、その日はそのまま別れた。


 入学式など特に楽しみでもなんでもなかったが、成長したソラに会えるかと思うと待ち遠しいと感じるのが、何だか不思議だった。


◆◇◆


 入学式の日、師範代の指し示す先にいたソラは、何とも可憐に成長していた。

 師範代に似なくて本当に良かったと思う。

 師範代からは、紹介すると言われたのだが、あえて断った。

 親の紹介で再会するよりも、もっと自然に会いたかったから。


 その日から、楓は一年の後輩に会いに行くふりをして、良くソラのクラスを覗きに行った。

 ソラはいつも一人だった。休み時間も昼ご飯の時も。

 何だか心配になり、ソラと同じクラスの弓道部の後輩、佐治にそれとなくソラの事を聞いてみたりもした。


 佐治かおりは、中学時代からの弓道部の後輩で、それなりに仲良く付き合っている。まあ、可愛い後輩だ。

 佐治が言うには、1-Cは中学から持ち上がり進学の者が多く、グループがある程度出来上がってしまっていたらしい。

 他校からの生徒ももちろんいたが、ソラはそのグループからもあぶれてしまったようなのだ。


 なんかあの子、無口なんですよね、とは佐治の言。

 クラスメイトも仲間外れにしているみたいで落ち着かず、最初は声をかけるグループもあったようなのだが、ソラが口達者でないが為に、上手く入り込む事が出来なかったようなのだ。

 そうこうするうちに、すっかり一人でいる事が板についてしまったと、そういう具合らしい。


 どうしたもんかな、と思いながら、楓はソラに声をかけるきっかけを捜していた。

 だが、そのきっかけが中々見つからずいたずらに時だけが過ぎて、入学式から早一週間。


 今日は新入生歓迎会と部活紹介がある。

 今日こそは声をかけよう。

 楓はそう決意していた。


◆◇◆


 今日の弓道部の出し物での楓の役目は派手なデモンストレーション。

 一年生の誰かに的を持たせ、舞台上から弓を射るのだ。


 顧問は危険だからと渋い顔をしていたが、楓の弓の腕は折り紙付きだ。

 中学で弓道を始めてから毎年のように全国大会に出場し、それなりの成績を収めている。

 だから、という訳ではないが、楓の腕の良さを理由に何とか許可をもぎ取った。

 成功すればかなりのインパクトがあるはずだ。


 舞台上では部長が挨拶をしている。

 その後ろでは我が部の精鋭達が、弓を射る姿を披露していた。

 そうこうするうちに、挨拶が終わったのだろう。

 部長がこちらを見て合図をしたので、愛用の弓を持ち、彼女の隣に立った。



 「え~、彼女は二年の芝本楓。うちの部のエースであり、次期主将候補でもあります。最後に、彼女に弓を射てもらいますが、せっかくなので一年生の誰かに協力してもらいたいと思います。誰かやってみたい人はいますか?」



 そんな説明と共に、部長が体育館を見回す。

 楓も、一年生の席に目を向ける。特に1-Cの辺りに。

 ざわざわしているが、挙手する者は誰もいない。

 ならば、指名してしまおうと、ソラの方を見ると、彼女が顔を上げこちらを見た。


 目をまん丸くして、びっくりした顔。

 その顔が可愛いやら可笑しいやらで、思わず笑みが浮かんだ。

 ソラから目を離さずに、部長の耳元に唇を寄せる。



 「指名したい一年生がいます」


 「えっ?指名?知り合いの子がいるの?」


 「ええ。まあ、そんなところです。立候補する一年はいないみたいですし、ちょうどいいんじゃないですか?」


 「んー、そうね。じゃあ、その子にお願いしようか。名前は?」


 「1年C組、悠木ソラ」


 「ん、分かった。じゃあ、下で待機してる佐治に指示をとばすわ」



 そう言って、部長は待機していた部員に指示を出した。



 「えーと、芝本がぜひ指名をしたいといってまして……ちょっと待ってください。いま、確認してます」



 そんな言葉に、更にざわつく一年生達。

 誰が指名されるのか、そんな事を話しているのだろう。


 そうこうするうちに、佐治の元に部員が行って指示を伝えたようだ。

 佐治は、何だか物言いたげな視線をこちらに送ってくるが、知らん顔をしておく。


 準備が整ったのを確認した部長がソラの名前を呼ぶと、会場がまたざわついた。

 ソラは困ったような顔をして固まっていた。だが、隣の席の女子が何か耳打ちをすると、ぎくしゃくと立ち上がった。

 そんなソラに佐治が駆け寄り、広い場所へと連れ出す。

 的を渡し、手助けしようとしている佐治を、



 「佐次。手伝わなくていい。その子一人で持たせてみろ」



 そんな言葉で退ける。

 が、佐治は反抗的な顔をして、



「でも、いきなり一人で持たせるのは……。動いたら危ないですし」



 そんな事を言ってきた。

 いう事を聞かない子は、後でお仕置き決定だ、とそんな事を考えながら、



「大丈夫。その子は動かない。大丈夫だな?悠木ソラ」



 そう答えを返し、ソラの名前を呼ぶ。

 ひょろひょろして見えるが、腐っても師範代の娘だ。

 あの男が、自分の娘に護身術の一つや二つ、教えていない訳がない。

 それなりに鍛えられているはずだ。

 その予想の上の言葉だった。

 だが、声に出しての返事が無く、頷くだけの返事を返す様子をみて、少しイラッとする。



 (ちゃんと、声を出せ、声を。そんなんだから、上手に友達と話せないんだぞ!?)



 そんな思いも募って、



「返事はちゃんと声に出せ!!」



 思わず、少しきつめの言葉が口をついて出てしまった。

 ソラはびくっとした様に首をすくめ、しかし今度はちゃんと返事を返してきた。



「だ、だいじょぶ……です」



 よく通るいい声だった。



 (なんだ、ちゃんといい声を出せるじゃないか)



 楓は満足そうに頷くと、弓を番えた。



「では、いく。動くんじゃないぞ」



 そう警告してから、弓を放つ。矢は真っ直ぐとび、的のど真ん中を射ぬいていた。

 会場内から歓声が上がる。

 だが、それに負けず劣らずのソラの声が、しっかりと耳に届いた。



 「すごい!!かっこいい!!!」



 そう叫ぶ声が。

 そんな手放しの賞賛に、嬉しくなって口元が緩んだ。

 舞台の上から一礼。それで楓の出番は終わりだ。


 袖に向かいながら横目で見ると、ソラは再び佐治に手を引かれ、自分の席に戻るところだった。



 (もしソラが弓道に興味を持つようなら、私が教えてやるのもいいな)



 そんな事を考えながら袖に入ると、同じクラスの立樹涼香が声を掛けてきた。

 ソラの事を聞いてきたので、逆にこちらからも質問を返してやると、学園祭で一度会っているのだという。

 だが、詳しい話を聞く前に、涼香は舞台へ飛び出して行ってしまった。


 忙しいやつだ。

 なんとはなしに、舞台袖で涼香の歌を聞く。

 彼女が自作したという曲は、優しげなバラードで、中々良くまとまっていた。

 楓は涼香の歌が、結構好きだった。

 ライブがあると聞くと、時間を見つけて何となく聞きに行ってしまうくらいには。


 曲が、終わる。

 拍手と歓声。それから、なんだ?悲鳴みたいな声。

 涼香が何かしたんだろうか。

 気になって幕の影からのぞいてみると、なんと涼香がソラの前にいた。

 2人は何やら会話をし、そして。

 なんと、ソラが叫んだのだ。びっくりするくらいの大声で。



 「け、軽音部はいりたい、ですっ」



 と。

 楓は思わず小さく唸る。

 涼香め、やってくれたな、とそんな風に思いながら。

 ソラは綺麗な声をしているから、軽音部も決して悪くはないだろう。

 だが、軽音部の部員は涼香以外は全員男子。しかも、少し悪そうな奴ばかり。

 そんな中にソラを放り込む事態は出来れば避けたかった。



 (本人の希望がもちろん一番だが、しかし、うーん……)



 ソラが男だらけの部活に入ったと知ったら、過保護な父親の師範代は卒倒してしまうのではなかろうか。

 それならまだいいが、軽音部の男共に決闘を申し込みかねない……気がする。



 「……もちろん本人の希望を優先するが、勧誘するくらいは、いいよな」



 先ほどの反応を見れば、ソラは弓道にも興味を持ってくれたはずだ。

 自分や師範代、諸々の心の平穏の為に、出来る努力はしておこうと、そんな風に思う楓なのだった。



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