出会いと再会と~立樹涼香の場合~

 入学式。

 正直かったるいなぁと思って、さぼっちゃおうかどうしようか考えながら、音楽室の窓からぼーっと外を眺めていた。

 音楽室は1階で、その窓からは校門をくぐって桜並木を歩く新入生達が良く見えた。


 初々しい1年生達。


 しっかり迎えてあげたいという気持ちと、このまま音楽室で放課後まで寝ていたいという気持ちの間でぐらぐら揺れる。

 今日学校へ来たのだって、放課後の軽音部の部活に参加する為なのだ。

 正直に言ってしまえば、入学式などどうでもいい。

 まあ、中学が同じ後輩もそれなりにこの学校へ入学するみたいだが、わざわざ体育館で迎えてあげたいと思うほどに思い入れのある子はいない。



 「やっぱ、さぼっちゃおうかなぁ」



 ぽつりと呟いた瞬間、なぜか並木道を歩く1人の女の子に目を奪われた。

 高校生とは思えないくらい小さくて頼りない細い体。

 一箇所だけ、過剰に丸みを帯びた部分が目を引くが、それを除いた見た目はどちらかといえば中性的でまるで少年の様。

 その容姿にあわせてなのかは分からないが、髪はやや長めのショートカット。

 元々そうなのか、わざわざ染めてるのか、一般的な日本人の色合いより明るめの髪は、くせ毛なのか何だかふわふわしている。

 そして、綺麗な瞳が印象的な、人形の様に整った顔立ち。


 その顔に、見覚えがあった。


 出会いは去年の学園祭。

 軽音部でのボーカルを任せられた初めての大舞台で。

 一人の女の子を見つけた。

 小さくて、でもすごく真剣に舞台を見てくれているのに気付いたのは曲の中盤くらい。

 素直な輝きの、大きな瞳を見開いて、彼女は食い入るように舞台を見つめていた。


 その瞳に、綺麗な涙をいっぱいにたたえて。


 そんな彼女の様子に。

 何だか素直に感動してしまった。

 自分の歌をきいて、泣いてしまうくらいに心を動かしてくれる人がいる。

 その事を目の前に突きつけられて、見せられて、何だかすごく、感動した。


 その子は自分が泣いている事にも気が付いていないみたいだった。

 涙も拭わずに、瞬きするのがもったいないとでも言うかのように、じっとこちらを見つめている。柔らかな頬を紅潮させ、瞳を興奮に輝かせながら。


 そして、曲が終わる。

 たくさんの歓声。


 涼香は演奏後の興奮と満足感を感じながら、もう一度さっきの女の子を見た。

 彼女は変わらずそこにいて。

 演奏が終わって、周りの観客はばらけ始めたのに、まるで動き出す様子が無い。


 ポケットを探る。

 指先に触れるのはいつも持ち歩くハンドタオルの感触。



 (いつから入れっぱなしだっけ?まあ、いいか)



 そんな事を考えながら舞台を降りる。



 「おい、涼香」



 後ろからメンバーの声が追いかけてくるけど聞こえないふりをする。

 あの子の涙を拭いてあげたい。あの子に話しかけたい。あの子の、声が聴きたい。

 そんな思いのままに、彼女の前に立った。


 びっくりした顔。

 目を真ん丸に見開いて、驚いてますと丸分かりな表情が可愛い。

 何歳くらいなんだろうか。

 見た目だけで言えば、小学生と言っても通るような気がする。


 でも、学園祭を見に来たという事は、もしかしたら学校を下見に来た受験生なのかもしれない。

 そうならいいなと思った。

 そうであれば、来年から同じ学校の生徒になれる可能性もあるから。


 彼女は泣いている。

 ただ涙をこぼしている。

 さっきの演奏が彼女の心を揺さぶったから。

 その事が誇らしかった。


 ハンドタオルを持った手を伸ばし、濡れた頬にあてると、彼女はびっくりした顔でこちらを見上げた。

 綺麗な顔。驚くほど整っている。

 まだ、少し子供らしさを残した彼女の顔に、何だか惹きつけられた。



 (そんなに面食いじゃなかったはずなんだけどなぁ)



 内心そんな事を思いながら、



 「泣くほど、良かった?」



 そんな風に声をかける。

 彼女は言葉が出ないようだった。その代わりに何度も何度も頷いてくれる。

 声が聴けないのは残念だったけど、そのしぐさがとても可愛くて口元が何だかにやけてしまった。

 そのままだとあまりに恰好が悪い。だから、



 「そっか。ありがと」



 ボロが出ない様に必要最小限にそう言って、とっておきの笑顔でにっこりと彼女に笑いかけた。

 そして、ハンドタオルを彼女の小さな手に握らせて、



「これを濡らして目に当てておくこと。このままじゃ、目が腫れちゃって可愛い顔が台無しになっちゃうから、ね。このタオルは、君にあげるわ」



 よそ行きの声でそう告げる。

 彼女は赤くなって、こちらを見上げてくる。

 潤んだ瞳が綺麗で何だか変な気持ちになる。

 女の子を恋愛対象として見たことはこれまで無かったけど、この子ならありかも……そんな事を考えかけて慌てて打ち消す。



 (今日あったばかりの子に何て事考えてるのよ、アタシは!?)



 これ以上暴走しないうちに退散しようと、くるりと綺麗に踵を返す。

 振り返ってもう一度彼女の顔を見たい、そんな衝動を懸命にこらえながら。





 あの子だ……遠目だが、あの時の彼女だとすぐに分かった。

 うちの高校に入学してくれたんだ、と素直に嬉しくなる。

 きっかけは何だったのかは分からない。

 だけど、その理由にほんの少しでもいいから、あの日の出会いが入っていればいいなと思った。



 (今日から同じ高校の生徒かぁ)



 これから同じ学校へ通えると思うと、自然と笑みが浮かんでくる。

 彼女は、後ろから追い付いてきた父兄らしき四人組と話をしていた。

 普通なら各家庭参加するのは父・母の二人のはず。

 何故四人?と思うが、そんな事より気になる事はたくさんある。


 彼女の名前が知りたかった。

 クラスは?好きなことは?色々な事が知りたい。

 彼女の事、全部。

 そして何より、彼女の声が聴きたかった。

 彼女はどんな声で話すのだろう。どんなテンポで?

 早く彼女と再会し、話がしたかった。



 「……さーて、入学式の会場に行こうかな」



 大きく伸びをして立ち上がる。

 さっきまでさぼろうと思っていたのが嘘のよう。

 今は入学式に参加したくて仕方がなかった。

 あの子を迎える為の入学式だ。参加したくない訳がない。


 さ、あの子を迎えに行こう。

 涼香は微笑み、ゆっくりとした足取りで音楽室を後にした。





 悠木ソラ。

 それが彼女の名前。クラスは1-C。

 友達は、まだあまりいないみたい。どちらかというと孤立しているようにも見えた。


 いつ見ても、彼女は1人だった。

 何回か声をかけてみようと思ったが、涼香はその気持ちを抑え込んだ。

 もっと劇的に再会したいと思ったから。


 いよいよ今日が再会の日。

 今日は新入生歓迎会と部活紹介が行われる。軽音部は、涼香の作った新曲でミニライブを行う予定だった。


 もうほとんどの部活の発表が終わり、残るは弓道部と軽音部のみ。

 舞台上には弓道部の部長が出て、挨拶を始めてる。

 その後ろで一般部員たちが的に向かって弓を射っていた。

 当然のことながら下手な子も交じっているけど、弓を射る動作は何だかかっこいいもんだなと素直に感心する。


 弓道着を身に着けた部員達は、凛として何だかストイックな感じで、ちょっぴりエッチな感じもした。



 (アタシって、コスチュームものに弱いのかな~?)



 そんな事を考えながら舞台袖から見ていると、同級生で同じクラスの芝本楓が弓道部の部長に呼ばれた。


 楓は弓道部の期待のエースで、きりっと凛々しい顔が人気の良い女だ。

 うちの学校は共学なのに、女子の中には楓のファンも多数いる。

 バレンタインにはいつも両手で抱えきれないくらいのチョコを貰う彼女は、はっきりいってモテない男子の敵と言ってもいいだろう。



 (楓もなんかやるみたいね)



 興味津々で舞台の上の楓を眺めていると、弓道部員達が急にざわざわ慌ただしく動き始め、そして。

 弓道部の部長が、なぜかあの子の名前を呼んだ。

 それから少し、やりとりがあって。



 「大丈夫。その子は動かない。大丈夫だな?悠木ソラ」



 聞こえてきたのはそんな楓の声。

 いったいあの子に何をさせる気だろうと、気になって、そうっと幕の影から体育館の中を盗み見る。

 その瞬間、



 「返事はちゃんと声に出せ!!!」



 そんな楓の声に、



 「だ、だいじょぶ……です」



 そう答えを返す聞き覚えのない声。

 それは初めて聞いたあの子の声だ。ずっと聞きたいと思っていた声。

 思ったより低くて、でも透き通るような綺麗な声だった。


 体育館の中を見回すと、的を頭上に構えて立っているあの子―悠木ソラの姿が見えた。

 その的のど真ん中に、風を切る音と共に突き刺さる弓。

 ソラは身じろぎ1つせず、それをしっかり受け止めていた。



 (結構、度胸あるじゃない)



 小さく口笛を吹く。

 その音に気づいた先生がこちらを見たので、慌てて幕の内側へ引っ込んだ。



 「なにやってんだよ、涼香」



 軽音部のドラム担当、高橋先輩が呆れた様にこっちを見てる。

 涼香は誤魔化すように笑って、軽音部の仲間の方へ向かった。

 弓道部の発表ももう終わる。

 聞こえてくるのは、弓道部の部長の締めの挨拶だ。


 ふと舞台の方へ目をやると、こちらにむかって楓が戻ってくるのが見えた。

 涼香は彼女を待ちかまえ、



 「かーえで♪お疲れさま~~」



 そう、声をかけてみた。

 彼女はいつもの涼しげな表情でこちらを見る。

 いつ見ても綺麗な顔だ。女の子達がキャーキャー騒ぐのも無理ないなぁと思う。

 一仕事終えた楓と少し話をしながら、本当に聞きたい質問を投げかけるタイミングを計った。

 男連中はもう準備を始めているが、こっちの方が大事だ。

 準備に行かなくてもいいのか、との質問への返事と共に、



 「あ~、準備は男共に任せておけばいーのよ。それよりさぁ、さっきの子ってあんたの知り合いか何か?」



 聞きたかった質問を無理やり割り込ませる。

 楓は、そんな質問をされるとは思っていなかったらしい。

 驚いたような顔をしたが、それでも律儀に答えは返してくれる。



 「さっきの??あぁ、悠木ソラか。子供の頃のな。どうやら向こうは覚えていないようだ。まるでハトが豆鉄砲を食らったような顔をしてたからな」



 そう言って彼女は笑った。なんだかすごく、優しい顔で。



 (おっと……もしかして、ライバル出現ってやつ!?)



 楓がライバルとなると、かなりの強敵だ。

 何しろ、とにかく女の子にモテるのだから。



 「へぇ。あんたでもそんな優しい顔するんだね。大事な子なの?」



 内心慌てながら、でもそんな事はおくびにも出さずに、さりげなく探りを入れてみる。

 が、簡単には答えは得られなかった。



 「大事というか……それより、お前はどうなんだ?あの子を知ってるのか」



 そんな風にはぐらかされ、逆に質問をされてしまう。

 答えを一瞬躊躇する。

 だが、隠しておくほどの事でもないかと、去年の学園祭で会ったのだと話しているうちにタイムリミット。

 舞台の上の仲間から声がかかり、ギターを片手に舞台へ飛び出す。



 「頑張って来いよ」



 そんな楓の声を背中に受けながら。





 ミニライブはあっという間に終わってしまった。

 曲は初めて涼香が自作した新曲で、どんな反応が返ってくるか不安はあったけど、結果は上々。

 たくさんの拍手と歓声に、自然と顔がほころんだ。


 無意識に、あの子を探す。

 いた。悠木ソラ。

 彼女は椅子に座ったままぼーっとしてた。まるで魂が抜け出てしまったかの様に。


 泣いてはいない。だけど、頬を上気させて何だか色っぽい表情。

 さあ、会いに行くなら今だ、と自分にはっぱをかける。

 忘れられない再会を演出してやろう。

 楓になんか、負けてられるか。


 舞台を降り、ざわつく体育館の中を突っ切って、彼女の前に立つ。

 久しぶりに間近で見る顔は、やっぱり綺麗で可愛い。

 真っ赤な顔をして、彼女はまだ、目の前に立つ涼香に気づかない。

 大きく息を吸い込んで、



 「なぁんだ。今日は泣いてないのね」



 務めて普通の声を出した。

 ソラが、こっちを見る。びっくりしたような、真ん丸の目で。



 「でも、顔がまっかっか。……もしかして、アタシの演奏でイっちゃった??」



 可愛いなぁ、そんな風に思いつつ、口をつくのはからかうような言葉。

 意味が分からないというようなきょとんとした顔の後、一呼吸遅れて意味を理解したのだろう。

 ソラは可愛い顔を耳まで赤くして、恥ずかしそうに、ちょっと泣きそうな顔でそれでも目は反らさずに見つめてくる。


 そこですかさず、自己紹介。次いでソラの名前も改めて聞く。

 答えるその声は、やっぱりいい声で。軽音部にほしいなぁとちょっと思う。

 だが、軽音部は涼香以外は全員男子。

 あんなヤロー臭い部活に、こんな純真そうな子を引っ張り込むのはどうなのかとも思って、勧誘したいのに勧誘するのを躊躇してしまう。


 だが、そんな涼香の想いも何もすっかり無視して、涼香の惚れた可愛い声は叫んだ。

 軽音部に入りたい、と。

 体育館中に、響き渡るような大音量で。


 思わず吹き出し、笑ってしまう。

 ソラは、自分の声の大きさにあわあわしていた。

 そんな様子も可愛くて、好きだなぁとしみじみ思う。

 まだ数えるほどしか、あった事が無いにもかかわらず。

 ソラは恥ずかしそうな顔をして、でもすぐに、涼香の笑い声につられて、思わず目を奪われるような最高の笑顔をみせてくれた。

 その笑顔のあまりの威力に、本格的に心が鷲掴まれた事は、今はまだ、涼香だけの秘密だ。

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