もう一人のママ
「えへへ。泣いちゃったね」
楓の肩でしばらく泣いた後、ソラはそう言って色々とすっきりしたように笑った。
痛々しく赤くなってしまった目元を何ともいえない思いで見つめながら、それでも楓は微笑み返してソラの頭を優しく撫でてやる。
「少しは、すっきりしたか?」
「うん。ありがとう、カエちゃん」
「あ、待て、ソラ。目、こすらない方がいい。冷たい水で顔を洗うか、濡らしたタオルで目元を冷やした方がいいぞ?」
言いながら目元をこすろうとするソラを制止してアドバイスをすれば、ソラは素直に頷いて立ち上がる。
「そうだね。その方がいいかも。ちょっと下に行ってくる。ついでに何か飲み物を持ってくるから、ちょっと待ってて?」
「ああ。慌てなくていいからな?ゆっくり行ってこい」
「ありがとう。じゃあ、ちょっと行ってくるね」
そう言って、ソラは早足に部屋を出ていった。
だが、出ていったところで誰かに会ったのか、扉越しに誰かと会話するソラの声が聞こえた。
「あ、お帰りなさい」
「ただいま~ソラ……ってどうしたの?目、赤いよ?」
「え?そう??そんなに赤いかなぁ?」
「あっ、だめよ、ソラ。手でこすらないで冷やしておいで」
「そうだった。カエちゃんにも言われたんだけど、つい」
「カエちゃん……楓ちゃんは部屋にいるの?挨拶しようと思ってきたんだけど」
「うん。部屋で待ってもらってるよ?あ、私が戻ってくるまで、有希ママ、一緒にいてあげてくれる?一人じゃ退屈だろうから」
「いいわよ~?任せなさい。私、人を楽しませるのは結構得意だし。さ、早く目を冷やしておいで」
「うん、ありがとう」
会話がとぎれ、パタパタと遠ざかる足音が聞こえた後、ドアがノックされる。
「楓ちゃん?入るわよ~?」
そんな声と共にドアが開けられて、茶色い髪の、これまた美夜とは別のタイプの美人が入ってきた。
さっきのソラの呼びかけから察すると、この人がもう一人のソラの母親、有希なのだろう。
「こんにちは。有希さん、ですよね。お久しぶりです」
楓はすかさず立ち上がり、有希に向かって頭を下げる。
「うんうん、久しぶり。いやぁ、楓ちゃん、美人になったわねぇ?小さい頃の楓ちゃんもそりゃあ可愛かったけど、この育ち具合は私の予想を超えたわね」
「私のこと、覚えててくれたんですね。美夜さんもですけど。小さい頃、数えるくらいしか会っていないはずなのに」
「私、美人の顔と美人予備軍の顔を覚えるのは得意なのよ。男の顔とかはまるで覚えられないんだけどね~」
有希はへらっと笑って、それから不意に真顔になって楓の顔を見つめた。
「で?うちのソラが泣いてたみたいだけど?」
さっきまでとはまるで違う鋭い眼差しで見つめられ、楓は思わず息を飲む。
「っすみません。私が余計な質問をしてしまって」
「余計な質問??」
「はい。その、中学時代の友達も、この部屋に遊びに来たことがあるんじゃないか、と」
「なぁるほど。そっかぁ」
「すみません……無神経でした」
「そう返してくるって事は、ソラに聞いた?」
「はっきりとは。でも、周囲にうまくなじめなかったことは、何となく分かりました。ソラは、虐めじゃないって、いってましたが」
「そっか。私達は、あれは虐めだったって思ってるけど、ソラはそう思ってないんだよ。あの子は、優しい子だから。あくまで、なじめなかった自分が悪いと思ってるんだよね」
困った子だよね……そう言いながら、ソラのことを語る有希の瞳はどこまでも優しい。
ソラが愛しくて愛しくて仕方がないと、その瞳が語っていた。
楓はその事に救われたように口元を緩ませる。
「ソラが優しいのは、美夜さんや有希さん、師範代や透さんが大事に愛情をもって育てたからですよ。それに、ソラはもう大丈夫です。高校では私もいますし、もう同じクラスに三人も友達がいる。ソラの友達とは私も会いました。そのうちの一人は長いつきあいの後輩でもあります。みんな、いい子です。上辺だけの友達じゃ、ないと思います。だから、安心して下さい。もし学校で何かあったら、私も出来る限り守ります」
楓は有希の瞳をまっすぐに見つめ、まじめな口調でそう告げた。
有希は一瞬驚いたように目を見張り、それから嬉しそうに笑った。
「うん、ありがと。そう言ってもらえると心強い。私達家族はなにがあってもソラの味方だけど、学校の中まで助けにはいけないからね。遠慮なく言葉に甘えちゃうよ?」
いいの?と問われ、楓は躊躇なく頷いた。
ソラときちんとした再会を果たしてからまだ二日目だ。
だが、楓の中でのソラは、かけがえのない大切なものになり始めていたから。
「甘えて下さい。私も、ソラが大切なんです。だから、何かあったらいつでも連絡を」
「楓ちゃんもそうしてくれる?あ、連絡先、交換しとこう」
お互いに携帯を取り出して、連絡先を交換しあう。
うちの連中にも教えてあげていいかな?と問われたので、迷うことなく頷いた。
ソラの家族ときちんと連携をとっておけば、ソラに何かあったときに見逃す危険性は少なくなるだろうから。
「よーし、これでちょっと安心ね。みんな、ソラに中々友達が出来なくて心配してたのよ。同じ学校に楓ちゃんがいてくれて良かったわ~。ソラも、ずいぶんなついてるみたいだし?」
「え?」
「その肩、ソラの涙でしょ?結構びしょびしょよ?泣いてるソラに、肩を貸してあげたんだ~?おっとこ前だねぇ。よっ、色男!!」
「や、女ですけど?」
「んじゃ、色女?」
「なんだか、響きが微妙ですね?」
「んもう、楓ちゃん、クールなんだからぁ。ここはさぁ、顔を初々しく赤くして恥ずかしそうに、ソラと私はそんな関係では……ってな感じに返すとこじゃない?」
「はあ……面白味がなくて恐縮です」
「まあ、なんというか、一周回って逆に面白いけどね~」
二人でそんな感じに色々と話をしていると、ぱたぱたと足音が近づいてきて、コンコン、とノックの音。
「カエちゃん、有希ママ。入ってもいい?」
そんな律儀な問いかけがドアの向こうから聞こえて、楓と有希は顔を見合わせて笑いあう。
自分の部屋なんだから、そんなに気を使わなくてもいいのにと思いながら、
「ソラ、大丈夫だ。入っておいで?」
楓がそう声をかけると、ソラがおずおずと扉を開けて入ってきた。
楓は入ってきたソラの顔をじっと見つめる。
きちんと冷やしてきたのか、目はまだ少し赤いものの、瞼の腫れは落ち着いていた。
楓はソラの頭をくしゃりと撫で、
「ん。ちゃんと冷やしてきたな。偉いぞ、ソラ。うん、可愛くなった」
にこりと微笑んだ。
そんな楓の顔を見上げ、ソラが少し恥ずかしそうに頬を赤らめる。
「可愛くなった、って、あんまり変わらないと思うよ??それに、私、そこまで可愛くないと思うんだけどなぁ」
「「そんなことない!!」」
小首を傾げ、ソラが己をまるで分かっていない発言を漏らした瞬間、楓と有希の声がシンクロした。
「なに言っちゃってんの?ソラが可愛くない訳ないでしょ~。もう、世界一可愛いよ??」
「え~~??有希ママ、そういうの、親ばかって言うんだよ??」
ちょっと恥ずかしいよ、と顔を赤くするソラに追い打ちをかけるように、楓も口を開く。
「そうだぞ、ソラ。ソラは可愛いぞ?少なくとも私にとってはソラが一番可愛い」
「カ、カエちゃん……えっとね、そう言うのは、本当に好きな人に言う言葉だと思うけどなぁ」
「私はソラのことが本当に好きだぞ?だから、いくら言っても問題は無いはずだ」
ソラの反論に楓が真顔で首を傾げ、ソラは早々に彼女を説得するのを諦める。
今分からなくても、いつか楓に本当の好きな人が出来たときに、きっと意味は理解できるだろうから。
「えーっと、う~ん……うん。まあ、いいや。ありがと。私もカエちゃんのこと、大好きだよ」
ちょっと照れくさそうにそう言って、ソラは楓を見上げる。
「か、楓ちゃんって、結構天然系タラシなところあるわよね?うちのソラも大概だけど」
それを見ていた有希がなんともいえない表情でそうコメントし、それからはたと何かに気がついたようにソラをみた。
「あ、そうだ。そう言えば今日はまだしてないわね。楓ちゃん、ちょっと失礼?んじゃ、改めて、おかえり~、ソラ」
そう言って、ソラがストップをかける間もなく、有希はソラを抱き寄せてその唇を奪っていた。
そして、いつもの様に舌先でソラの唇を割り、傍らのお客様の事などまるで気にせずに娘とのキスを堪能する。
ソラは目を白黒させ、横目でちらりと楓を見て目元を赤らめた後、色々と諦めたようにそっと目を閉じて体の力を抜いた。
そんな二人の濃厚なキスシーンをすぐ間近で見せられた楓は驚きに目を見張り、次いでその面を真っ赤に染め上げる。
そのキスは、しばらく続いた。
それこそ、おやつを持って上がってきた美夜が部屋に入ってきて激怒する、その瞬間まで。
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