軽音部の見学②
音楽準備室の扉をくぐり抜けて、再び軽音部の根城である第二音楽室に足を踏み入れると、その光景はがらりと変わっていた。
さっきまで、部活見学の生徒で溢れかえっていた教室はずいぶんとすっきりしてしまい、残っているのは数人の男子生徒のみ。
しかも、ちょっと目つきが悪かったり、体が大きかったりと、なんとも癖のありそうな男子ばかりだった。
恐らく目の前に残っている彼らが、涼香以外の軽音部の部員と言うことになるのだろう。
去年の文化祭と今年の部活紹介、計二回軽音部の面々を目にする機会はあったのだが、正直、涼香以外の生徒に見覚えは無かった。
それだけ、ソラの目が涼香に釘付けだったと言うことだ。
その事実を改めてつきつけられてなんだか恥ずかしくなり、ソラは手をつないだまま離してくれない涼香の横顔をちらりと見上げる。
その横顔をそっと盗み見るように。
涼香はその眼差しに気づかないまま、残っていた男子生徒たちの顔を見渡すと、満足そうに頷いた。
「良かった。ずいぶんすっきりしたわね。やっぱり、めぼしい新入生なんていなかったでしょ?」
「まぁな。ほとんどがお前目当てで来てるような連中だったしなぁ。ま、適当に追い出しちまったけど、根性あるやつならまた来るだろ」
涼香の質問に答えたのは、強面で背の高い男子。
髪の毛を金色に近い茶色に染めていて、何というか、威圧感がある。
ちょっと怯えたように、ソラが自分にくっついて来たことを感じた涼香は、ちらりとソラに目を落とし、それから半眼で威圧感のある男子を見つめた。
「邪魔者を追い出してもらったのはありがとうだけど、ソラが怯えてるから、部長はその怖い顔を自重するよーに」
「うわっ、なにげにひでぇ事言うなぁ」
強面の男子……どうやら軽音部の部長らしい彼は、傷ついたぜと、胸を押さえる仕草をし、それから改めてソラの方へ目を向けた。
彼は迫力のある眼差しでじぃぃっとソラを見つめ、ソラがびくびくと、それでも目を逸らさずに見つめ返していると、ふいにニッと笑った。
「なんつーか、あれだな。小動物みたいで可愛いじゃねぇか……。おい、涼香。俺にもソレ、抱っこさせろよ」
「や、ですよ。ソラは私のものですから。もちろん、抱っこ出来るもの私だけ。そうよね、ソラ?」
いきなり所有権を主張され、同意を求められたソラは、なんと答えたものかと目を白黒させる。
が、ここで同意しておかないと、ソラに興味を持ったらしい部長さんに抱っこされてしまう恐れがあると推測出来た。
なので、少し考えた後、ソラは大人しくこくんと頷く。
そして、涼香の服の裾を、きゅっと指先で掴んだ。
その仕草の可愛らしさに、涼香が内心もだえていることなど気づかないままに。
「くっそ、ずっけぇなぁ、涼香は。でも、ま、いいや。んで?ちびっ子は軽音部に入部希望なのか?」
「今日は見学に来ただけよ。入部するかどうかは……」
「入部、したいです。出来ますか?」
部長の直球な質問を濁そうとした涼香の言葉を遮って、ソラははっきりと入部の意志を告げた。
昨日は弓道部の見学に行ったし、弓道も面白そうだとは思った。
それに、あそこには幼なじみの楓もいる。
だが、ソラが心から入りたいと思う部活は後にも先にも一つだけ。
その希望する部活の部長から入部の意志を問われたのだ。
ためらう理由など、どこにもありはしなかった。
「お、おう。やる気は十分だな。どのみち、三年の俺らが抜ける分は補充しねぇととは思ってたから、二、三人は新入部員を入れるつもりだし。なぁ?」
ソラの返事に部長が頷き、他の男子の数人も頷きながらソラを見つめてきた。
恐らく、頷いた面々が三年生なのだろう。ソラを値踏みするような目線がちょっと怖い。
でも、これから同じ部活の一員としてやっていくのに、怖がってばかりじゃダメだと自分にハッパをかけ、ソラはぺこりと頭を下げた。
「一年の悠木ソラです。去年の学園祭で軽音部の演奏を聴いてから、入部を決めてました」
「去年から、か。んじゃ、他の連中みたいに、涼香目当ての冷やかしって訳じゃねぇんだな?」
部長に問われ、ソラはちょっとだけ困った顔をした。
ソラが軽音部に入りたいのは本当で、決して冷やかしでは無いことは、はっきりと答えられる。
だが、涼香が目当てでないかと問われると、否とは答えにくかった。
なんといっても、ソラが軽音部に入りたいと思ったきっかけは紛れもなく涼香自身なのだから。
「ん?どした??」
困ったように黙り込んでしまったソラの顔をのぞき込んで、部長が問う。
目つきが鋭いせいで、最初ほどは怖くないがやっぱちょっと緊張する。
だが、ソラは目をそらすことなく、部長の顔をまっすぐに見上げた。
「その、涼香センパイ目当てですけど、ひ、冷やかしじゃ、ないです」
「涼香目当てなの?」
「えっと、はい。涼香センパイの歌が好きで……」
「涼香の歌かぁ。ならいいんじゃね?正直、今日ここに来てた他のジャリ共は、涼香の体が目当てだろうし……」
「かっ、からだ!?」
「ん~?なんだ?ちびっ子にはちょっと刺激が強かったか??」
声を裏返えさせたソラを、面白そうに眺め、部長はソラの頭を撫でようと手を伸ばした。
が、その手を涼香の手が容赦なく払いのける。
「だから、ソラは私のなんですって。頭を撫でていいのも私だけ。そうよね?ソラ」
「へいへい。わぁったよ。んで、ちびっ子。お前が軽音部に入部したいのは分かった。けど、お前、何か楽器、演奏できんの?ボーカルでも良いけど、うちには涼香がいっから、ボーカルだけって訳にゃいかねぇぞ?」
「楽器、ですか?それなら、一通り、なんでも……」
できますけど?と可愛らしく小首を傾げるソラを、部長は目を丸くして凝視した。
「は?」
「ですから、どの楽器もそれなりに弾けると思いますけど」
「まぢ?」
「えっと、はい」
「あ~、んじゃ、今からやってみせてもらえるか?とりあえず、そうだな……ギターとベースと、ドラム……は無理か?」
「あ、ドラムも平気ですよ。楽器、貸してもらえるなら、やれます」
「うお~、まぢか~……」
部長は半信半疑といった様子で、だが、他の部員たちに指示を出して楽器の準備をさせる。
ソラは、涼香に後ろから抱き抱えられたまま、その様子を見守った。
密着する涼香の体の柔らかさや息づかいに、内心ドキドキしながら。
「えっと、涼香センパイ?」
「ん~?」
「そろそろ楽器の準備が出来そうなので離れ……」
「いや。ぎりぎりまでこうしてるの」
「え~っと……暑く、ないですか?」
「暑くないわよ。ソラの抱き心地が良くて、非常に満足なだけで」
「その、ちょっと恥ずかしいんですけど……」
「私は恥ずかしくない。以上!」
「あ~……じゃ、じゃあ、仕方ないですね」
流石にこれ以上言うべき言葉を失い、ソラは困ったように目を泳がせる。
別に涼香とくっついているのが嫌なわけではない。ただ、何とも言えずに恥ずかしいだけで。
それに、心臓がドキドキして、今にも飛び出してしまいそうだった。
「おい、涼香。あんまり年下を困らせんなよ。つか、楽器の準備できたから、そろそろ解放してやれ」
「った!なにすんのよ、徹」
「でこぴんだ、でこぴん。早く離さねぇと、もっかいすんぞ?」
「う~~、わかったわよぅ」
涼香はおでこを押さえ、しぶしぶソラから体を離す。
ソラは、涼香と親しげに話をするその男子生徒を見上げた。
恐らく、軽音部の部員の中で一番背の高いであろうその人は、さっきソラに絡んできた一年男子を外に追い出してくれた人だった。
(涼香センパイと仲、良さそうだなぁ。恋人、かなぁ)
じゃれ合うように言葉を交わす二人を見ながら、そんなことを思う。
綺麗な涼香に恋人がいることは、不自然じゃないし、当然の事だとは思う。
だが、目の前の男子が涼香の恋人かも、と思うと、なんだか胸の奥がツキンとした。
「おーし、んじゃ、ギターから頼むわ」
「あ、はい」
だが、その痛みがなんなのか分からないまま、ソラは部長に呼ばれて楽器のところへ歩み寄る。
ちらりと振り向くと、背の高い男子生徒と並んでソラを見送っていた涼香がひらひらと手を振って、頑張ってねと声をかけてくれた。
その言葉が嬉しいはずなのに、なんだか胸が痛くて、ソラは何でだろうと首を傾げるのだった。
用意された楽器……ギターに手を伸ばしながら、ソラは首を振って気持ちを切り替える。
入部テストみたいなものなんだから、しっかりしないと、と。
そして、深呼吸をして心を落ち着かせながら、借りたギターの音を確認して、そのまま、簡単にチューニングをし、ギターを構えた。
何の曲にしようとしばし考えてから、
「えっと、じゃあ、弾きますね?」
と部長に許可を求める。
「おお。好きにやってみてくれ」
そんな答えが返ってきたので頷いて、心の中でカウントして、ギターをかき鳴らした。
(うん。良いギター。高くはないけど、大事にされてるのが分かる)
曲はなじみのある曲をチョイスした。
それなりに知名度のある曲だから、軽音部に入っているような人たちならきっと分かるだろう。
そんなことを思いつつ、最初のサビの部分まで奏でてから手を止めた。
そして顔を上げて周りを見回すと、みんながみんなこちらを見ていて、ぽかんと口を開けていた。
(あ、あれ?なにか失敗したかな……)
ちょっと不安になりかけた頃、
「すっごい!ソラ!!」
駆け寄ってきた涼香にぎゅむっと正面から頭を抱きしめられた。
結構なボリュームの胸に顔が埋まってしまい、目を白黒させていると、涼香はソラのほっぺたを両手で挟み込むようにしてその瞳をのぞき込んできた。
興奮さめやらぬ、きらきらした瞳で。
「すごいじゃない、ソラ!!」
「はえ?す、すごい……って、なにが??」
「なにがって、ギターに決まってるでしょ、ギターに。上手でびっくりしちゃった」
「えっと、上手、ですか??」
涼香に興奮気味に誉められたものの、ソラは何とも言えない顔で首を傾げた。
自分の演奏は下手ではないけれど、上手でもないと、本気で思っていたから。
なぜ、ソラがそんな風に思っているか。
それは、ソラに楽器を手ほどきした人達がすごすぎたせいだろう。
つまり、ソラの演奏はプロと呼ばれる人達と比べてしまえば上手とは言い難いものであるだろうが、世間一般の学生がやっている演奏のレベルと比べれば十分に上手と言えるレベルであった。
だが、常に高い技術で演奏する人達に囲まれて育ったソラには、自分の演奏が上手と言われるレベルにあると言うことの自覚が全くない。
故に、何で自分がこんなに誉められているのか、全く分からないで戸惑ってしまった、というわけだ。
そんなソラの頭を、涼香が嬉しそうにわしゃわしゃ撫でた。
「うん。すごく上手。ね、誰に習ったの??」
「あ、その、パ……お父さんとか、お父さんのお友達に」
「へ~。ソラのお父さんって、すごいのね」
涼香はにっこり笑い、それから思いもしなかったソラの演奏力の高さに惚けている他の面々を振り返ると、
「で、どうする?他の楽器も演奏してもらうの??」
そう問いかけた。
正直なところ、ギターの演奏の技量だけでも軽音部の入部試験としては十分ではある。
だが、どうせなら、他の楽器もどれだけ弾けるのか、聞いてみたいと、彼らはソラの入部テストを続ける事にした。
結果、当然の事ながらベースもドラムも平均以上の技量で。
部員一同満場一致でソラの軽音部への入部が決まる。
念願の軽音部への入部が許された事は、もちろんとても嬉しかった。
けど、それ以上に、ソラを誇らしそうに見つめてくれる涼香の眼差しが嬉しくて。
頑張ったわね、と頭を撫でてくれるその人の顔を見上げながら、ソラは涼香の服を指先できゅっと握って、花がほころぶように微笑む。
その笑顔があまりに可愛くて。
涼香は人目もはばからずにソラを抱きしめたい衝動にかられ、でもその欲望のままに行動するには周囲の目がありすぎると、己の理性を総動員する羽目になり。
見学を終えて帰るソラを見送った後、疲れた様にイスに座り込んだ涼香を見て、他の部員はみんな首を傾げたらしい。
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