軽音部の見学①

 久々の、学校に友達がいる一日があっというまに終わって、気がつけば放課後。

 授業の合間の休み時間もそうだったが、今日のお昼は特に楽しかった。

 いつものように一人でこっそりお昼を食べようと教室を出たソラを亜希が追ってきてくれて。

 そしてなぜだかその後ろから、『私も行く』と佐治も現れ、途中でソラとご飯を食べようと教室に向かっていた静も合流して、四人でご飯を食べることになったのだ。


 そうやって友達と一緒にご飯を食べるのは久しぶりで、美夜が作ってくれたお弁当を誉めてもらえるのも嬉しかった。

 お互いのお弁当をつまみ食いしたり、仲良くおしゃべりをしたり……本当に楽しかったなと思いつつ、ソラは部活見学の準備を整えて立ち上がった。


 亜希と静は今日も弓道部を見に行くらしい。

 二人は半ば、弓道部に入部する事を決めているようだった。

 ソラも誘われたのだが、今日は軽音部を見に行くからと改めて断った。

 二人もそれを予測していたから、それ以上食い下がる事なく引き下がってくれた。

 軽音部の男の先輩にはくれぐれも気をつけるようにと、ソラに注意を促して。



 (亜希ちゃんもしぃちゃんも、そんなに心配することないのになぁ)



 そんなに心配しなくても、私は男の子から声をかけられたこともないし、興味を持たれた事だってないのに、と。

 むしろ、虐められた記憶ならたくさん残ってはいるが、優しくされたり好意を向けられた記憶などほとんどなかった。



 (だから、私が男子にちょっかいかけられる心配なんてしなくてもいいのに)



 むしろ、亜希ちゃんとしぃちゃんの方がモテそうだけど、と二人が聞いていたら目をむきそうな事を考えつつ、軽音部の活動場所である第二音楽室へと向かう。

 ソラの思うとおり、亜希も静も可愛らしく男子生徒の人気もあるだろうが、二人に言わせれば、ソラの可愛らしさは群を抜いている。

 しかも、本人がそのことを全く自覚していないから、なんとも無防備で危険なことこの上ないというのが、二人の共通した考えであった。

 昨日ソラと友人関係を結んでから今日に至るまでの間に、二人が[悠木ソラを守る会]を密かに発足したことを、守られる側の本人はまだ知らないでいる。

 恐らく、これから先も知ることはないのだろうが。


 新しくできた友人のことを考えつつ歩いていたら、あっという間に目的地である第二音楽室の前までたどり着いていた。

 広めの第一音楽室は大組織である吹奏楽部が使っているが、軽音部が使う第二音楽室も、ちょっぴり狭いものの、防音設備は十分で、少人数の軽音部にはちょうどいい根城のようだった。

 ソラはちょっと緊張しつつ、教室のドアを少しずつ開く。

 すると、狭い教室内の入り口近くまで人が詰まっており、ソラは驚いたように目を見開いた。



 (うわ……すごく、混んでる。ど、どうしよう)



 しかも、見える範囲にいるのは、男子生徒ばかりで余計に入りにくい。

 正直、人混みがあまり得意でないソラは、明日にしようかなぁと一瞬考えたものの、昨日の放課後に交わした約束を思い出して困った顔をする。



 (今日行くって、約束したもんね)



 だったら頑張らないと、とソラはそっと前に足を踏み出した。

 体を押された男子生徒が迷惑そうな顔で振り返るが、次の瞬間には顔を赤くして固まる。

 なぜなら、そこにいたのはびっくりするくらいの美少女だったからだ。



 「えっと、ごめんなさい」



 困った顔で謝れば、



 「い、いいいい、いや。き、気にしないで?あ、あのさ?君、可愛いね??なんて名前?クラスは??」



 そんな風に食いつくように問いかけられて、ソラはもっと困った顔をした。



 (えっと、どうしよう。確か、亜希ちゃんとしぃちゃんが、男の子に簡単に名前とか連絡先とか教えちゃだめって……)



 おずおずと男子生徒の顔を見上げれば、それがまたツボに入ってしまったようで。

 元々軽薄な感じのその男子生徒は、



 「ま、まあ、いいや。こんなところじゃ話しづらいしさ、廊下に出ようよ」



 そう言いながら、ソラの細い手首を掴んでくる。



 (どっ、どうしよう……変なことをされたら問答無用で投げ飛ばせって、亜希ちゃんとしぃちゃんは言ってたけど、流石にここじゃあ迷惑だよね……)



 ソラがそんな物騒な事を考えているなどとは想像すらしていないだろう男子は、ソラが黙っているのを良いことに、その手をぐいぐい引いて廊下へ連れ出そうとする。

 その力が強くて乱暴で、思わず顔をしかめたその時、



 「ソラ、待ってたわよ?」



 そんな言葉と共に、後ろからふわりと抱きしめられた。



 「ふえっ??」



 びっくりして思わず変な声が漏れてしまい、ソラは両手で口を押さえる。



 「この子は私のお客様なんだけど、君はこの子をどうするつもりなのかしら?」



 次いで耳元で聞こえた笑っているようで笑っていない、絶対零度の冷たい声。

 その言葉は、きっとソラの手を握ったまま惚けている男子生徒に言ったものだろう。

 でも、それが自分に向けられたものではないと分かっていても、何とも言えず緊張で胸が痛くなるくらいドキドキした。



 「え、と。あの、これは……」


 「悪いけど、軽音部はナンパする場所じゃないのよね……徹」


 「あいよ」


 「彼、もう廊下に出たいみたいだから、帰ってもらって。部活見学でナンパするような奴、軽音部には必要ないでしょ?」


 「へいへい。……おい、お前。さっさとその手を離して廊下に出ろや」



 そうして、軽薄な男子生徒は、ソラの背後の人の指示で現れた大きい上級生の男子に、廊下へ追い出されてしまった。

 そんな一幕に、教室中の生徒達の視線がソラ達へと集まる。



 (おい、あの小さい子、可愛くねぇ?どこのクラスだろ??)


 (軽音部に入るのかな?立樹先輩といい、軽音部やべぇ。女子のレベル高いわ)


 (弓道部の先輩も美人だったじゃん)


 (ばーか。弓道部は男女分かれてんじゃねーか。いくら美人がいても軽音部みたいに、一緒に練習できねぇもん)


 (美少女同士の絡み……いいなぁ)



 ひそひそと話す声も聞こえてしまい、ソラの顔は真っ赤になってしまう。

 そんなソラを見かねたのだろう。後ろの人はソラを抱きしめたまま、



 「ちょっと、徹」


 「あ?」


 「私、この子の手を準備室で手当してくる」


 「おお、了解」


 「だから、その間に、不要な連中は一掃しておいてって、先輩達に伝えといてね」


 「……へいへい」



 そんなやりとりをして、



 「じゃあ、ソラ。ちょっと一緒に来てくれる?」



 そう言って抱きしめていたソラをいったん解放した後、その手を取って引いてくれた。

 迷子の子供にそうするように、とても、とても優しく。



 「センパイ?」



 その横顔を見上げながら呼びかける。

 彼女はちらりとソラへ視線を投げかけて、



 「ダメ。涼香って、名前で呼んで?」



 そんな言葉を返してくる。

 ソラはどうしようかと一瞬迷って、



 「えと、涼香、センパイ」



 無難にそう呼びかけた。

 すると涼香は仕方ないなぁというように笑い、



 「ま、今はそれでいいわ」



 言いながら、ソラを第二音楽室の奥にある小部屋へと連れ込んだ。

 そこは、準備室と呼ばれる場所であるらしい。

 軽音部の備品らしい楽器やアンプも置かれていて、ソラは物珍しそうにキョロキョロと周囲を眺めた。



 「ソラ、おいで?」



 そんなソラを微笑ましそうに見ていた涼香がソラを呼ぶ。

 ソラは、飼い主に呼ばれた子犬のように涼香の元へ小走りに駆け寄った。

 そんなソラをイスに座らせると、涼香は部の備品らしい救急箱から湿布を取り出す。



 「え、と?」



 なにをされるのか分かっていないソラが、困った顔で見上げると、さっきまで男子生徒に握られていた方の手を涼香の手が優しく持ち上げた。

 その手に目を落とし、ソラは目をまあるくする。

 それほど痛くないから気にしていなかったのだが、手首の辺りの皮膚の色が、内出血でなんとも可哀想な事になっていた。

 元々、ソラの肌は白い方なので、内出血がとても目立つのだ。

 ソラはそんな自分の手首をまじまじと見つめ、



 (男の子って、力が強いんだなぁ……)



 特に怒るでもなく、そんなことを感心していた。



 「うわ。思っていたより酷いわね。痛い?」


 「えっと、平気、です」


 「ほんとに?」


 「はい。本当に」


 「なら、いいけど。とりあえず、湿布だけ、張っておくね?」


 「えっと、もったいないからいいですよ?きっとすぐ治ります」


 「だぁめ。私が気になるの。っと、その前に消毒をしておかないとね?」


 「消毒??」



 内出血に消毒なんて聞いたことがないと首を傾げていると、手首をひょいと持ち上げられ、内側の皮膚の薄い部分に何か生温かいものが這う感触。

 ぬめぬめと丁寧にソラの手首の内出血部分を這い回るのは、涼香の柔らかな舌だった。

 そのあまりのくすぐったさと、何とも言えない感覚に、



 「ん……」



 思わず声を漏らしてしまい、慌てて自由なほうの手で口元を押さえる。

 その声を聞いて、涼香は満足そうに笑い、手首の中心の辺りに唇を押し当てて強く吸い上げた。

 そして顔を上げると、ソラの手首に残ったひときわ濃い小さな痕を見つて嬉しそうに目を細め、それから丁寧に湿布を貼って包帯まで巻いてくれた。

 とても器用に、緩みなく。



 「はい、終わり。きつくない?」


 「えっと、大丈夫です。ありがとう、ございます」


 「あいつがつけた痕の上に、ちゃあんと私の印を上書きしておいたからね?」



 そんな言葉に、思わず頬が熱くなる。

 ソラは赤い顔のまま、無意識に潤んでしまった瞳で涼香を見上げた。

 涼香はくすりと笑って、そんなソラの頬を優しく撫でて、



 「こら。そんな顔をしてると、もっと他の場所にも印、つけちゃうわよ?」



 可愛い後輩にからかいの言葉を投げかけつつ、



 (でも、印を付けるのって結構楽しいわね……今まで付けられる方専門だったから迷惑でしかなかったけど)



 ぼそりとそんな言葉を呟いた。

 ソラに聞こえないように、小さな小さな声で。

 そして、きょとんと無防備に見上げてくるソラの頬をもう一度撫で、



 「さぁて、ぼちぼちあっちの教室もスペースができたかしらね。ソラ、行ってみようか。うちの連中を紹介するわ」



 言いながらソラの小さな手を取った。

 ソラは頷き、涼香に促されるままに、準備室の扉を再びくぐるのだった。

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